<<心の世界>>自尊心・他尊心

  「自尊心」は、心理療法の中でも、よく使われる言葉です。
一般の人も含めて、心理療法に関わる人達までが・・・「自尊心」は、大切にしないといけません。
「自尊心」を、自分を大切にする心を持たなければいけないなどと、よく言われます。
そのように、「自尊心」を解釈している人達は、究極的に{人の病む心}が見えていない人とも言えます。

  自分の心と体を大切にする思いは、本当に重要です。
確かに人が人生を生きるには、自分を中心としたうえで{世の中を見る}ことが必要なのでしょうが・・・、しっかりと考えてみると、実際には違うことにもなります。
自分が中心と考え、自分を中心にして、{世界が回る}と思っては大変な誤解が生じます。

  「自尊心」よりも「他尊心」の方がはるかに大事なのです。
自分を大切にすることは・・・・、他人から、{自分を大切にしてもらいたいなどの心も生じてきます。
  「他尊心」、昔からの言葉がありますね。
  「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」と言います。
また、昔のお住職さんですが「捨てて、捨てて、捨てて」などと言った方(一遍さんでしたね)もおられましたね。

自分の抱えているものを、全て捨ててしまうという意味かと感じます。
体を捨てて死んでしまうのとは違います。
{拘り・執着}などを捨てましょう、気持ちが楽になるということです。

  常に、人間は自分の好みで、他人や環境に拘らないと{気がすまない}でしょう。
自分の持ち物を(執着ゆえに)捨てきれないのです。
{悩む心、執着する心、拘る心}などを、捨てきれません。悲しいです。
拘らなければ、{死ぬことも怖くない}と言います。
人間の一生では、{終末と滅}が必ず訪れてきます。
ですが、人間は悲しいことに{自分の死}を、なかなか受け入れることが出来ない生き物ですね。

  仏教観の中には、「無常観」を問い詰めることが大切だと教えていますが、こんな簡単なことを理解できません。自分が、此の世から必ず消えていく存在であると悟れると良いのですが、体得は出来ません。究極的には、自分の全ての持ち物を置き去って{黄泉の浄土}に行きます。
悩みは、何処から来るのかと考えてみれば、分かるはずなのですが、悩みの原点を見つめようとしませんね。

 自分の心、とくに{拘る心・執着する心}を、捨てきれません。
 とことん考えると、「自尊心」を大切にしすぎています。
 時には、他者への奉仕の心を持てる人であって欲しいものです。

  特に、「欲望の心」を自分で適度にコントロールできるかどうかが分かれ目でしょう。
自分の執着心を捨てて、捨てたところから自分が浮き上がってきますが、捨てた人でないと分かりませんね。

「他尊心」他者を尊敬、他者の助言を受け入れられる人になりたいものです。

  「インターネット心理療法」では、悩まない人となるために、この人生で{如何に自分の執着心を捨てて、自分の心を回復させるか}を勉強するのが目的でもあります。
執着する・拘るこころを捨てられたら、どんなに{心は束縛から解放されて自由になれる}のかが分かるでしょう。