‘家族・親子’ カテゴリーのアーカイブ

<<家族・親子>>親と子(続編)12

2010 年 2 月 25 日 木曜日

 親が何時までも、子供の{{心}}を理解してくれずに、子供の頭の上から子供を見下ろしたり、「会話」にしても・・子供の{{心}に釘を刺すような言葉使いをしたり、「行動」と言えば、自分の事ばかりを中心的に考えて、子供の{{心}}を理解してくれない場合が、多々と、有ります。

こんな親の場合が、一番に、子供達にとっては大変なケ―スとなるでしょう。

子供達が、「会話」と「行動」と「心」を再構築するのに、親の心が子供の頭の上でのしかかっていると、子供達には大変なストレスとなって何時までも続き、人格の改造はできないままになってしまいます。

 

 親に<<頭があがらない子供達>>は、此の世を自立して生きるのが、不可能となります。

何故かというと、親に頭の上がらない子供達は、世の中を自立して自分の判断で、自力で、人間関係や環境の変化などを、考察して生きるのが不可能となるからです。

親に頭の上がらない子供達は、「アンビバレンス=愛を与えて欲しい、愛を与えてもらえないので憎いなどと、相反する{{心}}が常に心の底で動いていますので、心の葛藤を即座に<<抱え易い>>ですね。

そうであるからには、友達関係、仕事関係、上司、同僚、部下とも、上手には話しが出来ません。

 

 仕事をしていても、直ぐに疲れるのです。スタミナ、精神力も無いので心身が簡単に疲れてしまいます。

子供達も年齢的に成長しますと、それなりに、自分の精神力で、自分の実力と力量を育てないといけません。

親が何時までも、子供達の成長に力を貸してくれる訳もありません。

また、親が子供達を立派な人間に育てようとして、子供達へ{助言}や{説教}をすると大変で、逆に、子供達は<<親の助言などの言葉が耳障りとなり>>反発して、自立できなくなります。

個人の自立とは、最低限にでも、俗世間で自分が生きるために<<働いて、食を得る人間>>である事でしょう。

 

 親の育て方次第で、子供の人生の{{未来}}が操作されています。

「因縁」・「宿命」・「運命」・「天命」などなど、親と子の関係は<<単に遺伝子の問題だけでなくて{{心}}の伝播が>>あります。

{{心}}の伝播、この事が大変に恐ろしいものです。

俗世間の「事件」や「犯罪」などの全ては、彼等の{生い立ち}の{{心}}に出発点があります。

それは、自分の生い立ちの{{心}}を散策した人でないと理解できないでしょう。

「「心理療法」」の体験だけでしょう。

 

<<家族・親子>>親と子(続編)11

2010 年 2 月 23 日 火曜日

 幼稚園の時から、「苛め」とか「嘘」とか「盗み」などと、人間は小さい頃から「罪深い」事柄をします。

こんな事柄を、小さい頃から隠しながらでも、行なって成長します。

また、皆の前で「苛め」などにさらされながら成長する、という場合もあります。

逆に、他者を苛めながら、成長する子供達も居ます。

幼いながらにも、悔しさ、悲しさ、苛め、などを、嫌でも体験させられながら成長するものです。

 自分にとって、そんなマイナスの体験が、自分の大脳の海馬に過去の記憶として<<沈潜して>>いきます。

 

 自分の人生において、少しの難題に衝突すると、誰もが少しながら考え込むものです。

難題に衝突した時に、自分の生い立ちでの{{苦労}}を、自分の人生の「糧」にして生きるのか、自分の人生の「汚点」として拾い上げる事になるのか、その辺りが大変な問題になってきます。

人間、誰も皆が歳月を重ねる事によって、心の世界に賢くなるかといえば、全くと反対の場合もあります。

人間の人格には、余程の事ですが、その当人が自分の心を見つめながら生きる事にしないと、自分の人格は変わりません。

 見かけ上では、{{人の心が変わった}}ように見えても、本来的に、その人が自分の過去を回想してから・・自分の過去を「反省」していないと人格は矯正されていないでしょう。

 

 今の現在の自分の<<心を良い方へ変革させて>>生きたいと考えても、見かけだけであり、その人が無意識と潜在意識とを変革させていないと、現在の心は変わっておりません。

当方の説明しておきたい事柄は、子供達も成長すれば、それなりに、「「心理療法」」を受けてから、周囲の人達への配慮のある人間になっておく事でしょう。

「「心理療法」」をしっかりと体験していれば、人間世界を生きる上で非常に気楽になります。

対人関係や如何なる環境と自分が出会っても、パニック障害などは起さないで生きる事ができる筈です。

 

