‘劣等感’ カテゴリーのアーカイブ

<<劣等感>>「「劣等感」」続編1

2012 年 4 月 6 日 金曜日

 何時も、皆さん方とも、沢山の方達とも「「お話」」をしています。
普通では、なかなかと、皆様方も話をしません。
又、沢山「「劣等感」」を抱え過ぎていながらでも、自分の{{こころ}}に気付かないのです。
突然にでも、「「劣等感」」などと話を切り出すと、間違いなく周囲の人達は{{嫌いな雰囲気}}だと言うでしょうね。
そう・・・、間違いありません。

 人間の悲しい「「性」」ですか「「業」」ですかね、面白いと言えば面白いですよ。
自分の{{からだ}}にしろ{{会話}}にしろ、動かしているのは、全てが自分の{{こころ}}なのです。
そんな状況で生きている人達ですが、自分達の{{こころ}}には全く気付いていない方達も多いです。
驚く程に、沢山の人達が、自分の{{こころ}}って、何ですかと答えるでしょう。

 当方、出来る限り、皆さん方が自分の{{こころ}}について理解できるようにと、考えていますが、己の{{こころ}}を理解して頂くには、本当に大変です。
どんなに、傍から、{{こころ}}って伝えても、自分の{{こころ}}に気付いてくれる人は少ないですね。
そう、皆が幼い頃から、自分の{{こころ}}について学習させる制度ができるのが、最良と考えています。
例えばですね、小学4~5~6年生頃からであれば、自分の{{こころ}}について幾らかでも教える事は可能なのです。

 ですが、俗世間と言うか、文部省なども、政治家や官僚の方達も含めて、眼前を眺めて生きているだけですよ。
だから、他者を非難したり貶したりもします。
それが、人間世界だと言えば、仕方がありません。
でも、当方が気付いているのは、多くの人間が自分の{{こころ}}を明確に知ってくれれば、医療費も安くなります。
それは、人間が自分の{{こころ}}を知る事で、病気になる確率も減って来るからです。

 勿論、最近では、流行の「「自殺」」なんて言うのも、随分と減って来るのです。
「「自殺」」をするのは、自分の{{こころ}}に気付いていないし、己の目前の環境や人間に対して「「マイナスの感情」」を抱いているからです。
勿論、「「劣等感」」も同じでして、自分の{{こころ}}を明確に知っているならば、絶対に「「劣等感」」は持たないで良い筈ですね。
そうですね、当方は、絶対に人間が幼い頃から、自分の{{こころ}}を知る「「策」」を教育しておくのが最良だと、再度のこと、付け加えておきたいものです。 

<<劣等感>>「「劣等感」」16

2011 年 4 月 20 日 水曜日

 80歳になっても、痴呆症にならずに、現役の第一線で仕事をしておられる人達も居ます。

当方、日常生活でも、そんな方達を目前に見ておりますので、良く分かります。

80歳~90歳などと、年齢を重ねる間に次第に認知能力は低下していきます。

 認知症の方達も沢山と見ており、色々様々な人達に出会います。

認知症の方達を見ていても、全く他者の言う事柄、或いは、他者の世話を受けたくない人達、また、その中間の人達も見ます。

しっかりと見ていると、そのような認知症の人達も、それなりに心の葛藤が動いているように見えます。

 

 生い立ちの心の中で、どれほどの心の葛藤が動いていたのだろうと、時折に、そんな感じをしながらお付き合いをしています。

認知症状の人になってから、自分の周囲の誰とも一緒に時間を過ごせない方も居られます。

孤独なのだろうと考えますが、自分で選んでいる人なのです。

 もはや、他者から何を伝えようとしても駄目ですね。

認知症になると、口と耳で話をしてもコミュニケションは出来ません。

しかし、字を書いて見せれば、筆談は可能です。

あまり、詳しい内容の話しは無理ですけれど・・・。

 

 要するに、当方のお伝えしたかったのも、心の葛藤、格別に「劣等感」は除去しながら日常生活を送っていくことです。年齢を重ねて年老いて認知症者になって行くにしても、「劣等感」は引きずられているみたいです。認知症の方の会話を随分と聞いていますが、劣等感を引っ張っているようです。

 というのは、当方にとっては、お世話していても、認知症者の人達にも、それぞれの皆様の心の葛藤が見えて来るからです。

家族に迷惑をかけず、認知症になっても、それなりに、自分の生き様を生きて行けば、最高の人生となるでしょう。

人は誰もが、どんなに「誇り」を持って、お金持ちになっても、金銭を貯めても、名誉を得ても、最後は必ず<<滅する時期>>がやって来ます。

 

