<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(3)

2010 年 10 月 13 日

 人間が、自分の過去を回想して「「懺悔」」などと、簡単には表現で

きますが、真実に大脳のどの部分が如何なる状態で細胞単位や或いは細

胞群が動いているのかは、まだまだ、不確定ですね。

当方、簡単に「「海馬」」だと伝えた{{記載文}}も書いていますが、「「海馬」」だけで考えてはいけないようです。

しかし、己の過去を回想してから、「「反省」」とか→「「懺悔」」に到る過程は、何処までも自分の過去を掘り起こすのが重要でして、「「海馬」」に拘らずに大脳のどの部分でも良いから、過去を振り返りましょう。

 

 そう、極端な表現になるでしょうが、大脳の何処の部分を使っても良いでしょう。

 間違いないのは、前頭葉だけは使用しなければならないでしょう。

前頭葉を通して、過去の記憶にまで、自分の意志が届いてからが出発点となるでしょう。

「「海馬」」~「「側頭葉」」、その他の明確な大脳の記憶場所は明確でありませんが、これよりも奥深い「「記憶」」の場所は、今後の生理学者に任せておきましょう。

これからの未来において、何時のこと、何処まで「「こころの記憶」」と大脳の記憶装置の「「場所」」が明確になるのかは、当方にも厳密には不確定でもあるように思われてなりません。

 

 「「海馬」」だと言っていましたが、最近では、「「海馬」」は比較的に新しい過去の記憶が蓄積されており、その後は側頭葉に記憶が古くなれば記憶されて蓄積されていくともいう話があります。

まだまだ、今後において、更に、明確になって来るのだろうと思われる段階でもあるようですね。

どちらにしても、人が「「過去の記憶」」を回想する場合、前頭葉を使用して過去の記憶に達しなければ無理である事には間違いありません。

前頭葉を使用して、未来だけを考える事は大変に{{人生を生きる事に無理}}があるので、「「過去を振り返りながら、自分の心・性格・人格などを確認しながら」」、自分の前方を見る事で、ありましょう。

 

 自分の力量・実力・能力などについて明確に知っておかねばなりませんが、「「過去を振り返らない限りにおいて・・・」」、そんな自分の{{こころ}}を知る事が不可能ですからね。

人間の「「過去の記憶」」って、沢山の思い違いもあるし、後から考え直すと<<もう少し別の考え方>>をしなければならなかった、などと、様々な考え直しが必要だったと気づくのでもあります。

この「「新しい気づき」」が最高に、大切ですね。

そして、「新しい気づき」を得る事で、人間の人格は変化していきますし、新しく「再生」と「新生」を得て生まれ変わって生きていけます。

「「記憶」って、大事なものですから、再解釈しておきましょう。 

<<質問、他>>ブログへのコメント3

2010 年 10 月 12 日

<<質問、他>>ブログへのコメント2 # 霜月 より

こころの世界が楽しいと話される先生の、こころの中はきっと大きく深く広いのでしょうね。昨日も、突然の出来事があって、私は動揺しまくりな心境でした。一生懸命、整理してどうにかしようと思う気持ちで行動していたのですが・・・。今でも胸の中がもやもやした状態です。1日経って、ようやく心も落ち着いてきたようです。また、先生の返信を見させて頂き、とても安心さを感じることができました。今日もほどほどに頑張っていきたいと思います。

 

メンタルヘルス研修所 所長より

そうですね、人間世界に生きておりますと、何時も楽しく時間を過ごしたいと皆さんは、考えているでしょう。

霜月様だけではなくて、人間の無意識的な「「願望」」でしょう。

強烈に自分が{{喜び・楽しみ}}を求めていても、人間は自分の無意識で動いている{{こころ}}の気づかない場合が多く、全く気づかないままの事も多々あります。

自分では、暗黙の暗闇での「「無意識」」の{{こころ}}に強迫されいるのに、明確には知る事ができません。

自分が一人では、暗黙の暗闇の世界を散策できないし、仮に、自分で「「無意識」」と「「潜在意識」」の世界の{{こころ}}の旅は沢山したと自慢しても、思っても無理な世界が有るものです。

人間世界を生きていますと、自分の都合の良い事、好きな事ばかりだけが、自分の傍に有るものでもありません。

また、必ず、自分が人生の{{滅}}に至るまでには、悲しかった事、苦しかった事、憂うつになるような事、怒りの気持ち、やきもちの気持ち、劣等感を感じる気持ち、また、逆に、優越感、自分が賢い&偉い、優秀、他者と比較しても秀でている気持ち、などなど、色々様々な{{こころ}}が動きます。

自分の{{こころ}}を安定させるためには、自分の「「死」」を悟り受け入れる事ですが、これは、「「無常観」」と言って普通の方達、お住職さんにも結構と悟れない心身の{{{世界}}}ですね。

