<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉~大脳皮質(11)

2010 年 11 月 8 日

 人間の「「記憶」」が、大脳の何処に記憶されるかは、詳細が未だ不明だと説明をしました。

本当に、そのようです。

しかしながら、それは、それで置いておきましょう。

ここでは、悩み・悲しみ・嘆き・怒り・やきもち・嫉妬・怨念、などなどの苦しい心が人間の頭の中で沢山と溜まると、{{こころ}}の病気や{{こころ}}に関連した身体病にもなります。

そこで、{{こころ}}の葛藤が大脳の何処に溜まるかは別にしておいて、人間の抱えるマイナスの感情を如何に消し去るか、如何にコントロ―ルをするかを、勉強しておきましょう。

 

 同じ人生を生きるのであれば、楽しく喜んで生きた方が良いです。

そうなると、過去の「「記憶」」を上手に積み替える必要が有ります。

過去の「「記憶」」を、一定期間の記憶として考えると、「「記憶の積木箱」」のようになって、その「「積木箱」」を綺麗に歪でないように積み替える必要があります。

「「記憶の箱」」が、歪になっていれば、当然にピラミッドの様に無意識~潜在意識~顕在意識が上手く重なるようにしなければなりません。

自分の幼い時(厳密には、母親の胎内に居る時からと、言いたいのですが、これは、誰にも100%不可能です。)から~成長してゆく過程での自分の現在に至るまでの過去の{{こころ}}を整理しておくべきなのです。

 

 上手に綺麗に美しく「「記憶」」を整理すると言う事は、自分の過去の「「記憶」」を上手く積み重ねると言う事は、{{こころ}}の積木の「「箱」」が崩れないように整理整頓して上手に積み重ね直しておく事となるでしょう。

歪な崩れかけたピラミッドや崩れかけた富士山を見るよりも、美しい綺麗なピラミッドや富士山を見た方が安心できます。

組み替えて、やり直す必要も有りませんからね。

人間の{{こころ}}も、同じです。

生い立ちの{{こころ}}の過程で、壊れかけたままの状態で置いておきますと、必ずや、様々な{{こころ}}の病気を起してくるでしょう。

 

 その{{こころ}}の病気が、お医者さんにかかるような病気でなくても、「「劣等感」」とか「「気が短い」」・・・などとなった人間では、己が気分的にも疲れます。

そうであるから、過去を振り返り、己の{{こころ}}の「「積木箱」」を再度のこと積み替えておくのが必要だと説明しているのです。

少し難しい話かも知れませんが、{{こころ}}に興味を持っている人達では、皆が理解できる筈ですね。

己の過去の「「積木箱」」だけでなくて、世界中の国々&人間達の{{こころ}}が過去を中心にして動いています。

前ばかり見ないで、通り過ぎた過去の自分を見つめましょう。

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉~大脳皮質(10)

2010 年 11 月 5 日

 色々な記憶が有ると、前回の{閲覧文}で伝えました。

記憶に残らなくて良い「「記憶」」さえも、人間はずっと覚えていたりします。

勿論、ここでは、覚えていると言っても、何時も365日にわたり明確に顕在意識(現在意識)の中で記憶しているものではなくて、自分の過去の「「記憶」」を散策していると<<思い出したくなくて、無意識的に{{こころ}}の底に押さえ込んでいる>>「「記憶」」と言っておきます。

 

 そんな思い出したくない過去の「「記憶」」を思い出した時に、本当は凄く嬉しくなるものですが、時折に、{{こころ}}の脆弱的な人はパニック障害を起す場合もあるみたいです。

俗に、{{PTSD}}とか、{{反復強迫}}とか言われます。

しかしながら、当方では沢山の方々が、過去を見つめる「「心理療法」」をされていますが、5000人のうちで、そんなパニック障害かと思わされたのは僅かに「「「2例」」ですね。

{{こころ}}の脆弱な人達に対する「「心理療法」」を行なう時には、先ずは、両親とか片方の親→母親か父親か、或いは、兄弟姉妹の方々が一緒に体験をされると「「パニック障害」」の割合も更に減るものと考えます。

人間って、面白いもので、現在の嫌いな事柄や嬉しくない事柄は忘れたいと思う人達が多いのですが、全然とそんな「「記憶」」を忘れ去る事はできないのです。

 

 大脳の「「記憶」」の部分が何処か、未だ、不明確のようですが、或いは、何年間にわたり「「海馬」」に記憶が残るのか不明ですし、現在の医学会にて不確実なのですから仕方がありません。

