‘インターネット心理療法’ カテゴリーのアーカイブ

<<インターネット心理療法>>自分で出来る「心」の解決策(2)

2007 年 7 月 11 日 水曜日

 大きな気持ちで生きる

 

心のケア、最前線について話します。

 人間は生きていたら、必ず{歳}をとります。

やがては、{死}を迎えます。

どんなに、人間が避けて逃げようと考えても、避けられないのが{歳}と{死}のみです。

<死神は早く、追いついて来ます>ね。

人生の究極の「悟り」は、生きながら{自分の死を悟る(無常観)}事なのですが、これは誰にとっても非常に難しいです。

<死神が追いついて来て>も、慌てふためいてパニックにならないように、人は常日頃から人生の修行が大切です。

 

 少し難しい事柄に触れましたが、{年齢を重ねる}、{やがては死}、この事は外しておいて、人間には、一応、{生きる苦しみ}、{生きていたら病気}をするとは、何時も言われている言葉ではあります。

 しかし、人生についてしっかりと学習すると、色々な事柄が理解できてきます。

(誕生する前からの、そして、誕生した時には、既に、先天性の病気を抱えていて思考能力を持たない人達も少なからず見られるでしょう。

この方達については、触れないでおきます。)

 ですが、不遇な子供さん達を持つ、親にも心の葛藤が増えて来ます。

親が悩む時も、人生の学習をすると、心の悩みや不安は減って行くものです。

まして、普通の子供さん達で、登校拒否・各種心身症・拒食&過食・非行・引きこもり・・その他、子供さん達について色々な問題を抱えた時には、親が人生の学習をするべきです。

薬物治療の現場まで行かなくても、心の学習をし、このような心の解決も自力でして、難関を乗り越える事なのです。

 

 その解決策が、「インタ―ネット心理療法」なのです。

 

 当方で、世界の先端をいく「インタ―ネット心理療法」を本格的に考案したものです。

この「・・心理療法」を真剣に受けるだけで、病院やその他の場所にまで出かけなくて良いのですね。

<心の解決>ができるようになりました。

 

 「インタ―ネット心理療法」は、宗教ではありません。

「神」も「仏」も「偶像」なども、何もありません。

唯、ひたすら、自分の心の「器」を大きくするために、自分の心の自己探求をしていく作業のお手伝いするのです。

 人は、自分の心、{浅い心}と{深い心}を知る事で、自分の悩みや苦しみのコントロ―ルができるようになります。

そこまで、辿り着いた人達でないと、理解できません。

 

 自分を見つめるだけで、心は<変革>されるものです。

 

 メ―ルでトライしてみて下さいませ、楽しくなります。

<<インターネット心理療法>>自分で出来る「心」の解決策(1)

2007 年 7 月 9 日 月曜日

 大きな気持ちで生きる

 

心のケアの、最前線について話をしておきます。

 人間は、自分の人生を生きるのに、全くストレスを抱えないで生きるという事は、誰にも不可能でしょう。

自分の心をしっかりと確認している事、真実の自己を知って生きる方法が最大に重要です。

 何故悩むか、何故苦しむか、などなど、人は漠然と目前の人とか環境に<拒絶反応>を持って生きていながら、その自分の心に向き合う気持ちについては気づいていません。

誰もが<自分の心は知っている>と答えるでしょうが、自分の心を知っていません。

 

 その事については、心の専門家がどんなに<心の形>、<心の状況>を伝えて教えてあげても{真実なる心}は他者へ伝わらないから、不思議であり、面白いものでもあります。

皆が誰も、悩みながら苦しみながら、誰か自分に助言してくれる人を探しながらも、現実には、他者から助言や注意や説教をされると立腹しますね。

 人は、考えようによっては、非常に面白いです。

その人の心の状態の{真実}を知らせてあげれば、直ぐに{拒絶反応}を示しますから・・。

喜んで、「有り難うございます」と言って感謝する人は、先ず居ないでしょう。

当方は長年月、心理療法に関わって来ていますが、他の方に{感謝}をして下さいなんて言う気持ちは、毛頭ありません。

 ですが、本当なのですね。

<人生を生きる>考え方が間違っていても、自分では絶対に!!間違っていると、気づく人は、不思議な程に少ないです。

例えば、{感謝}とか{親の恩}とかについて、話しても意味が伝わりません。

 その意味さえ、分かっていません。

 

