‘家族・親子’ カテゴリーのアーカイブ

<<家族・親子>>自由な生き方3、他者の意見を受け止めることから始まる

2014 年 2 月 28 日 金曜日

  人生を生きるのに、何時も緊張して大変に苦労している人達が本当に多いですね。
心の勉強をしておかないと、人の悩みの原点(心のカラクリ)が見えないものです。

  普段の生活では、皆が気持ちよく、楽しく人生を過ごしている様に見えるものです。
しかし、どんな優秀で社会的にも優れて有能な生活を送っている人でさえ、心の中では間違いなく、「優越感」と「劣等感」を交錯しながら生活されているでしょう。
日常(社会)生活で「自分は優越感を持って過ごしている」と思っているとすれば、
心の底では、劣等感の境地に落ちていかないようなプレッシャーが動いています。

  また「自分にはストレスは無い」と言われる人がおられれば、それは錯覚だとも言えるでしょう。
人間社会を生活するのに、心の葛藤(ストレスと言っても良いですが)を全く持たない方が、どちらかと言えば大変な人です。

  「悩み」や「苦しみ」「各種神経症」「うつ病」「心身症」などにしても、「優越感」を持ちたくても、「劣等感」が先に自分の心を襲うので、心理的に苦しみます。
統合失調症の人達は(例外は有る)、一般的に、人格的に脆い・脆弱さを抱えていますので、心理療法を受ける方が良いですね。
実は、優越感を持ちたいけど持てない、苦しい、悲しい、辛い、生きている価値がない、など、マイナスの感情で責められて、人間関係・心の交流が成立しないのです。

  多くの人達は、周囲の人達から{ほめられたい}{称賛されたい}{優秀な人だと思われたい}のです。{愚かな人}{無力な人}{駄目な人}{悪い噂}など、評価や非難されることが嫌いなのです。
評価や非難されるのが嫌いだったら、忍耐や努力や精進が必要ですが、そんな努力をしませんね。
  何故ならば、心底と自分は「駄目な人間だ」と体で認めないのですから。
頭で、自分は駄目人間だと思う間は、まだ、駄目な人と思われたくないだけですね。
そう思われたくない間は、自己嫌悪だけが続くので、這い上がる気持ちは出てきません。

  どの様な地位や名誉や金銭などを持っている人達も、生涯で一度も他者から非難されないで死んでいく人は絶対に居ないでしょう。
人間は誰しもが「生い立ち」も違うし、同じ考え方をしていないのが普通ですね。
だから、人は皆、他者に対して評価・非難・噂・悪口、などを言います。
それも、当然でしょう。

  ここで皆さんにどうしても知っておいて欲しい事は・・・・・、自分が本当に
  正しい人=善人?  間違っている人=悪人? 
  どちらの人間かを判断して確認しておいてくださいませ。

  私は正しくて真面目な人間(実は、自己判断の間違いが多い)と思っていると、
どうしても、他者から称賛を浴びたい、他者から褒められたいなどと、無意識的に思うのです。
当方は、宗教家ではありませんが、どんなに真面目だと自己主張しても・・・・・・、
生き物{野菜や動物(魚や肉など)}を食べている、殺生しているのです。
地球破壊や生態系を破壊しているのも人間です。

  時たまでも良いので、人は謙虚になって考えることですね。
他者から非難や悪口を言われた時、謙虚になって自分の会話や行動や心を点検することです。
他者の非難や悪口を受け止めることが出来る人は、素晴らしい人だと思います

<<家族・親子>>自由な生き方2、親を超える

2014 年 2 月 10 日 月曜日

  「親の因果が、子に報い」、「三つ子の魂、百まで」など、有名な言葉ですね。
確かに、人は育つ過程で、親が子供を育てる時に、子供が大人になった時に困らないようにと{伝える言葉}があります。
  親は、悪気があって子供に伝える訳ではありません。
子供が成長して、人間社会を生きるのに苦労をしないようにと懸命に教え込もうとするのです。

  親の考えを、子供に植え込もうとするのです。
子供の深い心の底(潜在衣意識や無意識と言っても良いです)に、親の考え方が深く入り込んでいくのです。
子供は、自分で自由に「会話」「行動」「心」などを動かしているように見えても・・・・・、
子供の背後には親の心(親から植え込まれた心、{超自我}とも言います)が張り付いています。

  この親の{超自我}から解放されないと、子供の本当の心の自由は無いでしょう。
親から教え込まれた心が、子供が人間社会・俗世間を生きるのに、全てが役立つかと言えば、必ずしもそうはいかないものです。
子供の心の動きを束縛して、身動きできない状況を作り出す場合が結構と多いですね。

  幼い子供は、人間社会が見えていません。
成長する段階・段階で、子供の心の世界があるものです。
  親は親で、自分が大人へと育ち、人間社会で生きるのに苦労を感じて、子供の心を心配するものです。
  全く反対に、親が子供を放任したまま子育てを考えないケースもあります。
子育てを放任する親達は、自分の両親に{怨念}を抱えており、子供の成長を考えずに生きるのです。子供が、成長過程で悩んだり苦しんだりしても、一向に本気で子供の世話をすることを考えません。