 どんなに優秀で他者よりも、現実世界で秀でていても、「「盛者必滅」」&「会者定離」」が此の世の鉄則です。

「因縁」で生まれて来た俗世間ですが、両親に感謝して、或いは、自分を育ててくれた人達に感謝して、それなりの「恩」を感じて生きてゆく事が最高に絶対に大切でしょう。

 此の世を生きるには、自分一人で生きるのではありません。

自分の親、育ててくれた人達、周囲の人達、また、自分の知らない人達、未知の人達にも、皆の御蔭を受けて、今の自分が存在しているのだと<<体で気づいて>>欲しいものです。

だが、ここまで体得するには、それなりの自分の人生で、{人生とは、何か??}、{己の存在とは、何か??}、などを真剣に熟慮が重要でしょう。

「劣等感」を抱えないで、生きる事にしましょう。   

<<劣等感>>「「劣等感」」15

2011 年 4 月 19 日 火曜日

 男性にしても、女性にしても、75歳前後となれば、既に、ベッドに横たわったまま管栄養で生きている人達もいます。

「劣等感」などとは、全く関係ない次元で生存している人達も居ます。

心因性の高血圧もありますし、時には、心の葛藤を持てば「劣等感」も抱えてしまいます。

生まれつきの[遺伝子]の故に、高血圧を起こす場合も多々ありますでしょう。

そして、脳血管障害とか心筋梗塞とか、はたまた、運が悪いと、器質的疾患で「癌性病変」を抱えて<<死に至る場合もあります>>から、未知の人生の予測、寿命の予測は本当に難しいです。

 

 仮に、病院や施設のベッドで寝込んでも、その時期には、もはや、認知症が絡んでいれば、「優越感」も「劣等感」も区別がつかなくなるでしょう。

この頃の年齢でも、頭の認知症状が全くなくて第一線で仕事をしている場合もあるでしょう。

逆に、このような元気な人達ほど、まだまだ、「見栄」・「虚栄心」・「自惚れ」、などなどを抱えていますので、要注意でしょう。

難しい言葉でしょうか、・・・ある年齢にまでなれば、「「「生き甲斐」」」から「「「死に甲斐」」」に変化してゆくべきです。

 

 そう、格別に何も求めなくても、高齢者になってしまい、「金銭」・「名誉」・「地位」なども全部を捨ててしまえば、気楽になれます。

この「「「生き甲斐」」」を持っていれば、現実には、<<死ぬる事が>>出来ません。

「「「生き甲斐」」」って、俗世間では、特別に大事な言葉として受け止められていますが・・・・、

 当方では、すこしながら、この言葉にあまり強調しない方が良いと考えます。

 「「「生き甲斐」」」、「「「生き甲斐」」」、などと言うから、人間は自分の死と向かい会うのが大変となります。

「「「死に甲斐」」」、「「「死に甲斐」」」、と自分の心深く認知しておくべきです。

<<自分の死を受け止める事の出来る人は、かなりのストレスに出会って>>も、大丈夫と言われるほどです。

 

 「劣等感」・「劣等感」などと、言いましたが、その「劣等感」のどん底に流れる自分の心を見抜いておく事が重要です。

自分の過去を調べていると、気づかなかった自分のマイナスの感情に沢山と出会うでしょう。

その自分の過去の中のマイナスの心・気持ち・感情を、明確に知っておくべきでしょう。

 「劣等感」なんて、簡単に消去できるものです。

自分の「劣等感」を認めたら、その時から、自分の「劣等感」は消えてゆくのです。

だが、自分は「劣等感」を持っているような人間ではないと、考えれば益々と自分の「劣等感」に気づいて来るものです。

己の過去の「心」を回想して「再解釈」すれば、良いだけです。 

<<劣等感>>「「劣等感」」14

2011 年 4 月 18 日 月曜日

 70歳前後になると、男性は随分と「死」に近づいたと、言っても良いでしょう。

この年齢では、もう、運が悪くて<亡くなっている人達>も居ます。

女性の方が、平均的に見ていると、長寿です。

 男性でも女性でも、この年齢になっても、何故か、<<他者よりも優位に立ちたい>>のですね。

「金銭」・「名誉」、「地位」、などなどに拘って生きています。

勿論、その人、その人の立場の関係もありますが・・・・。

「金銭」・「名誉」・「地位」なんて、望んでも全然と望みが無い時は、初めから<<望みません>>。

 

