<<人生>>人生への理解(10)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 2 日

中学生になると、心の葛藤は、更に、顕在化して来る。

人間の文化や文明は発達したと言いながら、携帯電話やパソコンなどは、益々と多種多様複雑となって来ている。その事が、人間の成長には如何なものでありましょうか・・・・???。

まだまだ若い年齢層の人達に、人生での全体の視野で眺めた時に、人の心の成熟度は???さて、どうなるのでしょう。

 

一方で、親は親で子供達を進学校へ入学させようとして、大変な教育熱心さを示します。

この親の方針は、極一部の子供達には確かに学習に精魂を込めて親の期待通りに、進学校へ入学する子供達もいます。

 

中学から~高校で、学習に心を打ち込む子供達と、反対に、親には反発だけする子供たちもいる、これには2通りの反発様式がありますが・・・・・・。

格別に、言葉や行為や行動で親に反発する子供達と、黙ったまま黙して語らずですが心の底では親に対して怨念の感情を抱きながらで良い子ぶって成長する子供達もます。

 

親から叱られるのが嫌で、親の期待通りに見せ掛けで勉強する。更に、勉強だけしていれば、親は褒めてくれる。親の喜ぶ顔だけ見ていれば、満足する子供達も時たまですが、実際に居るのです。勉強が、楽しいのではありません。

学習について行けない子供達、いや勉強しない子供達、心の底には、既に、不平、不満、怒り、悲しみ、劣等意識、嘘、盗み、罪、などなどの塊の心で充満している子供達もいます。

人の心も一念三千と言うくらいです。

心の底に怨念を抱いても、物静かな子供達もいる。物静かに出来ずに騒いで事件などを起こす人達もいます。物静かな子供達も、パニックで大きな事件を起こしてしまいます。

 

大学に入った途端に、目的意識は消失してしまい、大学入学後に登校拒否をする子供達もいます。

では、エリ―ト大学に入って勉強したとします。

彼等は、本当に幸せなのでしょうか・・・疑問が湧いて出て来ます。

思春期に、それなりの人間生活を送って来なかったからです。大学で勉強に励み、大学院でも研究に励み、一見として、誰が見ても、文句の付け所の無い人間には見えます。

そして、世間で言うところの{出世}です。彼等は、幸せでしょうか???

 

世間で見れば、出世コ―スの真ん中に居る人達でも、心の底には<何とも表現しがたい心の葛藤は流れて>いるでしょう。人生とは大変でもあります。演技も、重要ではありますが。

<<人生>>人生への理解(9)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 12 月 1 日

何と言っても、人生を生きるには、人は<何を考えて人生を生きるのか>この事を、理解できる人は素晴らしいと思われます。

この事について充分に体得していれば、自分なりに自分の心をコントロ―ル出来るので、心の{どん底}にまで陥ってしまう事はないと言えます。

 

人が此の世に誕生して、明らかに当人がストレスを抱えて生きるようになるには、多分に乳児や幼児はここでは除外しておきたいとは、思いますが・・・・・・・。

ですが、幼児期には、母親と買い物に出ても、玩具を買う時に<駄々をこねたりもする>こともあるでしょう。明らかに、当人は理解していないのですが、それだけ駄々をこねると母親が<買ってくれる>と計算しながら、演技でやっているのです。

 

幼稚園に入ると、既に、登園拒否などもあります。

登園拒否が、幼稚園でのストレスかと問われれば<違う>と、皆さんに伝えておきます。

登園拒否になる園児は、その前に家庭で{母親、父親、兄弟姉妹}等について、欲求不満を大量に抱えています。こちらの心の葛藤を、先に治してあげる方が早いです。

登園拒否になる<切っ掛け>は、幼稚園であったにしろ、原因ではありません。

「因果応報」とも言いますが、家庭での心の葛藤を家族の皆が心揃えて解決すべきです。

勿論、登園拒否だけが、心の葛藤だけでなく、家庭での彼等の顔や表情や行動様式を観察していれば、気づく筈なのです。

{目は心の窓}、{顔は心の窓}、{行動様式も心の窓}です。しいて言えば、その人の目は{家族の心の窓}にもなっています。

子供の顔を見ていると、直ぐに分からなければいけないと思いますが、一般庶民には理解しがたいでしょう。

悲しい出来事ではありますが、それも人生か、でしょう。

 

