<<心の世界>>我が儘 10

2009 年 8 月 20 日

 会社や企業で就労している人達は、定年がやって来ます。

誕生後に、此処まで生きて来て全く{不平}や{不満}や{恨み}や{憎しみ}や{劣等感}や{妬み}を持たないで生きた人達は居ないでしょう。

一方で、自分の誕生後に、{死}を迎えるまでに、一度も<<他者から悪口>>を言われずに亡くなっていった人は、誰も居ないであろう。

逆に、先述しましたが、本人そのものが誕生後、滅するまでに、他人の悪口や不平を言わないで滅する人も居ないです。

 

 自分以外の他者に、「不平」、「不満」、「怒り」、「悲しみ」、「やきもち」、「嫉妬」、「妬み」、「孤独」、「恨み」、「怨念」、「呪い」、などなどを持たなければ、自分の人生を幸せに感じます。

また、その境地~心境にまで辿り着かないと、自分の体で理解は難しいのかも知れません。

人間って、凄く【【我が儘】】ですよ。 

定年後を如何に生きるか、色々な道がありますが、人それぞれですね。

認知症になるか、ならないか、この事については、難しいです。

遺伝的な要素は、否定できません。

しかしながら、誕生後に、人が如何に生きて来たかの問題も絡んでいるみたいです。

大病したりでの体の大きな病気、大病しなくても、認知症になる人達が見られますから、遺伝子だけでは説明ができないみたいです。

 

 やがては、老いて高齢者に、長く生きれば<寝たきり>や車イスになっていくのが「人の定め」です。

大変に興味が有るのは、認知症者になってから後に、心のあまりにも不安定な人達が見られます。

これも、場合によっては、大脳や小脳の一部か脳実質の部位の損傷で違うのかも知れません、見た目の{{我が儘}}もですね。

{{我が儘}}な心・性格・人格が、極端に強度に現れて来る場合があります。

この現実を考えて、認知症者に長年月間にわたり関わっていますと、彼等の{生い立ち}を含めて、彼等は【結婚生活】や{独身者}で生きて来たのか・・・、同じそんな環境で生活して来たと言っても、それぞれの人達が微妙に違っています。

 

 認知症者の異常行動や異常会話や徘徊や抵抗性や暴力や被害妄想&幻覚や妄想、などなど、凄く違っていますから、興味深いです。

こんな症状も、当方から見れば、アルツハイマ―型痴呆症でも、随分と症状は違っています。

寝たきりであっても、人間はいよいよ「死」が目前にならないと、余分な異常会話や異常行動は、止まらないみたいです。

「生い立ち」と「人生とは、何か??」を、「インタ―ネット心理療法」の体験で、大丈夫ですし、痴呆防止にもなるでしょう。        

<<心の世界>>我が儘 9

2009 年 8 月 18 日

 人は、やがて、中年となりますね。

時の流れと共に、自分の心身のバランス、ホルモンのバランスなども、好き嫌いに関係なくて、壊れて来ます。

一見、見かけや姿も変転&流転を、繰り返しています。

子育てが終わり、一段落した家族も居れば、企業の中で出世もできなくて<喘ぎ>ながら悲しみながら、生活している人達も居ます。

 人間社会で生きる事に、「努力」と「切磋琢磨」せず、出世できる筈もありません。

自分が「努力」とか「切磋琢磨」とかしていると言うよりも、全く、そんな考えを持たないのですから、大変です。

 

 自分の心の「器」を知らず、人生を生きる事が一番に大変ですね。

自分の実力と力量を知らずして、それ以上に自分の人生を生きるのは、やたらと【心の葛藤】が増えるだけです。

出勤拒否、アルコ―ル依存、神経症、心身症、うつ病、などに、罹ってしまいます。

時には、盗み癖、サラ金などと、罪を重ねて生きる事となるでしょう。

自分の心の中の「器」を知らないと、壊れたままの「器」では、何も出来ません。

 

 格別に多いと言われるのが、昔から言われていますよ。

「「空巣の症候群」」なんて、昔から有名な言葉です。

自分の側で育てた子供達が、巣立っていくのですから寂しくなります。

そして、気持ちは落ち込んでしまいます。

この寂しさを、配偶者が理解してくれるでしょうか。

決して、理解できません。

一人で考え込んで、悩みます。

 人生って、何??? そんなに思っても自分の心の葛藤を操作して簡単に消去できる訳もありません。

 

