<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)7

2009 年 7 月 15 日

 先述で、親への「恩」、親への「感謝」が、どれほど重要か、少しは皆さんに理解できるでしょう。

古い昔の言葉ですが、非常に大事で大切な言葉です。

子供の生い立ちの頃に、親への思いが<<如何なる状態であった>>かですね。

親への「身代わり」が出来れば、つまり、親の立場にたてれば、親への「恩」と「感謝」につながりますし、それは、親への{{信頼感}}でもあります。

 満2歳までに、「基本的不信感」が形成されますので、幼い頃の子供達の心が如何に大切かですね。

勿論、満2歳から・・・その後に育まれる心を「第2期の基本的不信感」などと言われています。

 

 人間にとって、幼い時期・子供の時期に、育てる人達が、どれほど上手に育てたかです。

子供達にとっても、育てられる過程で、誰も皆が、上手に理想的に育てられるかというと問題ですね。

先ず、育てる側を考えると、先述していますが、子供の成長に対して理想的な親、理想的でない親、祖父母、姉や兄、他人が育てる場合など、多種多様です。

ある程度に成長した子供達に向かって、親への「恩」とか「感謝」を感じなさい、なんて言っても、そんなに自分を育てた人達に<<有り難さ>>を感じられる筈がありません

それ故に、ある程度に成長した子供達に対して、親に「感謝」をしなさい、親への「恩」を感じて下さい、なんて言っても無理があると言うものです。

 

 子供の成長時代に、親の立場を理解するのは難しいものです。

育てる人達や親達は、少しながら自分が育った社会情勢と様々なバックグラウンドを無意識的ですが、知っています。

そんな自分達の思い・尺度で子育てをするものですから、子供達に心の葛藤が生じます。

何故って、子供達は人間社会の「掟」とか「ル―ル」などを理解していません。

育てる側と育てられる側の間で、当然に{{心の摩擦}}がおきます。

悪い方向に進むと、登校拒否、非行、いじめ、自殺、引きこもり、神経症、心身症、うつ病、シンナ―中毒などになり、不満、不平、悲しみ、孤独、やきもち、嫉妬、恨み、憎しみ、嘘、盗み、罪、など、無意識的にしても、様々な心の葛藤が溜まってしまいます。

 

 成長期の子は、育てる人の気持ちが理解できる年齢ではありません。

でも、ある程度の年齢を重ねて、自分が大人になれば、一度でも二度でも良いから、育てた人の心が読めるように、先ずは、自分の心を読める修行をしてみないと駄目ですね。

そのためには、育てられた子供が少しでも大人になれば、自分の心を点検する事です。

過去の自分の心の中に、マイナスの感情が有るのか無いのかを、知っておく事が重要であり、{{身代わり}}出来ているか、「身代わり不可」かも、直ぐに、分かるでしょう。

過去の心の【旅】、「インタ―ネット心理療法」を、試みて下さい。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)6

2009 年 7 月 13 日

 前回に、親への「恩」とか、親への「感謝」などと、そんな話をしましたが、一般の皆さんは<<何で、そんな古い話をする>>のかとの感じも有ったでしょう。

それでも、大切な話なのです。

子供の学校生活でも、いじめ、自殺、非行、引きこもり、登校拒否、神経症、うつ病、シンナ―中毒、などなど、また、大人の出勤拒否、アルコ―ル依存、セクハラ、パワハラ、覚醒剤依存、事件、犯罪、などについても、全てが、幼い頃からの<<母親や父親や兄弟姉妹、などとの関連>>が有るものです。

 

 どんなに自分で読書して勉強した積りでも、現実に心理療法に関わった人達でないと、理解できないでしょう。

精神科医や診療内科医の先生にも、「心理療法」の有効性については体では理解できていません。

大学の精神科の教授が{うつ病の話}をした時に、当方が質問と言うかコメントした場合が有ります。

「うつ病者の治療」に、何故、薬の投薬だけの話をするのですかと?? 本気で質問しました。

 精神科医の教授は、何も返事をしてくれませんので、仕方なく、「「「心理療法」」」をしていないのですかと、更に、質問を追加しました。

教授は、曰く・・・、心理療法を勉強していないとの事でした。

 

