<<不透明な道>>不透明な道(19)

2011 年 7 月 21 日

 人間が誕生したからには、上記の過程を通って<終末>を迎えていくものです。

多くの場合で、人はぼんやりと、眼前を眺めながら、生きていますね。

人間世界は、一寸の先は{闇の世界}です。

未来の闇の人間世界を、未来に向かって人は生きる事になっています。

 未知の世界を歩く事は、未知の{不透明な世界}・{不透明な道}を歩いて行かざるを得ません。

予定を立てながら、その予定が全部が壊れるかも知れない、などと、前もって予期、予想でも、少しでも念頭に入れておけば多くの悩みや苦しみを抱える事も無いでしょう。

 

 人間個人、国々、世界中の誰、何人も、自分達の未来は確実に決まった道のりが有る訳ではありません。

過去は、それなりに、確実に{決まった道}、{確実な道}が有るものです。

その{過去}さえ、自分というか己にとって、{不確実な過去}、{不透明な過去}、{不透明な道のり}となって存在しているでしょう。

 自分の過去を、振り返っても、遊び半分では{自分の過去}を回想しても、思い出しません。

一生懸命に、努力してから、初めて、それなりの{自分の歩いて来た過去の道}をかなり明確に出来るでしょうね。

 

 未来の{不透明な道}については、どんなに己が<決まった道、自分で決めた道>を歩くと言っても、そんな事柄は100%不可能ですね。

人間世界は、自分一人で生きる世界では有りません。

他者がいて、人間以外の物事が確実に自分の側で、自分から距離を置いた所で・・・、色々な気づかない物事が存在していますよ。

 此の世に誕生して、ある程度の年齢になれば、目的意識や目標は持つべきです。

だが、自分の目標も目的も、かなりの程度にて、少しずつ変化したり、或いは、全く100%の反対の目標になってしまう場合もあります。

 

 なんども、繰り返し、限りない程に繰り返しますが、自分が決めた事が確実に自分の思い通りには進展しない、と言う事です。

自分が努力して、自分の目的を果たしたいと考えても、必ず、努力が報われない場合が多々あります。

 また、相手が人間であれば、相手の人間の考え方もコロコロと変化しますから、その変化に立腹していても駄目です。

相手の<<心の変化をも認める>>くらいの力量を持っておかないと、必ず、自分の心が壊れるでしょう。

所詮、人間の一生は{不透明な世界}・{不透明な道}を歩かざるを得ない事を、己の心に刻んでおく事ですし、「インタ―ネット心理療法」の体験が大切です。

<<不透明な道>>不透明な道(18)

2011 年 7 月 19 日

 そうですね。

人の歩く道は、常に、{不透明の道}を歩き続けて、そして、{不透明な道}から此の世を去って行きます。

此の世を去って行くのが、当たり前ですが、人によっては簡単な事実を認めようとしないし、「死」について、考える事そのものを忌避するくらいですよ。

まあ、人が長寿で生きていますと。終末の時には、色々な状況が見えています。

 

    としては、あまり長寿でなくても、抱える病気ですが、自分では、予期できません。

  心筋梗塞などで急逝する場合も、多々あります。

  心筋梗塞でなくても、心房細動や各種不整脈や心不全などにて、

  死の道へ歩いて行く事にもなります。

    急性脳血管障害で片麻痺、その他の慢性脳梗塞症などで、寝たきりで生活状況も低下して、「死」への道にと入ります。

    多いのが、悪性の各種の癌で「死」への道へと歩いて行きますが、限りない悩みや苦しみ悲しみや嘆きや疼痛などを抱えて、足掻いて死んでゆきます。

 自宅で麻薬の注射を受けたり、入院したまま麻薬の注射を受けたり

 点滴なども受けて、最後はあの世へ旅立ちます。

    慢性脳梗塞やアルツハイマ―型痴呆症にて、全身状態も衰弱して行きます。

 この病気で、まだまだ足の動きが良い時に徘徊などで、街へ飛び出

 して交通事故で死亡する場合もあります。

    高齢者になると、急性肺炎にもなりやすいし、抗生物質の点滴を受けながら、7日から~10日間も寝たきりで衰弱して動けなくなり家庭で面倒を見る人が居なけば施設に入らないといけない場合も出てきます。

    上記、①②③④⑤などの経過を辿り、最後には、自分の意志で食事を食べる事が

  難しくなります。

 

