<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群7・・・悩まないために

2011 年 9 月 20 日

 多くの人達は、自分を中心にして、俗世間を生きるものです。

自分が、一番に大切なのです。

「「自尊心」」と言う、言葉が有ります。

私が、あまり好きでない言葉です。

何故かですね、読んで字の如し、です。

自分を尊重する「「癖」」だけは、持たない方が良いでしょう。

 

 自分を尊重するよりも、他者を尊重する気持ちを持つ事ですよ。

出来るだけ他者を尊重するよう、努力する、出来ないものは、恐縮です、などと、{{こころ}}の底から考える事なのです。

他者へ「「真心」」で、何かをしてあげる事、自分の出来る範囲の事をしてあげるのですから、出来なかったら、御免なさいと誤れば良いでしょう。

また、自分を一番に大切にすると、必ず、無理が生じるものです。

人間世界を生きるのに、自分が最高に「得」をするなんてありません。

出る釘は、打たれるものです。

自分が、必ず、損をする場合も有ります。

 

 そう、自分の周囲や、未だ、知らない人達の事柄も考えるのです。

立場を変える事でしょう。

相手の立場に立って、考える能力と力量を持つ事なのです。

相手の立場から、自分の立場を観察できるようになりますと、立派な人になるでしょう。

此の世を生きるのに、悩み苦しむ人達は、自分の事を一番に考えて「「得」」をしたいから、悲しい思いをする事になります。

自分を中心に、他人が回ってくれる筈もありません。

自分を中心に、太陽が回ってくれる筈もありません。

 

 とにかく、自分が脇役で生きられる事が、最大に重要でしょう。

だが、現実に、自分が楽しく生きる、{{こころ}}の葛藤を持たないで生きる{{策}}を教えても、なかなか人間は{{助言}}を貰っても、頭の中を通り過ぎてしまいます。

自分の体に染み付いていないので、矢張り、自分の考えを中心にして生きる事を考えます。

他者を尊敬する事が、大事ですが、多くの場合で、他者の悪口を言っても当然だと思う人達が多いです。

 

 自分を考えてから、「「私は、駄目な阿呆な愚かな、そして、悪人だと認める事」」ですね。

悩まない人間、になれますよ。

自分が駄目人間だと、簡単に、自分を卑下するのではないのです。

自分は本当に真実に「「愚かな人間」」だと認めると、他者からどんな{{悪口}}を言われても、立腹する必要も無いし、悩まない筈です。

相手の気持ちを考える事、これが「「身代わり不可症候群」」でしょう。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群6・・・悩まないために

2011 年 9 月 16 日

 今は、少し夫婦別姓の話をしましたが、夫婦別姓などと言うよりも、子供の名前の中にですね、父親と母親の名前を一緒に取り込んで名前をつければ、問題は少ないでしょう。

でも、最初の子供達は、簡単にそれで良いと考えますが、夫婦別姓で何代も家族が子供達へ受け継がれて来た場合には、名前の「付け方」も難しくなるのかとも、思われます。

でも、本来的に、「「結婚」」の際に、夫婦のどちらの名前にそろえるかを、両者で夫婦で決定しておけば、それで良いだろうと思います。

 

 「「結婚」」にて、女性が、私の名前、私の「「姓」」にしないと結婚しないと言うのであれば、その時は、男性がそれで{{良い}}かどうかを考えれば良いでしょう。

互いに、何処かで{{納得}}して過ごすのが、結婚生活でしょう。

家庭の中で、互いが、自分の支配下に家族生活を運ぼうと思えば、必ずや、無理な面が出て来るでしょう。

現実に、北欧の国でも離婚が、80%を越える国も有るようです。

夫婦別姓でしょうが、離婚した後も、また、結婚生活をしている方達が多いみたいです。

それで、彼等が幸せだと言うのであれば、本当に{{幸福}}なのでしょう。

子供達は、そのような親を見て、育ちます。

 

 異性同士で、適当に、好いた、惚れたと、言いあって結ばれる事が良いのか悪いのか、これは、どのくらいに、「「事件」」や「「犯罪」」などが起こるか、起こらないのか、また、「「自殺率」」なども、明確に判定していかないと、明確な答えは出せません。

子供達の「「事件」」や「「犯罪」」なども、神経症、うつ病、心身症、なども含めて考える必要があるでしょう。

勿論、フリーター、ニート、なども含めて、世界のホームレスの人数なども、数える必要があるのでは、ないでしょうか。

 

