<<道徳>>「子育て・教師の責任」(3)

2006 年 5 月 20 日

 何事においても人の個人的問題は、厳密に心の世界をしっかりと眺めていると、その人の生い立ちが全てだと伝えても間違いないと思われる。

 最近は、子供を幼い時から託児所に預けたりしているケースがある。

人格が6歳までには或る程度でも完成するとすれば、それまでに託児所や幼稚園時代での心の問題も色々と考えなければならないだろう。

親から、幼い時期に生活の一部を離されたとすれば、その事で“親から受けた心の葛藤”、ともすれば、“心の外傷体験”となり得る場合もありそうである。

世の中の流れというものはどうしようもないのであろう。

 子供達は、親から早く離される事によって、より無意識的にでも“心の葛藤”を蓄積して行くとも考えられる。

実際に、人の一生は胎内を通して誕生から思春期までが勝負と言われるくらいである。

早熟崩壊型、晩期大成型、その中間もあるだろう。

最も、最初から駄目人間で、最後まで駄目人間で終わる場合もある。

 

 当方、人間の価値とか、価値観、などと言う話はしたくない。

どんなに沢山のお金を貯めている人に対して「幸せですか?」と問えば、100人が100人とも「幸福だ」とは返答しないであろう。

お金が溜まったが故に悩む場合もある。

お金を貯めた人でないと、その事柄については理解することが困難かも知れない。

また、名誉や地位などで人間の価値が決まるものでもないだろう。

(先天的にハンディキャップを背負い込んでいる場合は、ここでは除外して話している積もりである。)

 

 誕生したからには、何とか一人で働いて食に在り付ける人間であって欲しいものだ。

家族(夫婦)の形成によって、当然と事情は異なる場合もある。

男性が働いて女性が家族を守る。

女性が働いて男性が家族を守る。

その中間もあるだろう。

 人の心を喝破できる人間になる為には、先ずは自分の心の潜在意識と無意識までを、自分の誕生から知り尽くしておく事だ。

他人が心も体も病む時に、その人達は何かの助言が出来る。

他者にも役立つ筈である。

学校で子供達が病んでいる場合、その苦悩は何処に出発点が有るのか位は知っておいて欲しい。

教師が心の世界について知っておくべきで、子供達自身は何も知る筈もない。

子供達の親に、上手に解決法を伝えるべきである。

 

親と子供の過去の<心の和解>のみである。

<<道徳>>「子育て・教師の責任」(2)

2006 年 5 月 18 日

 教師の責任について先述したが、教師自身の心は自然に子供達へも何らかの形で伝わるものである。

教師の会話や行動などは、直接に子供達へ影響を与える。

教師が特定の人に何も話しをしないという事は、話をしないという会話(会話がないのも、黙っているという会話)であるが、其処に問題もある。

 

 学校での子育てに、どれだけ先生達が真剣に関わる事が出来るかでもある。

だが、“心の葛藤”を抱えた先生方が、本当に心の底から生徒達と向き合う事が可能であろうか・・・。

“心の葛藤”なるものを現在に抱えているとすれば、その根本的な{因}は<生い立ちの心の中の葛藤>にあり、それが現在に肥大化して自分の心を押し上げているのである。

ここでは、子供達の人格が如何に作り上げられて行くのかを知って欲しい、また、学習が必要である。

頭の中だけで学習するのではなく、自分が直接「心理療法」を受けておくべきである。

これにより子供達の心の底で動いている“心の葛藤”を喝破出来る先生になれるであろう。

子供達の心の底を見抜く事が出来なければ、先生方にストレスは溜まって行く。

 

 学校での生徒達の、いじめ、非行、登校拒否、過食や拒食、各種神経症、うつ病・・・などが増えている。

生徒達もそうであるが、若い先生方も結構と、拒食や不安神経症、うつ病、対人恐怖・・・などにて休職している人達が沢山といる様である。

比較的高年齢になってくれば、うつ病者なども増えて来ている。

全ての人達、老いも若きも悩み苦しむ人達の援助や加療について、薬だけで治療する事は100%間違っていると考えている。

 

「悩まない人」にしてあげる事であろう。

 

 自分の眼前に何事が起こっても悩まなければ、心身症、神経症、うつ病、ドラッグアディクション(薬物依存)などにはならない筈である。

唯、唯、長年月に渡り「心理療法」に関わって来た結果、如何なる立派な心理療法、心理士であろうとも、悩める人達があまりにも人格水準が低い場合、(人格水準は、学問が出来る・出来ないには関係が無い・・・)一対一の心理療法で完全回復に至らせる事が不可能である場合も多々ある事実だけは、一般の皆様にも知っておいて欲しい。

