<<インターネット心理療法>>追加編(12)

2006 年 12 月 6 日

 携帯電話、PC、などなど素晴らしい科学と技術が発達して来たものである。

活字も使えるし、音楽も使用できるし、心のコミュニケーションも出来る様になった。

心と言うか精神状態も発達途上の幼い子供達も、個人が携帯電話を抱えて自分の意志を表現できるのである。

未発達の精神状態の人達が、自由に何らかのコミュケーションのために、好きなように使用できる。

 テレビゲーム、PCゲームなど、様々なゲーム機種が開発されては生産される。

生身の人間を相手にしないで、ナルシストのような状況で幼少時期より育ってくる。

 

 痛いとか、痒いとか、甘いとか、耳から聞こえるものとか、眼で見るものにしても、全てが人工的産物である。

人の五官六官に、直接に響いてくるものの全てが、生身の人間のものではない。

人には、眼・耳・鼻・舌・身、そして意識がある。

生まれ育った本能の器官を使用して、人間の外界にある自然・眼前の状況を受け取る作業は、もはや全く無いのである。

昨今の子供達は、幼少時期より自然から切り離された状況で生活を余儀なくされていると言っても、過言ではないだろう。

 人対人、肌の付き合い、会話と行動が伴わないまま、互いが離れたままのコミュニケーションである。

人間世界には、不思議な物が出来るものだ。

 

 大人の世界では利益追求が完全に優先されている。

子供達は、大人のお金儲けの道具、お金儲けの対象としか、思われていないのではなかろうか。

 人間が生きる世の中、この様な社会現象を否定する積もりは全く無い。

これこそが人間のなせる{業}とさえ感じている。

親も“子育て”が大変になって来る。

一部の大人でさえ、そういう器具に飲み込まれて生きている人達も見られるくらいである。

 この様な世代になって、自分の心がどれだけ<歪>になっているのか『インターネット心理療法』を体験して行くと、案外と自分の曲がった心が見えてくるものである。

そう、病院に行きたくない・・・、心理療法を受けにも行きたくない・・・、などの人達の為に、或いは、自分の仕事や今行っている事柄が忙しく、心理療法の現場にまで行けない人達の為に、必ずと<役立つであろう、心理療法>が、『インターネット心理療法』である。

自分の心は正常だと考えている人達でも、この『インターネット療法』を体験する事で、新たに自分の心の{再生}と{新生}が出来るであろう。

 

 人間社会は益々と歪化している。

 自己の心を、点検する事が必要です。

<<いじめ>>いじめと自殺(10)

2006 年 12 月 5 日

 随分と、この{論壇}の意味が理解出来なかったかも知れませんね。

何が、言いたいのか・・・。

明確に断言しておきます。

 育てた親と、育てられた子供達の『過去の心の和解』です。

<いじめ>に遭っている子供達へ、どんなに心を励ましても役立ちません。

<いじめ>に遭っている子供達は、自分の親、或いは、自分を育てた人に対して{大変な量と大変な特異的な心の葛藤}を持っています。

子供達に向かって、<いじめ>に遭った時よりも以前の心を、自分達だけで自己探求して下さいと言っても、格別に心弱き子供達は<自分の歪な心>を見るのは耐えられないものです。

それに「何故に、自分達が???」と思います。

子供達は“自分は被害者で相手が悪い、ここでは、親の育て方が悪い”と思っていますから・・・。

心の治療を受けるのは、親の方だと思います。

親が悪いと、確実に思うでしょう。

もっと自分の親が、ましな親であって欲しいと思っているものです。

 それから、自分の親の悪口を言ったり不満を言ったりするのは、耐えられないのです。

 

 子供達は、自分は真面目だと思っている、即ち、自分は善人だと信じて生きています。

そんな善人ぶっている子供達が、自分の心の奥を見詰めると、自分は真面目ではないと気づいて来ます。

その{真面目}さと{真面目でない}自分との心の狭間で、少なからず葛藤を感じます。

 親が一緒に心の治療を受けていたら、親は親で自分の{子育ての失敗}に気づいて来ます。

次第に自分の子供達へ{子育てに失敗}した事を謝罪しなくては・・・、との心が生じて来ます。

そんな心が親に生じて来ると、親の瞳・人相・会話・立ち振る舞い・雰囲気、などの子供を見る見方が全然と違ってきます。

そんな親の様子に、子供達(いじめに遭っている子供達の心は、物凄く繊細ですね・・・いじめだけでなく、心身症や神経症やうつ病などの子供達も同じ・・・)は、直ぐに気づいて「自分も少しは{心を入れ変えない}と・・・」と、考え始めるのです。

