<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」7

2011 年 2 月 24 日

 体の病気、「「心身症」」などや、{{こころ}}の病気などでは、巨大な「「無意識」」や「「潜在意識」」などを少しでも、解明しようとする治療法でしょうが、折に触れて、過去の「「意識」」をそのままにしておいて、現在の{{こころ}}のみを解明してから、{{こころ}}の病気を治療しようとする{{こころ}}の治療法が案外と多いみたいです。

 しかしながら、当方は、長年月間にわたり「「心理療法」」に関わってきましたが、何と言っても、人間の現在の歪な{{こころ}}を治すには、今の{{こころ}}のみを治してあげるのは、大変に難しいでしょう。

 

 大きな「「日傘」」・「「雨傘」」・「「松茸の傘」」・「「椎茸の傘」」の部分が、全ての{{こころ}}の塊ですから、そんな巨大な塊の一部を散策しても、多くの{{こころ}}の塊は汚れたままで残るのです。

特別に汚れた{{こころ}}の塊を砕いて散策しないと、軟らかい平らな{{こころ}}にはなりませんから、ね。

 自分の「「意識」」の近くに存在している{{こころ}}だけを拾いあげて自分で納得しても、暗闇の中の{{こころ}}の塊を解かないと、「「平和」」な安らぎの穏やかな憩いの{{こころ}}は決して訪れて来ませんね。

 

 大きな「「傘」」の塊の中を少しずつでも構いませんから、歩いてみるものです。

多くの人達は、自分の「「傘」」の塊の中にあまり嬉しくもない悲しい惨めな小さい塊が出て来る事に恐怖を感じるのです。

いや、恐怖を感じると言うよりは、自分が有能な真面目な人間だと自負していたいのです((どうしようもない程の悪事を重ねておいて、自分で真面目だと思いながら他者に褒められたいなどと、考えていますからね。)。

 また、他者から称讃を浴びたいと思わなくても、自分の{苦しさ}や{悲しさ}や{惨めさ}や{妬み}や{劣等}などなど、思い出したくないのです。

そんな、ある意味では、マイナスの自分に出くわすのが嫌いなのです。

ト―タルには、人間世界を化けて生きる事を望んでいます。

 

 そう、自分に仮面を被せたり、自分の体に鎧を着込んだりして、本心を隠して生きていたいのです。

皆が、人間って、そんなものでしょうが、自分が自分の正体が外側にばれるのに悔やむようならば、自分の素直な{{こころ}}に戻ってみる事なのです。

自分の現実に持っていない「「傲慢さ」」や「「自惚れ」」に、苦しんだ時には、本当の自分になって素直に丸裸になってみる事でしょう。

ここが、一番に大事な{こころ}}ですからね。

 どうぞ、「「顕在意識」」とは、それほどに巨大な{{こころ}}だと、当方は皆様方に伝えておきたいと考えます。

今までの学者とは、逆説の{{真実}}を論考しておきます。

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」6

2011 年 2 月 23 日

 フロイドの言っている「「顕在意識」」は、海面に浮かんでいる氷山の「「一角」」との気持ちは、理解できない訳ではありません。

また、ユングは絶海孤島の「「小さい離れ小島」」が「「顕在意識」」だと言っているようでもあります。

 しかし、当方は、本当に長い間にわたり「「心理療法」」を行なって来ましたが、どうしても、「「顕在意識」」の方が、「「潜在意識」」や「「無意識」よりも遥かに巨大のようです。

 

 フロイドやユング達、彼等の考え方は、現在の今ですね、考えたり思案したり悩んだり苦しんだりなどの、そんな思考をしているのが、今の「「顕在意識」」だと言います。

現在の{{こころ}}を如何に使用しているにせよ、歪に{{こころ}}と{{からだ}}を使っているにせよ、その下層には「「潜在意識」」と「「無意識」」が潜んで現実に動いています。

 フロイドやユング等の見方、いや、沢山の心理学者の考え方は、心身症、不安神経症、強迫神経症、うつ病、登校拒否、校内暴力、家庭内暴力、衝動買い、不純異性交遊、アダルトチルドレン、ニート、フリーター、DV、シンナ―中毒、覚醒剤中毒、などなど、全てが、「「無意識」」と「「潜在意識」」に裏打ちされた「「顕在意識=現在意識」」のなせる「「業」」でしょうからね。

 

 歪な「「深層心理」」を抱えていますとね、「「顕在意識」」までが、歪になってしまいます。

その故に、「「顕在意識」」は、大量の膨大な歪な「「潜在意識」」と「「無意識」」を背負っているのです。

沢山の心理学者や精神医学者、全ての殆どの学者が{{異常会話}}・{{異常行動}}・{{異常なこころ}}は、自分達の己の「「無意識」」や「「潜在意識」」を明確に考えていないことから、或いは、忘れ去っているとの考え方をしているみたいですよ。