 不安や悩みや苦しみから、解放されない場合ですね。

ここでは医師の居る病院やセラピストの居る場所に行かなくても、自分で治す事が可能という事実を皆さんにお知らせします。

 そう、本当なのです。

 

 大切なのは、心の学習をするという事なのです。

 

 誰も、他人から助言が欲しくても、心の注意などして欲しくないと望んでいます。

各種心身症も各種神経症もうつ病も、その他、どんな状況に置かれても、<心の弱さ>で悩み不安を感じる場合などは、みなさんに考えて欲しいのです。

他人から直接に自分の心の中に入り込まれないで、生きる事が可能となります。

 そういう{心理療法}が、あるのです。

随分と心の勉強をされている方ですが、矢張り当方に連絡があり、<悩み苦しむ>人を紹介してこられます。

 素晴らしい人だと、思います。

自分の事を沢山と知っていると思っているつもりでも、他者を直接に治療していくのに、案外と困難な場合もありますから・・・。

 

 自称のセラピストも、本当に心の底から<他者を癒してあげる>{方法}は知らない事が多いですよ。

 自分で助言や説教をせず、当方に連絡してこられる人もいます。

<<インターネット心理療法>>追加編(13)

2006 年 12 月 12 日 火曜日

 人間社会が常に<平和>であって欲しいと考える一人の心理士である。

 

 人間の欲望は、人間が生き続ける限り消えて行く事はない。

誰よりも早く、誰よりも良いものを社会へと・・・、その社会に持ち込む物が真実に一般大衆へ有益で、人生を楽しく生きるのに必要なものか?と、問われれば「全く関係ない」と言わざるを得ない。

 法律の制限をギリギリに受けない程度の{遊びもの}、或いは、法律に違反するものまでが、PC、携帯電話などを利用して提供されている。

長い視野で見て、幼い子供達にまで悪影響を及ぼすものまでが提供されている。

 何時も現在が幸せで、その後の未来も幸せに、人間の眼・耳・鼻・舌・身・意、など、五感や六感にまで響いて来るような、そんな道具が沢山と出来れば良いが、この様な事を言っても無理である。

 物や事象で楽しんで喜ぶ生活も良い事だが、一番に大切な事は、矢張り、自分の本当の心を知り尽くして、今の自分の心を満足せる能力を持つ方が遥かに重要である。

 

 自分の心で自分を満足させる能力です。

ナルシストとは違います。

自分の好きな物を持って、自分の好きな対象物のみを相手にして、自分独りで楽しんでいるのでは、駄目ですね。

所詮、人間として生まれて来た以上は、人間の集団の中でしか生きる事は出来ません。

 

 科学、技術、知識、学問・・・などなど、進歩したと言うけれど、人間の心の奥の心は進歩無きまま時代は流れているようです。

人は、五官六官を年齢相応に成長させて行かなければなりません。

人の五官六官も、人工産物だけを受け止めて成長して進まないと、子供時代から、或いは、大人の時代の生活でも、ストレス、心の葛藤を抱えたまま生きて行く事になります。

 

 人生は一度だけ、1回限りの人生です・・・。

“青い鳥”を自分の外界に求めて生きているのが、一般の人の{本性}ではありましょうが、普通の人生観では心にストレスが溜まりながら生きていきますので注意が必要です。

“青い鳥”は、世界中を探し回っても自分自身からの外界に見つけ出す事は不可能でしょう。

 

 各企業体は、新しい便利なものを追求して、それなりに、楽しい品物、便利な品物、何かと自分を慰めてくれる品物を作り出します。

地球が、大きいか、小さいか、単なる星なのか、小さな砂粒なのか、そんな事柄などは考えもしません。

これは哲学的思考体系でしょうから、そこまでは考えなくても良いでしょう。

 

 人間世界を生きるのに「何が大切か」、「自分と何なのか」、「自分とはどんな人間なのか」・・・など、熟慮した上で生きるのが大事でしょう。

「インターネット心理療法」の体験が必要でしょう。

<<インターネット心理療法>>追加編(12)

2006 年 12 月 6 日 水曜日

 携帯電話、PC、などなど素晴らしい科学と技術が発達して来たものである。

活字も使えるし、音楽も使用できるし、心のコミュニケーションも出来る様になった。

心と言うか精神状態も発達途上の幼い子供達も、個人が携帯電話を抱えて自分の意志を表現できるのである。

未発達の精神状態の人達が、自由に何らかのコミュケーションのために、好きなように使用できる。

 テレビゲーム、PCゲームなど、様々なゲーム機種が開発されては生産される。

生身の人間を相手にしないで、ナルシストのような状況で幼少時期より育ってくる。

 