 自分が真面目な人、自分は{{我がまま}}なのに、真面目な人だと{思い込んで}いるから、そんな症状も抱え込んでしまいます。

また、子供達が離れる前にも、大学までやれば沢山のお金も必要です。

子供達が結婚して去った後には、場合によっては、夫婦だけの生活となる場合が多いです。

運が悪いと、それまでに離婚している家族も居ますが・・・。

 

 次第に、企業に就労していれば、定年も近づいて来ます。

第二の仕事を考えるか、趣味だけで生きるか、自分達で考えながら判定して生きる事になります。

ここまでに来る間に、自分の親との「死に別れ」、余程に不運であれば、自分の子供達との「死に別れ」もあります。

人生を大事に学習しておきましょう。          

<<心の世界>>我が儘 8

2009 年 8 月 12 日

 子供達も、成長してきます。

子育てに、次第にお金が必要となってきます。

経済的に、配偶者と共に、話し合いながら仕事もしなければならないでしょう。

子育てなど、配偶者間で、更なる、心の変転は起こって来るでしょう。

仕事をする方も、年齢が増してくると、自分達の部下を指導しなければなりません。

 

 色々な人達が、居ますよ。

上司に対しては、上手に付き合えるが、同僚とは上手くいかない、部下とも上手くいかない、なんて、人達も多いです。

ですが、逆にですね、上司には上手く対応できないが、同僚や部下とは上手に付き合えるなんて人もいます。

 また、こんな心の中間の人も、居ます。

自分では、素直に正直に話したり行動したりしている積りでも、他者から見ていると、とても変った変人に見える事がしばしばです。

本当に、{{我が儘}}に生きている人が、素直だと考えているので、思いが衝突したり、皆が楽しく生きる事は出来ません。

自分の家族から、会社~集団~自分の住んでいる場所~地方~県~国~国家~世界の国々~太陽系~~~~、ここまで心の視野が届くといいのですが・・・・・。

 

 結婚して、会社勤めをして、歳月が流れると、人間はともすれば惰性となってしまいますし、一体に、自分の価値は【何】などとも無意識的に思っています。

生きている価値観、私は<<何のために、生きる>>、<<何故に、生まれて来た>>のか、<<私の生き甲斐>>は、普通であれば、「人生とは、何か」を問い詰めなければいけません。

けれども、漠然と心の中に不満を溜めて、{{我が儘}ですよ。

自分の心に、{{我が儘}}が溜まり込んでいるのに、自分の眼前を非難したり、恨んだりして生きる方角に向かいます。

 

 自分は真面目だから、周囲の皆が<<間違っている>>から、などと、それでも、客観的に見る眼を持っていれば良いのですが、自分を中心にして外側を眺めるから、心の葛藤は蓄積してしまいます。

とにかく、自分の視野を自分の体から離して、逆の方角から自分を見つめる事が可能な人間となる事が非常に大切です。

そう、人間世界を生きる訳ですから、沢山の違った生い立ちの人達と出会いが有ります。

色々な真実に不真面目な人達とも、多く出会います。

家族との生活、仕事で企業に働きながら、沢山の思考体系を必要とします。

「インタ―ネット心理療法」の体験が、重要です。   

<<心の世界>>我が儘 7

2009 年 8 月 10 日

 青年期、或いは、この年齢を過ぎる頃から、多くの人達が結婚もします。

最近では、結構と結婚しない人達も居ますが・・・。

結婚する人達は、また、二人の異性が一緒に一つ屋根の下で過ごす事になります。

互いに、好きで愛して恋して結ばれた筈で、楽しく二人で永久に一緒に住んで、良い家庭を築いていこうと考えています。

でも、二人がどんなに愛し合っても、【生い立ち】が違うのです。

 

