<<家族・親子>>親と子の心(5)・・・・事件・犯罪

2009 年 9 月 2 日

 {閲覧文}にも、今までに掲載していますが、親と子の{事件}や{犯罪}などは、両者の心が関連しています。

親と子と、言いましたが、親の父と母、所謂、祖父母の心にまで関係しています。

親の親は、通常は、子供から見れば祖父母になりますが、親の親が必ずしも本当の親ではない場合もあります。

親には親が居ますが、遺伝子のつながっている真実なる親と、子育てだけの親の場合もあります。

 

 自分の心を点検する時、過去から自分の{心が如何に動いていた}かを知るためには、回想時に{相手の心の動き}、また、相手は、相手の心は<<何で、そんな動き方をした>>のかを考える必要があります。

そのためには、自分の親を育てたのは、誰かを確認しながら、自分と親の<<立場を入れ替えて>>心の動きを考えるのです。

この立場を入れ替え出来ない人達が居られます。

自分の人生を生きるのが、大変ですよ。

 

 人、他人との立場を入れ替えできない自分(みなさん)は、他者の心の痛みを感じる能力に欠けるので、最終的には他者と一緒に生きるのが、疲れます。

何故って、心の葛藤が溜まるばかりですから・・・・。

その{心の葛藤=ストレス}を、自分で処理できなければ、悩みや苦しみや怒りや恨みや怨念まで抱えてしまいます。

そんなストレスを抱えておきながら、自分でストレスを消去できなければ、最終的には、事件や犯罪につながります。

 

 世間や、マスコミでもしばしばと言いますが、事件や犯罪を起こした人達について、{あの人は、おとなしい人}だったなどと、よく言っています。

そんな解釈は、当方から見れば、間違っています。

おとなしい、真面目に見える人達は、<<心の中に、ストレスを溜め込んで>>います。

言葉を発する事の出来ない人達、このような人達は真面目でおとなしく見える場合がありますが、その<<おとなしさの裏の心に、どんな心が動いているのか>>を見抜ける人でないと、他人の本当の心が見えていないものです。

 

 「「もの言わぬは、腹ふくるる」」と、言う言葉があります。

口数の少ない人が、自分の傍に居れば、注意した方が良いでしょう。

何故って、何度も繰り返しますが、そんな人達の方が沢山と<<心の危険度>>を持っています。

自分の心が爆発するまで、自分は正しい人間だと思い込んでいます。

怖いですよ、事件や犯罪を起こしますから、要注意ですが、皆さんには理解できないかも知れません。 とにかく自分の心を知る「・・ネット心理療法」の体験でしょう。

<<家族・親子>>親と子の心(4)・・・・事件・犯罪

2009 年 9 月 1 日

 小学校に入ると、随分と変化してきますね、格別に自分の心は未だ見えませんが、他者を批判する心は、随分と成長してきます。

小学校でも、低学年では、まだまだ、他者を批判していても<<批判の心は小さい>>です。

小学高学年になると、随分と子供達の心も変化してきます。

自分を、自分流で見る眼は、勿論、持っていません。

ですが、かなり、目前を批判する心だけは出来上がっています。

{不平}、{不満}、{立腹}、{悔しさ}、{悲しさ}、{恨み}の感情などは、いくらでも持てる年齢になって来ています。

勿論、まだまだ、大人ではありません。

 

 子供達の心の「平安」が出来る、育つ場所は、どんなに考えても、家族の中にしかありません。

母、父、兄弟、姉妹、などなど、皆が好きかどうかで決まってきます。

兄弟姉妹が居ない子供達は、それで、納得した生活を送っているか、どうかですね。

どんなに考えても、子供達が途中で育たなくなるのは、家族の{{病}}が隠されています。

悲しいものです、いや、なんとも、言えません。

親に、貴方の育て方が悪いと教えてあげても、絶対に自分は悪くない、なんて言うのですから・・心理士として、悲しいものです。

自分の生き様を、{懺悔}できない親達は、他者の言う事柄を受け入れないから、誠に悲しい限りです。

 

 当方、随分と長期間にわたり、「心理療法」に関わってきました。

子供さんが悩み苦しむ時には、親が絶対に子供の心を叱らない事が、最大に重要です。

又、<<子供達を叱りながら>>一方で、心理士の悪口を言うのです。

そんな親達は、永遠に自分の子供達に{心の平和}を与えられないことでしょう。

悲しい事実ですから、伝えておきます。

当方が、しばしばと聞いたり見たりする真実ですが、子供達を叱って彼等の心を治療する事は出来ません。

 