 しっかりと、自分の今ある「実力」と「力量」さえ明確に自分の心に刻み込んでいれば、何が自分に押し寄せて来ようと、納得して対応することです。

それ以外は仕方が無いでしょう。

自分にとって、「共感」するか「妥協」するか「受容」するか、さもなければ「拒絶」するかでしょう。

この諸々の選択を、自分で妥当に決定する意志能力の問題に絡んでくるでしょう。

何処までも、自分の人格を磨いておく事のためには、自分が「心理療法」の体験をしておくのが重要です。       

<<家族・親子>>親と子(続編)10

2010 年 2 月 20 日 土曜日

 今回から、子供の立場から、人間生活を見ましょう。

子供達は、両親の「因縁」で此の世に誕生して来ます。

子供達が此の世に誕生したくて、生まれ出て来たのではありません。

たまたま、「因縁」で誕生して来て、普通であれば、親から一生懸命に育てられます。

親の子育てについて、前回で先述しましたから、省略します。

子供達にとり、自分達が胎内に居る時の様子は明確には分かりません。

また、新生児から~乳児までの期間は、普通ではなかなか過去の記憶として思い出せません。

 

 色々な親が居りまして、赤ちゃんで何も理解できず歩けない時から、親の都合で捨てられたり「虐待」を受けたり、そんな場合もあります。

赤ちゃんとして、何も理解できず動けない時に捨てられたりすると、最早、何もなす{術}は有りません。

それでも、親から上手に育てられずに、少しずつ成長していき、幼稚園~小学校~中学校~高等学校~大学〈専門学校、また、高等学校で終わる場合もあります〉~大学院??、などなど、・・・その後は、仕事をしながら食に有りついて生きるしかありません。

 

 幼稚園から、学校へ、少しずつ成長してゆく過程で、子供達はそれぞれに<<自我が芽生え>>て、好きだとか、嫌いだとか、自分の考え方で少しずつ思考体系が進んでいきます。

小学生から中学~高校生になると・・・もう、自分で眼前の事柄に対して「共感」・「妥協」・「受容」・「拒絶」、などなどの心が、無意識的にしろ、有意識的にしろ、強烈に発達して来ます。

親の育て方が中心となって、子供達は自分の心が<マイナスとして動くか、プラスとして動くか>>、どちらに動いていくかだけでしょう。

親の他に、色々と沢山の人達と出会い、自分の心を合わせなければいけません。

自分が辛くても、他者と心を合わせたり、嫌いでも他者の中にて静に自分の心身を置いておかねばならない場合もあるでしょう。

 

 学校では、上級生や同僚や下級生との出会いもあります。

その都度、その都度、自分の{{心}}を変化させながら使う事になります。

同じ考え方で、皆とお付き合いをするのは、無理ですね。

自分の好きでない人に対して、同じ場所で時間を過ごす場合などは、かなりの心の葛藤を抱える事になるでしょう。

人間が少し成長しただけで、自分の「好み」を使い分けて生きる事になります。

{{心}}の幼さの残っている人達は、眼前の人間に合わせて<<自分の心を変える事>>が出来ません。

人間社会の未知の世界で、人間は出会いの中で都合を考えながら「思考体系」を成長させて生きるのが、普通の生き方ですし、相手に合わせる事です。

<<家族・親子>>親と子(続編)9

2010 年 2 月 19 日 金曜日

 親が子供を育てる段階で、簡単な事ですが、なかなか実行できない事柄があります。

そう、親は一生懸命に説教をしますが、子供が大人になった時に<<良い人間、素晴らしい人間、地位も名誉もある人間、お金に苦労しない人間>>などになってくれる様な、そんな人間に育てたいのです。

親、或いは、子育てする人達は、一般に、一生懸命に、子育てをしようとします。

親が自分の子供達の{{未来&将来}}を心配するのは、当然の事でしょう。

 

 時折にですが、子供を生んでも過放任だったり、最悪の場合では{{捨て子}}とされる場合もあります。

悲しい辛い事ですが、そんな親達も居ますから、子供の宿命は<<如何ともしがたい>>です。

このような場合では、最悪です。

運が良ければ、幸いに<<良い里親に貰われてゆく時も、あります>>がね。

里親も、育てられた子供達も、どちらも「宿命」を受けております。

里親に育てられた子供達は、里親の人達には十二分の「感謝」を持つべきです。

多くの場合で、捨て子にされた「不運」な子供達は、自分の親を恨むのが普通でしょう。

自分を此の世に、送り出したまま捨てて去ってしまった自分の親を恨むのは普通の出来事だと思われます。

 

