<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群2・・・悩まないために

2011 年 9 月 8 日

 前回に、「「四苦八苦」」などと、言いましたが、これらについても{{からだ}}と{{こころ}}と関係しているのです。

当方が詳しく説明しても、多分に、皆様方は、何で???なんて言われるでしょう。

「「四苦八苦」」・・・小さく記載しますと、「生」、「老」、「病」、「死」などと言いまして、これが「「四苦」」です。

 

  「「生」」・・生きとし生けるものは、全てのものは、時間とともに滅して消えて行くのだと、考えても、そんな自分の現実を受け入れる事は不可能でしょう。

人間の「「命」」とは、そんなものですが、ね・・・。

どんなに、自分は此の世に{{未練}}を残して、まだまだ生きていたいと考えても駄目なものです。

だから、病気で死亡して逝く場合、最近では、家族や知人や見知らぬ人の「「臓器」」を戴いて生きていたいと考える方達も沢山と居ます。

{{臓器提供}}の話に、なってしまいますが・・・。

そこまで望んでも、どうにもならない、絶対に不可能の場合が沢山と有ります。

 

 「「生」」、人間のみならず生物の「生」は一度限りのものです。

同じような物が出て来ても、現実には、全てが違うものです。

子供や、或いは、他人が、誰かの身になって「「命」」を手助けしたいと考えても不可能です。

本当に真実に、「「身代わり不可症候群」」の状況です。

「「生」」でさえ、誰かと入れ替わるのは、不可能ですね。

唯、一度の人生であり、「「生」」だけでなくて、「「脳実質」」でさえ入れ替えは不可能です。

そう、一部の{{からだ}}でさえ、「「身代わり不可」」です。

 

 当然の人間の「「生」」についてです、ね。

何気なく、あまり関心を持たずに、人間は自分の人生を生きています。

悲しいとか苦しいとか、或いは、喜んだり哀しんだり、その時に応じて人間は{{からだ}}と{{こころ}}を使いながら生きています。

日常生活でも、全然と、自分の生き様についてさえも考えません。

自分は、真面目な人間か、不真面目な人間か、他者から喜んでもらえる人間であるかを、きづかないままで生きているのです。

 

 {{臓器提供}}はさておいて、人生の「「生」」は、今の時間だけですからね。

誰も皆が、此の世に誕生した以上では、人間は、ある意味では、あまり変わらない人生の道を歩いているとも言えます。

「「生」」・・・きっと、二度とない人生ですから、大切にして生きる事です。

「「生」」・・・「「生」」・・・誕生した以上では、皆が同じ時間しか持つ事ができませんから、確認しておいて下さいませ。  

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群1・・・悩まないために

2011 年 9 月 5 日

 人間社会には、沢山の病気の人達が居られます。

人間に付き纏うものは、「「四苦八苦」」と言いまして、殆どの人達は{{こころ}}の勉強をしないままで、悩みながら苦しみながら生きているのが、現状でしょう。

 何故、悩むかです、ね。

だが、これは、後回しにしまして、最初は、人間には{{からだ}}と{{こころ}}の両方が有ります。

いずれにしても、人間は、如何に偉そうに賢そうに「「自惚れて」」も、やがては、必ず、自分の思う通りにはならない「「時間」」が訪れて来ます。

 

 先ずは、{{体}}について、人間の寿命ですね、日本と各世界の国々では「「平均寿命」」も違います。

これは、「「平均寿命」」が長いからと言って、あまり自国の「「誇り」」と思うものでもありません。

 何故でしょうか、ね。

そうです、国々の財政&経済状態とも「「平均寿命」」は少なからず関連してきますから。

人間の体は、何歳で使い物にならなくなってしまうのか、幼い時に決定できません。

面白いです。

一人の人間を、強固に医学管理をすれば、105歳や110歳まで生きる事が可能かどうかでしょう。

 

 絶対に、人間の「「寿命」」を、外側から決定的な管理をできないのです。

自分の「「生命」」は、自分の「「生命」」であって、他人と入れ替わる事は出来ません。

それこそ、「「身代わり不可症候群」」であります。

相手の方が、大事な人で、今、死ぬ状況にあるので、自分が入れ替わってあげたいと考えても、100%不可能です。

 「「身代わり不可」」です、ね。

肉体的には、100%不可能です。

だが、肉体的にも、他者と気持ちだけは「「身代わり可能」」の場合もあります。

これが出来れば、自分の悩みや苦しみも、少なくなる筈です。

 

