<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)2

2009 年 7 月 1 日

 人間個人が、この世に誕生した以上は、自分一人の個人だけでは人間世界を生きる事は出来ません。

絶対に、他者と一緒でないと人生を生きる事はできないのです。

誕生して来る事そのものが、「「奇跡」」ですが、その事さえも真剣に考える事が無いですね。

隣人が、自分の傍に居る事でさえ、「「奇跡」」でしょう。

現実には、たまたま、その隣人が傍にいただけです。

運が悪ければ、もっと変な意地悪い人間が傍に居たかも知れません。

 

 人は、それぞれ、自分の考え方を持っており、他者と同じ考え方を持った人は居ません。

同じ様な考え方の人は、居るでしょう。

それでも、<<様な・・様な・・です>>ね。

{{様な・・ですが、・・・何処かが誰の心}}も異なっています。

要するに、他者の心の立場に立ってから、物事を考える、考えてあげる能力を自分が持っていれば、自分の人生を生きていきやすいのですね。

人間って、大変です。

単に。相手の立場に立って、ずっと耳を傾けるだけでは疲れます。

そこで、大切な事は、時折でも良いですよ。

自分の気持ちを、聞いてもらえる相手が必要なのです。

そんな心を持った友達が、欲しいですね。

 

 自分の心・気持ちを理解してくれる人は、相手が自分の立場に立って理解してくれていますからね。

相手の気持ちも聞いてあげる事が、大切ですね。

相手の気持ちを、心良く聞いてあげれば、相手の立場に立って聞いてあげている事になるでしょう。

互いに、「身代わり」が出来ているのですね。

人間世界を生きるのに、自分だけの心・考え方が通用する事は絶対に無いでしょう。

目前の他者、見えるも見えないも、他者の心を「共感」できる人であって欲しいです。

「共感」、「妥協」、「受容」、「拒絶」、などなど、その場、その場で自分の考え方や気持ちを変える能力が重要です。

 

 相手の立場にたって、物事を考える能力が重要ですが、その上で、自分の心も磨いておく事で、必ず、目前の他者の心に<<同意する、共感する>>だけでなくて、時には、絶対に「拒絶」する能力をも持っておく必要があります。

必ず、相手に「共感」、「同意」、「賛成」などをしなければ、ならないのでは有りません。

自分の心を磨いておいて、相手に「共感」する時は、「共感」しなければいけません。

「拒絶」、「不同意」、「反対」をしなければ、駄目な時もありますが、自分の心を如何に切磋琢磨できているかです。         

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)1

2009 年 6 月 30 日

 人は誰もが、自分の考え方は正しいと思いながら生きております。

目前のもの、人や状況や環境や現象、などなど、全てを自分の判断で考えて解釈しています。

自己中心的に、生きるのです。

一般の俗世間においても{{討論会}}なるものがあります。

皆で討論と言っても、社会生活の中で意識&認識の高い人達とか低い人達などが居ます。

こんな場合では、{{討論会}}にはならなくて、{{勉強会}}&{{研修会}}などになっていくでしょう。

 

 生活水準が高いとか低いとか言っても、全ての人間は<<自分の考えている事、思い方が正しいと思っています>>から、そばから注意や助言されても<<自分の考え方>>を変えませんね。

人間社会と言うか、人生について<<殆どの人達は、理解できて>>いません。

自分の欲しいものが<<手に入らなければ>>、それは自分の生活パタ―ンですから、万一に、どうしても欲しいものなら、自分の考え方を変えて努力&精進をしなければ、今の自分の生活よりも良い生活には出来ません。

当方、繰り返しますが、金銭とか名誉とか誰も欲しいものではあるでしょうが、大事な事柄は人間の持っている「「価値観」」の問題です。

 

 「「「自己とは・・・・???」」」などの言葉が有ります。

自分とは、一体に何者か、自分とは一体にどんな人間か、そんな自分を知る言葉でしょう。

だが、貴方は・・こんな人間ですから、考え方を変えたら如何ですかと聞いたところで、立腹さえしても、感謝をして、自分の気持ち&考え方を変えましょう、などと答える人は居ないでしょう。

