<<論考>>小雨様からのコメント

2011 年 3 月 4 日

  久しぶりにコメントさせていただきます。相変わらず、お忙しいそうですが、体調など崩さずにお元気のままいてくださればと思います。

突然ですが、先生にご相談です。私自身のことですが・・・。

 

 最近、ここ数年に鬱積されてきたものが、今ここでごちゃごちゃになってきているようです。今までは目の前にあるものを一生懸命してきたのですが、、、
 それらをクリアして片付けてきて、自分自身も成長できたようにも思うのです。だけど、今になって急に前が見えなくなったというか、どうして良いかがよくわからないのです。すごく憂鬱になっているわけでもないのですが、今いる場所に居ても、自分にとってプラスになるかというとそういうわけでもないのだと考えるようになりました。なんというか、私自身の中で上手に整理できない、我慢できない、というような感じです。

これだけでは、うまく伝わりにくいのですが・・・

なんとなく、先生に聞いてみようと思いコメントしました。

お忙しい中申し訳ありません。

 

{{お答え}}

コメントを有り難う御座いました。

現在になって、頭がゴチャゴチャになったそうですね。

特別に、無理もありません。

 

  人間は、{{からだ}}も{{こころ}}、年齢と共に少しずつですが、必ず、頭の中には、沢山の知識や余分な感情も蓄積されます。

だから、沢山の{{こころ}}と言うか、感情の中から<<自分で少しずつ、拾い上げて整理する>>のが大事でしょう。

  自分で整理しないと、自分の頭の中の気持ちや感情を他人が簡単に整理してくれる筈もありません。

大事なのは、小さい時の方が、自分にとっても、人間にとっても、自分の頭の中で整理するものが少ないはずです。

 自分の周囲の環境とか自分の周囲の人間達との間柄も、{{こころ}}の容量からすれば、微々たる量ですからね。

  勿論、人間が年老いて、「「死」」が近くなってきますと、俗な言葉になりますが、自分の「「死」」を受け入れますと、「「諦め」」がついてくるものです。

 時折には、「「死」」に拘ったりしますと、悩む場合もあります。

  今の年齢では、悩んで{{当然}}でしょうね。また、{{悩み}}から、開放された人間ほど、人間世界を生きるのに賢く偉くなりますし、悩む人達への手助けもできるように、より成長してきているものです。

 

 どうしても、早く解決したのであれば、自分を{{とことんと、見つめる{{こころ}}の修行}}をされれば、簡単に解決できます。

 大学で4年間の心理学を勉強するよりも、遥かに、{{こころ}}について賢く優秀な人間になれるでしょう。

 

 「「人生とは、何ぞや???」」、「「己とは、何ぞや??」」、「「自分の存在とは、何ぞや??」」ですね。

 きっと、素晴らしい人間になれるでしょう。

 其処まで、歩かないと気づきませんでしょうけれど・・・。

今回は、この辺で・・・。また、コメントをお待ち致しております。

    

       メンタルヘルス研修所 医師&心理士 松永清美 記

 

<<論考>>現在の{{こころ}}4

2011 年 3 月 3 日

 自分の過去の{{こころ}}を散策したら、記憶に出て来た事柄を素直に明確に、自分の口と耳をしっかり使って、他者に話をするのです。

これも、他者にと、言っても、簡単に誰にでも「「話」」をする気持ちにはなりません。

 少し話が変わりますが、そのために、随分と、太古から使われてきたのが、「「神」」とか「「仏」」とかが介在しまして、人間の{{こころ}}を変えようとしたのでした。

そう、こんな風に考えた人達が、地球上の東西南北に、適当に現れたと言っても良いでしょう。

 

  たまたま、拡がってきたのが、キリスト教とか仏教とか、その他の「「宗教」」が色々と沢山と有ります。

 ですが、本当に真実に「「人間の{{こころ}}を変えたい」」のであれば、純粋な「「心理療法」」として出来上がった「「内観療法」」が一番に良いでしょう。

 当方、自分の考え方で、「「宗教」」を非難する気持ちは全然と有りません。

世の中には、立派な「「宗教」」もあるし、お粗末な「「宗教」」もあります。

人間が、自分の{{こころ}}を丈夫にし、強くなりたい時には、とにかく、「「三つ子の魂」」を変革しないと、どうにもなりません。

 

 面白いのは、{{うつ病者}}の方々にも色々な人達がいまして、「「うつ病」」になる原因は、沢山の悩みを抱えて{こころ}}が身動きできないために「「うつ病」」になっているのです。

 されど、話を聞いたり、カウンセリングにもって行こうとしたり、或いは、本格的に「「心理療法」」と考えても、当人は全然と{{悩み}}を持たないと答えるし、自分には悩みの「「欠けら」」も無いから、{{こころ}}の話なんかには全くと関心ありません、などと、答えるのですから、悲しいものです。

