<<家族・親子>>「子育て・親の責任」(3)

2006 年 5 月 11 日

 先天的に、心の世界を解釈できないで誕生して来る子供さんも見られる。

先天的ではあるが、誕生してから暫く後に、心の解釈が出来なくなる人達も見られる。

親として、大変に辛いものであることは言うまでもないだろう。

また時折ではあるが、思春期や成年期・壮年期、老年期になってからも精神状態の破壊が起きて来る人達も見られる。

ここでは先天的な心の状態と意識のレベルついては除外しておきたい。

 人間世界では、如何なる人達にも何事が起こるかも知れないから本当に大変である。

とりあえず此処で皆さんに伝えたい事柄は、親の育て方によって後天性に、即ち、生い立ちから育つ過程で人格形成が上手に出来なかった場合を説明しておきたい。

 

 母親の胎内に居る間の心を回想できる人は、現実的に居ないと思います。

俗に言われているところの{胎教}などは、一考を必要とするでしょう。

生理学的・物理学的にも、胎児が胎内にいる時に、母親が薬の内服をしていたり、母親の心が不安定で母親の呼吸が早かったり心臓の鼓動が早かったりすれば、胎児の体や大脳にインプットされるでしょう。

胎児から、誕生して新生児、乳児、幼児、小児、学生、思春期へと成長して行きます。

生まれてから育っていく子供達は、自分の親に対して、自分が<どう見られているか>を大変なまでに注意深く気を使っています。

親から見れば、大人しく優しい子、親の言う事を<何でもしてくれる子供達>は、成長してから不思議な程に“心の歪で幼い精神を露呈して来る場合”が非常に多いです。

幼い時から親の言う事に対して、全く<言う事をきかず、常に暗い顔や反抗精神を示している子供達>も成長してからが大変ですね。

しかし親は、子供達の様々な表情や行動や会話(会話をしないのも、“会話しない”という会話です)を呈している事に、なかなか気付きません。

 子供達は、母親に対しても父親に対しても(場合によっては、祖父母や兄弟姉妹{一人っ子も問題}に対しても)、心の奥底に“心の葛藤”を溜め込んで成長します。

ですが親は、この様な子供達の心の奥底にある葛藤に気付きません。

子供達の心を理解できずに、親は何時も<親自身の考え方・子育て>は正しかった筈だと思っています。

子育てについては子供達を放任し過ぎで、好きな事ばかりしている親も多いです。

親の出来なかった事を子供に託す、或いは、親の地位や名誉にまで子供を引き上げてやりたいなど・・・、ちょっと間違えば子供はプレッシャーで押し潰されてしまいます。

 

 どんなに学問が出来ても人生の途上で崩壊の道を辿る事もあります。

親が先に「心理療法」を受けるべきです。

<<家族・親子>>「子育て・親の責任」(2)

2006 年 5 月 10 日

 確かに、一部の親は子育てに夢中になる。

一生懸命に育てようとする。

極一部の親は、全くと子育てには気持ちが向いておらず、自分の好きな事柄ばかりしておいて、子育てには全然と心を向けずに、好きな事ばかりしている親もいる。

親が、仕事もせず自分の遊びに夢中になっている場合もある。

親が、自分の仕事にのみ気持ちを向けて、子育てには全く関心を持たない場合もある。

子育てに戻って、親が努力をするとしても色々なケースが有る。

勉強!・勉強!などと、勉強に一点張りの親も居る。

勉強はさておき、スポーツや趣味、或いは専門的な一部の芸術など、親が自分の考えている事に夢中になり子供へ強制する場合もある。

必ずしも親は“勉強”だけを押し付けているものではないだろう。

 

 子育てについて、ある意味では親が余程に注意をしていないと、子供が幼い時には有能に育っている様に見えても、駄目な大人になってしまう場合も沢山とある。

本当に子育ては難しい。

 

 子供が大人になって駄目人間であった場合は、矢張り親の責任である。

有能・天才的に育ちながらも人間社会の掟に付いて行けず脱落して身動きできない場合も起こってくる。

親が上手に育てた積もりでも、子供がある年齢になった時、突然に<幼児帰り>してしまう場合もあるので、プロの心理士から見れば不思議というか何とも悲しいものでもある。

人格水準の低いまま、学問だけは優秀であったが他者との心の<やりとり>を全く解釈出来ないままで成長した人もいる。

未熟なまま大人になった人達を、心理士が賢明になって「心理療法」により心の成長を計ろうとするが、どうしても一対一の「心理療法」では、彼等を精神的に成長させてあげられない場合も多々ある。