 当方は、親への「「恩」」と「「感謝」」を感じる能力のある人達は、決して{{無様な生活}}はしないでしょうし、{{心}}の関係した病気にもなりにくいものだと、考えていますが、この事については、随分と長い間にわたり、「「心理療法」」に関わっていないと理解できないのかも知れません。

自分の親への「「恩」」と「「感謝」」を{{体*}}で感じる能力のある人達は、決して、自分の{{こころ}}を無駄にしないでしょう。

 

 親が、母も父も、自分の子供達に対して{{育てる能力}}を如何ほど持っているのかが、大切であり、親が子供と「「身代わり」」が必要で、「「身代わり不可症候群」」では駄目です。

子供は、親のロボットではありません。

だから、親が、子供達をどのくらい上手く育てることができるかどうかが、子供達の{{幸福}}に繋がるし、また、これが、親達の幸せにも繋がります。

どうぞ、親達が子供達を自分勝手に育てると、どんなに「「金銭」」や「「名誉」」を持っていても、駄目な子供、駄目な人間になるでしょう。  

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群5・・・悩まないために

2011 年 9 月 15 日

 人間は、本当に「「自己中心的考え」」を持つ生物ですからね。

相手の気持ちを少しでも考慮できる人間であれば、あまり悩まないで人間世界を生きる事ができるのです。

俗世間で生きるためには、少しは自己中心的な考え方でないと、生きるのに苦労をします。

それは、間違いありません。

だが、あまりにも、そんな考え方が表に強く出て来ると、周囲の誰もが自分を相手にしてくれません。

 

 世の中を自分一人で生きる事なんか出来ませんので、時折にでも、他者の気持ちを考えてあげましょう。

そう、自分の子供達が居る場合であれば、親であれば、自分の子供達の{{こころ}}をしっかりと考慮しまして、子供達が一番に希望している事柄は「「何」」なのか、なども考えてあげるべきです。

ともすれば、親は親の考え方しか持たないのです((そこには、自分の親からの「「超自我」」が働いています))から、注意が重要です。

 

 親は自分の意志で「「子育て」」をしている積もりなのです。

ですが、現実には、子供が大きくなった時に「「苦労しない」」ようにと一生懸命に考えています。

そのような常識の{{こころ}}だと皆は思っていますが、なかなかと、親は自分の子供が成長したら「「賢い、偉い、有能な人」」になって欲しいと思っています。

何度も繰り返して話しますが、「「超自我」にだけは、親も注意が必要です。

 

 「「子育て」」においても、子供を誕生させただけで、一切と「「子育て放棄」」をしている親も見かけます。

一部の達は、自分の好き放題で自分勝手に生きるだけで、食事さえ食べさせれば、それで良いと考えているのです。

恐ろしいです、・・・子育てに全く関心を持たないで自分の好き放題に夫とも別れて次の男性と一緒に住んでいる人達も多いです。

男性が、子供を引きとって育てる場合の方が、少ないですね。

 

 こんな子供達が真面目に育つかと、問われれば、大変に難しいです。

日本の国の全体像が、まだまだ、離婚が当たり前の世界にはなっていませんから、ね。

当方、「「夫婦別姓」」を100%駄目だと言う積もりはありませんが、でも、そんなにしますと、暫くの間は、良く言いますが「「過渡期」」ですね、日本の国でも歪な子供達が増えるでしょう。

そう、自分の名前を母親の、或いは、父親の、どちらの「「姓」」にするのか、などと子供達は大変に悩みます、どちらの「「姓」」にするかで、ですね。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群4・・・悩まないために

2011 年 9 月 13 日

 此の世に誕生してから、多くの場合では、母親から育てられます。

勿論、母親も父親も居ない場合もあります。

子供が出来たら、直後から、去って行く両親も居るものです。

また、父親が居なかったり、母親が居なかったりと、色々な場合が有ります。

そんな子供達は、確かに、自分のル―ツが不明確なので、常に{{こころ}}は不安に晒されます。

 

 何で、親の代わりに自分を育ててくれた人に感謝をすれば良いのではないかと、思う人達もいます。

だが、人間の{{こころ}}はそんなに簡単なものではありません。

自分を此の世に誕生させた{{親}}の顔を知らないと、随分と悲しい思いをするものです。

そんな悲しい思いが、「「無意識」」の中に溜まりこんでしまい、離れない場合もあります。

自分で此の世に自分を誕生させた人間の顔を思い出そうと考えようとすればする程に、自分の{{こころ}}にストレスは溜まります。

 

