<<人間の犯罪>>他殺(2)

2011 年 8 月 3 日

 配偶者が他殺の相手になる場合も、ありますね。

そう、多くの場合で、配偶者の一方が「「異性」」との問題がある場合などに起こります。

また、珍しい方に入るでしょうが、子育ての問題で夫婦喧嘩も沢山とあります。

 一番に多いのは、矢張り、「「異性関係」」の問題からの「「犯罪」」が多いですよね。

奥さんの犯罪、奥さんが主人の死亡に絡んでいる場合が最近は増えているみたいです。

主人が奥さんを殺害する場合、そんな場合もありますが、とにかく、昨今では、奥さんが他の男性と仲良くなって、主人を殺害の場合が多いでしょう、・・・・・。

 

 「「異性関係」」は、何処の国々でも沢山の数があり、「「殺人」」に絡む事は全体の数からすれば少なくないでしょう。

奥さんが殺人の場合では、他の男性が「「殺人」」に絡む場合も多いですね。

奥さんと他の女性とが一緒になって「「殺人」」に絡んでいる場合もあります。

生命保険なども絡む場合があるでしょうが{{浮気}}などの「「異性関係」」の間で起こることもあります。

直接に、配偶者同士の「「殺人」」で、生命保険の目当てだけで、金銭が入って来るからとのケ―スもありますが、比較的犯罪が明るみに出やすいので、大変なこともあるでしょう。

 

 「「異性関係」」とは問題が無くて、互いの配偶者が<会話や行動にしても、足並み>が揃わずに問題が大きくなる場合もあるでしょう。

しかしながら、「「殺人」」にまで至る事は少ないでしょう。

人間の「「愛」」と「「恋」」などの{{こころ}}など、簡単に壊れてしまうのは結婚した人間には誰もが了解できるのではありませんか。

 夫婦の家庭生活も「「恋心」」は結婚して簡単に消失して行きますから、少なくも「「愛の心」」だけは育てて欲しいものです。

人間の欲望の一つですが、「「性欲」」なんて本当に怖いです。

「「愛」」と「「恋」」は、普通では、{{性欲に絡んだ欲望}}が普通でしょう。

こんなに燃えた真剣な{{こころ}}が容易く消えて行くのですから、本当に悲しいものですよ。

 

 人間の{{こころ}}って、そんなにも、目茶目茶ですね。

真面目に真剣に生きている積もりなのですが、「「五欲」」を求めて限りなく燃え続けるのが、人の{{定め}}かも知れません。

「「出世欲」」だけでも大変な問題を起してしまうものです。

 俺が、私が、誰よりも、一番になりたいなどと、人間は考えます。

普通であれば、配偶者が一人で十分と思われますが、案外と他所に、或いは、同所に{{愛人}}が居るものです。

時には、複数の愛人を抱えて有名人で仕事をしている場合もあります。

<<人間の犯罪>>他殺(1)

2011 年 8 月 1 日

親殺しについては、少しながら記載して来ました。

今回は、もう少し広く見つめて「「他殺」」について述べてみましょう。

 

他殺についても、色々なケ―スがあります。

 配偶者を・・・・。

    奥さんを・・・。

    主人を・・・・。

 自分の親を・・・。

    母親を・・・。

    父親を・・・・。

 祖父母を・・・。

    祖母を・・・。

    祖父を・・・。

 自分の子供を・・・。

⑦ 赤ちゃんのケ―ス・・・。

    幼児のケ―ス・・・。

   思春期のケ―ス・・・。

    成人のケ―ス・・・。

 色々様々な直接に関係のある場合・・・。

    知人を・・・・。

    無知の相手・・・。

    勤務先関係・・・上司や下司や同僚。

   親戚関係・・・。

   多数人を他殺(面識者)・・・。

  多数人を他殺(面識の無い相手)・・・。

     無差別殺人・・・・。

    戦争殺人・・・。

 

上記などの、色々様々な人殺しが有ります。

 少し角度を変えます。

    会話で殺す、色々な会話・・会話の形や色や音程やアクセント、ト―ン、

    黙も会話です。

    行動で殺す、色々な行動・・手や足や体や全体の体動や動き方、体動にも種類や形、動かないのも体動(他者にはストレスになる場合がある)になるでしょう。

    {{こころ}}で殺す、・・全部が「会話」か「行動」になって現れているでしょう。

    人間が一人の場合や少数や多数の場合、などがあります・・・こんな場合も会話と行動と{{こころ}}が入って来ますが、学校での「いじめ」と「自殺」なども、多数です。

<<不透明な道>>不透明な道(22)