「心理療法」に関わっている心理士が上手でない場合も有り得る。

心理士がどんなに有能であっても駄目な場合もある(これは心理士が駄目人間なのではなく、クライアントがあまりにも人格水準の低いまま大人になったケースである)。

 

 心理士は当人の母親や父親になる事は出来ない。

仮に本当にそんな役割をすれば、クライアントはそれなりに人生を生きては行けるが、二度と実家に帰る事は無いだろう。

だから子育てについては“親が悪い”、間違いなく悪いのである。

 

 「親の因果、子に報い」

その間違いを親が心底と気づいた時に、子供を見る眼が変わる。

どちらかと言えば、親が先に「インターネット心理療法」を受けないと駄目です。

<<家族・親子>>「子育て・親の責任」(1)

2006 年 5 月 8 日

 子育てについて、当方が20年来に渡り心理療法を行なって来た過程において、全てが親の責任だと言っても過言ではない様です。

勿論、何事についても100%間違いないとまで断言することは差し控えます。

どんなに詳しく話を説明しても、聴く人が話しの内容を理解する能力がなければ、どんなに本当の事柄を述べても伝わらないものですね。

 

 人間は、真に<悲しい生き物・者>だと痛感させられます。

{親の因果が、子に報い}の言葉通りなのですが、現在の人達、医師も含めて教育者にもなかなか事実を理解出来ません。

彼等がどうして理解できないのか?ですね。

彼等は、現実に“自分の心の内海”、“自己・自分の潜在意識と無意識の心“を知っていないからです。

 この事については、医師も教育者も徹底的に“自分の生い立ちの心”、“自分の過去の心”を「第3の眼差し」で再点検してみる事でしょう。

「第3の眼差し」即ち、自分の眼で自分を客観的に調べる事。

これが出来なければ、本当に人の潜在意識と無意識が、どれほど現在の人の心と行動と会話を動かしているかが分かりません。

過去を見詰める「心理療法を」体験しておくべきです。

そうでないと、異常行動、異常会話、異常な現在の心、なども見えないでしょう。

どんな偉く賢いと自負している医師も教育者も、自分の深い心を知らずして他者の深い心を見抜く事は絶対に出来ませんね。

 

 多くの人達はよく「自分の心は理解できているのに、他者の心が分らない、だから悩み苦しむ」と、嘆いております。

親も同じなのです。

自分の子供が悩み苦しんでいても、“何故だろう、一生懸命に育てたのに・・・”、と言って<親は、親自らの考え方を変えない>のです。

「何故子供が悩むのか、子供の周囲の人達が悪いからではないだろうか」などと考えます。

確かに「親の心、子知らず」と言いますが、後から生まれて来た子供が、先に生まれて自分を此の世に送り出した親の心を知る筈はありません。

まして俗世間に出る前に、親から子供へ<一定の心の柵を植え込まれて>いるのです。

 ある程度の人格水準の発達があれば、子供だけが「心理療法」を受ければ、それで解決して行きます。

ですが、親が先に「インターネット心理療法」を受けて、自分の子供達の心を理解できる様になっておく事が大切です。

それ以外に{策}は有りません。

 

 過去の親と子供の{心の和解}が先、これだけで充分です。

<<うつ病>>うつ病からの開放(4)

2006 年 5 月 5 日

 うつ病者にとって、“今の自分には何が大切か?”を自問自答しなければなりません。

しかし、頭が混乱してしまい考えることが面倒になってしまうことは理解できます・・・・。

{人生とは何だろう?}、{自分とは何だろう?}、{自分だけが悩みを抱えているのだろうか?}、{人は何故に悩むのだろうか?}、{悩んでいるのは、自分だけなのか・・・?}、{自分から悩みを取るにはどうすれば・・?}、{他人も悩んで生きているのか?}、{他人の悩みを解消してあげるにはどうすれば・・?}、{人間世界とは何だろう?}、{人は何を求めて生きるのか??}、{自分が急いで死なずとも、やがては必ず死が来る?}、などに疑問を持ち始める事が重要です。

と言っても、「うつ病者」はなかなか自分の考えている、または、執着している事柄以外を考えようとしないところが本当の彼等の弱点ですね。

自分は悩んでいる、他人は悩んでいないのか・・・・、など、・・・自分以外にも世間では沢山の人達が悩んで生きているものだ・・・と、<ふと気付けば>悩みから解放の出発点にもなるでしょう。