 そんな返事が戻って来たら、それ以上の質問もできないので、では、質問は中止しましょうと、言ったケ―スがありました。

当方の考え方では、うつ病になるのは、悩むから{うつ病}になるのであって、悩まなければ{うつ病者}にはならないと、言ったのです。

うつ病になってしまったら、今更、自分が何を考えて生きるのか、全く自覚できません。

最初から、悩まない人間であったら、<<誰も、{うつ病者}には、なりません>>ね。

これが、当然の事実なのですが、何故か、医療の世界で<<心の治療>>は見落とされています。

 

 {うつ病者}に限らず、全ての心が絡んだ病気は、自己中心的な考え方からなのです。

当方が伝えている「身代わり不可症候群」の人達が、多いです。

自分が生きている世界を、自分を中心に考えています。

眼前に居る人の誰の考え方をも、全く受け付けません。

{うつ病者}も、そうなのです。その他の心の病の人達の全てが、そんな心の状況ですね。

親への「恩」を感じる人、「感謝」を感じる人は、親の気持ちを理解できる人だから、「身代わり」が出来るのです。

そんな人達は、悩みの世界に入っても、自分の「身代わり不可症候群」に気づけば、直ぐに、心を変えられますから、{うつ病}も治ります。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)5

2009 年 7 月 8 日

 何度でも、繰り返して言っておきます。

「身代わり不可症候群」・・「身代わり不可症候群」・・大事な大切な言葉ですから、記憶して下さいませ。

人間が誕生した時から、そして、物心がついた時から、「身代わりの出来る子供」であれば親の「恩」とか、親への「感謝」が理解できていた筈です。

昔から、親への「恩」とか「感謝」の言葉は教えられて来た筈ですが、当方が思うには、言葉の説明をしても、聞いた人に伝わらなかったと考えています。

言葉そのものは、非常に簡単で優しいですが、体で「この言葉」を理解できるには、大変と難しいです。

 

 現代社会で、親の「恩」を理解できる人がどのくらい居るでしょう。

親への「感謝」が、分かるのでしょうか。

多分に言葉の意味は分かっても、体でこの「恩」とか「感謝」を悟っている人は、殆ど、居ないでしょう。

この意味が、解釈が可能であれば、「身代わり」出来ている人ですよ。

親の立場に立って、自分を見つめる事になりますからね。

子供の時から、ある年齢になって、無意識的には、親の立場になって「身代わり」が出来ているものです。

でも、子供の時に無意識的に悟った「身代わり」は、何事につけても欲の深い大人の世界に入ると、忘れてしまう場合もありますし、殆ど忘れるでしょう。

 

 誕生して、少しずつ大人への過程で、その後にも、普通の生き方をしていれば、心の葛藤は山積みされて来ます。

時折にでも、自分の過去を振り返り、自分勝手な生き方をしていなかったか、自分の「過去」の道を歩かないと、本当の真実なる自分の姿は見えて来ません。

「身代わり」していたのに、何時の間にか「身代わり」できない自分、「身代わり不可症候群」のような生き方になっている事に気づいて来るでしょう。

まあまあ、普通の生き方、余程に偏った生き方をしていなければ、少しでも自分の過去を振り返れば、「身代わり不可症候群」にはなっていたかどうかの判断は直ぐに出来るでしょう。

 

 唯、唯、大変なのは、国対国、宗教対宗教、経済対経済、などなど、事柄によっては「身代わり不可症候群」に、ならざるを得ない場合もあるでしょう。

個人対個人、全体対全体、国対国、宗教対宗教、などなど、物事の内容によっては、絶対に<<身代わりできない状況>>もあるでしょう。

だが、これは、ここでは、例外としておきましょう。

ここでは、個人の心について話をしておりますので、とりあえず、個人の心理療法に重点を置いて話をしておきます。            

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)4

2009 年 7 月 6 日

 相手の立場になり考える、「身代わり・・」、「身代わり・」、これが最高に大切でしょう。

自分の事柄にだけ執着すれば、非常に人生を見る視野が狭くなるので、生きる事そのものが疲れます。

じっくりと、自分の{生い立ち}から~~生きて来た現在までの{心}を眺めてみると、自分の幼い時の【失敗】などが、沢山と見えて来るようになり、自分の考え方が足りなかった、もう少し上手にここまで生きる事ができたのではないかと、気づいてきます。

これが、大事なのです。

 

