<<投書>>内観便り(1)

2010 年 10 月 23 日

X より、当研修所での内観後のお便りです。

( 皆さまのお役にたてればとのご許可をいただき、掲載させていただきました。)

「「病は気から」」、を今読み終わったところです。
本を買って本当によかったです。
本を読んで、ビビッときてしまって、今急いでメ―ルをしているところです。
家に帰ってから、なぜ、私は「・・・・男性から離れたい、過去の男性のしがらみを全て切りたい」と悩んで悩んで悩みまくって、内観をしようと決意したのか?
過去の記憶で思い出す嫌なことその他、「「つきあったり・・・男性のことばかり」」なのはなぜなのか?
なぜ。最後の絵で、私の結婚後の家族の三人の絵を描いたのか?
ずっと考えていました。
でも、はっきりと答えが出ないまま帰りました。

帰って先生の本を読んで、やっとそのことに答えがでました。

私がビビッと答えがでたきっかけになった文は
・ (p224)人間は、常に過去で満たせなかった心=固着を、今の現在と未来に向かってすることで、自分の過去における積み残しのこころに対して埋め合わせしようとしており、自分の顕在意識と潜在意識と無意識を満足させよとしている。
・ (p227)人間は、自分の過去で満たされなかったことを、今の自分に何かをすることで満たそうとして、常にそのように生きている(すなわち、過去の補いをしようとして生きていると言ってもよい)。
・ ・(p22)今、悩むということは、その悩みは「過去の悩み」と重複しているが、ほとんどの人たちは気づかない。

あ~!!
そうだったのかと思いました。

私にとって、
「自分の過去で満たせなかったこと」
とは
「父親から無償の愛を受けること」
とは
「過去の悩み」
とは
「父親から無償の愛を受けられなかったこと」
ということだったと気づきました。

でも、家族の前で父親がいなくてさみしい」と、
一時的には愛情の欠乏をしのげるけれども、
それは一時的であって、恒久的ではない。

なぜ家族の絵を描いたのか?
たったひとり、生涯愛してくれそうな、
父親のように私を包んでくれそうな存在=結婚相手が欲しいと思ったのだと思います。

ハッとしました。

先生の本を読まなかったら、
きっとこんな気持ちにはなれなかったと
思います。
本当にどうも有り難うございます。

まだまだ未熟ではありますが、
内観を、今後も続けてゆきたいと思っています。

 

所長より

素晴らしい御丁寧な感想文を頂き、本当にありがとうございます。
人間は、誰も皆が、自分から「「外側」」を向いて生きています。
自分の好みを求めて、自分の好みの人間を求めたり、自分の好みの環境を求めて生きているのです。
人間の存在は、外観的であり、「「外観的人間」」と言います。
内側を見つめることのできる少数の人間が、「「人を救う」」との言葉もあります。
随分前の言葉であり、200年以上も前の言葉ですが、現在の皆様方は知っておられません。
人間の{{こころ}}については、意外と昔の人達も詳細について知っているものです。
「「真実のこころ」」とは、「「真実の存在」」とは、などなど考えているものです。
①「「人間に生まれて来たのは、有り難し」」
②「「今、生きているのは、有り難し」」
などの言葉があります。
①. 人間に生まれたのが、{{ありがとう}}、ではありません。
人間に生まれて来たのが、不思議ですね、と言う意味です。
②今、生きているのが、不思議ですね、と言う意味です。

付け足しの話になりましたが・・・、

随分と、{{こころの世界}}については、悟られて来ておられますので、これ以上の言葉は入れないでおきます。

 

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(7)

2010 年 10 月 22 日

 人間の「「記憶」」が大脳のどの部分に溜め込んでいかれるのかが、明確には判明していないようであります。

当方は、「「海馬」」だと皆様方へ伝えていたと感じますが、どうも、その後、大脳の「「記憶装置」」が明確な場所だと判明していないですね、全体的には、「「側頭葉」」とか言ったり、「「大脳皮質」」だと言ったり、何だか、バラバラの感じで、記憶する内容の物事によっても違うようですよ、絶対に間違いないですね、・・・・・。

分からない事は、分からない、理解できない事は、理解できない、そのままで仕方が有りません。

それでも、こうすれば、人生を生きるのが気楽で喜んで生活できるのが分かっていれば、そうするのが一番に良いでしょう。

 

 当方には、本当に長期間にわたり、悩める人達が・・・、{うつ病}、{各種神経症}、{各種心身症}、{パニック障害}、{強迫神経症}、{拒食&過食}、{いじめ}、{登校拒否}、{非行}、{ドラッグ中毒}、{事件}、{犯罪}、{人生を幸福に生きる}、{劣等感}など、様々なケ―スで来院しています。

「「心理療法」」でないと、人間の{{こころ}}の性格や人格を変える事はできないのです。

ですが、庶民の皆様方が{{こころ}}について日頃から考えた事が無いので、{{こころ}}の話をしても、全く理解をしてくれないのが現況ですね。

 