親と子の、お互いの<心の謝罪>ですね。

 

 「過去の心の和解」、<いじめ>に遭う前の、そして<いじめ>以後の「過去」もです。

子供達の顔色や人相や立ち居振る舞いなどが変化して来ますので、<いじめ>ていた子供達は、「こんな子供は<いじめ>られない」との気持ちになって<いじめ>の行動を起こすことが出来なくなってきます。

 

 「親が変われば、子は変わる」のです。

但し、心の底からですね。

<<いじめ>>いじめと自殺(9)

2006 年 12 月 4 日

 たまたま、テレビで<いじめ>のこと、そして<いじめ>を無くすために・・・、なんて番組をしていました。

当方、見ていて<良い事>だとは思いました。

しかし、殆ど全ての人達が、マスコミをも含めて、唯<お知らせ>の様な番組でした。

報道特集の番組では<いじめ>に遭って何処までも悲しい心を引きずって生きている本人、そして、その母親達などについてですね。

<いじめ>で苦しんだ人、親も子も、両者が悩み始めた時点から<考え込んで>いるのです。

 

 悩み始めた時点からの過去を振り返るのでは、意味が無いと言っても良いでしょう。

悩み始めた時点よりも、もっと以前の自分の過去を・・・、出来れば、自分の誕生した時から可能な限りに、自分の心の過去を遡って{自己探求}して行く事ですね。

多くの場合で<いじめ>の本人だけでなく、その親が自分の誕生から<自分の心を自己探求していく>事が重要なのです。

学校での<いじめ>も、家族の病が原点になっているものです。

 何度も言っています。

 

 学校の先生の会話や行動も<いじめ自殺>の因果の、{切っ掛け}になっている場合があります。

しかし、その<いじめ自殺>の{切っ掛け}の前にある子供達の心は如何なるものだったのかを、どのテレビの番組も<話が全く>ありませんね。

 テレビ番組の報道する人達も、自分の<生い立ち>を見つめてみると、少しは理解できるのでしょうが・・・。

 

 <いじめ>に遭う子供達は、親の因果を引いています。

親の生い立ちですね、関係して来るのは・・・!

 親が出世していても金銭に恵まれていても、その親の子供達に<いじめ>が起らないかと問われれば、そうではありません。

幾らでも<いじめ>は起り得るものです。

 子供達が育つ過程では、幼児の頃から、いや、乳児の頃から、親に対して子供達は<心の葛藤を持って>育ちます。

自分は親に感謝していると豪語している人達でも、生い立ちの過去を振り返ると、色々様々な心の葛藤が顕現されて来ますね。

 ここで言っている事は<いじめ>に遭う前ですね・・・、それ以前の子供達の心に問題があると言っているのです。

それは、<いじめ>られる子供達の親との<心の繋がり>に、歪な心が有れば有る程に、子供達の瞳・顔色・表情・態度・会話(会話しないのも・・一つの会話です・・黙って語らないという・・)・姿・後ろ姿・雰囲気までが、いじめる子供達には全部わかるからです。

 この子は<いじめ>ても良いと!

<<いじめ>>いじめと自殺(8)

2006 年 12 月 2 日

 子供達が自殺した時に、時折だが遺書を残している。

時には、お母さんお父さん有り難う・・・などなどと・・・・。

子供の潜在意識や無意識では、親への心の葛藤を抱えきれない程に抱えているし、その理由は明白である。

 

 子供達は、今現在の<いじめの状況しか意識していない>ので、過去の本音、潜在意識や無意識に存在する自分の本当の本音の心を気づいていないだけである。

{子供達の遺書には、顕在意識の心しか残されていないし、潜在意識や無意識の過去の心が抜けている}と、学者や一般の皆さんに知らせておきたいのである。

あくまでも、「親が変わらないと、子は変わらない」と、何度も繰り返して、当方は皆さんに伝えておきたいのである。

マスコミ、各報道などが、心の{上っ面}しか報道していない。

何時も同じ様な報道を繰り返している。

そんな報道では、<単なるお知らせ>だけであり、一般庶民に役立つマスコミ報道が全然なされていないと、この現実社会を伝えておきたい。

 

