<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」2

2011 年 2 月 17 日

 「「顕在意識」」の方が遥かに大きくて、大量の「「意識」」を抱え込んでおります。

唯、人間の歪な{{こころ}}さえ、或いは、歪な「「会話」」や「「行動」」さえ、全ての問題は「「潜在意識」」や「「無意識」」から、強迫されていますので、「「現在意識」」&「「顕在意識」」」は、大量の{{こころ}}を抱えています。

 そんなに小さな氷山の「「一角」」でもないし、絶海孤島の「「離れ小島」」もありません。

そんな考えは、当方は理解できますが、学問的になりますと、「「顕在意識」」は絶対に大変に大きな{{こころ}}の塊と考えても間違いありません。

 

 当方が気づいた事柄は、「「無意識」」と「「潜在意識」」」と「「顕在意識」」の成り立ちは、或いは、表現は、「「無意識」」は小さくて(小さいと言っても、巨大なものでしょうが・・・)、「「潜在意識」」もまた、そのように「「顕在意識=現在意識」」」に比較すると、まだまだ、小さいものになるでしょう。

 ピラミッドや富士山の頂上を「「顕在意識」」で表現するのは、少しながら考え方が違っているのではないか、どうしても、フロイドやユングのような考え方に納得できない状況で有ります。

彼等の理論は、理解できますけれどね。

 

 当方が、感じるのは、氷山の海面に浮かぶ「「一角」」や、絶海孤島の「「離れ小島」」などの、そんな小さな塊が、「「顕在意識」」ではないと、伝えているものです。

「「顕在意識」」は、遥かに巨大で大きな{{こころ}}の塊であるでしょう。

しかも、「「無意識」」や「「潜在意識」」から裏打ちされて動いているのが、「「顕在意識」」ですからね。

 当方が、表現するのは、人間が雨振りに使用している「「雨傘」」か「「コウモリ傘」」のようなものです。

また、陽照りの中の「「日傘」」みたいなもので、「「傘」」が「「顕在意識」」だと言っても良いでしょう。

 

 そう、「「顕在意識」」の方が、遥かに、大きいですからね。

その下に存在している、「「潜在意識」」、更に、下層にある「「無意識」」の世界を背負っているのが、「「顕在意識」」=いまの現在の{{こころ}}ですからね。

「「日傘」」や「「雨傘」」の表現が、どうかと問われれば、松茸(マツタケ)や椎茸(シイタケ)でも良いでしょう。

茎が少し大きくても構いませんね。

 でも、当方は、根っ子は、或いは、三角形にしても、下層は現在の{{こころ}}=「「顕在意識」」に比較すると、小さいものと熟慮した上で結論を出しています。

どんなに考えても、現在の「「意識」」は小さいものと、彼等は言っていますが、どんなにいびつな{{こころ}}を持った人達、ニ―ト、フリーター、不安障害、うつ病、非行、暴力、犯罪にしても、「「顕在意識」は大変に巨大なものです。

<<当方の論文>>「「論文」」&「「論考」」1

2011 年 2 月 15 日

 当方、随分と長期間にわたり「心理療法」に携わって来ております。

本当に長い間、{{こころ}}の治療に関わって来ましてから、ふと、気づいたものです。

精神医学界ででも、フロイドやユングの考え方が受け入れられているものと思われます。

 ですが、沢山の{{こころ}}について記載していまして、気づいたのは、人間の「「顕在意識」」は氷山に浮かぶ海面の一角の氷の欠けら「「一塊」」とは、違うのです。

或いは、また、絶海孤島の中の小さな離れ「「小島」」ではありません、ね。

考え方の気持ちは、理解できますが、どうしても不都合だと考えざるを得ません。

 

 人間の現在の{{こころ}}は、誕生後から、新生児~乳幼児~小児~児童~学童~生徒~学生~青春期~成人期~壮年期~高齢期~~最後は「「死亡」」のみでしょう。

そう、ここでは、遺伝子の中に組み込まれた「「こころ」」なんて、まだまだ、人間には解明されておりません。

 当方は、そんな不確定な事については、一度も話をした記憶はありません。

一方で、母親の胎内に居る時に、どのくらいの{{こころ}}=「「意識」」が植え込まれるかも、未だ、不確定でしょう。

{{こころ}}については、悲しいかな、矢張り、まだまだ、解明されておりません。

当方が感じるのは、母親の胎内にいる胎児には、親が神経質になったりして、動悸や脈拍の変動で頻脈など、或いは、呼吸が早く乱れたりしますと、その位の影響は胎児にも多大に受けるでしょう。

 

 そう、遺伝子については、人間の{{こころ}}が如何なる状況で発現されて来るかは、まだまだ、明確な答えは出ていないみたいです。

統合失調症などは、遺伝子とも少しながら関連しているとも言いますが、遺伝子とは関係ない方の統合失調症もあるみたいです。

 仮に、新生児~乳児の乳離れの間でさえ、人間のスキンシップが一切となければ、そんな人には、それなりの人間らしさを持たないままで、小児となり、普通の人間としては、育たないでありましょう。