 人間って、面白い生き者ですよ。

「会話」と「行動」と、この二つを動かす「こころ」しかありません。

こんなに、明瞭に簡単に説明しても、誰もが了解できません。

人間、自分の眼に見えない対象物に対しては、案外と{{畏敬}}と{{恐怖}}の念を抱えてしまいますし、信じたりもします。

ですが、こと、自分の中身={{こころ}}については、逆に、全く理解しようとしないのですから、恐ろしくもあり悲しくもあります。

自分の体の外側にて、自分の眼に見えない物事には凄く関心を持ちますが、己の中身の内側のものは自分の眼には全く見えないので、説明をしても関心を示さないし、興味さえも持ってくれない場合が意外と多いです。

 

 そんな{{こころ}}でさえも、自分で積極的に関心を持って勉強してくれれば、凄く自分の人生に興味も出てくるし他人の人生にも{{自分のこころ}}が行き届くようになります。

 人間の生い立ちの{{こころ}}や{{ものごと}}が、どんなものであろうと、大脳では違った場所に記憶されているのは間違いないようです。

大脳の何処の場所から、「「記憶」」を引き出しても、その「「記憶」」さえ再解釈できれば良いのですから、本当に人生を楽しく生きる事が可能となるものです。

「「自分の過去を振り返って、反省をしながら、自分の人生を生きる」」事ができれば、最高の人生となるでしょう。   

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(6)

2010 年 10 月 20 日

 「「記憶」」の話、大脳の何処に蓄積されるのか、などの話をしていますが、人間が人間世界を気持ちよく気楽に楽しく生きる事が可能となる話をしています。

何度か、繰り返して話をしていますが、此の世を自分だけで一人で生きるのではありませんから、他者の事や事情や状況などを考えてあげられる{{人}}になっていなくてはなりません。

相手の気持ちを考えてあげられる{{人}}でない場合ですね・・、

当方が持ち出した素晴らしい言葉ですが、「「身代わり不可症候群」」と表現しました。

 

 再度、伝えておきますが、「「身代わり不可症候群」」ですね。

自分の事だけを考えて、何時も自分が「得をする事ばかり考えると、逆に、自分の{こころ}は疲れ果ててしまいます。

相手の気持ちを明確に考えてあげて、相手の気持ちになってみる事が大切ですよ。

相手の気持ちを理解できれば、「不満」、「不平」、「悔しさ」、「惨めさ」、「悲しみ」、「怒り」、「孤独」、「劣等感」、「やきもち」、「嫉妬」、「怨念」、などなど抱える事は無いでしょう。

「「海馬」」にしろ、「「側頭葉」」にしろ、或いは、大脳のどの部分にしろ、自分の過去を掘り起こしてから自分の人生を{{再解釈}}しないと、「器」の大きな人間になれません。

どのような人達に出会っても、「劣等感」さえ無ければ、苦しいとか辛いとか惨めに感じる事などありませんからね。

 

 最近では、当方も、人間の「「記憶」」が大脳の決まった部分に、この場所にしか記憶されていないと、言ったような表現は少し無理なのかとも感じさせられています。

この問題は、読者に少しながら一部は誤解をさせたような気持ちもあります。

ですが、突き詰めて考えると、人間の記憶が大脳の何処に記憶されたとしても、当人が自分の過去を思い出してくれないと、あまり意味が有りません。

「「海馬」」にしろ、「「側頭葉」」にしろ、或いは、「「記憶」」が大脳の何処の部分に蓄積されていても良いでしょう。

究極的には、記憶の回想を可能な限りしておいて、其処の記憶の誤解を解ければ最高に良いのです。

 

 記憶を散策して、再度の事、自分の正しい記憶を再構成していくべきです。

やりっぱなしの人生と過ぎ去ったままの人生観だけでは、残された人生を生きて欲しくないと考えます。

人間って、幼い頃から自分勝手に生きていますよ。

沢山の人達は、幼い時の自分を含めて、真面目な素直な自分だと思って錯覚しています。

それでも、自分は真面目だと自惚れて生きていますから、{{愚かな人間}}ですが、自分で気づいていないのだから悲しいものです。

人生では、誰もが、少しでも立ち止まり<<自分の過去>>を見つめる事、「「こころ洞察法」」=「「マインドサ―チセラピィ―」」を体験下さいませ。

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(5)

2010 年 10 月 18 日

 とにかく、人間が誕生する前から、胎内においても、大脳が形成されていく段階で((何らかの記憶))が、蓄積されるとも思われますが??? 如何でしょうか・・。

勿論、何らかの記憶が蓄積されても消えていくのでしょう。

「「海馬」」も「「側頭葉」」も、また、「「前頭葉」」でさえ、十分に成長していないから、人間が幼児から大人になっても{{記憶}}の無いその事は、無理ではない話でもありましょう。

時折に、自分の「「「前世」」」が分かるなんて言う人もいますが、御自分の思い込みや、自分以外の他者への<<洗脳>>とか、相手の前で<<面白くさせる>>とか、色々な場合があるでしょう。