だから、「「顕在意識」」は小さいのだと、言っています。

 当方としては、やはり反対の意見で、顕在意識の方がはるかに大きいと思います。

フロイドやユングの考え方とは、全然と反対の{{考え方}しかできないですからね。

 

 人間は誰もが、胎教~誕生を通して、少しずつ成長して行きます。

そんな過程で、{{こころ}}の雑念と言うか、{{こころ}}の垢が大量に絡み付きます。

人間が「「会話」」や「「行動」」にしろ「「こころ」」にしろ、下方から押し上げられた「意識」と考えるのか、或いは、上方から押し被せられている「意識」で生きているのかの考え方にもなりますが・・・。

「「意識」」の動き方の説明とすれば、今までの考え方でも良いでしょうが、確かに彼等は、「「無意識」」や「「潜在意識」」の方が遥かに{{大きい}}のだと言っていたでしょう。

 ですが、当方は、「「顕在意識」」が全ての重層する「「意識」」を背負っているから・・、風呂敷の中に包んで抱えているからこそ、はるかに「「顕在意識」」の方が巨大だと説明しているのです。

「「雨傘」」や「「日傘」」や「「松茸」」や「「椎茸」」のように、上方の「「方」」が大きな歪な{{こころ}}の塊であると考えても良いですね。 

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」5

2011 年 2 月 22 日

 総合的に、最後に考えましょう。

フロイド&ユング等の言っている事は、理解できない訳ではありませんが、彼等は「「顕在意識」」が小さいのだと言っているのと同じです。

 当方、確かに「「今、使用している{{こころ}}の部分」」→「「顕在意識=現在意識」」は、「「無意識」」も「「潜在意識」」も使っているのですが、人々によっては、歪な{{過去を抱えています}}ので、自分の歪な過去の{{こころ}}を切り離して生活をしているようです。

時折には、己の過去を無意識的に切り離している方達が居ますので、現在の{{こころ}}も全くと<<まとまり>>が無い場合もあります。

 

 又、境界例人格障害の人達は、別格で、自分の現在の{{こころ}}と自分の過去の{{こころ}}が全然と繋がらない場合もあります。

人生を生きるのに、随分と苦労を致します。

自分が苦労をするのですが、周囲の苦労を全然と理解しません。

彼等には、過去の{{こころ}}が無い、のと同じくらいですね。

 さておいて、人間は歳月と共に脳味噌の中には、歩いて来た経験と体験が堆積して詰まっています。

今の{{こころ}}は随分と大きな「「意識」」を抱えています。

また、抱えていると言えば、表現が悪いかも知れませんけれど、だとすれば、遠い過去の{{こころ}}と少し遠い過去の{{こころ}}が積み重なってから、自分の目前を判断しながら、日常生活をしています。

 

 日常生活を暮らすのに、「「ストレス」」や「「苦しみ」」などを感じるのであれば、自分の生い立ちの過去から、{{こころ}}の整理を重ねていく事、過去を振り返りながら自分の{{こころ}}を見つめ直さないと駄目でしょうね。

 そこで、「「顕在意識」」は、大きな大量の{{こころ}}を含んでいますので、「「無意識」」や「「潜在意識」」などよりも、遥かに大きな「「こころの世界」」であります。

何度か述べましたが、ピラミッドの形状でもなく、海面に浮かぶ氷山の一角でもなく、絶海孤島の離れ島でもありません。

「「顕在意識」」とは、そんなチッポケな「「意識」」ではありません。

 

 どうぞ、もう一度、精神科医や診療内科医の医師達は、再度のこと、{{こころ}}の世界を考える必要があります。

巨大な「「顕在意識=現在意識」」を開拓して、人生を楽しく嬉しく悩まないで苦しまないで生きること、そうすることが、病気にもならないし喜んで生きられる事になるのです。

 最近、いや、現在まで、「「無意識」」や「「潜在意識」」は大変に大きくてユングなどよると、地球上の海にしろ、海陸が海底で繋がっているほどに巨大で大きなものだと言っています。

或いは、山々が裾野で繋がっているように、その海底とか谷底の繋がりが「「無意識」」だと言うほどですが、当方は、矢張り、反対の「「考察と意見」」です。

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」4

2011 年 2 月 21 日

 前回の記載で、「「反省」」と「「懺悔」」だと記載しましたが、今の現在の自分の大変に大きな「意識」でもって、自分の小さい「過去の意識」を探して散策する事、そうすることで自分の小さい「過去の意識」の中に{{宝物}}がありますので、見つけ出すことが大事です。

 自分の「「意識」」を知らないでは、此の世を楽しく喜んで生きる事なんて出来ません。

精神医学界でも、新しい{{こころ}}の世界については発表されておりません。

勿論、長期間にわたり、「「心理療法」」に携わった人でないと、新しい発見は出来ませんからね。

 