 親が、子育てについての<過去の関わり方>を振り返って勉強するだけでも、子供は良い方向へと向かう。

自分の子供について「不安な問題」が起きた時には、親が自分の<子育ての過去>を振り返る事で、{心の因果関係}は見えて来る。

とにかく、親が自分の子供について<勉強してみる>ことだ。

親が遊び半分で過去を振り返っても<悟りは開けない>事だけは、言っておきたい。

親が自分の過去の<子供へ投げかけた言葉や、子供に対して如何なる行動をしたのか、如何なる心を持っていたのか>を、具体的に自己探求しないと、親と子の因果関係の真相は見えて来ない事だけは、皆さんが知っておいて欲しい!!!

 

 学校の先生の中にも、確かに悪い先生は居る。

この事は、間違いないと断言しても良い。

だが、親自身も<自分自身の会話と行動と心を調べて>欲しいと考えている。

時折に親が尋ねてこられて、何時も親が口にする言葉は「自分達は悩み苦しみは全然無い」と・・・!!!

何故、自分の子供が悩んでいるのに、親は悩まないのですかと聞く・・・。

「子供の悩みは子供の問題であって、親の問題ではない」と言うのである。

親は、関係ないと喋られる・・・、とにかく可笑しいのである。

確かに現在の悩み事はあっても、その悩み事について悩むか悩まないかは、その人の心の基盤が問題である。

 

 何時もにこにこして生きている人達・子供達は<いじめ>に遭う事は無い。

まして<自殺>する事も無い。

<<インターネット心理療法>>追加編(11)

2006 年 11 月 27 日

 時代の流れは何と早いものでしょう。

20世紀末に近づいて、PC、インターネットなどがあっと言う間に世界に広がりました。

若き人から、老いに至る人達までが、PCを操作する時代となりました。

PCを扱えない人達は、何と時代遅れなのかと言う感じさえある昨今です。

断言している訳ではありません。

時代の流れの{早さ}を言っているだけです。

 

 人間の生きている居場所、世界中の全ての地域で、宗教なるものが存在していた様です。

迷える人達を治療するために、お祈りや、“民の行方”の平安を祈るために・・・。

民の社会には必ず儀式や儀礼、そして宗教などがあった様です。

地球上の世界では、発展した先進国にもそうでない途上国にも、必ず宗教が存在している様です。

どんなに科学や技術が進歩しても、宗教は存在し継続されて行く様です。

 

 宗教とは、集団、儀式&儀礼、宗教書、配偶者、宗祖などが必要なのであろう。

例外は多々あるが、宗教とは、人が生まれて死ぬまで、寄り添って生きて消えて行くものであろう。

{依存}だとよく言われている。

だが、宗教に信心のある人達は、自分の信じる宗教を{依存対象}などとは全く考えてはいないであろう。

宗教に信心の無い人達が、勝手に{依存対称}だと決め付けているのでもあろう。

 人間が生まれて来て、自分の一生を生きる上で、宗教を信じる人達もいれば、信じないで終末を迎えて死んで行く人達もいる。

また、人生の途中から、親の宗教を脱出して別の宗教へと入信して行く人達もいる。

信心があってもなくても、人は“自分の人生が幸せだ”と感じれば、それだけで良いのかも知れない。

本人個人が“幸せだ”と言えば、それだけで周囲の他人が<とやかく言う>必要は無いであろう。

しかし、当人が幸せだと言っても、周囲には他人や家族も住んでいる筈である。

 人間個人、人は誰しも独りでは人生を生きる事はできない。

一般の心理療法では、宗教を非難する事は無いだろうと当方では考えているが、当然の事でもあろう。

 心理療法では、人の信じている宗教を非難してはならない。

どんな良いと言われる心理療法でも、宗教を非難する立場には無い筈である。

 

如何なる心理療法も、洗脳とは関係が無いと考えている。

あくまで、個人が悩みから脱却できるように援護するだけである。