 里親で育てられた人達は、本当に、里親の人に対して「感謝」と「恩」を感じる能力を身に付けて成長して欲しいものです。

同時に、辛いものは有るでしょうが、「宿命」ですか、自分の親に対して「拒絶感」のみを持たずに、「「受容」」を持って欲しいですね。

里親の立場から見れば、上手に<<子育てをする事>>でしょう。

子供達の考え方にも、耳を傾けて聞いてあげる姿勢が、凄く大切です。

普通の家庭の親でも同じですが、スパルタ教育で子供達が世間的に上手く育つ場合もありますが、非常に危険性も考えた上で育てる必要はありますね。

スパルタ教育で育てられて、一応、俗世間では有名で地位も築いて金銭も溜まった人間になれるかも知れません。

 

 マスコミはそんな普通の人達と違った人間像を追いかけます。

何でも、マスコミに載せて、沢山の人達がテレビや情報誌などを見てくれさえすれば、マスコミの人間は自分の職業達成で安心です。

当方、人間社会の成り立ちが、そんなものだと伝えているだけです。

スパルタ教育で育てられた人達は、そうでない育てられ方をした人達の気持ちを理解できません。

里親が、子供達にスパル教育をするのは、いろんな状況があり、無理があるものでしょう。

子供達の気持ちを十分に聞いてあげて、「共感」と「妥協」と「受容」することが大事です。

人間の面白さは、どんなに優秀で地位と名誉があろうとも、自分の生まれ育ったル―ツが不明だと、凄く自分の人生が不安となるものです。    

<<家族・親子>>親と子(続編)8

2010 年 2 月 15 日 月曜日

 人格水準を、何処で区切るか、仕分けするのかについては、非常に難しい問題です。

「心理療法」を受けていて、どうしても相手の立場に立てない人達もいます。

彼等の人格は、凄く未熟です。

以前に、「身代わり不可症候群」とも説明しましたが、自分中心主義で、その自分中心主義の程度によって、人格水準の程度が決まってくるでしょう。少ない症例ですが、最後まで相手のことが理解できない人達も居ます。

 

 若年者で、統合失調の診断を受けている人達でも、両親とその子供が揃って「「心理療法」」を受けると子供達の{{心}}が良い方に改善されていきます。

勿論、親が「「心理療法」」を一緒に受ければ、親の子育ての「「過ち」」に気づきますから、親が子供を見る{{眼差し}}とか{{顔の表情}}とか変化してきます。子供達の心を理解しますから、親の子供を見る「姿」や「言葉使い」も良好となり、子供も親を許せるようになります。

「「心の根っ子は、親と子供達の{{生い立ち}}での心の信頼関係が主体」」でありますから、子供達の{{生い立ちの心}}が安定すれば、今に悩める子供達の心も改善されていくのです。

 {{心}}の世界って、凄いものです。

 

 「「統合失調症」」}と診断されて長期間にわたり、投薬されていた子供さんが、そんな統合失調症の薬が要らなくなる場合もあります。

人間の{{心}}って、全ての{{心}}が生い立ちの心に左右されていますから、親も子供も一度でも自分達の過去に戻って考えないと駄目です。

悩める子供達に薬を内服させても、子供達の心・性格などは絶対に変化しないでしょう。

悩まない「「人」」にしてあげないと、あまり治療にならないと以前から言っていますが、どうしても、医療の世界では薬だけの治療になっています。

何時まで、こんな時代が続くのでしょう。

未来永劫に・・・・

 

 病人〈心・性格・人格の絡んだ人達の病気です・・〉の治療は大変に難しいもので、それなりの人間関係や環境や状況や事象に適応できる人間にならないと、人間世界の何処に行っても役立たちませせんし、人格矯正は難しいものです。

企業・会社・家族、その他の何処に居ても、役立たない人として生きているだけとなるでしょう。

両親を含めて、家族の中で親和性が無い限り、人間個人は社会でも孤立化して<<悲しい、苦しい、面白くない、惨めな、人生>>を暮らす事になるでしょう。

親の方から、上手に子供達の{{心}}を操作できる<<親にならない>>と、子供達は自分の人生を上手く生きる事が不可能となります。

 

子供達が自分の人生を生きられるか、どうかは、親の育て方しだいですから、親の子育ては非常に大切ですし、親の「「心理療法」」の体験が最重要です。