 精神と医学、{{こころ}}と医学の世界では、神経内分泌免疫系などの実験が随分と前から行なわれています。

だが、{{こころ}}の新しい発見の「「論文」」は見当たりません。

 当方、本当に長期間にわたり、「「心理療法」」を行なってきましたが、まだまだ、誰も新しい{{こころ}}の世界観に触れていません。

「「顕在意識」」の方が、遥かに巨大の筈であります。

「「無意識」」や「「潜在意識」」は、「「顕在意識」」の下方にありますが、トグロを撒いて小さく存在するだけです。

 

 「「無意識」」も、大きく分けると{{三通り}}になるでしょう。

一つは、遠い過去の自分の記憶から思い出そうとしても、なかなかと思い出さない{{こころ}}=意識の世界ですね。

 二番目としては、かなり現在に近い{{こころ}}でしょう。

思い出そうとすれば、案外と簡単に思い出せる{{こころ}}の世界であり、あまり遠い過去のものではない場合です。

 更に、三番目は、現在と直接に接触しているような「「無意識」」の世界が有ります。

子供達、いや、大人でも良いのですが、仮に、水泳とか地上での運動でも良いのですが、今の状態で体を動かすのに、一つ一つ{{こうこうかくかく}}などは、考える余裕も時間も有りません。

 

 独りで自然に、体が反応するのです。

自分の{{こころ}}を即座に考えて、体の四肢にしても、何十度も曲げて瞬間的に、また、この位だけ伸ばすなんて、自分でゆっくり考える暇も有りません。

即座に、自分の{{こころ}}と{{からだ}}を如何にするかでなくて、「「無意識」」で体の反応してくれます。

  そんな現在の{{こころ}}と{{からだ}}を使用するのも、今の自分の抱えている現在の「「意識」」を使っています。

「「現在意識=顕在意識」」の方が、遥かに、「「無意識」」や「「潜在意識」」の方より大きいです。。

皆さんに、少しだけでも、熟慮して欲しいと思います。 

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」3

2011 年 2 月 18 日

 2回にわたって、「「論考」」を重ねてきましたが、患者さんの{{こころ}}を治すために、或いは、普通の人達&社員や管理者の{{こころ}}の教育や立派な「「人格矯正」」へのために、何が一番に重要かと言う事です。

 誕生の頃の{{こころ}}を思い出すのは困難でしょうが、3歳頃の思い出は案外と記憶の回想が出来るものです。

 「「顕在意識」」を「「雨傘」」や「「日傘」」に例えるならば、人間は{{根っ子}}の方の{{こころ}}から明確にして治しておくべきでしょう。傘の柄からですね。

 そうする事で、「「雨傘」」も「「日傘」」も立派に捩れないで開くものです。

 

  そう、人間の{{こころ}}=「「顕在意識」」も立派になってゆくのだと言っているのです。

くねくねと捩れた茎の上には、また、「「傘」」の下に弱い棒が有って支えているのでは、どうにもなりません。

壊れる、だけでしょう。

  人間の{{こころ}}も面白いものです。

過去の{{こころ}}が歪であると、現在の{こころ}}も歪になってしまうのです。

だから、人間の{{こころ}}も、現在の{{こころ}}を治そうと思わないで、過去の{{こころ}}から治療して欲しいものです。

 

  何故か、全ての人間の「「会話」」や「「行動」」や現在の「「こころ」」は、自分の過去の{{こころ}}から操作されていますからね。

どうぞ、松茸や椎茸にしても、或いは、「「雨傘」」や「「日傘」」にしても、その根っ子になる場所を矯正しなければ、役立ちません。

人間の大きな「「顕在意識」」を支えるためには、何処が一番に大切かを知って欲しいものです。

   繰り返しますが、当方は、フロイドやユングのような考え方には反対なのです。

 何処までも、「「顕在意識」」は、逆三角形の一番の上であり、お皿の様に大きく広がっているものです。

「「無意識」」や「「潜在意識」」の方が、遥かに小さいものですけれどね・・・!!

 

  学校や職場にて、歪な人間が居た場合はですね、仮に、彼等を治してあげたいとか、彼等の{{こころ}}&「「性格」」&「「人格」」を何とか矯正できたらと言う場合には、説教や助言では100%不可能ですから、注意が必要です。

  「「顕在意識」」の存在と認めるのであれば、そんな上方の「「傘」」だけを治そうとするのではなくて、下方の「「潜在意識」」や「「無意識」」を矯正するのが、一番に最高でしょう。

 人間は、{{過去のこころ}}を置き去りにしたままでは、{{現在のこころ}}は絶対に変わらないでしょう。

「「反省」」も、過去の{{こころ}を見る事であり、「「懺悔」」も過去の{{こころ}}を見つめて、「「告白」」する事です。