<<講演>>人間って、孤独??(21)

2009 年 1 月 19 日

 100歳から105歳にしましょう。

 もう、ここまで来れば、何をか言わんや、ですね。

ここまで、生きるには、本当に遺伝子に組み込まれた要素と言うか、素因・体質・運・運命・天命、ですよね。

今から、誕生した人間、赤ちゃんを医学的に管理して、この年齢までですね、105歳とかまで生きるようにしようと考えても、そんなに上手くは行かないでしょう。

 

 この年齢になれば、周りからの人達に、本当になされるがままでしょう。

命の問題とか、人生とは何かとか、自分の存在って何か、などと考えても<<その事については、理解がとても無理>>でしょう。

{生い立ち}の中で、心の葛藤を抱えて来た人達ほど、高齢者になっても<<心は落ちつかない>>みたいですからね。

誰も人間は自分の{生い立ち}を振り返って、自分の{生い立ち}の心を解決しておくべきでしょう。

そうする事で、年老いてからも心安らかに過ごせるものですよ。

 

 格別に、子供達の心を理解しておかないと、年老いてから子供達から<<しっぺ返し>>を頂く場合も多いでしょうね。

配偶者にしても、一緒に生活する中で、配偶者に対しての{心使い}が足りていないと色々な問題も起こります。

配偶者にも子供達にも、自分の元気な時から、相手の心を理解しておかないと、必ず、何らかの<<反抗>>を受けるでしょうね。

これは、間違いのない事ですよ。

 

 それから、少し前回でも触れましたが、当人がどのくらい金銭を蓄えているかでも、子供達の{心使い}は違って来ます。

親の亡くなった後に、財産相続は結構と起こります。

{地獄の沙汰も、金次第}と言いますが、{お金と心は、蟻地獄に落ち込む}場合もありますね。

親が死んだ後に、何年経っても<<財産相続>>は解決できないまま続く場合もありますからね。

 

 105歳くらいまで、夫婦で生きる事は、殆ど不可能でしょう。

仮に、生きていたとしても、どちらかは認知症で心の交流が出来なかったりで、人間としての生き様は、既に、終わっていますよ。

適当な年齢で、自分の頭で{適当な死に場所}と{死ぬ年齢}が明確であれば、良いのですがね??

とは言っても、死ぬ時期が分かれば、人間個人は案外と不安症状を起こすものですね。

 

 {人生とは、何か??}を悟っておきましょう。

<<講演>>人間って、孤独??(20)

2009 年 1 月 16 日

 96歳~100歳ですよね。

この年齢に来るまでには、沢山の病気もしている場合が多いでしょう。

肺炎を繰り返して、何度も治療を受けたり、ですよ。

そうですね、多くは、誤嚥性肺炎が多いです。

時には、自宅に居ても、更に、施設に入っていても、誤嚥&窒息で亡くなる場合もあります。

 

 この年齢にもなれば、肺炎の治療ですね、強力に治療を受けないと、そのまま治らない場合も沢山と有ります。

経管栄養(鼻から、或いは、胃婁から、など)を受けていても、肺炎になる人達は多いです。

100歳にもなれば、多くの場合で、配偶者も居ない事が多いだろうし、場合によっては、自分の子供達も亡くなっているケ―スは、よく有ります。

100歳では、誰かのお世話になって生きるし、心も体もある意味ではボロボロになって生きているのではないでしょうか。

言葉の表現は、悪いですけれど、本当に確信していますよ。

 

 この年齢でも、感謝、感謝だと<<手を合わせて>>生きている人達も見受けますが、少ないでしょう。

殆どの場合で、知っている家族も近隣や親戚の人達も、亡くなっている場合が多いですからね。

孤独を感じながら、生きる事になります。

息子や嫁さんや孫達が、毎日、施設に来てくれても、<<有り難さ>>を感じて、気持ちよく表現できる高齢者達は少ない筈ですね。

そうですね、人間って生まれて来たら、最後は<<一人で此の世から旅立って>>いかなくては、なりませんね。

勿論、人の命は<<何時の事、何時に果てるかが、分からない>>、それが人生です。

長生きをしたくても、気づかない間に、{死の影}が忍び寄って来るものです。

 