 何度も繰り返しますが、人間は、此の世に誕生して、自分は{{天から生まれて来た、天から命を授かったものと思いたくても、なかなかと生態系に事実と異なった事を受け入れようと考えても、無理ですね・・・。

人間の「「命」」が、天から誕生する筈もありませんからね。

それでも、自分の「「誕生」」を受け入れて納得する人は、居ませんからね。

両親が、本当の母と父で、人間として誕生しても親のちょっとした「「会話」」や「「行動」」や「「こころ」」の有り方で、赤ちゃんのうちから{{両親}}に対して、「「不満」」や「「不平」」や「「悲しみ」」や「「恨み」」を溜め込んで育つ人達も居ます。

 

 この頃の「「マイナスのこころ」」が、自分が成長する過程で消えて行くのが最良なのですがね。

昨今では、親にも沢山の親の歪な{{こころ}}が有りまして、子供達は苦労もします。

親は、子供達に対して、完全なる親を演じれば最高なのですけれどね。

親には、親の自分の考え方がありまして、自分の好きなように生きる親が多いです。

子供達の立場に立って、子供の気持ちで、親の自分を見つめると、結構と簡単に自分の{{こころ}}を変更しないといけないと理解できる筈ですが???。

 

 子供は小さい間は、なかなか、親の立場にはなれません。

大きくなってから、自分の親の立場になって下さい、などと言っても、親の気持ちを理解できる子供達は少ないです。

「「心理療法」」の体験なしでは、どだい無理だと言っても間違いないでしょう。

「「身代わり不可症候群」」などの状況が続けば、本当に悲劇だけですからね。

自分の{{こころ}}を点検しながら生きる事が、凄く大切でしょう。

どうぞ、「「身代わり不可症候群」」の意味を理解して下さい。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群3・・・悩まないために

2011 年 9 月 12 日

 沢山の人達、全ての人達と言っても良いでしょう。

「「劣等感」」が自分の頭に入っていて、誰もが、自分の頭から取り除こうとしますが、消えて行かないのです。

「「劣等感」」を除去する方法を教えてあげても、理解をしてくれずに、当方の話している「「心理療法」」を体験してくれません。

 

 「「劣等感」」は、何処から来るのでしょうか・・・。

当然に、誰もが、自己中心的に自分について考えているからですよね。

皆が自分は「「良い子」」、「「良い人間」」などと考えて生きるものです。

己を捨てて、此の世を生きるのが、最高に気楽なのですが、そんな簡単な事を人間は誰しもできないのです。

常に、自分を大事に考えない事、自分以外の他者を大事に考えてあげる事も考えてあげるのです。

 

 「「欠乏欲」」を減す事は、案外と難しいですよ。

人間の一番に強いものが「「欠乏欲」」ですからね。

自分の心身の「「劣等感」」は、「「自惚れ」」や「「自己顕示欲」」などが強いと自然に悲しい惨めな{{こころ}}も湧いてきます。

相手の気持ちを常に考えることができない事、「「身代わり不可症候群」」と言って、自分以外の相手の立場にはなれない人たちで、此の世は大変ですね。

時折、人生を気楽に生きている方も居られますが、でも、そんな人達は本当に少ないです。

 

 此の世には、「「不安障害=不安神経症」」・「「パニック障害」」・「「強迫神経症」」・「「うつ病」」・「「非行」」・「「暴力」」・「「衝動買い」」・「「シンナ―依存」・「「覚醒剤依存」」・「「犯罪」」、その他の心身症まで話をしますと、こんな人達の全ては「「身代わり不可症候群」」の人達です、ね。

自分の事ばかり考えて、他者の言う言葉や行動を理解してあげる{{こころ}}を持っていません。

「「身代わり不可症候群」」の人達は、本当に大変です。

人間世界を生きるのに、確かに{{自分が一番に大切}}ですが、その大切にする程度にもよります。

 

 どうぞ、自分の周囲の人達も幸福になれるように、考えて生きる事も大切ですね。

そう、人間として此の世に誕生した以上は、好きも嫌いもありません。

嫌いでも、何とか生きるしかありません。

そして、此の世を生きるためには、誕生してから、自分以外の他者と一緒に生きる事になっています。

人間は、一人で孤独に生きる事も苦手ですね。

集団の中で、他者と気持ちを合わせて生きる事が大事です。