食事時の嚥下が上手にできず、誤嚥や窒息や嚥下性肺炎を繰り返します。

昨今では、胃から管を入れる胃婁や、鼻からの経鼻経管栄養など、他者から管に流動食事を入れてもらい、寝たきりの歳月が流れるケ―スもあります。

もはや、このような方法を取り入れても、全身状態が衰弱したり体質によっては、経管栄養しても、誤嚥などを起こして熱発&肺炎などを合併して生命を長く維持できない場合もあります。

 

 今、当方が述べた①から~⑤までの過程で、多くの場合で人の生命は流れてゆくでしょう。

ここまでに至る前に、誰が自分の{死に様}を予想できるでしょう。

何人も、自分の最後の終末を、如何なる状態で迎えるかは、不透明であり、{不透明な道}を歩く事になるでしょう。

「インタ―ネット心理療法」を、体験してみて下さいませ。

<<不透明な道>>不透明な道(17)

2011 年 7 月 14 日

 人の存在は、時間を縦軸に、空間を横軸にとり、その交わった一点が<人の存在>でしょうね。

ここは、少しながら、哲学的思考になりますが、これが事実です。

 人間世界に誕生した以上は、必ずや、「死」が待っています。

 人は、その人が何歳で「死」を迎えるかは、全く確定できませんし、

 予想は不可能です。

 その人が、何歳で、どんな病気になるかは、不確定で不透明です。

 何歳で、どんな人に出会うかも、不確定で不透明ですね。

 その人が、何時、此の世に誕生するのか、誕生しないのかも、全く

 不確実で不透明です。

 その人が、老いるまで生きているかも、不確定です。

 どんな人達、どんな出来事、どんな事柄に出会うのでしょう。

 

全てが、不確実、不確定、不透明なのです。

貧困の社会で生きるのか、豊潤の社会で生きるのか、また、それが、その人にとって{{幸せか??どうか??}}も、不確実で不透明です。

人間個人に、どんな災難、人災、天変地異などの災難が降りかかって来るかも、ぜんぜんと分からないのです。

 

 説明すれば、それは、そうだと、皆が納得します。

ですが、体では理解できていません。

仕方がないですが、これが、人間の理解力の<限界>でしょう。

人が此の世に誕生してから、どんな死に方で死んでゆくのか、死ぬる時に、どんな苦痛を味わうのかも知れません。

 突然死するのか、病院などで治療を受けながらも苦痛を味わいながらも、一生懸命に生きようと考えながらも、<死の道>へ入ってゆくのかも知れません。

予定に入れていなかった道、人生にて沢山の苦しみや悲しみを抱え込むと、自殺もします。

「自殺」なんて、普通の生活状況の時は、絶対に予定に入れていないでしょう。

また、人間って、本質的には<自殺をして>喜んでいる人は居ません。

 

 此の世を、何とかして生きたいと考えながら、予定と違った苦しい心の荷物を抱え込んで、生きていたい、生きていたい、死にたくない、死にたくない、そんな内なる心が喘ぎながら頭の中で、心が交錯してしまいます。

 「死神が 我が傍らに 立たずみて 事あるごとに 死ねと袖引く」なんて、「歌」があります。

自分の本当の気持ちは、人生を生きる事を希望しているのですが、自分の頭が混乱して思考力を失い、<死の世界に引き込まれて>いきます。

自分の心とは、自分の意志とは、反しているのですが、意識変性を起こして自分の気持ちとは、反対の方向に引き込まれます。

「己の心」、「己の存在」を知るには「・・心理療法」で大丈夫です。

<<不透明な道>>不透明な道(16)

2011 年 7 月 12 日

 先述した「四苦八苦」について、皆さんが学習しておいて欲しいと思いますが、多くの人達は、これさえも知らずに<不透明な道>を歩いています。

沢山の人達が、人生は不透明なのですが、{透明な道}を歩いていると考えています。

 本当の人生の{道}を知らないままなのです。

自分は、自分の考えている通りに理想どおりに生きる、自分の希望した思い通りの{道}を生きる事だけを考えています。

こんな生き方で自分の人生の{道}を歩くと、必ず、予想していなかった道が目前に立ち塞がる場合もあります。

 

 そんな時に、自分の予定の通りに自分の{道}の変更を余儀なくされると、こんな筈では無かったなどと、ふと、疑問が生じます。

その不確定な出来事が、どんな出来事かというのは、人それぞれによって違います。

同じ出来事に出会っても、生い立ちから~現在までの人格水準(心の成長具合、と言っておきます)によって、その人が落ち込む場合と、平常心で受け止めて行ける場合があります。