  人間社会を、しっかりとみていると、人間の生涯とは、様々で異なるのは当たり前で、100人100色、1000人1000色です。 皆の心が、皆違うのです。
個人的に精神成長をしようと考えれば、その道の人の支援を受けて、心理療法を受けるのがベストです。
  「生みの親を超える」「親の心を超える」このことが最重要です。
  超自我を超える事なのです。親の考え方を知り尽くす事という意味ですね。

  何故に、親は自分をこんな具合に育てたのか、親の心を探求して親の心の底を見抜くことなのです。
しかし、親の心を見抜くには、先に、自分の心の底の心(潜在意識と無意識)の世界を旅しておかないと無理ですね。
  自分の心の底に動いている心をすべて知り尽くすと、親の心も見えるものです。
親の心、親の子育ての心、子育てをしなかった心まで見えると・・・・・、
そんな親の心・子育ての心を許して あげる事が出来ます。
これが、親の心へ子供の方から{歩み寄る}ことなのです。

  親の心への「和解」、ここで親の「恩」を感じるでしょう。
  自分を上手に育てなかった親に対しても「恩」を感じ取ることが出来るでしょう。
  「超自我」からの、解放です。人生を生きるのに、気楽ですね。
  「親の恩」を感じる、でも子供へ「親の恩」を押し付けないことです。

<<家族・親子>>自由な生き方1、親の気持ちを理解する

2014 年 2 月 7 日 金曜日

  人は、両親の因縁により人間社会に誕生して来ます。
最初は、家族の中で誕生します。
  人の一生は、母親の胎内にいる時から、胎児~誕生~新生児~乳児~小児~生徒~学生(人により、高校生~大学生(専門学校))~成年期(社会人)~壮年期~老年期~滅・・・です。
{生}あれば{滅}あるのみです。
余程の例外を除いて、普通であれば、親の元で誕生、親の保護を受け、家族で育つ訳です。

  親には様々な親がいます。
子育ての上手な親、子育ての下手な親、夫婦喧嘩をする親、運悪く生き別れ・死に別れなどでの片親、或いは、新生児として誕生した直後から生き別れをもたらす親、これは非常に少ないケースでしょうが・・・・。
  何故にここで、親について述べたのかというと、全ての人は{生い立ちの出発点から環境が違う}ことを伝えておきたいのです。
胎児が母親の胎内に居る時から、体内の環境も母親次第で、考えられない程に変化があるものです。
母親の呼吸の速さとか、心拍数とか、ホルモン・免疫・自律神経の状態などで、胎児にストレスがインプットされるでしょう。

  上記のように、人として成長する過程で、皆が皆、生い立ちでの環境が違います。
いや、成長過程だけでなく、老いを迎えて滅するまで、人の交わりや環境の中で心理的変化を来たし、人格に上塗りされるものです。
  親が自分の親に、上手に育てられなかったとすれば、子育ても上手でない事の方が多いです。
親の親が子育て段階で、暴力を振るっていれば、育てられた親は、自分の子供に対して虐待をしたり、アルコール依存、犯罪にまで至るケースが起きるのは当然のことです。

  別のコラムに記載していますが、詳細に考えると、先祖にまで遡りますが、祖祖父母~祖父母~父母~子供~孫へと、心も伝播するものです。
  悪い心・悲しい心・寂しい心・異常的短気な心など、ここでは、遺伝的因子のために適応できないことを除いて、人格・性格、心のネジレ、心の未成熟、心の一時的崩壊などにより、社会適応できない人達と言っておきます。

  誰が悪い心の伝播の{因縁切り}をするかですね。
本当のところは、悩み苦しむ人、自らが心理療法を受けて、精神的成長をすればよいだけです。
しかし、心・精神があまりにも未成熟か、成熟したように見える人でも心が崩壊して身動きできなくなった場合では・・・・・・、親のバックアップが必要です。

  親が心理療法を受ければ、子供の本当の悩みや社会適応していない理由をも、親自身が気づきます。
親の心で、子供を癒すことが可能となります。
未熟な子供が、一人で精神成長することを待つのでは、駄目なのです。
親も子供と一緒に心理療法を受けて、人生を平安に生きられるように頑張りましょう。

人生の壁に衝突したとき、人生の迷路に入った時、心理療法を受けて{切り抜けた時}に、より人生の生きる「知恵」を蓄えることが出来るのです。 

<<家族・親子>>親と子(続編)24

2010 年 3 月 29 日 月曜日

 「強迫神経症」、「強度の心身症」、「うつ病」、「統合失調症」、そんな人達にても色々な程度の人達が居られます。

多くの場合、いや、全ての場合で、人生を生きる事に疲れ果てる場合では、対人関係と環境不適応の場合がありますし、これらの問題が、全ての{{答え}}となるでしょう。

人間世界を生きる上で、大変に悲しいとか、辛いとか、息苦しいとか、疲れるとか、そんな気持ちを持ち続けていると、必ずや、上記の病気になってしまいます。

「統合失調症者」でも、人間関係は凄く大変ですね。

親は、子供達の気持ちを少しでも理解してあげれば、親が自分の統合失調症の病気を理解してくれたと自覚して、気持ちも安らいで来るものです。

 