大学病院の教授の先生方も、「「無常観」」までは、悟れません。

当地に講演で来られた大学教授で心療内科の先生が、自分も悟れないし、お坊さんにも悟れないと言っていたのを記憶しています。

「「無常観」」→「「無我」」→「「涅槃」」にまで、入れます。

自分の「「死」」を喜んで受け入れる事ができれば、世の中を生きるのに、あまり苦労を感じる事も無いでしょう。

最後に、今回の結論は、人生を生きる場合では、時には、悲しい事や嫌いな事柄が自分を襲って来る場合が有るのは、当然の事です。楽しいこと、嬉しいことを自分の{{こころ}}に溜め込んでいると、気楽な人生にもなるでしょうが・・・・・

厳密には、自分の「「過去のこころ」」を整理しておく方が、それなりに、早い解決法になるでしょう。

「「無常観」」なんて、簡単なようで、100%難しいですからね。

以上、また、次に記載しましょうね。

また、ブログを、お待ち致しております。

コメントなり、御質問なり、大丈夫ですから、御安心を下さいませ。

<<質問、他>>ブログへのコメント2

2010 年 10 月 8 日

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(2) # 霜月 より

記憶について、もっと明確になれば記憶の操作(よくドラマや映画でみた)のような事が可能になったりするのでしょうか?ふと思ったことですが・・・。まあ、そうなったとしたら都合良く生きようとする人間が増え、人間自身が衰退していくように感じます。 ・・・となると、人間が感じる苦痛だった記憶は、決して悪いものではなく、苦痛から喜びに変わらせることができる人間だったら、きっと人生は満たされたものになるのでしょうか?。 記憶をどうみるかで、人の生き方って様々なものなんだろうと思いました。やはり固定観念にとらわれずに、物事を色々な側面からみれれば、もっと心もうまく操作できたりするのでしょうが・・・。自分には難しいことですで(泣)少しでも気楽に生きるようになるためのコツってどのようなものがありますでしょうか・・? すみません。ちょっと文章がまとまりにくかったです。

 

 メンタルヘルス研修所 所長より 

コメント&質問など、有り難うございます。

そうですね、自分の記憶を好きなように操作できれば、人生を生きるのが気楽になるでしょう。

ドラマや映画などは、人間が作り上げた別世界の、創造とイメージの世界ですからね。

都合の良い人間、衰退する人間など、との事ですが、・・・・・考え方によっては、今の現在が小さな地球上で人間が「「幸福に生きているか」」と問われれば、どんなになるのでしょう。

悩みとか、苦しみとか、抑うつ気分とか、苦痛とか、色々様々な感情を体験してから「「再生」」できた人間が良いような感じもします。

苦痛の無い人間には、本当の楽しみも理解できないでしょう。

また、自分以外の他者の気持ちをも理解してあげるのが、難しいでしょう。

記憶は自分の中、内側に有るものであり、大脳の中にあるものですから、何処まで、自分の記憶を深く手繰り出して如何なる「「回想」」をするか、できるかでしょう。

「「苦痛」」から「「喜び」」には、いくらでも変えられます。

また、人生を満たされる人間にも、自分の{{こころ}}を自分で満たすように、{{こころ}}の成長は簡単にできるものです。

そうですね、自分の「「記憶をどう見るか」」ですよ。

それでも、人間って、幼い頃から、「「固定観念」」が自分の頭に入り込んでいますから、その「「固定観念」」を如何に解釈するか、人間の一生で最高に大事で大切な過程ですよね。

{{こころ}}の世界って、素晴らしく楽しいもので、また、面白いものです。

「「因縁」」→「「宿命」」→「「運命」」→「「天命」」・・・などとの言葉も有ります。

だが、難しい言葉??は除いておいて、唯、素直に自分の「「過去を振り返る」」、それだけですね。

少しだけ、注意が必要なのは、自分勝手に自分の方法で「「過去を振り返らない」」事が大事です。

必ず、自分の記憶を、自分で変える事ができます。

自分の過去の記憶は、いくらでも、変わりますから、御安心を下さいませ。

「「器」」の大きな人間に、なりましょう。 

 

 

 

 

 

 

<<質問、他>>ブログへのコメント1

2010 年 10 月 7 日

「記憶」15 # 霜月 より

最近ニュースでよく聞かれる日中関係についても、過去の歴史からきているものだと感じます。テレビではよく中国側で反日運動をしている画像を出していますが、実際は中国のすべての人がそう思っているのではないと思ってます。しかし、戦争で傷つけられた心や自国を愛する気持ちを大切にしている分、相手に負の感情や恨みをもってしまうのは、先生が言われる心に関係しているのではないかと感じます。みんなが幸福感をもっていれば、平和なのでしょうが、人間という生き物は、そんなに器用にはなれないですね・・・。なかなか、生い立ちに感謝となってもリアルに感じることも難しく、理解も難しいかと思いますが、楽しく前向きに考え生きることを意識していきたいと思いました。