新生児~乳児の時期でさえも、そんな環境や{{こころ}}を植え込まれると、決して普通の人間には育ちません。

この事は、明白でしょう。

 

 それで、人間は、今、悩んでいる事柄については、「「顕在意識」」は、氷山の一角だから、もっと、下層の「「潜在意識」」や「「無意識」」を解明して、過去の自分が{{どんな人間で、どんな意識を抱えていたかを知る}}事が重要だと言うのです。

 そんな気持ちは、当方には沢山と理解できますが、よくよく考えると、「「顕在意識」」が氷山に浮かぶ「「一角」」だとか、大海の離れ「「小島」」だと言う考え方が、どうしても納得できません。

しっかりと、「「顕在意識」」とは、如何なるものかを考えましょう。

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)7

2011 年 2 月 14 日

先述しましたが、<悩まない人>になるだけ、それだけで充分でしょう。<悩まない人>は絶対に{うつ病}には、ならないと言っても良いです。

{悩み・苦しみ}が先か、{大脳の神経内分泌の変化}が先か、うつ病者では、どちらが先に変化が有るのでしょう。

誰でも、理解できると思います。

ですが、悩んでいても<悩んでいない>と言う人達も見られます。

当方から見れば、常識的にも考えられないのですが、こうした現実は沢山とあります。

 

悩んで苦しんで、不安とか恐怖とか抱えている人に、その心の建前と本音を、時折ですが、教えて伝えてあげます。

でも、人の心の現実を正確に教えてあげても、教えてあげた人と、教えてもらった人との、人間関係が上手くいくかと言えば、決して、人と人の関係は良好にはならないですね。

自分の心を丁寧に几帳面に詳しく教えてもらっても、残念なことに伝わらないのです。

それは、何故かです、ね。教えて伝えてもらっても、立腹さえします。悲しい、事です。

当の本人が、ある程度、自分の心の下の下層にある心に気づいていれば良いのですが、そうでないと、当人の底辺に有る心を教えても、立腹さえしても感謝をされる事はありません・・・。

 

学問的に言えばですね、顕在意識~潜在意識~無意識の心など、本人がそんな知識を持っているだけでも違うのですが・・・勉強しないし・・勉強しようとしません・・・・・・。

多くの人達は、お金儲けなど、或いは、地位とか名声を追い求めていながら、自分の生い立ちの心が、自分の現在の会話と行動と心を動かしていることを気づいていません。

気づいていないのに、教えられても理解できないところが、悲しい現実、ですね。

それが、人の心というか意識のレベルなのです、ね。

人生を生きる、人間社会で自分を活かす、そのためには、自分の浅い心と深い心、易しく言えば、本音と建前を自分の脳裏に焼き付けておく事なのです。人への教育が大事です。

無意識と潜在意識と顕在意識の心を、自分で<答え>を出しておき、眼前の如何なる人達や環境&状況にも対応できる能力を養っておくべきなのです。

 

あの人が嫌い、あんな事は嫌い、嫌い嫌いと言っても、人生の此の世の中を渡れません。

どんな事柄が自分に押し寄せても、自分の力量でもって、対応して解決すべきでしょう。

でも、人間って、自分で出来る事については、極僅かですから、自分以外の人、他人に依存してお願いしなければ、生きる事が無理な場合が沢山とあります。

時には、思い切って他者に{依存}する勇気、また、{拒絶}されれば、相手にも色々な理由が有るので、場合によっては、また、別の人に{依存}するのが必要な場合もあります。

ある程度の、自分の切磋琢磨が有って、初めて他者も自分を認めてくれるものです。

今まで歩いて来た自分の過去を点検するだけで、自分の実力&力量は大きくなります。

過去の心を回想して、自分の心を磨いておけば良いです。自分の心の操作しだいです。

「インターネット心理療法」を受ければ、大丈夫です。

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)6

2011 年 2 月 9 日

今回は、また、普通の話と角度を変えて、前回と同じようにお話をしてみます。

人が、悩みや苦しみ、或いは、神経症、うつ病、その他、どういう状況であれ、心理的に、突き詰めて考えると肉体的にもですね、マイナスの状況に置かれた時にですね、{再生}、{新生}の方向性に入っていかないと、大変でしょう。

せっかく人生を生きるのであれば、矢張り、楽しく、喜んで、人生を過ごしたいものです。

悲しみ、喜び、即ち、人の{喜}・{怒}・{哀}・{楽}などなど、どういう形で人の心と体の中にインプットされて行くかですね。

 その経路は、ですね・・・・、目、耳、鼻、舌、身、意識、などと言われて、五官六官とも言うものです。

   

