<<劣等感>>「「劣等感」」16

 80歳になっても、痴呆症にならずに、現役の第一線で仕事をしておられる人達も居ます。

当方、日常生活でも、そんな方達を目前に見ておりますので、良く分かります。

80歳~90歳などと、年齢を重ねる間に次第に認知能力は低下していきます。

 認知症の方達も沢山と見ており、色々様々な人達に出会います。

認知症の方達を見ていても、全く他者の言う事柄、或いは、他者の世話を受けたくない人達、また、その中間の人達も見ます。

しっかりと見ていると、そのような認知症の人達も、それなりに心の葛藤が動いているように見えます。

 

 生い立ちの心の中で、どれほどの心の葛藤が動いていたのだろうと、時折に、そんな感じをしながらお付き合いをしています。

認知症状の人になってから、自分の周囲の誰とも一緒に時間を過ごせない方も居られます。

孤独なのだろうと考えますが、自分で選んでいる人なのです。

 もはや、他者から何を伝えようとしても駄目ですね。

認知症になると、口と耳で話をしてもコミュニケションは出来ません。

しかし、字を書いて見せれば、筆談は可能です。

あまり、詳しい内容の話しは無理ですけれど・・・。

 

 要するに、当方のお伝えしたかったのも、心の葛藤、格別に「劣等感」は除去しながら日常生活を送っていくことです。年齢を重ねて年老いて認知症者になって行くにしても、「劣等感」は引きずられているみたいです。認知症の方の会話を随分と聞いていますが、劣等感を引っ張っているようです。

 というのは、当方にとっては、お世話していても、認知症者の人達にも、それぞれの皆様の心の葛藤が見えて来るからです。

家族に迷惑をかけず、認知症になっても、それなりに、自分の生き様を生きて行けば、最高の人生となるでしょう。

人は誰もが、どんなに「誇り」を持って、お金持ちになっても、金銭を貯めても、名誉を得ても、最後は必ず<<滅する時期>>がやって来ます。

 

 どんなに優秀で他者よりも、現実世界で秀でていても、「「盛者必滅」」&「会者定離」」が此の世の鉄則です。

「因縁」で生まれて来た俗世間ですが、両親に感謝して、或いは、自分を育ててくれた人達に感謝して、それなりの「恩」を感じて生きてゆく事が最高に絶対に大切でしょう。

 此の世を生きるには、自分一人で生きるのではありません。

自分の親、育ててくれた人達、周囲の人達、また、自分の知らない人達、未知の人達にも、皆の御蔭を受けて、今の自分が存在しているのだと<<体で気づいて>>欲しいものです。

だが、ここまで体得するには、それなりの自分の人生で、{人生とは、何か??}、{己の存在とは、何か??}、などを真剣に熟慮が重要でしょう。

「劣等感」を抱えないで、生きる事にしましょう。   

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