 二人が結婚しようと考えている間は、顕在意識、むしろ、表層意識と言った方が良いかも知れません。

そんな、浅い心で一緒になっています。

 そう、自分達は違うと言っても、二人とも自分達の深い心、潜在意識と無意識の心をしっかりと確認しておかないと、駄目です。

二人が同じ屋根の下、一軒家に住んでいると、何時も顔を突き合わせている事が多くなります。

そんな生活の中で、次第に、互いに自分の深層心理のエゴの心が、時折に、見られるようになり、意見が衝突する回数も増えます。

いや、眼に見える意見の衝突は少なく見えても、どちらかが、黙っており、心の中では、不満が溜まってゆきます。

 

 赤ちゃんが誕生して来ると、子育てと、互いの配偶者との間での{心の葛藤}も増えて来ます。

よく、言います。

子育て、ノイロ―ゼなどとも言いますね。

お母さんの方が、遥かに、子育てノイロ―ゼは多いです。

主人は、主人で、赤ちゃんが誕生すると、お母さんの子育てで、主人の世話をする時間も少なくなってしまうし、主人も考え方を変えなければなりません。

時間の流れによって、人の考え方の流れも流転して行きます。

一方で、結婚しない人達は、結婚しない事で【心の葛藤】を持つ事になります。

異性としての、生き方も、歳月を重ねる毎に【意識の変転】が独りで湧き上がって来ます。

 

 昨今は、離婚も多くなってきました。

シングルマザ―なんて言葉も、あります。

互いの{{我が儘}}が無ければ、結婚しても、離婚しなくても良いでしょうが・・・、例え、離婚しなくても、夫婦喧嘩を子供達が幼い頃から眺めていますと、子供達までが{{我が儘}}に育って来ます。

就労して働いていても、他人との付き合い、上司との関係、更に、異性との関係までが、{{我が儘}にならなければよいがと、考えますが!!!    

<<心の世界>>我が儘 6

2009 年 8 月 7 日

 【閲覧文】で何度も繰り返して、述べています。
{働かざる者は、食うべからず}、です。

人間は、勿論、例外的な場合もありますが、人は誕生して成長した以上は、此の世を生きる限り{働かざる者は、食うべからず}です。

嫌いとか、好きだとか言ってるものでもありません。

この事は、当然で、原則であり「鉄則」です。

 

 心は人の眼には見えませんが、人の心は{万華鏡}のようなものでしょう。

美しい心もあれば、汚れた心もあります。

その中間の心も、あります。

色とりどりの心を、人は持っています。

昨今では、格別に世の中の事件と言うか犯罪なども多くなりました。

自分の考えが間違っているのに、私の心は正しいと思っているのです。

自分の心が正しくて、相手の心が間違っていると、考えている人達は{本当に駄目な人}ですよ。

自分が正しい心だと考える人達ほど、{{我が儘}}な人なのです。

 

 人生を生きるのに、社会の中の企業の集団の中でしか生きる事は出来ません。

一人で農作業をして、一人で生きていくと言っても、やはり、誰かが自分の作った産物を買ってくれないと、人生を生きるのが大変です。

そうであるから、人対人、更に、人対環境への適応が最大に重要です。

自分が嫌いな人には、嫌いだと言って近づかない。

自分が嫌いな環境には、嫌いだと言って近づかない。

現実的に、此の世を生きるのに、自分の考えは正しいと主張して、相手方の考えに「受容」、「共感」、「妥協」、などが出来ない人達は、此の世を生きるのが大変となります。

嫌いだから、嫌だから、好きではないから、気持ちが向かないから、相手や環境に{不満}があるから、だから、自分は妥協できない、などと考えていると、此の世を生きるのが難しくなるでしょう。

 

 自分の意志で、必ず、此の世に妥協して適応して生きるしかないと、感じる人は立派です。

昨今では、インタ―ネットで呼びかけて一緒に自殺するくらいですから、大変な世の中となっています。

青年期の人達のナルシスト、エゴイスト、などは、人格矯正が必ず必要ですが、各自がそんな意識を持たなければ、一生、駄目人間で生きる事になるでしょう。

可能であれば、出来るだけ早く、自分の心の「器」を大きくして悩まないで人生を生きる事です。

自分は、真面目な人と思っている人達ほど、{{我が儘}}な人達であります。

「共感」、「妥協」の出来る人となりましょう。