「「PTSD」」、「「反復強迫」」などは、同じ様な意味ですが、厳密には少し違います。

大変に大事な言葉ですから、皆様方も念頭に入れておいて下さいませ。

自分の過去の中で<<色々な思い出したくない事柄などは、結構と誰もが抱えて>>います、自分にだけのものではありませんから、安心して欲しいと思います。

しかしながら、自分の過去の生活の中で、どんな嫌いな事柄を思い出しても納得して、自分の過去の事実を受け入れる事ができるならば、立派な人であり、素晴らしい人ですね。

「「記憶」」とは、人間が生きる過程において、本当に大切な大事なものです。

 

 皆様方も、自分の通り過ぎた過去の「「記憶」」を大事に受けてとめて人生を過ごして欲しいと考えています。

幼児、学童、生徒、学生、成人、壮年、老年期、などによっても、「「記憶」」の蓄積は大脳の如何なる部分なのかは、違って来ると思われます。

しかし、現実には、大脳生理学の世界でも、明確になっていない部分については、不確定なものは不確定だと納得しないと、駄目人間になるでしょう。

「「記憶」」が「「海馬」」へ、「「海馬」」から次の記憶装置へ、何年間ほど大脳の如何なる場所に置かれるか、次は大脳のどの部分に蓄積されるのかが、まだ、不確定で、「「記憶」」を「「海馬」」に拘るのは、無理のようです。 

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉~大脳皮質(9)

2010 年 11 月 2 日

 回想して自分の記憶を辿り、色々と考える事は出来るのですが、自分の記憶を自分の大脳の何処から探り出しているのかを、どんなに考えても困難でしょう。

大脳の記憶場所について、「「海馬」」だけを見てみても、「「海馬」」は比較的新しい記憶が残っていますが、その後の記憶は「「側頭葉」」とか「「大脳皮質」」とか言うのですが、人間の大脳の何年前の記憶が大脳の何処に記憶されるのか、全く不確定みたいです。

年齢差もありますし、大人と子供達の「「記憶」」が大脳の何処で何年間ほど残るのかは、まだまだ、さっぱりと理解されていないようです。

人間の生身の「「記憶の実験」」なんて簡単に出来っこありません。

 

 永久に、人間の「「記憶」」が何年間は大脳の何処の場所にあり、その後は、何年間ほど次の記憶場所に置かれるかは全く分かっておりません、ね・・・。

何度も繰り返しますが、人間が「「五感」」「「六感」」で感じる物事が、大脳の同じ場所に記録されて記憶されるかも、場所は「「記憶」」の種類によって違うし、考えると大変なのは、「「記憶」」を求めて大脳の一箇所に蓄えるものではないようです。

見るもの、聞くもの、匂うもの、味わうもの、触れる肌の感じ、言葉の内容や意味などによっても、「「記憶」」の場所は違うものでしょう。

大脳が左脳も有るし、右脳も有るし、どちらの方に「「記憶」」が多く蓄積されるかなども、蓄積される記録の内容によっても間違いなく違う筈です。

「「楽しい記憶」」」と「「悲しい記憶」」は、矢張り、「「記憶」」の場所が違うものでしょう。

 

 ここでは、「「記憶」」の話をしていますが、何度も今回は繰り返して伝えています。

色々な沢山の種類の「「記憶」」が有ると言っていますが、全ての「「記憶」」が同じ場所に蓄積される事は無いようです。

大脳生理学的には、非常に難しい実験でしょう、人間については明確な「「記憶」」の蓄積の場所や種類については不確定のようですから、不確定なものは不確定で認めながら人生を生きるしかないでしょう。

唯、唯、人間の{{こころ}}の「「再生」」と「「新生」」は可能であります。

悩みながら、苦しみながら、嘆きながら、{{こころ}}が落ち込んで<<憂うつで何もしたくない、出来ない状況>>が有名な「「うつ病」」です。

 

 「「うつ病」」の治療では、絶対に薬と安静だけで治さないようにして欲しいと考えます。

人生を如何に見るか、人間の生き様を如何に見るか、悲しいと嘆いている自分を如何に見るか、鬱々として何も考えられない自分を如何に見直すか、情け無い&惨め&劣等感の塊&生まれて来なければ良かった人生、生きているのが辛い人生、何も面白くない人生、死んだ方が気楽かなと思う人生、自分以外の他者を恨んだり怨念を抱いたり、他者への嫉妬を膨らませたり、とにかく、マイナスの気持ち&感情だけを抱えて生きるのが、「「うつ病」」の特徴で大変です。

楽しい{{こころ}}に生まれ変わるために、「「心理療法」」の体験です。

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉~大脳皮質(8)

