<<人生>>人生への理解(19)・・・人対人・・・

2010 年 12 月 24 日

 {生}あるところに、必ず{滅}があります。

生まれて来たら、歳月の流れと共に人は年老いて、病気をしながら(幼くて、若くて。そして、成年期、成年期、などにても病気で終末を迎える人達もいますが・・)、最後は、此の世から消えて行くものです。

 

{生}から~~~{滅}までを、可能であれば、悩まないで苦しまないで楽しい人生が出来たら、最高でしょう。

 

ここでは、少しながら心の勉強が必要ですが、そんな{悩まない人}になって欲しいと希望しています。

 

ある人が、当方に、人間って、人間世界で悩まない人が、誰が居るのでしょう、そんな事は不可能でしょうと、質問をされた方が居られました。

人間世界、人間社会を生きるのに、悩まないで楽しく生きられる<考え方>には案外と簡単に変われるものです。

でも、心の学習をせずに、自分で人生を考えて、自分流で、そんなに簡単に<人生を楽しく>生きられるものではないと思います。

人間って、とかく自分の考えが一番に正しいと思っているので、直ぐに、他者を<非難したり>、<悪口を言ったり>、<陰口を言ったり>します。他者について悪口を言いながら、自分は正しくて真面目な人間だと思っているので、人間関係の摩擦は必然とおこります。

 

一体に、何で、人は自分の欲求を肥大化させて、気が合わないと言いながら、心の底で{非難}、{拒絶}、{嫌い}、{不機嫌}、{悪口}、{罵り}、{恨み}、{憎み}、{罵倒}などなどと、意外と多くの人達が、自分本意の心となってしまうので大変です。

 

家族の中でも、父親と母親の心がバラバラであると、子供達の心も<崩壊>して行きます。どんな家族であれ、どんな会社であれ、一人でも、二人でも、周囲の人達の心を見ずに理解せずに会話したり行動したりする人が居ると、全体の調和も壊れやすいものとなります。

 

人間世界を生きる事は、誰かにお世話になり誰かに迷惑をかけて生きるものでしょう。でも、その事実を体得しておかないと立派な人間にはなれません。

{悩まない人}になるのは、自分本意の生活が出来る事、自分本位の生活をする事とは違います。自分本意だと、逆に、他者から、真実に{変な人}と思われます。

<<人生>>人生への理解(18)・・・人対人・・・

2010 年 12 月 22 日

人間社会を生きると言う事は、家族の社会を生きている事にもなるでしょう。

家族は、家族の生活と言ってもよいのですが、会社の縮図が{家族の構成}と言っても構わないのではないでしょうか。

家族にしても、勤務中の会社にしても、全てが人間関係から成り立っています。

人間の生活というのは、どんな生活であっても、人と人の交わりから構成されているのです。

 

ここで、何を説明したかったのか、と言いますと、人が人生を生きるには<自分以外の他者と上手に交流できて>初めて、自分の人生を楽しく気持ちよく爽やかに豊かに生きるのが、可能となるものです。

 

{悩まない人}になるだけ、なのです。

悩みの無い人と言っても、時折、あまりにも自分勝手な人達を見かける事があります。

人に迷惑をかけても、当人は全く自覚していない人も居ます。

迷惑をかけながら、自分は真面目な人間だと自負している人も居るので、時には周囲の人達は大変に困る場合もあります。

 

勿論、自分の周囲には、時には本当に駄目人間が居る場合もあります。そして、駄目人間が案外と<つまらない見栄と虚栄心>など持って、自分は賢くて偉い人間だと感違いしているものです。だから、そういう人達の周囲では困る人達も出てきます。

 

人間嫌いの人達は、深山の奥か絶海孤島の小さな無人島にでも住めば良いのですが、案外と気持ちは<小さくて>そんな生活は出来ません。要するに、臆病なのですが、あまり自分が臆病な人間だと気づいていない人達が多いので、意外と厄介な問題も生じます。

 

誕生後は、それなりに自分の親との心の葛藤、軽度の葛藤は有った方が良いと思われます。程度問題ですが・・・・・・・。

自分の親から育てられなかった人達も、居ます。格別に、そんな場合は、育てた人に対して、自分の生い立ちの<心の形>を充分に調べておく事が必要です。

 