 これが、一番に大切なところで、人間が人間社会を生きるには、どんな事件やどんな事柄が起ころうとも、自分の心で耐える能力を持っておく必要があります。

人は自分の人生を生きるのに、沢山の不確定な予期しない出来事が降りかかって来ると、日頃から、予想しておくべきでしょう。

時々でも、良いですからね。

 

 時折にでも、不確実な{道}があると、念頭に入れておくのですね。

先述した「四苦八苦」でも、十分に心得ておくと、随分と違います。

大変な人間の本性は、悩みや苦しみを抱えていて体の病気を起こしているのに、自分には<悩みは無い>と感じる人達の多いことですね。

 人生勉強を、{人生とは、何??}、{自分とは、何??}、{己の存在とは、何??}、{自分は人生について、学習しているか??}などと、学習しておくべきですね。

さもなければ、ある出来事を<切っ掛け>にして、心の「どん底」に落ち込んでしまいますし、「「うつ病」」や「「パニック障害」」や「「強迫神経症」」や「「心身症」」などの、色々な心の関連した病気になってしまいます。

 

 人は、器質的な肉体の病気については<自分の眼に見えるので>理解できますが、心の病気は<自分の眼には見えませんので>、説明されても全然と理解できない人達が居ます。

 嘆き、ボヤイて生きていても、自分には<悩みは無い>とさえ考えるのですから恐ろしい現象です。

そんな人々の、何と多い事か、当方では、人間の心って面白いなどとも感じています。

殆どの人達が、人生について十分に理解しないまま、{不透明な道}、{不確定な道}、{不確実な道}を{透明な道}だと思い生きています。    

<<不透明な道>>不透明な道(15)

2011 年 7 月 9 日

 ⑧「五蘊盛苦」などと、言います。

 そう、人間には<煩悩が多い>と言いますね。

煩悩が多い故に、悩むと言うのです。

108っつとか、8万4千とか、色々な表現が有ります。

人の心は、「欠乏欲」の塊だと言った人も居ます。

正に、その通りですね。

 

日常生活の中では、真面目な顔をして生きていますが、ふと、考えると、恐ろしいほどの欲望の心が有るものですね。

お金が有れば、男であれば好きな可愛い女性が欲しいとか、お金持ちの女性であれば、素晴らしい男性が欲しいとか考えます。

昨今では、身の回りに便利な物が沢山とできましたので、互いに異性を愛するよりも、物で自分の心を慰めようとしたり、ペットで心を癒そうとしたりもします。

そう、人間って、男性と女性が互いに好きになっても、多くの場合で次第に自分の欲望が湧き上がって来てしまい、我慢するべきを、我慢できずに、自己主張し過ぎて喧嘩別れになったりもします。

 

人の心は、ともすれば非常に変わり易いですね。

好きで好んで愛した物、人を、すぐさまに、また、次の物や人を欲しがるのですからね。

あれが嫌だとか、これが嫌いだからとか、一方で、あれが欲しいとか、これが欲しいとか、常に、人々は眼前の物事や現象や異性を好きになったりして、欲望だけで生きて生活をしています。

格別に、人間世界全体においては、金銭に絡んだ状況で<物事が動いて>います。

小さな地球上で、人間の欲望は限りなく肥大化しています。

 

結婚しても、すぐに離婚したりなども、現代社会では随分と頻度が増えていますね。

何度も繰り返して言いますが、地球上の国々でさえ政治家や実業家などが、仲良くしているかと思えば、直ぐに喧嘩をして離れたりもします。

経済状況もよく喜んで発展していた積りの国が、ある日、突然にバブルが弾けて不景気と不況社会を来たして、世間の動きも取れなくなっている場合もありますね。

現実の、話ですよ。

 

食べ物に余分な物を入れて、他者に金銭で売って食べさせる人たちも居ます。

また、期限切れの品物を、偽ってしまい、期限は大丈夫だから、安心してお食事をして下さい、などと人間の一部の人々ですが、こんな事を現実にやっています。

最近は、こんな記事が新聞やマスコミで頻繁に取り上げられています。

愚かな事件が、続きます。

「人の心は、一念三千」とも表現されています。

{煩悩}を知り、自分の心を操作できる{人}が気楽です。