 どんな人達も、自分の心と体が一番に大切でしょう。

しばしばと、「「自尊心」」を大事にして下さいと、言う心理士も居ますが、当方は絶対に<<反対の「意見」です>>ね。

「「自尊心」」が大切だと言う気持ちは理解できますが、むしろ、突きつめて考えると「「他尊心」」の方が、遥かに大切です。

「「他尊心」」、自分が大切なのは理解できますが、世の中を生きるには<<自分が独りで生きる>>訳ではありません。

自分の周囲には皆が居て他者が居て、自分が<<周囲から生かされて>>生きています。

自分の{{心}}だけでなくて、他人の{{心}}を思いやる事のできる人は、{{心の関連した病気になる}}事は無いでしょう。

 

 「共感」・「妥協」・「受容」・「拒絶」などなどの{{心}}を、自分自身の考え方で一瞬に瞬間的に判断して自分の人生を生きるように、なれるべきでしょう。

「拒絶感」ですが、余程の場合でないと「拒絶感」は持たない方が良いですね。

何故って、「拒絶感」=「心の葛藤」と同じでもあります。

人生を生きる事で「拒絶感」を持たない方法は、相手の立場に立って自分を見る事です。

そう、相手から自分が<<どんな人間に見られている>>か、理解できれば最良でしょう。

 

 相手が自分を見ては、{{変な人間}}、{{心の歪な人間}}、{{愚かな人間}}などと見ているのではないかとか、考えると自分に心の葛藤が増えて来ます。

人間って、逆の方法を考える場合が多いです。

自分の立場から相手を見ては、相手が{{変な人}}、{{どうにもならない人}}、{{自分の思う通りになってくれない人}}、{{自分の立場を理解しない人}}、{{悪い奴}}、{{駄目な人}}とか、考えると自分に<<ストレスが増えて>>来ます。

いづれにせよ、どちらから見てもストレスのないのが最良です。

それでも、親が生きている時に、自分の子供の心については<<解決しておくべき>>ですし、どうか、「「身代わり不可症候群=相手の立場に立てない人達」」症候群の子供にしないように、育てて下さいませ。

親の生きている時でないと、人格矯正が不可能の人も居ます。 

<<家族・親子>>親と子(続編)23

2010 年 3 月 26 日 金曜日

 親と子の心の関係が、うつ・神経症・心身症などの心に関係した病気や、異常会話、異常行動などの全ての原因となっております。

よほど、心、性格、人格の未熟でなければ、一週間くらいの宿泊心理療法で人間の{{人格}}は変える事が出来るものです。

勿論、「「心理療法」」を直接に自分で体験するか、長時間にわたり「「心理療法」」の現場でお手伝いをしないと、人間の心については<<理解できない世界が有る>>ものです。

 

 心・性格・人格は、何処で何時に如何に形成されるかでしょう。

大人の{{うつ病}}と自殺者の多さで、厚生労働省や大企業なども困っています。

しかし{{うつ病者}}に薬漬けの医療だけが、延々と続いています。

当方、悩まない人間になる事、それだけだと何時も常に言っています。

悩んで苦しんでいる{{うつ病者}}を救おうと考えれば、当然に{{悩まない人}}にしてあげれば良いだけです。

唯、唯、それだけの事ですが、なかなかと医師や厚生労働省の人達が<<心の「世界」に入って来ない>>ので、{{うつ病者}}は本当に大変です。

 

 誰も皆が、{原因}が有って{{うつ病者}}になると言います。

でも、それは違うのです。

皆が「原因」と考えているのは、{{切っ掛け}}であって「原因」ではありません。

{{うつ病者}}の原因は、「彼等の生い立ちの過去の心の中」にあります。

その生い立ちの心を散策して行けば、必ず、自分で自分の現在の心・性格・人格を変える事が出来ます。

自分の人格を変えたくない場合は、変えなくても良い訳です。

自分が{{うつ病者}}になる原因を突き止めれば、自分の現在の{{心}}も変更したい時には、変更できますからね。

そして{{うつ病}}から自分の「原因」を変えないままでは、現在の自分の{{心}}を変えられないのですから、本当の自分の{{心}}を追求して、過去の自分が<<どんな人間であったかを>>知っておくべきでしょう。

 

 どんなに有名で金銭を抱えて傲慢に生きている「人達」でさえも、自分の{{生い立ちの中の心}}には、大変な醜い{{心}}が出て来るでしょう。

過去を見つめて<誰かに、自分の濁った心を聞いてもらって>初めて、本当の新しい人間に「再生」・「回向」・「新生」できるでしょう。

人間の{{心}}って、それほど醜く{{心}}は腐っていますよ。

当方、そんな{{心}}を否定する積もりは全然と有りません。

泥沼から<<綺麗な蓮の花>>が咲いて来るように、人間世界にも沢山の汚れた腐った汚泥のような{{心}}を持った人達の群集の中から、綺麗な美しい優雅な{人間も出て来る}でしょう。