 

 勿論、当方は、「「自分の前世が分かる」」と自己主張する人達には、そうですかと{{その話}}を聞き入れておくだけです。

いずれにしても、今回、当方が話をしたかったのは、人間の「「記憶」」にも様々な種類の「「記憶」」がありますが、大脳の「「海馬」」から「「側頭葉」」とかの話もありますが、まだまだ、今後の研究にて人間の{{記憶}}が大脳のどの部分に明確に記憶されていくかは、変化していくでしょう。

「「海馬」では、古い{{記憶}}は残らないとも言われます。

「「側頭葉」」に、古い記憶が残されるとも、言います。

 

 それほどに、人間の「「記憶」」が大脳のどの部位に蓄積されるかは、研究をしても大変に難しい分野のようです。

 もっとも、難しいものです。

人間の大脳を簡単に切除、切ったり縫ったりするものではありませんからね。

人間の癲癇の手術での医師の体験から、少しの事実が記載されてはいますが、詳細な研究にはならないでしょう。

今後の医療や心理学の世界で「「記憶」」については、解剖学的には如何なる結論がなされていくのか、大変に困難でありましょう。

{{こころ}}の世界、格別に「「心理療法」」の世界では、「「記憶」」の場所が何処であろうと、あまり関係ないのかも知れません。

 

 自分の{こころ}}を解きほぐすために、唯、自分の通り過ぎた<<生い立ち>>の過去の足跡を素直に歩いてみる事しか有りませんね。

素直に「「懺悔」」なんて言っても、普通の方達は案外と自分の過去の心を点検しないし、点検する度胸を持ち合わせていません。

そこで、当方が、考え出したのは、「「こころ洞察法」」=「「マインドサ―チセラピィ―」」と言って、あまり無理をしない状況から少しずつ自分の{こころ}の世界に入っていく方法なのです。

いきなり、「「内観」」と言っても、直ぐに、「「懺悔」」を正直に人間は行なわないところが、悲しい「性」であり「業」でしょう。 

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(4)

2010 年 10 月 15 日

 何度か繰り返しましたが、まだまだ「「記憶」」と大脳の部位については明確でなく、唯、大脳の一箇所に限られたものではないようです。

当方、「「海馬」」「「海馬」」だと言っていましたが、最近は、少し違って前頭葉から入った刺激が「「側頭葉」」にも残ると言うのです。

格別に、比較的新しい記憶は「「海馬」」で、古い記憶は「「側頭葉」」とも言われるくらいですが、これも、まだまだ、今後の段階や研究の段階で違って来る可能性もありますね。

人間が作り出したものが、大空を飛ぶようになりましたが、まだまだ、人間の真実なる大脳の記憶装置の場所が不確定なのですから、悲しいかな、面白い現象でもありましょう。

 

 人間の大脳によって、「「天才の人」」もいるし、「「天才でない人」」も居るでしょうから、一つの事象だけを取り上げても、凄く興味あると言うか人間世界は不思議な世界ですね。

面白いもので、人間の技術??も変化して行きます。

「「記憶」」は側頭葉を通って「「海馬」」へ記憶するが、それも比較的に短期で「「海馬」」から離れて行きます。

「「海馬」」から、再び、側頭葉に記憶されたものは、長期間にわたり{{記憶}}として残ると言われています。

「「海馬」」から、側頭葉に記憶されなかった記憶は忘れ去って行くと言われてもいます。

「「記憶」」は前頭葉を通って側頭葉に記憶されるとも言われますし、一体に、全体的に明確に「「記憶」」が如何なる種類がどんな形で記憶されているか、まだ、不確定のようです。

 

 「「記憶」」になる事柄や人間関係にも沢山の種類が有りますし、全て同じ場所に記憶されるのかと問われれば、これも、大変に難しい問題になってくるようです。

当方、人間の記憶は全てが「「海馬」」に残ると、この{{閲覧文}}に記載した事もありましたが、こと、「「記憶」」と「「記憶」」の大脳装置の場所については、まだまだ、難しい問題があるように今後の未来に残されているようですね。

人間の考える大脳生理学や大脳生化学などについても、当方が感じて思う事は、昨今では、本当に大変だと実感しています。

人間の考える事柄が、未来の時代・時代によって変化するのですから、大変でしょうね。

人間の生い立ちからの過去の「「記憶」」が、自分の大脳のどの部分に「「記憶」」として残されているのか、これが、また、時代によって変化するのですから大変でしょう。

 

 当方の最初の{{閲覧文}}には、人間の生い立ちの過去の「「記憶」」が、大脳の「「海馬」」に蓄積されて残っています。

「「海馬」」に蓄積された{{記憶}}を手繰り出して、自分の過去を再解釈するのが最良だと皆様に伝えています。

最近は、あまりにも人間の{{こころ}}は綺麗にならないので、本来的には「「懺悔」」だけで良いのですが、この「「懺悔」」→自分の過去を見つめる行いをしませんから、人間世界は、何時までも大変でしょう。