悩み苦しむ人達に、貴方の考え方が悪いから、悩むのです・・・なんて言っても・・どうしようも無いですね。

悩んでいない人達でさえ、例えば、うつ病の人達でさえ、悩む、悩まないにも関わらずですね、どんな人達も他者の助言を受け入れません。

 

 人間社会を生きるために、どんな人達も、相手の身・心・・立場になって考える、・・・相手の立場から自分を眺めてみる、これが最高に大事です。

自分と相手の立場を入れ替えて、物事を考える事が、人生を生きるのに大切なのですが、相手との立場を入れ替える・・・その事が、どんなに説明しても理解できない人達が意外と多いですね。

そんな人達は、自分の人生で<<一生のこと、悩む>>でしょうから、心の治療を受けておくべきです。

「インタ―ネット心理療法」でも、十分です。      

<<心の世界>>我が儘 3

2009 年 6 月 17 日

 昨今では、男性も女性も、昔と違って、あまりにも自由を求め過ぎるようです。

時代の流れに沿って、人の心も変ります。

いや、人の心のみでなくても、全ての世界は常に流転&変転を繰り返しています。

小学高学年にもなると、かなり、自分の姿や心を意識しますし、これは、他人の心を意識しているのです。

何となく、この年齢にもなると、<<褒められたい>>、<<優秀な人にみられたい>>、などなど、自分を中心に考えたくなります。

他人を褒めるよりも、自分が中心になりたいのです。

ところが、いざとなると、何も出来ないので、中心人物にされたらパニックとなる人達も居ます。

 

 <<褒められたい>>、<<優秀な人にみられたい思い>>ですが、現実には、そう思うだけです。

それ以上の事が起こると、自分の力量では自分をコントロ―ル出来ない事が分かっているので、唯、思うだけです。

そして、{劣等感}を抱えて、事あるごとに他者を恨んだり嫉妬したりもします。

{{我が儘}}、そのものです。

学校では、勉強ができない、頭が悪い、背が低い、背が高過ぎても嫌だ、走るのが遅い、などなど、何かにつけて他者と比較します。

もう、この頃から{損}と{得}、{勝ち}と{負け}、{優}と{劣}、などを無意識的に計算して生活をしています。

勿論、当人達は気づいていませんが・・ね。

 

 幼い頃からの{我が儘}というのも、結構と注意しても治りません。

子供達に、何事につけて注意しても、彼等の心は治らないし、助言や説教しても<心は変らない>のです。

この幼い頃から変らない{我が儘}は、大人になっても変らないまま成長して、そのままの心を一生に渡って引きずって行きます。

{我が儘}な大人、そんな人間同士が此の世の中で衝突しながら生活しなければならないのです。

恐ろしいですし、考えてみると、本当に怖いです。

 

 しばしば話しますが、{劣等感}は人生の飛躍のバネになると言う人達がいます。

そうでしょうか、{劣等感}を持たないで、自分の人生の力量を大きくして楽しく生きた方が良いと考えますが・・・・。

中学生くらいになっても、自分の心にブレ―キをかけるなんて、難しいですよ。

注意されれば、されるだけ、余計に反抗心を大きくして、最後まで{反抗}を続けるのが、普通の人間、いや、考えれば、時限の低い人達もいます。

口で話しても、駄目なのです。「・・ネット療法」を体験して下さい。

<<心の世界>>我が儘 2

2009 年 6 月 15 日

 最初は、幼い時、親の心・性格・人格が、{我が儘}に関係し

ていような話もしました。

また、認知症者の異常行動も、しっかりと考えてみると、結局、過去の記憶装置である頭の海馬と関係していると、思われます。

皆さんに何度も伝えますが、人間として他者を<<非難>>したり<<見下げたり>>する事は駄目だと感じます。

ここでは、{人}が人間世界を生きる事について話をしています。

 

 {我が儘}は、その{我が儘}の基準が有りませんから、誰が決定するかでも、ありましょう。

人間世界、此の世を生きるにあたり自分勝手な{会話}・{行動}・{心}などなど、少ない方が良いでしょう。

自分は{真面目な人間}だと思っている人達ほど、{我が儘}で大変な{人}ですね。

昨今では、幼稚園、小学低学年でさえ、既に、携帯電話を持っている人達が多いです。

携帯電話を使用して、相手の携帯電話にメ―ルを使って<いじめ>をします。

かなり相手がショックを受けるような言葉を投げたりもします。

文明の「利器」が、人の心に<<災い>>をもたらすのですから、考えてみると皮肉なものです。

 