 自分の親が嫌いな子供達は、周囲の人達を好きになれないのです。

心底と、他人を信用する能力を持ち合わせていません。

人間って、心の底に安定した心を持っていないと、常に、自分の現在の心が不安定です。

そんな不安定な心が、何処からやって来るかを、知っていないといけません。

人間に一番と大事なものは、「心」なのです。

子供の健全な心は、全ては、親の心の有り方しだいですよ。

世の中を「生きる事」は、自分の心を上手に動かせないと、立派な生き方はできません。

「己の心」を知って、初めて他者の心を理解出来ます。 

<<家族・親子>>親と子の心(3)・・・・事件・犯罪

2009 年 8 月 27 日

 授乳中の赤ちゃん育ても、難しい事を前回に述べました。

では、乳離れしたら、どうかです。

「昔から三つ子の魂、百まで」との、言葉があります。

昔は数え年でしたから、三歳ですが、現代では満2歳になります。

人間の心の成長では、第1期の不信感は、2歳までに決まって来ると言われます。

乳離れしてから、まだまだ、その後の1年間が大切だと言うのです。

1歳から、2歳になるまでを、周囲の誰もが話もせずに周囲の誰もがスキンシップをしなかったら、やはり、人の子供として育ちません。

怖いですね、想像しただけでも怖いです。

 

 周りには、同じ年齢くらいの赤ちゃんもいるといいですね。

片言でも、体と言葉で話しが出来れば良いですね、たとえ、赤ちゃん言葉でも親が聞いて理解できなくても、それで充分だと考えます。

この期間で、自分以外の相手を信用するか、信用しないかが、赤ちゃんの心の中に出来上がってくるのです。

そんな状況になると、何時も毎日の心は{{不安定}}になります。

誕生から、満2歳までに、人の心の形??が出来上がるのですから、凄く怖いです。

親や周囲の接触の仕方で、全ての人達は<<それなりの人に育つ>>のです。

 

 乳離れするまでに、様々な状況で育って来る親、赤ちゃんが居ます。

父無し子、母無し子、両親の顔を知らないまま、6歳にまで成長する人達も居ます。

両親が離婚して、片方の親から育てられたり、場合によっては、祖父母に育てられて親の顔を知らない場合、全然と血縁関係に無い人達から育てられる場合もあります。

一応、6歳と言っておきます。

厳密には、5歳で区切るのが、良いかもしれません。

6歳以後の不信感を、第2期の不信感と言っています。

2歳までが大事だと言いながらも、その後の5歳までの子供達の環境も大変に重要です。

 

 最近は、赤ちゃんの頃から、母親が仕事に参加して赤ちゃんも日中でも預けられたりします。

預けられた場所で、また、どんな人達に出会うのか。

同じ年齢の赤ちゃんとか、託児所の保母さんとかの関係で、随分と人対人の信じ方も変わって来るでしょう。

この頃は、まだまだ幼くて、母親の顔が見えない事で、赤ちゃん達は不安になるものです。

未だ、日本の国、社会では、預けられたり、そうでなく、母親に育てられたり、様々の人達が入り混じっています。

親に対する{寂しさ}の残らない子供になって欲しいと考えます。

何故なら、大人になってから、過去の心が動くからです。 

<<家族・親子>>親と子の心(2)・・・・事件・犯罪

2009 年 8 月 24 日

 さて、新生児として此の世に、誕生してきます。

母親のお乳を飲む事から、自分の命を維持する事に始まります。

お乳を誕生後に飲み始めるのは、遺伝子に組み込まれたものでしょう。

新生児の間に、人の「愛」・「憎」を区別する能力は未だ持っていないでしょう。

時間とともに、次第に成長して乳児となり、誕生後の8週間目には、相手が自分に対して如何な気持ちかを察すると言うくらいです。

 

 赤ちゃんが乳離れに対して、上手な乳離れが出来たか、どうかが人間の一生を左右すると考えても良いでしょう。

多分に、お乳を飲ませても、お乳を飲ませる時に、どんな状況で飲ませたか、スキンシップが有ったのか、無かったのか、また、スキンシップがあってもどんな仕方でスキンシップが有ったのか、などなどで、赤ちゃんの心の安定度は全然と違ってくるでしょう。