 時には、自分の尊敬する人とか、自分の子供とか、或いは、自分の親とかですね、「「死に別れ」」とか「「生き別れ」」などが有ります。

「「生き別れ」」でさえ、随分と悩んだり哀しんだりする「「機」」も有ります。

 人間は、一人では孤独ですから、いつも誰かと一緒にいたいのが本質的な「「欲望」」でしょうからね。

何事も恵まれた状況では、全てに対して、人間は自分の「「欲望」を満足させたいものです。

此の世では、肉体的には、絶対に不可能な「「身代わり不可」」でさえ、希望する場合もあります。

{{こころ}}の「「身代わり不可症候群」」について、すこしずつ記載しましょう。

<<人間の犯罪>>他殺(10)

2011 年 8 月 29 日

 9.で記載したように、「「他殺」」などを起すと、後々に、心身の大変な{{重荷}}を担ぐ事になると伝えたかったのです。

多くの人達は、悩みを抱えて生きているのですが、自分には{{何も悩み}}は無いと自己主張するのです。

だが、面白いもので、多くの人達は、自分を中心にして{{外側を見て}}生きています。

少数の人達が自分の{{内側のこころ}}を見て、他者を救うと言う言葉が有ります。

 

 私には、自分の{{こころ}}に悩みは無いと訴えていても、「「潜在意識」」や「「無意識」」に悩みを持っていますと、突然に、{{こころ}}の底の「「葛藤」」が沸き上がって来まして、現在の{{こころ}}の状況を混乱させる場合もあります。

そのために、案外と{{こころ}の静かな人達が大変な「「事件」」や「「犯罪」」を起したなどの場合もあります。

当方から見ていますと、あまり、喋り過ぎの人達も困ります。

だが、怖いのは、普段は静かな人間だと言われている人達の方が怖いものです。

 

 「「もの言わぬは 腹ふくるる」」と言う言葉が有りますが、本当に言葉が少ない人達は、自分が周囲の方達に如何に喋るかを、案外と悩んでいるのです。

このような人達の{{こころ}}を矯正するのは、簡単なのですが、「「心理療法」」に誘導するまでが、大変と難しいものです。

「「不満」」や「「不平」」や「「恨み」」を沢山と抱えているのに、自分は真面目な人間だと錯覚しているのですから、大きな誤解ですね。

マスコミですか、新聞やテレビを見ていても、真面目な人、おとなしい人が、どうして大それた「「事件」」や「「犯罪」」を起すのかと、しばしばと報道されています。

 

 自分の人生を生きるのに、最大に大切なのは、自分の{{こころ}}なのです。

面白いのは、他人の{{行動}}は、何故、何故、だと言うのに、自分のこころは誰にも見えませんですね。

多くの人達は、自分の{{こころ}}は良く分かるが、他人の{{こころ}}が読めないと言います。

本当は、反対の言葉なのですが・・。

自分の{{こころ}}、自分の「「潜在意識」」と「「無意識」」が見えている方達でないと、他人の{{言葉}}・{{行動}}・{{こころ}}は読めないものです。

 

 まあ、あまり、ここで難しい話を続けるのも大変でしょうから、最後に、簡単に話をしておきましょう。

「「因縁」」→「「宿命」」→「「運命」」→「「天命」」の通りに、人間は生きているのですが、また、そんな意味も分かりません。

人間の一生を理解できる人でないと、必ず、「「不満」」や「「不平」」がでます。

誰もが、パニック状態になって、「「事件」」や「「犯罪」」や「「異常行動」」を起こす可能性は有りますので、悩まない人間になっておくべきでしょう。 

<<人間の犯罪>>他殺(9)

2011 年 8 月 25 日

 自分の{{こころ}}に悩みを抱えていない人達は、絶対に「「他殺」」などは致しません。

また、勿論の事、「「自殺」」もしないのですが!!!。

「「他殺」」などが起こると、必ず、大きな犯罪ですから、逮捕状が出まして、警察から捜査を受けます。

時に、誰が行なったのか、誰が事件を起こしたのか、不確定のために{{迷宮入り}}の事件となる場合もあります。

多くの場合が、逮捕状などが出たりして、捜索されて、犯人が捕まったりします。

 

 警察の捜索活動は大変なものです。

また、その後の、検察庁の方々の御苦労も有るみたいです。

「「他殺」」で犯人が捕まりますと、その後が、また、大変ですね。

必ず、裁判になりますし、弁護士がつきます。

留置場生活でさえ、本当に大変ですね。

留置場生活では、自分の思った事や好きな事などが、全く出来ません。

留置場生活では、また、心身の症状が沢山と出て来ます。

 