 高齢者になっても、病気になっても、<<死については、理解できません>>が、案外と<<死の直前に、死を悟り>>、ニコニコして此の世を去って行く人達も、時折にですが、当方は知っています。

ですが、死ぬ時に<喜ぶ>よりも、<生きている時に、喜んで>生きた方が良いですね。その事を当方は現実に知って欲しいと思っています。

100歳ですね、真実に心と体は、ボロボロですよ。

周囲の人達になされるがまま、生かされて生きています。

 

 天地に感謝、両親に感謝、肉親に感謝、周囲の人達に感謝、水・地・火・空気に生かされて生きている事に感謝できさえすれば、納得して<<死んで>>いけます。

<<講演>>人間って、孤独??(19)

2009 年 1 月 15 日

 91歳~95歳ですね。

 もはや、孤独だとか感じる能力も失せているかもしれません。

一生懸命に、話をしていても、自分の話し方も悪いだろうし、自分の意志は伝わらないでしょうね。

この年齢で、上手に自分を自己表現できる、人達は少ないでしょう。

 

 多くの場合で、廃用症候群で寝たきりか、脳血管障害とか、心臓疾患とか、癌疾患の末期で、酸素を吸って生きている人達も、居ますよ。

既に、経管栄養で命をつないでいる人達も沢山と居ます。

オムツを替えてもらって生きている人達も多いですね。

食事さえ、自分では経管栄養をしていなくても、食事の介助なども受けているでしょう。

そう、誤嚥&窒息したりして、死亡する場合もあります。

肺炎や心不全を繰り返して、医療の手助けを借りて、やっと、生きている場合も多いです。

 

 どんなに考えても、この年齢まで生きる事そのものが素晴らしいです。

歩けなかったり、言葉が伝わらなかったり、行動は何もできないままだったり、周囲からの手助けを待って生きている人達が多いです。

そうですね、家族の皆が仲良くなくては、そして、自分のお見舞いをしてくれる人達がいないと・・・、孤独を感じるでしょう。

それでも、お見舞いをして頂いても、その意味さえ理解できない場合もありますからね。

「人生の終末」は、それほどにその前の段階から念頭に入れておかないと、悩む事になるでしょう。

 

 「一人で、旅立つ」、「孤独で、旅立つ」、そうなのです。

それが、人間の一生ですからね。

その一生の過程が、どうであったかにも関わって来るでしょう。

「人生を、明確にしておかない」と・・、全ては自分の責任でしょう。

折角、此の世に誕生したのだから、笑顔で生きて欲しいのですが、人間ってエゴイストですから、真に大変な生き物だと感じています。

 

 95歳って、孤独でも孤独だと自己表現できない人達が多いでしょう。

自分の家に帰りたいと思っても、残る家族が家に戻してくれない場合もあります。

食事の世話、体の清潔、排泄のお世話を看るって、家族がお世話するのも、本当に大変でしょう。

この年齢で、全部が自分で出来る人なんて居ないでしょうからね。

入浴ですよね、悲しい出来事ですが、高齢者が一人住まいで入浴中にですね、浴槽の中で死んでいるのを、しばしば見受けます。

95歳にもなれば、自分の思う通りには、全てがなりません。

<<講演>>人間って、孤独??(18)

2009 年 1 月 14 日

 86歳~90歳ですね

 この年齢になると、女性も{平均寿命}を通り過ぎています。

心身ともに、健康な人などは居ないでしょう。

一見して、健康に見えても、心身を詳細に調べていくと、大変なほどに壊れていますね。

当人は、認知症を抱えていても、気づいていません。

だから、健康だと思うでしょう。

 

 介護の世界にても、90歳になると殆ど健康だと言える人は見当たらないと、感じています。

何処か、心身の病気を抱えながら、医療や、また、介護の世話を受けて生活している人達が多いです。

勿論、例外は有りますよ。

何とか、それなりに、あまり人の手を借りずに、頑張っている人達もいるでしょうが、健康な人達の数は少ないですよ。

 

