<<いじめ>>いじめと自殺(14)

2006 年 12 月 13 日

 少しばかり同様の表現を繰り返すが・・・、新しい事情も入れておく・・・。

 <いじめ>対策については、<いじめ>に遭っている子供達を援護する事ばかり考えているのでは駄目だと言っている。

<いじめ>に遭っている子供達を援護しようとする、そんな事ばかり論議している。

角度を変えて考えて<いじめ>ている子供達の心・性格・自己同一性(アイデンティティー)を変革させていく方法も真剣に考慮されるべきであろう。

 

 <いじめ>に関わっている子供達について、警察や司法が何処まで対処するか、どの時点から対処するか、この辺が少しばかり見極めるのに苦労する場合もあるであろう。

しかし、苦労を伴うのは当然だと考えていれば、そんな苦労をも感じないで済むだろう。

 <いじめ>などについては、昔から結構あった筈である。

残念な事に、日本の国が豊かになったとは言え、物質的に豊かになっただけで、心の方は反対に<生きる>という事に対して非常に{鈍感}になってきている。

{裕福さ}が、生きること自体の心を無意識的には<貧弱に>しているのでもあろう。

 

 親へも真実なる心を伝えないまま、<いじめ>に遭う子供達の何人かは自殺してしまう。

<生きる>と言う事に関しては、貧困の環境に置かれた方が人間には案外と都合が良い面もあるのであろう。

貧困がひど過ぎるのも大変ではあるが・・・。

 

 根源的には、何故に子供達は自分の親に<素直に話し>をしないか・・・。

子供達の心がボロボロになって初めて、親には子供達の表情や動作や立ち居振る舞いなどがやっと見えて来る。

 さて、<いじめ>る子供達の心を変革させる事が最重要だと考えているが、親が自分自身について<懺悔>できていないと、子供達の心を回復させる割合は非常に少ないであろう。

そういう人達には、<いじめ>の体験も貴重な体験となり、<いじめ>体験の後に、自分の心をより豊かに出来て、より良い生活へ入れる人もいる。

 時には、<いじめ>に遭った子供達で、何とか耐えて成長していく人達も居られるが、結構と多くの場合で<いじめ>られた体験がその後の生活で後遺症のような症状を引きずって悩んだまま生きる。

 

 親が自分の<生い立ち>と子育てに関して<懺悔>するべきである。

未熟な先生方も<懺悔>の体験をしておいて欲しい。

まあ、ここで<懺悔>と言っても、体験した人にしか理解と体得は出来ないから、人間は、本当に悲しい生き物です。


 当方では昨今、裁判所から「仮釈放した人達が、また犯罪を起こしたら本人は大変だろうし、仮釈放してあげた自分達も<辛い体験>となるので、何とか面倒を見て欲しい」と言われるケースがある。

もし親が居れば、必ず親と子が一緒に自分達の過去を見つめる{心理療法}を体験してもらうのである。

 

 事は、上手く運べるのである。

<<インターネット心理療法>>追加編(13)

2006 年 12 月 12 日

 人間社会が常に<平和>であって欲しいと考える一人の心理士である。

 

 人間の欲望は、人間が生き続ける限り消えて行く事はない。

誰よりも早く、誰よりも良いものを社会へと・・・、その社会に持ち込む物が真実に一般大衆へ有益で、人生を楽しく生きるのに必要なものか?と、問われれば「全く関係ない」と言わざるを得ない。

 法律の制限をギリギリに受けない程度の{遊びもの}、或いは、法律に違反するものまでが、PC、携帯電話などを利用して提供されている。

長い視野で見て、幼い子供達にまで悪影響を及ぼすものまでが提供されている。

 何時も現在が幸せで、その後の未来も幸せに、人間の眼・耳・鼻・舌・身・意、など、五感や六感にまで響いて来るような、そんな道具が沢山と出来れば良いが、この様な事を言っても無理である。

 物や事象で楽しんで喜ぶ生活も良い事だが、一番に大切な事は、矢張り、自分の本当の心を知り尽くして、今の自分の心を満足せる能力を持つ方が遥かに重要である。

 

 自分の心で自分を満足させる能力です。

ナルシストとは違います。

自分の好きな物を持って、自分の好きな対象物のみを相手にして、自分独りで楽しんでいるのでは、駄目ですね。

所詮、人間として生まれて来た以上は、人間の集団の中でしか生きる事は出来ません。

 

 科学、技術、知識、学問・・・などなど、進歩したと言うけれど、人間の心の奥の心は進歩無きまま時代は流れているようです。

人は、五官六官を年齢相応に成長させて行かなければなりません。

人の五官六官も、人工産物だけを受け止めて成長して進まないと、子供時代から、或いは、大人の時代の生活でも、ストレス、心の葛藤を抱えたまま生きて行く事になります。

 