小学校の生徒では、もっと色々様々な問題が起きます。

登校拒否は勿論、悪口、陰口、喧嘩、暴力、非行、万引き、パソコンゲ―ム、携帯電話、刃物を使った犯罪など自殺や他殺まで、昨今では事件が起きるようになって来ています。

 

小学高学年になって来ると、思春期前期となるのでもあります。

男性は女性を、女性は男性を、異性として意識を持つようにもなって来ます。

やきもち、嫉妬、妬みの心なども持つのです。

一方、家族では、学問とスポ―ツその他の板ばさみで、沈没する子供もいます。

<<人生>>人生への理解(8)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 29 日

人と人とのコミュニケ―ションが出来れば、人間はどんな職場へ投げ込まれても生きて行けるでしょう。

 

当方としても、「「読者」」が真剣に人生を生きる事が出来るように、しっかりと<本音>で大事な事柄を伝えておきます。この事については、人は一度は、自己探求が大切です。

 

先ずは、人間の欲望とは?? 考えてみる事ですね。

そして、自分の欲望を、自分には一体に<何が欠けている>のか知る事が大切でしょう。

簡単に表現するならば、{五欲}と言う言葉がありますが、食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などと言われています。

自分には、そんなものは無いと言う人がいるでしょう。そんな人達は、まだまだ自分の心が見えていない人です。

何人も、上記の五欲の、全部とは言わないですが、それぞれ、立場やその時期によっても、この五欲は、人によって変化があるものですから・・・・。

見栄や虚栄心なども、全部が名誉欲に関わって来るものです。唯、唯、その「欲」が小さいか大きいかだけの問題ですね。

 

人は、自分以外の人に対して<気おくれせずに>誰とでも、気軽に話しを出来れば最高なのです。

しかし、そのような人達は滅多に見られません。人間は皆が、何がしかの心の葛藤を抱えて人生を送っています。

「欠乏欲」とも、言われます。この「欠乏欲」を持っていないと言う人が居れば、自分の心を、また、全く気づいていないのです。

 

人が人生を送るのは、家族生活が基本となります。これも、生い立ちの家族生活、母や父や兄弟姉妹等との心の絆をどれほど、幼い時期から築いて来たのだろうか、これが人間関係の信頼度の基本になっています。

 

親との{信頼関係}が、しっかりと完成されていなかったら、親以外の人達の他人との{心の信頼関係}は、上手く適応できないのだと思っても間違いないですね。

 

人対人で、今、少し触れましたが、人間には異性、即ち、男性と女性が居ます。思春期から~老年期を通して、この辺りが、また、大変な人生上での大きな関わり、分岐点ともなります。男性と女性の心の葛藤だけでも、犯罪が起こる場合もあります。  

<<人生>>人生への理解(7)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 26 日

此の世に人として誕生して来たからには、いや、誕生する前から、そして、新生児、乳児、など時代を過ぎて、やがては大人になって社会で仕事しなければなりません。

何も仕事、或いは役割も全然としないで、人間世界を自立して生きるのは不可能ですね。

 

人が、人間社会で生きる事は、誰かと顔をつき合わせて生きるしかありません。

乳児の時から、お乳を飲ませてもらえずに、そして、母親に充分に面倒を見てもらえずに、乳児の時代から無意識的にでも、母親を拒否するまま育つ場合もあります。

 

幼児期になれば、母親は勿論のこと、父親に対しても、親の言葉使いや顔の表情、スキンシップなどで、親を信頼できるかどうか、これが、他人を信頼できるかにも関係してきます。