仮に、自分の本当の両親に育てられたにしろ、過剰干渉だったのか、放任されっぱなしだったのか、確認して<自分の心は如何なる>ものだったかを知っておく必要があります。

逆に、両親とも、自分の{子育て}の仕方が本当に良かったかを確認しておくべきです。

子供達が大人になっても、親が子のことを考えてあげる態度は重要です。   

<<人生>>人生への理解(17)・・・人対人・・・

2010 年 12 月 20 日

 沢山と話をしてきました。

人は、此の世で<自分が周囲から生かされて>生きているのでしょうか???。

人は、此の世で<自分が自力で生きて>いるのでしょうか???。

 

古来から、投げかけられている言葉ですね。

 

ともすれば、人間の思い上がりと言うのでしょうか・・・・。

自分の努力で自分の力で、周囲の人達を動かして<自分は生きている>と自負していらっしゃる場合も多いです。

多いというよりも、殆どの人達の人間社会での生き様ではないでしょうか。

 

人様のお陰で、今、自分がここに生きている、生かされているなどと感じる能力のある人は、多分に結構と大きな難題に直面しても、そう悩む事は無いのではないでしょうか。

 

言葉で説明して、そして聞くのは簡単でしょうが、その言葉の中身・内容を体で体得するのは、案外と難しいですね。

人は、口では何でも理解できていると言います。

ですが、心底と理解できていないのが、悲しいかな、人間の考え方みたいですね。

 

園児から、小学校、中学校、などと成長していきますが、身体のみは大きくなっても、精神は成長しないままの場合がしばしばと見られます。

最近は、本当に、若年者の犯罪も多くなり、高齢者も幼児も巻き込まれたりします。

勿論、高齢者同士の犯罪もありますが、マスコミの報道では若年者の方が遥かに犯罪は多いのではないでしょうか・・・・。

 

心の問題にしろ、体・行動の問題にしろ、会話を含めて<家族の問題>が根っ子にあるのは、必然的なものです。

此の世は「因縁の世界」などと、そして「親の因果が、子に報い」などと、昔から言われていますが、当方では25年以上も幼少期の不安障害や神経症やうつ病の皆さんや、高齢者の不安やうつ病なども診てきましたが、全ての人の心の関係する問題は、家族の心、生い立ちの心にまで遡って原因が有ります。

 

どんな有望な有名な人達も、自分の生い立ちの自分自身の{心のカラクリ}を知っておかないと、日常生活の断面で{心の葛藤}を担いで生きていくことでしょう。  

<<人生>>人生への理解(16)・・・人対人・・・

2010 年 12 月 17 日

人生って、{何だろう}って、日常生活では誰も考えません。

いや、人は死ぬるまで、そんな疑問さえ持たずに、自分の一生を終わって行きます。

皆が皆、一生懸命に生きている積もりでも、案外とボンヤリとしたまま生きてボンヤリとして一生の終末を迎えて滅して消えて行きます。

 

人生については、色々様々な見解があるでしょう。

自分の事だけ考えて、食にありつければ、それで良いではないかと言う人もいるでしょう。

 

でも、人生って、先述していますが、誰一人として誰とも接触せずに、自分の人生を一生なんて不可能ですよ、ね。

人間の個人対個人の会話、商売のための個人対複数の人との会話なども必要です。

そこには、人間って、無意識的にも、自分で表面上の心では気づいていなくても、{私}と{貴方}、{優越}と{劣等}、{勝ち}と{負け}、{善}と{悪}、{美}と{醜}などなどの諸々の意識を持っているものですね。

 

{四苦八苦=前述している}なども、当然に、人が生きる限り、克服できて生活できれば、何も言う事はないでしょうが・・・・・・・。

ともすれば、不平、不満、悲しみ、淋しさ、孤独、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、怒り、怨念、嘘、盗み、罪、諸々のマイナスの感情を持ち易いものです。