また、「自分は愚かな人間だ」と知る事の方が本当は遥かに早いのですが・・・。

 

 人間、誰しも自分が褒められたいと思いながら人間世界を生きています。

しかし、人生を生きる上でこの様な考え方はプレッシャーになります。

本当に、自分は偉く賢いか、そうでないか、この判断ができないですね。

周囲と比較しながら、自分の方が負けている、自分は駄目人間だと自己卑下している、自分の実力について<大きな力量>を持っているか否か、正常な判断が出来ません。

自分の“か細い心の世界”に閉じこもっていると表現しても良いですね。

 表現を変えてみましょう。

ストレス袋がありまして、次第にストレスが溜まって行き、ストレス袋の結びの紐が外れた時に、異常行動、異常会話、ひいては犯罪または自殺にまで至ります。

この様な状況は突発的にも起こってきます。

「うつ病者」が異常行動を起こす時は、既に{善と悪}の判断は出来ません。

同じ「うつ病者」であったとしても、人格水準も違うし生い立ちも違うので、異常会話や異常行動なども色々と違って起こってくることは当然です。

 

 何度も繰り返して伝えています。

{悩まない人}になるだけです。

「うつ病者」は、黙って静かに休息をとり、薬だけを服用しておけば良い訳ではありません。

「うつ病者」が早く回復するために、今後の人生に余裕を持って生きるために、“自分の心”を追求する事です。

今の心=顕在意識を治そうとしないで、深い心=昔の心=潜在意識と無意識を調べて、自分の過去を変える事、これが出来れば現在の心は変わります。

 

遠回りする様に思うかも知れませんが、最高の早道です。

「インターネット心理療法」で大丈夫です。

<<うつ病>>うつ病からの開放(3)

2006 年 5 月 5 日

 自分の心、そして他人の心を知る事、これが出来れば「うつ病」から解放されます。

兎に角「うつ病」の人は、軽症であれ重症であれ“自分の心”を勉強する事です。

 

 今、悩むという事は、自分の過去に悩みを抱えているのです。

その過去の悩みを見つめる事ですね。

どいう心であれ、心には、{浅い心}と{深い心}と{中間の心}が有ります。

少し学問的に表現すれば、浅い心を顕在意識、中間の心を潜在意識、深い心を無意識と言っておいて良いでしょう。

厳密に説明すれば少し位は違うのですが、表現の{差}ですね。

「うつ病者」は、自分の心を治療する事からが一番に大切なのです。

心を治療する・・・、何処から、・・・、格別に深い心から・・・無意識の心=無意識の世界を探索するのです。

この様な作業をすれば潜在意識も自ずと探索し、理解出来るでしょう。

しばしば「うつ病者は何も考えずに、静かに休息だけしておいて下さい。薬だけは必ず服用しておいて下さい」と、世の医師達が言います。

しかし当方は、「絶対に間違っている」と思っています。

うつ病者は、特別にある事柄について悩み・苦しみ・嘆き、頭の回転・心の回転が出来なくなります。

拘る、執着する、ある事柄から自分の心を離す事が出来ません。

今現在に抱えている心から身動き出来ません。

 

 早く治す為に“心の学習”・“心の勉強”をするべきです。

早く治して、より早く社会復帰する為にですね・・・。

顕在意識、即ち“浅い心”を変えようとしない事は、今の自分の拘りの心を変えようとしない事です。

むしろ深い心、即ち潜在意識や無意識から変えるべきです。

過去の心が変われば、現在の心は簡単に変わるからです。

うつ病者は“自分の過去を探求する”、“自分が歩いて来た過去の心を探索する”事、これが最重要なのです。

心の休息をしないで下さい、社会復帰が遅れます。

夜間、不眠で苦しむならば、薬は服用して下さい。

そうでないと、昼間自分の心の旅が出来ないからです。

 

 大脳の過去の記憶場所、海馬で心の渦巻いている記憶を解いて行くだけで頭の回転も良くなり、心や体も爽快となって幸せになるでしょう。

自分の過去の心が今の心の全部を動かしている事が分るので、自分で悩みの原因、心の{本質}を知る事が出来ます。

うつ病者も「人生とは何か?」を自分で考えるべきですね。

 

 生きている時間、生きている場所にも、{有り難さ}を感じるのです。

人生が楽しくなります。

「うつ病」から解放されます。

「インターネット心理療法」で十分です。