2010 年 10 月 26 日

 人間の「「記憶」」なんて、当方は、少し簡単に言い過ぎたのかも知れません。

一般的には、人間の「会話」・「行動」・「心」など、喜怒哀楽にしても、「「海馬」」で記憶をするのですが、「「海馬」」での「「記憶」は比較的に早く消えて行くようです。

その後には、「「海馬」」から「側頭葉」」とか「「大脳皮質」」で記憶されると言いますが、明確には<<どんな状況が、どんな位置で、どんな場所で正確>>に記憶されているのかが、まだまだ、大脳生理学の世界にても明瞭になっていないようです。

どんな状態で、人間の色々様々な「「記憶」」が蓄積されるかについては、何度も繰り返して伝えますが、明白ではないですね。

 

 喜・怒・哀・楽などについても、それだけで記憶される場所も違ってくるみたいです。

そこで、人間にとって分からないもの、知る事ができないものは、それはそれで置いておきましょう。

ですが、{{こころ}}・{{性格}}・{{人格}}を変えるためには、大脳での記憶の場所は何処でも良いとしておきましょう。

自分の「「記憶」」を回想して、自分が如何なる人間であったかを{{悟る}}ことですね。

「「無常観」」を悟るのは、普通の方達には大変に難しいものだし、お住職さんでさえも「「無常観」」を悟るのは困難です。

しかしながら、「「懺悔」」ですね、「「懺悔」」だけできれば、人間世界を気楽に楽しく生きるのが可能となるのです。

 

 自分で自分の考え方でもって、人間世界を気楽に喜んで生きるのは難しいです。

殆どの人達が悩みながら、苦しみながら、嘆きながら、自殺したいほど悩んでも、自分で自分の人生を変えたいと考えるので、大変です。

自分の悩みを簡単に自分で変える能力のある人は、あまり悩む事なんかありません。

又、悩みが深くなればなる程に、自分の思いは「執着」と「拘り」だけになって何とも出来ない{{こころ}}になってしまいます。

当方、随分と長い間、「「心理療法」」を行っていますが、本当に大変なのは、生い立ちでの{{習慣}}なのでしょう。

 

 自分の生い立ちの「「過去」」を思い出さない人達にも、しばしばと出会います。

どんなに頑張ってもらっても、自分の過去を思い出さないのです。

やりっぱなしの人生だけであって、「反省」なんか出来ません。

面接を重ねても、何度も何度も面接を重ねても、思い出さないのです。

時には、当人は自分の{{過去}}を偽っている積もりはないのでしょうが、話を聞かされていても、その都度に過去の話の内容が異なって来る場合もあります。

或いは、自分の過去の話が異ならないにしても、全然と過去の記憶が出て来ないのですから、「「反省」」も「「懺悔」」も何も出来ません。

己の「「過去」」の{{こころ}}だけは大事にして下さいませ。

<<投書>>内観便り(2)

2010 年 10 月 25 日

  X様より

(その後に届きましたメールを掲載させていただきます。)

 

こんにちは。

 

ご返信頂いて、感謝しております。

今メールを拝見しました。

 

 実は私は、先生のブログ、

携帯電話から毎日楽しみに読んでいるんです。

 

それが日課になっています。

いつもウームと考えさせられることばかりです。

 

あれだけ重度の「さみしがりや」

な私でありましたが、

内観後は不思議と、その気持ちが消えました。

自分でもビックリで、

「オイオイ?ホントにさみしくないの??」

と毎日自問自答しています。

 

あと、友人から電話で、

「なんだか明るくなったんじゃない?」

とも言われ、

とてもびっくりしました。

 

本当に、みんなが内観の経験を

すればいいのになと思います。

 

今まではなんとも思わなかった、

知人の、家族に対する愚痴などを

聞かされると、

その家族みんなに「感謝」の気持ちがないのか、

家族みんなで内観すればいいのに・・・

と思ったりしました。

 

あとは、今まで面倒だと思っていた母からの

たわいのない電話も、

全く嫌な気分にならなくなりました。

それが私の使命というか、

自分の考え方が大きく変わりつつあります。

 

本当に内観体験をしてよかったです。

 

私の文章が、皆さんの参考になるのでしたら

大変光栄に思います。

 

ありがとうございます。

 

 

 X様へ

こんばんは。

ールが届いておりました。 

メールを頂き、文章を掲載させていただきます。

本当に、感謝申し上げます。沢山の皆様方にお役に立てると考えます。

当方も、素晴らしく嬉しく感じています。

また、何かの折には、御遠慮せずにメールなり、お電話なりをお寄せくださいませ。

お待ちしております。

ご返信いただきましたこと、厚く御礼を申し上げて失礼を致します。

                                    所長より