格別に、人が(胎内に居るときから・・)誕生してから、自分の母親や父親や兄弟姉妹に対して、不平や不満、などなど持たないで育つ人は誰も居ない筈です。

考え方は、幾らでもあります・・・・・・・・・・・。

 

子供の時から母親や父親、或いは、自分を育ててくれた人に対して、全く不満を持たずに育つ人はいません。

全く、不平や不満を抱えないで育つと言う人は、ともすれば、全く親離れが出来ていないで、{甘えん坊}そのままで、精神的に大人には成長しません。

自分以外の相手に対して、無意識的に心の共感と拒絶を持ちながら育つものです。

自分一人で、世の中を育っていくものではないということが分かるでしょう。

 

誰もが、自分の過去を調べていくと、心の{因}が見えて来るものです。

現在が、幸福であれ、不幸であれ、心の世界について詳しくなりますので、現在の悩みや苦しみも、自分で解決できる人となれるのです。

何故なら、自分の本音と建前の心の{カラクリ}を充分に把握が可能ですから。

<<投書>>内観後の感想(Y様)

2010 年 12 月 15 日

Y様、当院での内観後の感想文です。

掲載の許可をいただき、ブログに、載せさせていただきました。

  <<内観>>

 私は、十年位前に足にしびれを感じ、病院に、行きましたが、異常がなかったので、そのままにしていました。三、四年前から足のしびれがひどくなったみたいで気になり始め、いろいろな病院に行きました。三年くらい前に整形外科では異常がなかったのですが、姉から勧められて、飯塚のせき損センターまで行って検査をしてもらいましたが、やはり異常はありませんでした。それで、病院に行くのをやめていましたが、やはり気になったので、又、病院に行きました。整形外科、脳神経外科などすべての科に行きました。

MRIもとってもらいましたが、分かりませんでした。

 近くの病院、人が良いといったので北九州までも行って検査をしてもらいましたが、分かりませんでした。それで最後は脳神経内科で、病名をつけなければ薬は出せないということで、うつ病の薬をもらいました。でも、友達から、「そんな薬を飲んでも大丈夫なの」と言われ、不安になり薬を止めました。

それでも、まだ足のしびれが気になっていたので、大学病院の脳神経外科に行きました。

検査をして足根管症候群ではないかということで、整形で足専門のDrがおられる某病院に行きました。

ここでは、足のMRIもとったけれど、足根管ではないみたいだとビタミン剤をくれました。

二ヶ月間位飲みましたが、足のしびれは変わりませんでした。

 先生から心療内科に言ったらと言われて、病院を探しました。

電話帳で探して行ったら、そこは休みでした。その話を職場でしたら、友達が病院(当医院)を教えてくれました。自分の姪が一週間位通って、今元気に働いているとのことでした。病院を探して、やっと着きました。心療内科って何をするのかなあと思いました。

いろいろな話を聞いてもらったら、先生は「なおる」って言ってくれました。治療の方法の説明で、一週間屏風の部屋で書くとのことでした。

今まで、どこの病院に行っても分からなかったので、とにかく何でもしてみようと思いました。

 「内観」という言葉もはじめて聞きました。文を書くことも苦手で、漢字も全く分からなくて、難しいなあと思いました。それに、過去のことを思い出すのが大変でした。父の事、母の事、姉の事、主人の事、書いていたら、してもらった事ばかりでした。

びっくりして、自分が何もしてあげられなかったことに気づきました。

今までに、子供の頃の事など思い出したりした事がなかったので、とてもなつかしかったです。両親には、とても大事に育ててもらって感謝しています。

又、楽しかった事、悲しかった事、今までにいろんな事があったなあと感じました。

 病院に来て足のしびれがなくなれば良いと思っていましたが、内観をしてそうでないことが分かりました。

自分でも気持ちを変えないといけないと思っていたのですが、なかなか気持ちを変える事ができませんでした。

いろいろと書くことで、思いが少し変わってきたような気がします。

感謝の気持ちを忘れずに、楽しく生活したいと思います。

  <<追加>>

最後、所長との面談で、自分の好きなことをしている時、遊んでいる時は足のしびれはないので、ご自分から「勝手病でしょうね。」と話され帰宅されました。