例えば、どんなにお乳やミルクを充分に飲ませても、スキンシップが全く無ければ、人間として成長は無理ですね。

また、人の声かけを聞かないでおれば、赤ちゃんも人間として育たないですね。

 

 昨今では、女性も社会に進出しまして、家族の中の赤ちゃんの数も随分と減っていますし、そのために人間社会の変革を求められています。

子供の数の減少で、学校の統廃合が随分と問題化して来ています。

その事で、また、先生の転勤や大学などでは、先生の数が多すぎて退職を迫られる場合もあります。

子供達、或いは、学生の数が減ると、学校への入学金も授業料も少なくなりますから、職員の給料の配分も少なくなります。

 

 現代社会では、人間の頭、即ち、大脳に入って来るストレスが様々で、多くの人がストレスに対して一応に適応できていないと感じます。

日本の国でも、昔は、家族の中に子沢山が普通でした。

大家族の形成であり、一家の主が働いていれば何とかなっていたようにも思います。

勿論、夫婦共働きの家族も有った筈ですが、まして、電気器具もなくて朝から晩まで忙しく働いていたと思います。

唯、唯、それだけで、あまり余分な心の葛藤は無かったのでは、ないでしょうか。

 

 {姑の嫁いびり}が、盛んだった頃ですね。

現代では、逆なのです。

{嫁の姑いびり}ですよ。

そして、今の母親にも、子供達にも、格別に、子供達は社会の中で仕事の中で必要に応じて携帯電話を持っている訳でもありません。

パソコンも、絶対に子供達には、人間社会で生きるために必要な器具ではありません。

乳離れから、赤ちゃん育てが益々難しくなります。   

<<家族・親子>>親と子の心(1)・・・・事件・犯罪

2009 年 8 月 21 日

 <<<<まず、総論として>>>

此の世で、何故、人間は{事件}や{犯罪}を起こすのでしょう。

答えは、簡単です。

母親の{胎内}にいる間の胎児への、心の伝播は詳細には説明できないでしょう。

ですが、推定は可能です。

胎内に胎児がいる間に、母親が神経質で脈拍の変動は呼吸の変動を突然に起こしたり、或いは、持続的にでも異常な早い脈や早い呼吸で続いていると、必ず、胎児にも悪い方へ影響する筈です。

 

 血液から見れば、胎児としている間に、母親の病気として、糖尿病や高血圧や喫煙など、また、病気によって高熱などが続くと、胎児の心に何らかの影響を及ぼすでしょう。

誕生時に、先天性の赤ちゃんとして誕生して来るケ―スもあり、大変であろう事は言うまでもないでしょう。

一方で、生まれながらに、先天性疾患で思考能力を持てない人達も居られます。

親の苦労も大変な<<悩み・苦しみ>>の荷物を背負います。

こんな場合では、親がどれほど親の責任として<<荷物を背負う能力が必要で重要か>>などなどにも、関わって来るでしょう。

こんな時でも、親の考える能力さえ十分であれば、大変な荷物を背負いながらも、親自身の荷物の負担の感じ方も違うのでしょう。

 

 上記のような場合は、ここでは別にしておきましょう。

胎児から、新生児として誕生してきますが、誕生に関しては母親も随分と心の葛藤を持つでしょう。

昨今では、胎児として居る時に、胎児が異常胎児か、遺伝子的にも身体的にも、如何な状態かを随分と診断できるようにはなっています。

しかし、こんな状況、胎児として母親の胎内に居る時に、遺伝子を検査する事がどんなものか、<<善と悪の判断>>も沢山の人々の間で判断と判定が分かれています。

検査する事が、人工的流産にも関わってくる場合もあります。

これは、人間全体としての見地から見れば、人間の{優越}と{劣等}を完全に分ける事実につながるのではないかという事ですね。

 

 この地球上から、優勢な優越な人間だけを育てる思想にならないのかという問題です。

 人間として人の生命を何処まで、維持してサポ―トをするのか、しないかの問題が絡まってきます。

これは、高齢者の認知症状や、更に、高齢者の身体状況を見て、病状がひどい場合であれば、どこら辺まで治療を継続するかなどにも、治療者としては考え込んでしまいます。

人間、一体に、何歳まで生きれば、認知症状が絡んで体力も衰弱した場合、何処まで治療して何処まで生命を延長させるかでも、悩むはずでしょう。