 ある意味、人間の心身症や神経症やうつ病などは、突き詰めて考えてみると<家族の病>でもある。

当人が誕生してからの“人格形成”の問題であるから・・・・・。

実際に、悩める人や病人の「心理療法」では、家族と一緒に「心理療法」をする事で最大の効果がある。

 

“偽りの無い事実”である事を断言しておきたい。

医師も心理士も弁護士も政治家も警察関係者も教育関係者も・・・、この事については理解しておいて欲しいと考える。

 

教師の“心の葛藤”で自分自身が、また、生徒も傷つかないで欲しい。

<<道徳>>「子育て・教師の責任」(1)

2006 年 5 月 16 日

 子育てに関して、根本的には親の責任だと当方では<信じて>いる。

だが、教師も「親」から育てられている。

“教師の親にも問題がある”と伝えたいのである。

 

 学校で生徒達の異常会話・異常行動・異常な心などについて<気がかりになった>時は、教師として如何に判断をするべきかであろう。

先生が立派で生徒から常に尊敬されていれば、先生の言った通りに行動する生徒達もいる。

そんな素晴らしい先生方も居られる。

立派な先生だと、当方からも尊敬の念を申し上げる。

しかし、生徒に向かって{絶対に言ってならない言葉を投げかける先生}も居る。

絶対に言ってはならない言葉を生徒に投げておいて、その先生は“自分の考えている事は間違い無い”と思っている。

周りの生徒達がどれ程迷惑を受けているか、言葉を投げかけた先生は全く気づいていないから大変な事である。

時には、子供達の一生を駄目にする場合がある。

 

 最近は、全国で教職員の先生方が沢山休職されているとマスコミで報道している。

生徒に向かってマイナスになる言葉を投げかけたり、体罰をする先生は、必ず自分の心の中に<劣等感>が居座っているであろう。

勿論程度の差もあり、先生方も言葉と行動で生徒達に教えなければならない場合もあろうが・・・・・。

 

 ここで、何を申し上げたかったか、である。

先生方も“真実の自己”、己をしっかりと知っておかないと生徒達の心を見抜けないので、生徒達の様々な問題に対処できないであろうと思われる。

結局は生徒達に対して、逆に異常行動や異常会話などを投げたり、先生方が{引きこもり}や、{不安障害・神経症・恐怖症}、{うつ病}などで休職する事になってしまう。

公立学校と私立学校では事情は違うであろうが、休職の猶予期間も随分と恵まれ過ぎている。

民間会社では休職の日数が長期化すれば、離職せざるを得ない状況になる場合が多々あるであろう。

 願わくば教職員の方々も、自分の潜在意識と無意識の心を自己探求して、人生、人間社会で立派に自分の役割をこなして欲しいものである。

20年来に渡って「心理療法」に関わって来たが、学校の先生方と言えども普通であれば一対一の「心理療法」で充分である。

どんなに賢く見えても一旦人生の壁にぶち当たると、自分の誕生から現在に至るまでの諸々の過去の心が膨らみ、現在の顕在意識を強度に強迫して身動き出来なくなる状態となる。

 

 今回上記で述べたように、大脳の海馬に過去の記憶が蓄積されているその記憶を掘り起こし、{再解釈}と{受け取り直し}をする事、己の潜在意識と無意識の世界を知る作業を体験する事が最重要であろう。

そうする事で、初めて子供達の潜在意識と無意識の心も読める筈である。

 

 立派な人に成長して下さいませ。

<<家族・親子>>「子育て・親の責任」(5)

2006 年 5 月 13 日

 人間世界において、親が子供達を立派に育てようとする事は極自然の事ですね。

親は、自分の成長過程の中で親なりの人格と人生観を持ちながら、或いは、自分の親から超自我として<植え込まれ>育っています。

人は誰しも無意識的ですが、自分の生い立ちの過去の中、心の奥底に{葛藤}を持ちながら育っています。

また、生い立ちの過去の心を解決しようとして、俗世間を過ごしていると考えても間違いない様です。

勿論、自分の過去を振り返って、自分の潜在意識と無意識を知っていなければ、人間の心の本質について理解できないでしょうが・・・。

当方が長年月に渡り「心理療法」に関わって来た結果、そう思われますし事実の様です。

 