「記憶」15 # 所長 より

人間の{{こころ}}って、面白いですよ・・・世界中の人達、全ての人達と言っても、良いでしょう。誰も皆が、自分達の利益ばかりを追い求めていますし、怖いのは、民族・宗教、などなど、非常に怖いですね。多分に、世界中が平和になる事は、永遠に不可能だと感じられます。政治家が世界の平和を確立するべきでしょうが、政治家も皆が自分の利益を求めているのが現況でしょうし、また、真実の出来事です。人間個人の「「思考体系」」も、自分の過去、生い立ちから~~現在に至るまでの{{こころ}}で確立されています。小さな地球上??での??、人間達の思いや考え方や思考体系、など全ての{{思い}}が、遠い昔、先祖からも{{思考体系}}などが人間達の脳裏に植え込まれています。脳裏??「「海馬」」や「「側頭葉」」と言っても良いのですが!!!。人間個人を見ても、自分の生い立ち(祖父母~両親~兄弟姉妹~~その他に自分の傍を通り過ぎた人達など含めて・・・)から~現在に至るまでの過去の{{こころ}}に動かされています。一方で、人間は他国よりも、自分の国を大事にするものです。スポーツや科学や技術や芸術や音楽にしても、育てられた国を大事に考えますが、自国を捨ててまで、自分と自分の誕生国とは、関係が無いと言える人はいないでしょう。人間の{{こころ}}も、興味深いもので、自分の親の「ルーツ:」が大事であり、一方で、宗教国では、自分の親よりも「「宗教」」の方が大切ですね・・「「宗教」」そのものが、自分の「ルーツ」となっていますね。個人が素晴らしい「「懺悔」」を出来ても、自国を捨てて、自分を捨ててまで、地球を大事にする{{こころ}}は持てないでしょう。人間世界に、地球上には、全ての人達に「「不平等」」が有る事が、「「平等」」でもあります。常に、「「矛盾」」が有る事が、また、「「矛盾」」でないのと同じでしょう。民族、そして、宗教とは、小さな地球上で、大変に大きな問題でしょう。自分の生活範囲では、周囲の人達に「「感謝」」できる事、「「恩」」を感じる事の出来る人になれるのが、最大に重要で大切です。そのためには、自分の「ルーツ」を詳細に知っておくべきで、幼い頃に抱えた自分の{{こころ}}を、自分が大人になって振り返り明確に確認しておくべきでしょう。自分が一人で、自分の{{こころ}}を確認するのは、大変に難しいでしょうけれど・・・・・・・。己が、「「平和なこころ」」を持つためにも、ですね。最後に、人間は如何なる問題を抱えても、自国を大事にしますし、一方で、自分の宗教を大事にします。「「宗教」」については、国々の置かれた環境や状況で、随分と違って来ますけれど・・・。

以上です、今日はこの辺で・・・。

<<未分類>>記憶(追加編):海馬~側頭葉(2)

2010 年 10 月 6 日

 記憶は「「海馬」」だと言われていた時代も、少し違ってきているのでしょうか。

まだまだ、人間の「知恵」は足りていないようです。

そう、人間の体の病気も完治は難しいくらいですから、{{こころ}}の完治も難しいでしょうが、どちらかと言えば{{こころ}}は、逆に、人間の「知恵」で早く速やかに治るようにしたいですね。

人間の体は、必ずや、年老いて滅してゆくのですから、何処まで、人間が、何歳まで「「体」」に未練をもつか、その辺りが考え方によっては難しいでしょう。

 

 何時までも、継続できる「「生命」」ではありませんが、人間の欲望は面白いもので理解できている筈なのに、理解が出来ていないのです。

自分の体は何時までも有り得るものではない事を、真実に悟っていれば、そのような人々はあまり悩まない筈なのですが、・・・・。

面白いもので、自分の[体]を大事にする人達ほど、案外と悩みを抱えて生きる場合も多いですね。

何年も生きれば、人間の体の肌の色も次第に衰えていきます。

ですが、自分の体に拘る人々は、自分の年老いてゆくのも案外と辛い思いをします。

 

 「「記憶」」って、面白いものです。

「「記憶」」があるからこそ、人間は人生を喜んで楽しんで生きる事ができます。

悲しい出来事だと考えるか、そうでもないと考えるかは、その人の思考体系に関わっています。

「拘らない」、「執着しない」、「差別しない」、「分別しない」、「偏らない」、「異物化しない」、「捕らわれない」、などなどと明確に自分で{{こころ}}を読めれば気楽に生きられる筈でしょう。

「「記憶」」って、しっかりと考えると怖いですね、面白いとか、楽しいとか、そんな事柄も全部が「「記憶」」による御蔭ではあります。

 

 まあ、ここで触れたかった事柄は、人間の「「記憶」」の全てが「「海馬」」に記憶されると考えられるようですが、「「古い記憶」」は側頭葉にも記憶されるようでとも、言われます。明確な大脳の生理学、格別に「「記憶」」との大脳生理学&生化学などの詳細な「「記憶」」状況が、まだまだ、不透明です。

今後において、どのくらいが明確になるのか、人間の個人の五感六感の過去の歴史が如何に明確に大脳の「「海馬」」以外に記録される場所(大脳実質の一部でしょうが・・・)が発見されるかでありましょう。

人間個人ついて、不透明な事柄が沢山と不明のままでありますから、人間の知性と理性と科学と技術などと言いますが、大変に難しい問題が残されています。

今後の何時、明確になるかも不確定です。