 携帯電話のことのみならず、もっと厳しいのは、親が自分の子供達を如何に育てるかですが、それが実に大きな問題です。

全体的に、人の心・性格・人格を観察しているとですね、自分の好きな事だけを求めて生きると、必ず、疲れます。

人間世界を生きていて、自分の事ばかり考えて生きると、心の葛藤を沢山と抱えてしまうのは当然です。

好き嫌いの多い{人}となってしまうのは、既に、幼い時からの育ち方に関わっています。

それ故に、親の子育ては、非常に大切です。

では、親が居れば、子供達は上手く育つのかと問われれば、親の育て方に問題があり、如何に子供達を育てるか、唯、唯、それだけです。

 

 勿論、両親の居ない家庭も、現在では、沢山とあります。

両親が離婚してしまって、赤ちゃんから小児になる間に【離婚】が起こり、子供達は自分の<<親の顔を知らない>>場合が沢山と増えて来ました。

こんなケ―スは、昔からも有りましたが、昨今の人間世界では<<両親の離婚>>は益々と増えて来ています。

だから、祖父母から、或いは、親戚から育てられたりの場合も増えています。

誰も、子育ての面倒を見ない場合では、先進国では、一定の施設で子育てが行なわれている国もありますよね。

親の{心}が、悪いです。自己の心を、知る事です。

<<心の世界>>我が儘 1

2009 年 6 月 11 日

 人間の考え方って、面白いです。

自分の人生を真面目に生きていると、考えている人達が多いです。

これは、人間の{性}なのでしょう。

生まれながらに、誕生した時から、そう考えていますよ。

勿論、誕生直後では、「善」と「悪」の区別は出来ませんけれど・・・。

乳児の時から、既に、{不満}、{不平}、{怒り}の感情なども、乳児の記憶の中に積もって行きます。

人って、生まれながらに{我が儘}にできていますね、いや、<<生い立ち>>の中で{我が儘}は沢山と増加しますが、多くの人達が、{{私は、真面目、自分は真面目だ}}と、常に、思っています。

 

 幼い頃から、自分さえ良ければ、<<良い>>なんて考えているのですね。

それにも関わらずに、人の{性}でしょうね、自分は素直で良心的で{良い人間}だと考えています。

人は、此の世を生きるのに、自分勝手に生活をしていれば良い訳ではありません。

そう、母親と父親を「因縁」にして、此の世に誕生した後に、親から育てられます。

ここまでは、いいとして、子供達の{我が儘}については、両親の育て方に{{問題}}がありますが、時折にですが、先天性で器質的疾患による脆弱性を抱えている人達の「心」・「性格」・「人格」を変えるのには、あまりにも無理な場合もあります。

 

 例え、どんな心理療法を行なっても無理なケ―スは無理ですね。

少しながら、歳月を越えますが、認知症者の心理療法も無理ですね。

始まったばかりの認知症者へは、場合によっては、食事摂取不良などで<<脱水症>>などが強度になれば、幻覚や急性痴呆症状なども見られる場合があり、この方達では、補液や食事が可能となれば、突発的痴呆症症状は治るでしょう。

全部の人達が軽快して治る訳でもなくて、突発的認知症や徐々にやって来る認知症状でも治らない場合が多いです。

 

 興味深いのは、人間の日頃に考えている事柄が、認知症者になって<<潜在意識や無意識の心が飛び出して>>来ますから、非常に興味が有ります。

彼等は、{我が儘}を言っていますが、絶対に周囲の他者の助言にも耳を傾けずに<言われた事>に、言われるように納得しないのです。

穏やかな{認知症者}も居ますが、暴言、暴行、錯乱、介護への抵抗、など、まだまだ、足の丈夫な認知症者では<<徘徊>>のために、何処かへ行って行方不明になり、交通事故などで亡くなる場合もあります。

これとても、幼い頃からの育ち方が、頭の奥深い場所から、即ち、過去からつながっているみたいですよ。

{我が儘}は治しておくべきで、「・・ネット心理療法」で十分です。