 時には、余分な{欲望}を持たずに、唯、唯、1日をぼんやりと過ごして<<時は流れ>最後は滅して行くのですが、<<滅する事>>にも気づかないでその日を生きているのが普通でしょう。

 ですがね、自分の知っている人達が、自分の傍で<<何か立派な事をする、或いは、立派な建物を建てたりする>と、心が穏やかではないですね。

人間って、本当に駄目な生き物です。

自分の知っていない人は何をしても、「劣等感」は起こらないのですが、一般的には、知人が<<世の中で素晴らしい事柄をして世間の人に認められたりする>>と、欲求不満を起こすのです。

 

 「涅槃の世界」に入るのも拒否しますし、此の世に生きていて自分の「死」を迎えるのが、やはり怖いですからね。

70歳が一区切りで、人としての「価値」は本当に自分で優秀な人間だと思っても、他者から、貴方は年老いて来たので{{今までの仕事は、終わりとします}}と引導を渡されます。

それも、突然に、言われます。

ここで、立腹するようなら、駄目人間でしょう。

 人生には、年齢によって<<幕引き>>があるものです。

研究している人とか、芸術に関わっている人は、最後の年老いて滅するまで、それなりの価値を他者や俗世間から認められて、「涅槃の世界」へ行く人達もおられるみたいですね。

 

 彼等は、例外的な人達だと伝えておきますが、彼等と言えども<<幼い時から、沢山の欲求不満を抱えながら、多分に、「劣等感」をも感じて>>成長してきたでしょう。

いや、私には、「劣等感」などは、何も無かったなどと言う人が居れば、間違いないと当方では思うのですが、「劣等感」がありながら、一方で「優越感」を持っていたいと考えている人もいます、だから劣等感がないという人もいます。

 「劣等感」を押し込んで、無意識の中に埋め込んで大人へと成長したのでしょう。

此の世では、どんなに優秀な人達でも、人生で一度も「劣等感」を持たずに生きて来たと、言う人が居れば、その人の勘違いでしょう。      

<<劣等感>>「「劣等感」」13

2011 年 4 月 14 日 木曜日

 65歳前後になりますとね、この時期では、沢山の人達が会社を定年で退職したり、次の仕事場に移って<<安い給料で働いて>>、其処では、若い人達の指示に従って働く場合もあるでしょう。

 或いは、技術者であれば、第二の職場でも若い人達に指示を与えて生活している人達も居るでしょう。

一方で、最近では、企業や大会社でも、各種の会社で、定年になっても同じ会社で給料が安くなっても、引き続きに仕事を続けている人達もいます。

 

 人間は、年齢を重ねると、人間としての価値が下がるものです。

誰が、何と言おうと、人の加齢によって、人の価値が下降する事実は否定できません。

そんな、自分について、しっかりと認めないと仕方がありません。

65歳では、まだまだ、気づかないかもしれません。

 人間の、「年齢」と「価値」の関連についてですね。

65歳の年齢では、他者との付き合いは止めて(本当であれば、孤独を感じているのでしょうが、当人の無意識の孤独には明確に気づかないかもしれません。)花作りや畠作りや盆栽などに、或いは、芸術と言うか絵画や陶器など、その他の芸術について関わって生活をしている人達も居るでしょう。

何にもしなくて、ぼんやりと日々を過ごしている人達も、いるでしょう。

 

 「劣等感」を懸命に、隠しながら我慢をしながら生活をしています。

時には、アルコ―ルで、自分の「劣等感」を隠す場合もあります。

アルコ―ル依存で、離婚している人達もいるでしょう。

 {{うつ病}}は、「劣等感」のなせる{業}です。

「劣等感」を持たない、{{うつ病者}}は居ないでしょう。

「劣等感」は、全ての病気につながると考えても良いでしょう。

しかし、「劣等感」の奥底には、もっと原点となる心の葛藤が流れています。

その{{心}}を知っていなければ、或いは、喝破できない人達は真実なる「心理療法」を受けてもらうには、どうかとも感じます。

 

 65歳前後では、まだまだ、足腰が弱ったとは、感じないかも知れません。

だが、家族環境や家族外での環境も、全く変化して来ます。

人によっては、この年齢になっても<<お金>>、<<お金>>と考えて、お金を持っているのに、お金を貯める事に一生懸命の人もいます。

 更に、お金で買えないもの、異性ですよね!!

一瞬の間の{{異性との接触}}であれば、お金で何とかなるでしょうが・・・。

お金で異性の{{愛情}}は買えないですね。

どんなに頑張っても、買えないものは買えません。

「欠乏欲」、「満足を感じる能力の欠落」、人生は大変でしょう。