 痛いとか、痒いとか、甘いとか、耳から聞こえるものとか、眼で見るものにしても、全てが人工的産物である。

人の五官六官に、直接に響いてくるものの全てが、生身の人間のものではない。

人には、眼・耳・鼻・舌・身、そして意識がある。

生まれ育った本能の器官を使用して、人間の外界にある自然・眼前の状況を受け取る作業は、もはや全く無いのである。

昨今の子供達は、幼少時期より自然から切り離された状況で生活を余儀なくされていると言っても、過言ではないだろう。

 人対人、肌の付き合い、会話と行動が伴わないまま、互いが離れたままのコミュニケーションである。

人間世界には、不思議な物が出来るものだ。

 

 大人の世界では利益追求が完全に優先されている。

子供達は、大人のお金儲けの道具、お金儲けの対象としか、思われていないのではなかろうか。

 人間が生きる世の中、この様な社会現象を否定する積もりは全く無い。

これこそが人間のなせる{業}とさえ感じている。

親も“子育て”が大変になって来る。

一部の大人でさえ、そういう器具に飲み込まれて生きている人達も見られるくらいである。

 この様な世代になって、自分の心がどれだけ<歪>になっているのか『インターネット心理療法』を体験して行くと、案外と自分の曲がった心が見えてくるものである。

そう、病院に行きたくない・・・、心理療法を受けにも行きたくない・・・、などの人達の為に、或いは、自分の仕事や今行っている事柄が忙しく、心理療法の現場にまで行けない人達の為に、必ずと<役立つであろう、心理療法>が、『インターネット心理療法』である。

自分の心は正常だと考えている人達でも、この『インターネット療法』を体験する事で、新たに自分の心の{再生}と{新生}が出来るであろう。

 

 人間社会は益々と歪化している。

 自己の心を、点検する事が必要です。

<<インターネット心理療法>>追加編(11)

2006 年 11 月 27 日 月曜日

 時代の流れは何と早いものでしょう。

20世紀末に近づいて、PC、インターネットなどがあっと言う間に世界に広がりました。

若き人から、老いに至る人達までが、PCを操作する時代となりました。

PCを扱えない人達は、何と時代遅れなのかと言う感じさえある昨今です。

断言している訳ではありません。

時代の流れの{早さ}を言っているだけです。

 

 人間の生きている居場所、世界中の全ての地域で、宗教なるものが存在していた様です。

迷える人達を治療するために、お祈りや、“民の行方”の平安を祈るために・・・。

民の社会には必ず儀式や儀礼、そして宗教などがあった様です。

地球上の世界では、発展した先進国にもそうでない途上国にも、必ず宗教が存在している様です。

どんなに科学や技術が進歩しても、宗教は存在し継続されて行く様です。

 

 宗教とは、集団、儀式&儀礼、宗教書、配偶者、宗祖などが必要なのであろう。

例外は多々あるが、宗教とは、人が生まれて死ぬまで、寄り添って生きて消えて行くものであろう。

{依存}だとよく言われている。

だが、宗教に信心のある人達は、自分の信じる宗教を{依存対象}などとは全く考えてはいないであろう。

宗教に信心の無い人達が、勝手に{依存対称}だと決め付けているのでもあろう。

 人間が生まれて来て、自分の一生を生きる上で、宗教を信じる人達もいれば、信じないで終末を迎えて死んで行く人達もいる。

また、人生の途中から、親の宗教を脱出して別の宗教へと入信して行く人達もいる。

信心があってもなくても、人は“自分の人生が幸せだ”と感じれば、それだけで良いのかも知れない。

本人個人が“幸せだ”と言えば、それだけで周囲の他人が<とやかく言う>必要は無いであろう。

しかし、当人が幸せだと言っても、周囲には他人や家族も住んでいる筈である。

 人間個人、人は誰しも独りでは人生を生きる事はできない。

一般の心理療法では、宗教を非難する事は無いだろうと当方では考えているが、当然の事でもあろう。

 心理療法では、人の信じている宗教を非難してはならない。

どんな良いと言われる心理療法でも、宗教を非難する立場には無い筈である。

 

如何なる心理療法も、洗脳とは関係が無いと考えている。

あくまで、個人が悩みから脱却できるように援護するだけである。