 多くの留置場に入っている方達は、不眠や体の症状が出たりで、当人達が心身の症状を訴えれば、放置しておくのもできないので、留置場の警察の人達も苦労します。

暫くは、留置場に入っている人達が、全く自白しないのであれば、それだけ、留置場の生活も長くなるようです。

その後に、拘置所に居場所が変わっていきます。

捕えられた人達が絶対に自分を{{犯人}}だと認めた時は、少しながら彼らの様子が変わってきます。

 

 裁判にても、唯、唯、警察官と検察庁の人達が期待するようには、なかなかと{{筋道}}が伸展しません。

明確な「「証拠」」が無ければ、裁判で上手く事を運ぶ事が出来ないのです。

最近ですが、現実に有った事柄ですが、検察庁の人達が、自分達で間違った{{筋道}}を組み立てて、無理やりに犯人に仕立て上げる場合もあるみたいです。

それは、それとしておいて、事件&犯罪の犯人と決定するには、自白だけでは簡単に決断が出来ない場合もあるようです。

 

 そう、最近では、証拠物件として、DNAなどの遺伝子を証拠品として決定するのが必要な場合も多くあるみたいです。

世の中の流れって、本当に大変です。

「「他殺」」の犯人でもないのに、犯人にされて長年月間も身動きできない状況で拘置所、いや、刑務所に入れられたままの場合もあります。

周囲の現場の取調べで、{{犯人}}と断定できる場合もありますが、後々になって、私は行なっていないと主張し、弁護士も間に入ってから、長引いている人達も居ます。

<<人間の犯罪>>他殺(8)

2011 年 8 月 23 日

 しばしば、裁判などにて、殺人の気持ちがあったのか、無かったのか、などなどの報告がなされています。

殺人の意識なき{{こころ}}には、殺人は起こりえないものです。

例えば、精神病にても、病気によっては、見ない他者や見えない何者かによる命令を受けたとか、「「幻覚」」や「「幻聴」」にしても、また、「「妄想」」にしても、それを理由に、だから、他殺の気持ちは無かったのだと言ってしまえば、こんな判断も恐ろしいものです。

 

 勿論、薬を服用していれば、このような{{事件}}は起こらなかったと言う場合もあるでしょう。

では、この人達の管理を、誰がするかでもあるでしょう。

家族、子供の病気の場合や、配偶者や親の病気の場合もあるでしょう。

病気の人達が絶対に、薬を服用しないと言ったばあいなどは、どうするのでしょう。

当人が、薬を服用しないと言ったら、そんなに簡単に薬の内服が上手くいくものでもありません。

 

 薬を絶対に服用しないと、絶対に駄目な人達が居るのです。

そのような人達が、薬を服用しないで、或いは、病院に罹っていないでも、親達が病院に行くように勧めても、言われた言葉を素直に受け止めない人達も沢山と居ます。

そんな彼等が、「「他殺」」をおこした場合には、周囲は如何なる対応をするのでしょうか。

「「他殺」」に関わる裁判の判定は、確かに、本当に難しいでしょう。

援護するか、援護しないかですがね。

また、「「裁判」」で、刑罰を軽くした場合では、次回には、また、同じ様な「「犯罪」」を繰り返す場合もあります。

 

 特別な精神病でない人達でも、沢山と同じ様な「「犯罪」」を繰り返すものですからね。

「「事件」」や「「犯罪」」を起した人達は、必ず、「「懺悔」」が出来ていないと、同じ事柄を繰り返す場合が多いでしょう。

「「懺悔」なんて言いますと、人間は案外と、この言葉を嫌いだと思いますが、当方は、人間にとって、一番に大事なものは「「懺悔」」だと考えています。

私は、{{こころ}}が正常だから、「「心理療法」」なんかを受ける必要は無いと思っている方達でも、「「懺悔」」は必要なものです。

{{体験}}をしてみないと、理解できないでしょうがね。

 

 {{心}}の病気でも、{{体}}の病気でも、「「懺悔」」だけは本当に大事なものです。

自分は、真面目な人間だと思っている人達でも、少しの問題が起こるだけでも、瞬間的に人間の{{心}}は、変化するものです。

一般的に、「「懺悔」」できている人達であれば、「「他殺」」などの凶悪な事件などは起こさないでしょう

自分の{{考え方}}は間違っていると自覚できる人達は、幸せな人達です。