  1・先ず、人は、目から眼前を見ます。

これは、美しいとか、汚れているとか、とにかく眼前の者、物を見て認識して判断する。

自分の好みの対象であれば、人は自分の方へ取り入れようとする。嫌いな対象であれば、自分から排除しようとします。

 2・耳ですね。耳で色々なもの音など聞きます。

自分の好きな音には、人は喜びます。嫌いな音であれば、自分にとって雑音となり邪魔になります。そういう雑音であれば、その音から避けようとします。

 3.鼻です。鼻で臭いを利き分けます。

嫌な臭いですね、不快な臭いからは遠ざかる傾向があります、それが一時的にでも我慢すれば、後で、自分に利益が得られる事が分かっていれば、勿論、その臭いにも耐えようとしますが・・・・・。自分の好みの臭いであれば、勿論、自分の手元に近づけたいです、ね。

 4.舌です、ね。舌で、味わいます。

自分の好みの味には、人は敏感に反応して喜んでいます。自分の嫌いな味には、先述したように、余程の後で良い事が待っていれば、我慢して味わいます・・・。

ケースバイケースです、ね。何事においても、そうだと思われます。

 5.身です、ね。触覚と言った方が、分かり易いかも知れません。

人は、身、即ち、自分の肌と言っても良いですが・・肌以外にも内臓や消化管など、脳内の変化などにも、違和感や快感など感じたりします。

肌や自分の体で、格別に、心地よく感じる者、物には、矢張り、近づきたいですいね。

触れて気持ち悪いものなどからは、離れたいでしょう。これは、必ず、直接に触れなくてもですね、間接的にでも、例えば、風が吹いたり、これも心地良い風などもありますし、直接に触れなくても、識別できる場合が沢山とあります。

 6・意識です、ね。

上記の5つに意識が働いていないと、善悪の何事も判断できないし、認識もできません。こんな経路を通って、人は、喜怒哀楽を識別します。

<<心の世界>>うつ病(心のカラクリ)5

2011 年 2 月 5 日

人は、知識とか知恵などにしても、何処から、それを取り入れるか、でしょう。

1.目から見て、学ぶとか、色々なもの、こと、などですね。

2.耳から、学ぶとか、聞いてからですね。

3.鼻からは臭いなどを学びます、臭いが好きとか嫌いとか、ですね。

4.舌から、学ぶものもあります、甘いとか、辛いとか、すっぱい、とかなどですね。

5.身、即ち、触覚ですね、これから、また、色々なものを、学びます、気持ちが良いとか、悪いとか、ですね。

6.上記、今述べたような、五官が有っても、心というか意識が作用していないと、全て何も認識できません。

 

そこで、人生を勉強するのも、全て、人は、五官六官で区別しながら生きています。

でも、現在の自分の有り方、生き様などを客観的に知る事です。今の五官六官を点検するべきです。{再生}や{新生}を求めるのに、現在と未来を考えても有効な方法はないです。

自分の五官六官を如何に使用していたかを、過去に遡って点検する。

人間は、誕生してから現在に至るまでの、生い立ちの過去の中で、全ての五官六官を使いながら、情報を大脳の奥深くに刷り込んだまま育って来ています。

そこで、そういう事柄まで念頭に入れながら、自分を見詰めるのです。

過去の自分を見詰める事によって、過去の自分、何処で失敗したかどうか、が分かります。

自分の過去の失敗の中から、今の自分の間違っている事柄などを訂正できます。

 

唯、唯、何度も申し上げますが、人も色々様々な人達が居られます。

自分の目で、書物を読んだり、絵を描いたり見たりする、そんな自分の眼で見て、物事を判断するのが上手な人が居ます。

一方で、自分では、目で判断するのが苦手な人達も居られます。

が、耳で聞いて物事を判断するのが得意な人も居られます。

そこで、耳で聞いて自分の人生をどう判断するかですね、或いは、一体に人生とは何かなどと、疑問を持って、そして、今後の自分の人生を生きる糧にして頂いたら良いと思います。耳だけでなく、鼻での臭い、舌での味わい、身即ち体&触覚ですね、触れてどう感じたかなどです。

 あまり、難しい事を<字で読んで考える>のではなく、耳で聞いて考える、その他の方法での刷り込みを、熟慮してみる事なのです。

 

各種神経症、うつ病、各種心身症、パニックディスオーダー、登校拒否、出勤拒否、非行、引きこもり、アルコール依存、ドラッグアディクション、などなど、何故にこういう事態にこういう状況になるのかです。自分の過去を{課題}に沿って熟慮すれば、分かります。

人生を有意義に生きるために、自分の存在とは? 自分とは? 自己とは? 自分と他人との関係は? などなど、人生の生きる過程で、気楽に悩まずに、楽しく生きる事ができるために、「インターネット心理療法」を利用しましょう。