 人生は一度だけ、1回限りの人生です・・・。

“青い鳥”を自分の外界に求めて生きているのが、一般の人の{本性}ではありましょうが、普通の人生観では心にストレスが溜まりながら生きていきますので注意が必要です。

“青い鳥”は、世界中を探し回っても自分自身からの外界に見つけ出す事は不可能でしょう。

 

 各企業体は、新しい便利なものを追求して、それなりに、楽しい品物、便利な品物、何かと自分を慰めてくれる品物を作り出します。

地球が、大きいか、小さいか、単なる星なのか、小さな砂粒なのか、そんな事柄などは考えもしません。

これは哲学的思考体系でしょうから、そこまでは考えなくても良いでしょう。

 

 人間世界を生きるのに「何が大切か」、「自分と何なのか」、「自分とはどんな人間なのか」・・・など、熟慮した上で生きるのが大事でしょう。

「インターネット心理療法」の体験が必要でしょう。

<<いじめ>>いじめと自殺(13)

2006 年 12 月 11 日

 親と子の心の{因果応報}について、話している。

 

 親が{因}を知るために理解しやすく説明すると、会話や行動や心の<根っ子の原因>は何処に有るかと言う事です。

<いじめ>をする子供達には、その子供達の、根っ子の原因={因}が有る訳です。

子供達は、その{因}に縛られて、自分の今の心を過去から強迫されて、現在を生きているのです。

<いじめ>られる子供達も、<いじめ>る側の子供達も、両者が<いじめ>の問題に絡む前、絡まれる前の過去の状況を見詰めて{絡まった糸、絡まった紐}を解く事が重要な作業となるでしょう。

 親は親で自分の生い立ち、誕生から~結婚~子供の誕生~<いじめ>の時期~そして現在までの自分の会話や行動や心を詳細に調べて行きましょう。

子供達は、<いじめ>に遭ってる子供も、<いじめ>を行っている子供も、自分の誕生から~自分の現在までの心、格別に、母親、父親、兄弟姉妹、学校の先生達についても、しっかりと<相手との会話や行動や心のやりとり>を調べる事なのです。

少なからず、辛い情けない自分の会話や行動や心を見つけ出すでしょう。

「こんな自分ではなかった筈だ」と思うのです。

自己中心的な自分の心に、親も子供も必ず気づいて来る筈です。

それほど人間の本性は汚れていますし、自分の汚れた過去の心を認める事です。

自分の過去の心を否定しないで欲しいですね。

 一般論として、人は誰しも、どんなに賢い偉い地位や名誉のある人達にしても、自分の過去を見詰めると<自分のエゴの心>に突き当たるものです。

 

 人間の普遍的な生き方、人生を生きる上で悩まないで生きる{心の方向性}があるのです。

その{方向性}さえ知っていれば良いのです。

学校の先生方も、子供達も、親も、少しだけでも学習する事です。

カウンセリングだけ体験している人達は、例え、自分が心理士であっても医師であっても御住職さんであっても、この心の{方向性}を体得しておくには多分に、無理があると思われます。

 

 当方の思いと本当の人間の生き様、本当に考えている事柄を、此処で伝えるだけです。

悩みのない生き方、悩まないで済む生き方が有るのですから・・・。

 

 人間世界は真に狭いものです。

地球上の平和は、また、特別に難しいようですが、普通の俗世間を生きるには、楽しく安らかに健やかに生きられるものです。

 

 敢えて、{懺悔}と伝えておきますが、{懺悔}できる人は悩まないでしょう。

この{懺悔}出来るかが、人生の分岐点と言えるでしょう。

<<いじめ>>いじめと自殺(12)

2006 年 12 月 8 日

 <いじめ>られている人達を、如何に援助と援護していくかと言う事については、俗世間では色々と論議されている。

また、色々あれやこれやと{策}を考えて、報道などもなされてはいる。

一方で<いじめ>ている人達の心・性格・人格を変えてあげる事には、全くと論じられていないように当方は思う。

 

 <いじめ自殺>の防止にあたって、有識者?その他に学校の先生方が、全校生徒達と相談して「<いじめ>を見たら、皆で防止のためにと立ち上がって・・」などと、生徒達を扇動している様な<感じ>に当方には伝わって来る。

<いじめ>防止のためにと言って、生徒達に<こうしなくては・・>などと、洗脳しているみたいにも感じて来る。

 当方が言いたい事は、<いじめ>る側の生徒達の心・性格・人格を、少しでも変える方向性にもっていく事も非常に重要だと言いたいのである。

 