 時折にですが、そんな人達に出会うものです。

怖いですね、恐ろしいですね。

自分の{{こころ}}が全く見えないのですから、一体に人生において<<何を考えて生きている>>のかでしょう。

 

 こちらから、見ていますと、悩みを沢山と山のように抱えていても、自分の{{こころ}}が見えないのです。

そのような人間には、どうしても、ならないでと願うのですが、目先ばかり眺めて育った人には、こんな見方しか出来ないのです。

 何度か、皆様方に伝えましたが、「「内観療法」」が世界中で一番に良い{{療法}}だと、当方は何時でも考えていますし、今からでも後世になっても「「内観」」が最良だと考えます。

「「三つ子の魂」」を変えるには、「「内観」」しか有りません。

「「神」」に告白しても、告白の{{内容}}が問題です。

自分の苦悩や嘆きの言葉を、「「神」」に向かって、<<告白しても>>、全然と意味がありません。どんな{{言葉}}に意味があるのか、ですね。   

<<論考>>現在の{{こころ}}3

2011 年 3 月 2 日

 {{こころ}}について、皆様方も勉強してみると、きっと面白いと感じるでしょう。

何故かですね、自分の考えている事柄や他者の考えている事柄など、他者の「「会話」」・「「行動」」・「「こころ」」も、全部が見えて来ますし理解できるようになりますからね。

 面白いと言うのが良いでしょうが、今までの学習体系では、現在の{{こころ}}って凄く小さいと思っておられるでしょうが、当方の思考体系では現在の{{こころ}}は巨大です。

考え方の違いにしても、「「顕在意識」」・「「潜在意識」」・「「無意識」」の世界の違いは知っておくべきですね。

 

 現在の{{こころ}}を、「「顕在意識」」と言いますが、皆さんには「「現在意識」」の方が分かり易いでしょう。

「「現在意識」」は、何で出来上がっているのか、如何なる状況から今の「「意識」」が有るのかを、明確に知っているのが良いですが、「「意識」」を{{こころ}}と言った方が理解し易いでしょう。

 従来は、「「現在意識」」の事を、氷山の「「一角の氷」」、絶海孤島の「「離れ小島」」の表現、簡単に言えば砂漠の上の「「ピラミッド」」、その頂点が、今の{{こころ}}だと言いました。

そんな{{イメ―ジ}}の世界でしたが、一番の底辺の広い部分が{{誕生した時}}だと考えても良かった時代もありました{{現在の思考体系では、当方は反対の考え方です。}}。

勿論、誕生時の{{こころ}}を具体的に思い出す人は居ませんが、人間の頭と意識って凄いです。

 

 昔から、「「三つ子の魂 百まで」」と言われるように、幼い時の{{こころ}}が、ずっと高齢者になっても{{こころ}}の魂の中に沈んでいますし、何処にも消え去らないのです。

人間の日常の「「会話」」・「「行動」」・「「こころ」」など全てが、遠い過去の{{こころ}}から動かされています。

 過去から、現在に至るまでの「「意識→こころ」」についての考え方を記載しております。

「「顕在意識→こころ」」に対する、新しい当方の思考体系を「「論文&論考」」として、また、掲載したく思います。

誰も皆が、己の「過去のこころ」を明確に散策しておくべきなのです。

自分が悩まないために、また、他者に対して「「不平」」や「「不満」」や「「恨み」」など持たないで生きるためにですね。

 

 現実に、誰もが自分の{{こころ}}の世界を確実に勉強しないと、皆さんには不透明であり「「人間の意識」」は見えないものでしょう。

唯、唯、唯、悲しい事柄ですが、自分独りで自分の過去を調べてみても、そのままでは、自分の「「意識→こころ」」を矯正する事は不可能です。

 皆さんが、自分の{{こころ}}は、自分次第だと考えていますが、絶対に不可能です。

自分の{{こころ}}を他者に話す事で、自分の{{固まったこころ}}が外側に出て行きますし、己が独りでは100%不可能な世界です。    

<<論考>>現在の{{こころ}}2

2011 年 2 月 28 日

 人間は、今が満足できれば、それで良いものでしょう。

勿論、一寸の先が{{{暗闇}}ならば、悲しいでしょうが、あまり真剣に自分の人生を見ないわりには、眼前だけは、案外と拘ります。

 だから、人生の全体像ですね、生きる事や死ぬる事が明確にできる人達は立派な生き方ができるでしょうが!!!!!!・・・・・。

立派に理解したようでも、「絵に描いた餅」では意味がありません。

理解したと思う事と悟っていると思う事は、「「次元」」が違います。

 