 親の教育方針通りに子供が育てば<立派>ですが、案外と裏目に出る場合もあります。

親が“子育てとは何か”に早く気づいて考えなければいけない事もあります。

親が大人になり、自分の思いを果たせなかった事柄を自分の子供に託す場合は多いですね、全てがそうだと思って良いくらいです。

時には、親の思い通りに育ち、子供が親を超えている(人間社会で俗に言うところの地位とか名誉)場合も結構とあります。

親は「立派な子育てが出来た」と、子供に対して羨ましく感じる程です。

ですが、世間から見ても立派に育った、また、地位や名誉や金銭を得ている、と認められた人達でも、やがて、歳月を重ねて年老いて行く過程において、当人が幼い成長期に<我慢して来た心の内側全て>を、しっかりと確認しておいた方が良いでしょう。

どんなにお金を貯めることが出来たとしても、また、名誉やある地位に辿り着いたとしても、成人してから残りの人生で、生い立ちの心が自分を引っ張って、結構と悩む場合も多いみたいです。

俗に、トンビが鷹を産む、鷹が鷹以上のものを産む、鷹がトンビを産む、トンビがトンビ以下のものを産む、鷹がトンビ以下のものを産む・・・などと表現しましょうか・・・。

時には、先天的障害を除いた上で、普通に生まれて来た子供が世間の中で成長出来ない場合もあります。

 

 今の世の中、格別に肌の付き合いが減った現代です。

科学や技術などは各専門分野で発達したと言われながら、人の心は<対人関係の適応と環境への適応>に、益々と遅れを取るばかりではなく、むしろ退化している様にも感じてきます。

どんなにお金を貯めても、地位・名誉・名声が得られたとしても、自分と親との心の関わりだけは、過去を見詰め直して再解釈できている事が重要でしょう。

「子育て」のためにですね・・・。

 

 例え自分が有名になったとしても、財を成したとしても、自分の子育てには結構と注意が必要だと伝えておきたいと思います。

過去を見詰める「インターネット心理療法」を受けておけば大丈夫です。

<<家族・親子>>「子育て・親の責任」(4)

2006 年 5 月 12 日

 親は、子供の成人式が終われば大人になったと思います。

確かに年齢的・肉体的には<大人>であっても、心の内容は限りなく“幼児性の心”を持ったまま成長している人達もいます。

心が未熟なままの状態で成長すれば、他者の集団に付いて行けない人達が沢山と出てきます。

苛め、非行、暴力、登校拒否、引きこもり、シンナー、不順異性交遊、などを引き起こしてしまう場合もあります。

 

 子供の顔や表情、行動などを注意深く観察していれば、<悩んでいる>表情も見えてくるものです。

そんな子供の表情を見落としてしまう事は、どう考えても家族というか“親”の責任でしょう。

何故ならば、子供が“学校で過ごす時間”と“家庭・家族で過ごす時間”では、どちらの時間が多いか・・・、誰にでも簡単に分る筈です。

 テレビや新聞などマスコミでは、一昔、二昔前に比較すると、遥かに子供達(人格的に未熟な大人を含め)の様々な事件が多く報道されるようになりました。

確かに学校にも未熟な先生が増えているし、未熟な子供達も増えているのですが・・・。

 

 苛められたり、自殺したりする子供達(大人を含めて)は、彼等の生い立ちの中に“膨大な量の心の葛藤”を溜め込んでいます。

ちょっと触れ残したのですが、親の思いで“親が出来なかった事柄を子供に託す”場合でも必ず“大量の心の葛藤”を残します。

ですが、極一部では親と子供が心の葛藤を持ちながらも、何とか<和>が取れ、スポーツや芸能、文化の中で大成する事もありますね。

親と子の心の<ギリギリ>の限界点を歩いている様なものでしょう。

親子共に運が良くて、一般社会において{認められる地位や栄誉}にまで登りつめた場合では良好でしょうが、それでもその後に注意しておかないと何が起こるか知れません。

 

 所謂「早熟」で育った場合では、必ずや生い立ちで様々な心の葛藤(例えば、自分は皆と同じ様な遊びを持たなかった、など)を残すでしょう。

世間の人達とは全く違う若年の人生の旅をしているのですから、早く出世せした人達にも、自分の過去の違和感的な心に引きずられる事もあるでしょう。

 

 要するに、人の“現在の心”は、“過去の心”に裏打ちされているのです。

現在の心・会話・行動を、動かしているのは、全てが、“過去の心”だと知って欲しいのです。

 

 親が自分の過去を知っておかないと、子供の過去も見えないものです。

親から先に「心理療法」を受けてみて下さいませ。

例え悩める人が難治性のうつ病者でも、親に認知症さえ無ければ、親と一緒に「心理療法」を受ければ大丈夫です。