2011 年 7 月 28 日

 此の世に誕生した以上は、人は誰も、一人で此の世を生きる事は出来ません。

自分にとって都合の良い人間にばかり出会って、生きる事ができるか、どうかでしょう。

人間の悪い癖って言うか、常に、自分は正しい道を歩いていると錯覚して生きていますよ。

 

 悪い人が、愚かな人が、全く善人の面は見えないのに、又、本当に悪人が、私は真面目な人間だと自負している人達の、悲しい事実ですね。

そんな人達は、自分以外の他者を非難して<立腹>します。

<腹を立てて、不満や不平を持つ人達>が、真実に真面目な人達でしょうか。

それにも関わらず、自分達は真面目だと<自惚れて>いますよ。

真面目な道を歩いていない人達が、真面目な道を歩いていると思うのですから、彼等には人生を理解できておらず、所詮、人生の{不透明な道}を歩いているのです。

 

 父母の「因縁」で誕生して来たのですが、どんな父母かも誕生した赤ちゃんには父母を選ぶ権利も何も持たされていなかったのですからね。

誕生するにつけても、数億の生存競争の中から誕生して来たのですから{奇跡}でしょう。

{母親の胎内}に宿ってからも、誕生して来るか、来ないかも、全く不透明な過程でしょう。

親が金持ちか、社会的に地位や名誉やお金持ちだったかは、誕生して来る赤ちゃんには、何も選べません。

 

 新生児~乳児~学童~~~~思春期~~~・・までの過程を通して、どんな出来事、どんな人間関係などを体験させられるかも、全く不透明ですね。

思春期までには、人の人格は完成されます。

勿論、その後の不確定な出来事によって少しは人格は変化もするでしょうが・・・・。

 

 愛と恋、色々な異性との出会いも有ります。

恋愛体験から、大きな外傷体験を引きずったまま一生を過ごす人達もいます。

一方で、理想的な恋愛体験だけを体験して、一生を幸福に生きる人達も居るでしょうが、果たして、そうでしょうか???。

どんなに愛し合って、恋し合って、男女が結婚しても、やがては、倦怠期も来るでしょう。

むしろ、当方では、そんな倦怠期をも迎えない夫婦生活が一番に理想的だと信じていますが・・・。

 

 人間の心の奥底に座している{{エゴ}}の心は、簡単に変える事は出来ませんし、現在の心は、全てが、過去の心に裏打ちされていますので、大変な問題もあります。

愛して恋した二人なのに、気づかないうちに、二人の間にでさえ<心の葛藤は>生じて来ます。

何処かの国では、{結婚}は人生での最大の「ストレス」と言うくらいですからね。

夫婦だけを、経過観察しても、不思議な{不透明な道}が線路の上を走るように設定されているくらいですから、己の心を知る「・・心理療法」が重要です。

<<不透明な道>>不透明な道(21)

2011 年 7 月 27 日

 殆どの人達は、<死なない>と仮定して日常生活をしています。

「死」を受け入れて、何時も心に留めておく方が人生を気楽に生きる事ができます。

それでも、元気な間に自分の「死」を納得して下さいと伝えても、あまりにも無理があるものと、思われます。

 誕生してから、自分の未来を自分の希望通りに出来れば、良いでしょうが、全くと人生は<自分の予期しない事柄>ばかりが起こります。

自分の未来で、何歳で<どんな人間>、地位や名誉や金銭なども、自分の希望したようにはなりません。

自分の理想とする恋人にも、巡り会えないままで終わる場合もあります。

 

 いや、それよりも、胎内で死亡、誕生後にすぐに死亡、乳児で死亡、幼児で死亡、学童時に死亡、思春期に死亡、~~~~何歳で自分の{死神}が自分を襲ってくるか、知ったものではありません。

 自分の人生を生きる事で、どれほど、楽しい思いをして幸福に生きるか、悲しい思いをして生きるか、分かりません。

楽しい思いや幸せで生きている積りでも、何時のこと、外的条件で自分の生命を失うかも分からないのです。

運が良くて、高齢者にまでなっても生きていれば、色々な病気にもなり易いし、自分が{どんな病気に襲われて}、{どんな病気で生命を落とす}かも知る事は出来ません。

 