 勿論、当人が勝手に{{悟っている}}と言っても、見る人間が見れば簡単に、その人が幼いか成熟しているかなど、{{こころ}}を喝破できるものです。

本当に<<人生を悟っている>>のか、いや、そうでないのか簡単に見破る方法ができます。

 面白いのは、人間って、「「食事だけ満足」」すれば良いとも言いましたが、本当は違うのです。

「「食事」」に満足できれば、次のものを欲求するのが人間です。

多くの場合で、「「名声」」とか、更なる「「金銭」」とかですね、次の{{欲求}}を求めるのですから、大変な生き物です。

 

 「「名声」」が手元に入れば、或いは、好みの好きな「「異性」」を求めたり、あらゆる状況で人間は新しい物事を求めて、案外と<<災いを引き>>おこします。

何時も、人間はそんな考え方をしますが、勿論、現在の今、{{食べる事に、一生懸命になっている}}場合などでは、あまり余分な事柄を考えません。

 考えないと言うよりは、目先の今の状態だけで{{考え}}が一杯なのです。

「「欠乏欲」」とも、言います。

人間の「「欲望」」には、限りが有りません。

一つでも自分の求めていた物事が手元に入ると、次の「「欲求」」を、また、拾い上げて追い求めるのです。

 

 時折ですが、「「五欲」」の話を致しますと、自分にはそんな「「欲求」」は全く関係有りませんと、言う方達も居ます。

そう、当方には{そんな表現をされる人達の気持ち}も理解できます。

自分で気づかない事柄や考え方を、当方は他者の気持ち思考体系を喝破できます。

それを、当方は{{皆が少しでも、「「こころ」」を学習すれば理解できるようになる}}だろうと、伝えたいのです。

 本当に、誰もが勉強さえすれば了解できるし、人生を生きるのが気楽になりますし、楽しくなるものです。

自分の「「欲望」」を満たせない時には、如何なる考え方をするか、それだけを明確にしておけば立派な人間でしょう。

{{こころ}}を学びましょう。

<<論考>>現在の{{こころ}}1

2011 年 2 月 25 日

 人間は、親の「「因縁」」で此の世に誕生してきます。

胎児から乳児は~幼児~学童~生徒~学生~~などの過程を通って成人して、人間世界を生きるのです。

 人間社会で生きるには、色々様々な問題が沢山とあり、嬉しい楽しい事柄ばかりではありません。

時には、悲しい事ばかりの時間もあるでしょう。

苦しく、悲しく、嘆くばかりの時間や歳月を送る事も有るでしょう。

何時も生きているのが、嬉しい時間ばかりであれば、皆が幸せであり、此の世で「「自殺する人達」」も居ない筈です。

 

 此の世を生きる以上は、誰も皆が眼前の人間や眼前の環境に<<自分の{{こころ}}を合わせなければ>>なりません。

皆が、誰もが「「好き・・嫌い」」を抱えて生きているものです。

自分の人生が楽しい、生きているのが嬉しい、なんて言える人達がどのくらいに居るのでしょう。

 普通、人は一般に{現在}と{近未来}だけを考えて生きています。

そして、自分の好みにあって生きられれば、満足しておれるでしょう。

ですが、自分の人生を真剣に生きる予定、生きる積もりでも、なかなか、自分の思い通りには行かないですよ。

 

 人間は、愚かな生き物、当方は固く、人間は{{そんな人間}}だと思っています。

「「お金が好き」」、「「名誉が好き」」、「「地位が好き」」、「「異性が好き」」、などなど、人間って大変な動物ですよね。

他に、人間が特別に「「うつ病」」になった時には、「「睡眠欲」」が強度になってきます。

普通の人たちでは、「「睡眠欲」」なんて言っても、理解できないでしょうけれどね。

仕方がありませんけど、そんな面白い世界が有るのです。

 「「食欲」」も、また、大変なものです。

「「食欲」」については、簡単に当方が話しただけでは、何故って、思うでしょうが、人間が{{美味しい食事}}を求め出したら、大変で凄い「「食欲」」を抱えています。

 

 唯、唯、結構と人間はお金が溜まれば「「食欲」」を満たすのは、案外と易しいでしょう。

しかしながら、食べれば、体重が増えますし、体重が増えすぎてしまえば、血液の病気とか血管の病気とか心臓病とかになり易いです。

そして、放置しておけば、短命に終わります。

病気のために、病気を治療する医師が居ますし、また、医師が必要となります。

何時も、本当に自分の好きな美味しい食事ができれば、人生は{{それだけ}}でも満足でしょうか???

そう、何を求めて{{生きる}}かだけです。