 人間世界を生きるのに、自分一人で此の世を生きているのではありません。

自分が居て、他者が居る。

他者が居て、自分がいる。

上記、どちらの考え方も正しいのですが、他者が居て・・・自分も生かされているのだと感じるのであれば、立派です。

皆が、こんな考え方は、なかなかしません。

そう、{{相手の立場}}になって、物事を考えないのです。

どんなに{{相手の立場}になって考えてあげて下さいと、当方から、お願いしても、全然と、この言葉が伝わらない人達も居ます。

 

 相手の立場になれない、「身代わり不可・・・」、「身代わり不可症候群」と言っても間違いないです。

この意味が理解できない人は、必ず、人生を歩む過程で、人生の壁に衝突するでしょう。

さもなければ、自分がしらない間に、他者から間違いなく歪な眼差しで<<自分を眺められて>>いるでしょう。

歪な眼差しだと、言っても、他者の眼差しが歪なのではありません。

真実には、逆に、自分の眼差しが<<歪・歪・歪>>なのです。

もっと、人間世界を知る事、更に、地上の世界を知る事ですよ。

 

 政治家や官僚の人達ほど、案外、自分の心を見ずに、自分の外側だけを眺めるようです。

彼らも、「身代わり不可症候群」の人達が、沢山とみられるようです。

立場上で、無意識的に人格は横柄となってしまいます。

相手の事柄、他者の困る事柄など考えずに、自分の得をする事柄だけを考えるようになっている人達もおられます。

人格の脆弱の人達も、こんな風な人生観を持っている人達が多いです。

自分の事だけが、中心であって、それ以外は、どうでも良いのです。

他者が、どんなに苦労しようと、自分さえ良ければ、それで良いと考えるから、人生を生きるのが難しくなります。

相手の立場に立つ、他者の立場に立つ、それができない「身代わり不可症候群」の人では、生きるのが難しいです。   

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)3

2009 年 7 月 3 日

 人間が此の世に誕生した以上は、誰にも悪口を言われずに、自分の一生涯を終わる事はできないでしょう。

誰かから悪口を言われて死ぬのが、人間の「定め」かもしれません。

「見栄」と「虚栄心」が有ると、言う人が沢山と居ます。

このような人達は、本当は、立派な人ではありません。

こんな意識を抱えている人達は、未熟な人達です。

そんな考え方は、生きるのに邪魔になるから<<その思いは捨ててしまったら>>なんて助言するのですが、誰も皆が<<捨てられない>>と答えます。

 

 「見栄」や「虚栄心」を持つ事が、イコール・・「劣等感」となってしまいます。

「劣等感」は人間の人生を飛躍させるバネになるだろうと言う人も居ますが、このような人は、自分に劣等感が有る事に気づいていない方も居られます。

人生を気楽に生きるためには、「劣等感」なんて本来的に<<人生の飛躍>>にはつながりません。

「劣等感」を捨てるなどと、言っても、本当に捨てられません。

また、大事な事は、「劣等感」を捨てた人は、人生を気楽に生きる事が可能なのです。

言い変えれば、「天」と「地」がひっくり返ったような気持ちで生きられるものです。

 

 相手から、周囲から、自分&自分の事を良く見られたい、などと考えるから「劣等感」になってしまいます。

逆に、相手の立場になって考える事、これが、人生で最大に重要です。

相手の立場になる・・所謂・・「身代わり」ですね。

相手の立場にたって、自分を見る事ができれば、最高でしょう。

殆どの人達が、相手の立場に立たずに、自分の立場から自分勝手に相手を非難・批評している場合が多いです。

批評くらいなら、まだまだ、良い方ですが、非難しては恨んだり嫉妬したりして、逆に、自分が孤独にもなってしまいます。

 

 誰も皆が、親も違うし、生い立ちも違い、現在まで生きて来た間に出会った人達も全部の人達が違います。

現在、眼前に居る人達と全部の考え方が同じだったら良いなんて、考えるとすれば、そちらの方が駄目なのです。

自分と「心」・「性格」・「人格」、などなど、合わなかったら、ゆっくりと相手の立場になって、自分を眺めてみる事なのですね、繰り返して伝えていますが・・・。

皆が、「心」・「人格」などは、違いますから、どうしても、相手の立場になって考える能力は重要です。

重要ですと、言うよりも、人間世界を気楽に生きるのであれば、「身代わり・・」は当然と理解すべきでしょう。

「・・ネット心理療法」の試みで、OKです。