 どんなに、金銭、名誉、地位を得て有名になって<喜んだ積もり>でいても、自分の終末と終焉を知った時は、悲しくなって気分は落ち込むでしょう。

唯、唯、何人も、これで自分の生命が終わるのだと、体で理解できた時には、一瞬であっても<<嬉しく、至高体験>>を味わう人たちが案外と多いようです。

 本当に、自分が此の世を去ってゆく数時間前とか、1日前とか、直前とか、{涅槃の気持ち}になる人達も案外と、よく見られます。

そう、一瞬でも、自分の過去を振り返った時には、尚更に、これから死んで行く人達には、本当に<幸せ>感じますね。

「死」の直前 に至るまでに、沢山の様々の苦痛と孤独を<<受容しなければならない>のが、大変なのです。

 

 人生が、何人にとっても、不確定、不確実、不透明です。

明確に生きている積もりの人達が、沢山と見受けられますが、人生の全体像については、皆さんが勉強しないままで、{{煩悩}}のみを使って生きるので大変です。

 自分の人生は、こうあるべきだ、なんて考えて決定して生きる事をしない方が良いですよ。

不確実な世界、{不透明な道}を生きる事しかないので!!!、

自分の生命が不透明な故に、逆に、常日頃から、精進をして可能な限りの努力をしなければなりません。

「インタ―ネット心理療法」の体験で、理解できますよ。

<<不透明な道>>不透明な道(20)

2011 年 7 月 26 日

 さて、あまり難しい話を続けても皆さんが理解するのに大変ですね。

最終稿として、一番に分かり易い<<話>>にしておきます。

 人々の間で、時折、話題になります。

自分が何歳で、死ぬるのか知る事が出来れば、生きているのも<気楽>になるのだが、なんて言う人達もいますが、話で<こんな台詞を言う>だけで、本当は、死が怖いのです。

こんな台詞を言った後には、直ぐに、また、自分の思いを変えます。

だって、人間にとって、最大に恐怖なのは、{{自分の死}}なのです。

 

 人は、自分が何歳で自分の生命を終わりたい、などと呟いたところで、自分の{{生命の長短}}については、此の世の誰一人も決定できる人は居ません。

(人間が作り上げた・・・・・・・)神や仏さえも、偶像と言っておきたいですが、自分の生命の終末の日時と時間を教えてくれません。

 いや、教えると言うよりも、100%の事、そんな人の終末の日時と時間なんて分かりっこないです。

自分の終末の時が分かれば、なんて言って偉そうな事を言っても、人間は駄目ですよ。

皆が、自分の「死」に対して恐怖で、慄いて悲しみながら苦しみながら、生命の{終焉}を迎えるようになっています。

人によっては、「死」の話しをするのを忌避するし、話題にも耳を傾けないです。

 

 本来的には、誕生した以上は、自分の「死」を避ける事は、絶対に出来ません。

そうであるからには、人間の「死」、自分の終焉である「死」を受け止めて生きると、それなりに、より良い人生を生きる事ができます。

また、それが出来れば、今の自分よりも、更に、エネルギッシュな{自分}に人格を改造できるものです。

 でも、難しいですね、体で己の「死」を悟るのは難しい!!!。

何歳で、死にましょう、なんて言っても当たらないですからね。

自殺するのであれば、日時も時間も決める事は出来ますが、こんな考え方も誕生の時から考えている訳ありませんから、途中で、その人の予定していない{不透明な道}を歩く事になってしまったのです。

 

 こんな考えは、{人間社会とは、何??}、{己とは何??}

{自分の命とは、何??}、など、真実の自己&真実の自己の心を自己探求していないから、突然に<悲しい考え方>になってしまいます。

 人生を<透明に生きよう>と考えても、どんなに人生を悟っても、自分の{死期・死の日時}は、不透明です。

故に、{不透明な道}・{不透明な人生}・{不透明な世界}だと、逆に、納得して、全てを受け入れると、楽しい人生となりますが、これが、「インタ―ネット心理療法」の世界です。

人生が最高に嬉しく、楽しくなるでしょう。