 

幼児の時から、親を信用できずに、友達も居ないために、動物などへ自分の心を向ける場合もあります。格別に幼い時は、植物によりも動物へ心を向ける場合が多いです。

 

勿論、子供達は、親が好きでも、動物へ興味を持つ事も当然でしょう。自分達の見知らぬ世界に目を向けるのは、当然です。親の代わりに、動物を依存対象としなければ、良いです。

親への愛情不足のためか、心の底での愛情欠乏のため動物に興味を引かれるかは、心の底では全くたくさんの問題が動いているので、本当に要注意です。

 

小学生や中学生では、本来的には、人間との付き合いが本格的に始まっていますので、どれほど、人対人との調和を自分で取れるかどうかが大きな問題ですね。

 

この対人関係の心の問題は、高校生や大学生になっても、必ず、後を引いて行きますので、幼少時から、この後の時代の生活で、人付き合いも厳しい程に大切ですね。

 

ある程度の年齢になれば、どうしても、人間は自分で働いて何がしかの金銭を稼いで生きる事が、誰にも必要なのです。人対人、人対環境については、後述しましょう。

 

人は、誰でも良いですが、可能であれば、自分の本音で話し合いの出来る人が、一人でもいいから、必要なのです。悲しいとか、嬉しいとか、日々の出来事でも、昔の出来事でも構いません。

本音で話せる友達が居ないが故に、人生の{苦}は起こりえるようです。

<<人生>>人生への理解(6)・・・人対人・・・動物・・・植物・・・

2010 年 11 月 24 日

人間嫌いの人達は、多くの場合で、動物や植物を飼育したり育てたりする場合も多いです。

 

勿論、多くの一般的に心身の健康な人達でさえ、自分の好きな動物を飼ったり、観葉植物として育てたり、また、動物や植物でもって人生で<職業として>働いておられる人達もいらっしゃいます。

日常の家庭生活や職場生活の後に、心の安定を取り戻すために、動物や植物を相手にしている場合では良い事で、何も言う事はありませんね。

立派な社会適応だと思われます。

こういう場合では、人対人の心の対話が十分に出来る人であれば、良いのですね・・・・また、出来る筈ですね・・・。

 

人間嫌いで、人との対話が苦手だから、淋しいから孤独だから、動物や植物を相手にして時間を過ごしている人達も、実際におられます。

彼等は、自分では、幸せに感じているつもりでも、心の奥底では、自分の潜在意識や無意識の心の世界を旅すると、結構と{今ある自分と自分の心}を理解できるでしょう。

 

こんな話をしておりますが、所詮、人間は、誰しも、動物や植物の恩恵を受けて<今ある現在の生活>が出来ています。

その事実を一般庶民も考える必要があります。時には、じっとゆっくりとでも、自分の人生を見詰めていると、自分の周囲で起こっている全ての事柄が見えてくる筈です・・。

 

殆ど全ての人達は、自分の眼前を眺めて、自分にとって都合の良いものを自分に寄せ集めようとするし、自分が嫌いな事や物や生き物からは離れて行こうとしています。

 

此の世に、母親と父親の因縁でもって誕生を受けた人生、どの年齢まで親の庇護のもとで自分が生活をできるのか、また、何時を{機}に親から独立して自分を生きてゆくのかも、しっかりと、自分自身に納得させておかねばならないでしょう。

 

人間が生きる場所は全てにおいて、あらゆる動物や植物が居て、そして、形こそ違っていてもあらゆる{無生命体}のお陰で恩恵を受けて、此の世で生かされて生きているのが、人の生命、人の人生であろうと思われる。

多種の動物や植物が沢山と地球上には、見られます。人が知らないところで、無限の恩恵を受けて生かされている事実も、知っておくべきでしょう。

人よりも、動物や植物を相手に生活をしている場合もあります。淋しい、筈です。