 「親の因果が、子に報い」、「三つ子の魂、・・」の言葉、当方、全くと同感に思っている。

だから、<いじめ>る側の家族に接触して、<いじめ>る子供達の親にもコンタクトを取ってみる事である。

当方、今までに随分と難儀な思いはして来ているけれど・・・。

<いじめ>る側の親が{重要な鍵}を握っているからである。

親が<いじめ>る子供達を見つめる時、瞳・顔つき・表情・会話・行動・立ち居振る舞い、などなどは、本当に<歪>になっている筈であろう。

もっとも、親にそんな意見をしたら、親が理解してくれるものでもない。

 

 本当に真実に大変なのは、子育てについて説明しても全くと意見を<受け入れてくれない>親達に出会う場合である。

どんなに親の子育てについてコメントしても、全然と理解しようと考えない親が案外と多いのである。

それだけ親と子供の心関係が歪になっておりながら、自分の子供達を真面目に育てているつもりの親が居るので、大変である。

<いじめ>ている子供達の心、生い立ち、母と父との<過去の心の和解>が出来れば、簡単に人間の心・人格は良い方へ変革できるのである・・・。

 逃げる親達を、どこまで追いかけて<話し合い>ができるかどうかであろう。

突き詰めて考えると、問題なのは、自分の子供達に対して、親は子供の心身の成長には関係ないよと、不貞腐れている場合である・・・。

 

 <いじめ>ている子供達には、事の善と悪を判断する能力を持ち合わせていない。

格別に、親に不満や不平を抱いている子供達ほど、{善}と{悪}の判断、特別に自分についての判定を下す能力が欠けている。

 

 親は、自分の子供達から好かれる親になって欲しいのである。

<<いじめ>>いじめと自殺(11)

2006 年 12 月 7 日

 とにかく、報道特集を見ていて疑問に思う事は、全てが周囲の責任と考えていますね。

親と子供達の心の動きには触れていないのですから、不思議というか面白いというか・・・。

人間の顕在意識と潜在意識と無意識の{心のカラクリ}を全く論じていないのですから・・・。

 

 案外と論じないところが<本音>と<建前>を統合した上でのマスコミ報道だと自覚されておれば立派なのですが・・・本当にそう思いますね・・・。

もし、そうだとすれば、当方が<本音>を語りすぎている事になるでしょう。

しかし、少しくらい本音で話も進めておかないと<いじめ>の心の世界については、一般人には、未来永劫に不透明となって行きますので・・・。

 こんな事柄を話した不思議な変な人間が居るものだと思われても仕方ないでしょう。

真実は、後から<理解>できて来るものです、ね。

それも、沢山の人達が通って初めて理解できる{心の世界}と{人間の会話や行動の原点}となってくる問題ですから・・・。

相当に勉強したり実体験したりしないと理解できないものです。

ともすれば、<いじめ>に遭っている子供達は、その<いじめ>の心、悩みの心しか理解できないのです。

 

 親が嫌いでも表層心理では<いじめ>の心の葛藤だけを考えていますので、自分の生い立ちの心には、“また、そんな事を考えて何になる?・・・”と思っています。

意味ないくらいでしょう・・・、親も同じ考えですね。

<いじめ>の事しか念頭にありませんから、何度でも繰り返して!・・と・・。

 

 人間は、自分の過去の心を完全に忘却する事は出来ません。

殆どの人達が、過去を忘却しようとして生きています。

自分の生い立ちの心は、自分の人生を生きる上で最高に大事なものです。

「どうぞ、自分の過去を忘れて・・・」なんて考えないで欲しいですね。

人生は、家族として・・、学校で・・、社会で・・生活する、どれも全部が大事です。

 

 学校の先生方も、自分の心・人格をもっと知って素直に人生を生きて欲しいです。

他人に迷惑をかけずに、自分自身にも迷惑をかけずに・・・ですね・・・。

学校の先生も悩んで自殺される人達がいますから、注意も必要でしょう。

一方では、学校の先生の一言で<ダウン>した生徒も居るのです・・・!

「先生の一言、今でもその<一言>が頭に残っている」と言う人も居るのですから・・・。

当方でも過去を振り返れば、勿論、自分の親については限り無い程に<親不幸>はして来たと!・・・、自分は親孝行の積もりの人間だった筈なのだけれど・・・。

誰もが、「悩みの心も乗り越えたら、もっと成長する」と言うけれど・・・。

 

 悩み込んだまま、悩みから解放されずに動きの取れない人達がなんと沢山居ることでしょう・・・。

社会適応できていれば良いのですが、それさえも出来ていない人達が多いから大変に困るのです。

可能であれば、家族生活にしろ、学校生活にしろ、社会生活にしろ、適応できる人間になって欲しいものです。

周囲の人も、注意は必要でしょう。