 人間の寿命も、「天命」ですよね。

「寿命」そのものが、遺伝子に組み込まれていますからね。

勿論、人によっては、体の検査をしながら早期に自分の癌を発見してもらって、手術などしながら抗癌剤や照射療法などで、命の難関を乗り越えている人達もいます。

手術や癌の治療や糖尿病や、その他の病気の治療を受けながら、自分の命をつないで生きている人達も居ます。

 

 高齢者になって来ると、誰かに頼りたくても、誰にも頼る人が居ない場合もあります。

結婚もせず、子供達も居なくて、唯、唯、ひたすらに自分の人生の目的を生きて来た積もりですが、自分が高齢者になって気づく事も沢山と有る筈です。

自分の人生は、こんな予定では無かったと言えども、誰も知ってくれません。

例え、配偶者があったとしても、「死に別れ」で孤独になっている年齢ですからね。

現代社会では、子供達も一緒に住んでいる場合が多いです。

子供達が、一緒に住んでいたとしても、高齢者のお世話をするのは大変でしょう。

また、現実には、出来ませんね。

 

 施設に入っても、一日二十四時間も、傍に居て自分のお世話と相手をしてくれる、そんな場所は何処にも有りません。

仮に、二十四時間も傍に居てくれても、認知症であっても自分の好みの人でない場合もありますでしょう。

施設であれば、お金もかかります。

一方で、自宅に住んでいても、周りからの援護が必要で、これも金銭がかかります。

人間、誰も、全く無料で奉仕してくれる事はありません。

<<講演>>人間って、孤独??(17)

2009 年 1 月 13 日

 81歳~85歳で見てみましょう・・・。
女性の平均寿命に近づいています。

男性では、ここまで生きるなんて、運が良くないと、人生は終わりに なっていることが多いいですね。

 

 此の世を去って、魂は何処へ、ですね。

でも、人間死んだら、何も残りません。

一生懸命に、あくせく働いて<<貯めたお金>>も、<<名誉>>も、<<地位>>も、全てが終わりですね。

此の世に置き去って、別の世界に旅立つのですから。

旅立った先の世界には、何も有りません。

 

 例えば、85歳の人が一人でお客さんを相手に、商売なんか出来ないでしょう。

一人で自宅に住むだけで、大変な筈です。

衣・食・住など、掃除・洗濯・炊事なども一人では充分に出来ません。

昨今では、子供達とも別々に住んでいたり、子供達は遠くに仕事で行って帰らなかったりですね。

互いの配偶者もそろそろ別々に「生き別れ」「死に別れ」などですよ。

「生き別れ」と言うのは、片方が施設に入ったりで、一緒に住めない訳です。

 

 {老老介護}などとも言われて、お年寄りがお年寄りの介護をしなければならない状況になってきます。

格別に、自宅で{老老介護}なんて口では言っても、そんなに簡単に心身とも不自由な人達が心身不自由の配偶者の世話は出来ませんよ。

孤独になりますよ。

最初は、一生懸命に頑張ってお世話しようと、思うのですが、とても、最後まで人間の気持ちは長続きしませんね。

疲れますよ。

孤独に、なります。

 

 高齢者になってからも、人生を随分と長く生きて来た筈なのですが、この年齢になっても{心の迷い}は出ます。

{人生って、何だろう}と、お世話しながら、疲れ果ててしまいます。

疲れるが故に、「孤独」になります。

夫婦が、どんなに愛し合っていても、あまりにも長期の配偶者のお世話は、困難ですよ。

はたまた、働かない、働いていないで、療養費が幾らかかるのか、また、本人の年金収入などは・・・、色々な条件も重なって来ます。

人間って、孤独ですよ、だから、誰かから優しい声をかけてもらいたいものです。

優しい暖かい声を、周囲から頂いて、何とか生きる事が出来ますね。