<<家族・親子>>親と子(追加編)10

2009 年 11 月 2 日

 人間の異常「会話」・「行動」・「心」の問題は、必ず、その人達の親が悪いのです。

極稀に、親の子育ては<<あまり間違っていない場合も>>あるでしょうが・・・・。

親から離れた後に、余程に大変な心の外傷体験を他人から受けたり、転変地位とか戦争とか、悲しい辛い大変な事柄に遭遇すれば、生い立ちを上手に育てられた人の心も<<変化する>>場合もあるでしょう。

親が、どんなに上手に育てても、後々になって<<人間の心も>>悪い方へ変わって行く場合もあるものです。

それでも、両親の育て方が良く、それなりに、子供達も親への「「恩」」と親への「「感謝」」を感じる能力さえ有れば、子供の「心」は大きく捩れる事はありませんね。

 

 子供達の問題は、確実に<<親が、悪い>>ですよ。

当方の{{閲覧文}}だけ読んでも、悲しい事に当方の伝えている<<意味が理解できない>>でしょう。

自分の子供達に、色々様々な問題が起これば、親から「心理療法」を受ける事ですね。

これだけは、当方が長年月間に渡り「心理療法」に関わって来ましたが、当方の行き着いた、辿り着いた結論で、「「親から心理療法を受けて」」みれば、「親が、悪い」と、親は自分の{{間違い}}を理解して子供達に謝罪できるものです。

この「「親の、子供達への謝罪」」が、子供達にとっては最大に重要です。

 

 当方が何時も言っているのは、この事で、問題解決には{{過去の、親と子の心の和解}}だということです。

親が、自分と子供の過去の出来事について明確にその出来事の記憶を回想できている事が重要です。

何となく漠然と子供に謝罪しただけでは、子供達には「「謝罪」」の意味が理解できません。

親が自分と子供の過去の出来事の内容を、具体的に子供に謝罪が出来るかどうかが、重要なのです。

子供の真実なる心の「「再生」」・「「回向」」・「「新生」」は、これだけしかないみたいです。

ここまで来れば、子供達にとっては、この親の「「超自我」」が薄くなっていくか、消えていくものでもあります。

 

 子供達が、「心理療法」をうけなくても、子供達にとって、親の「「超自我」」が無くなっていくので、子供達の心は穏やかになり<<俗世間で事件や犯罪などを>>起す事は無くなるでしょう。

また、親の「「超自我」」が外れれば、子供達は気楽になり、親から「「愛を得たい&親が憎い」」などの強度のアンビバレンスが消失しますので、子供達は自分で、<<所謂、正常な判断>>をするようになります。

親と子{追加編}の{{閲覧文}の最後として、親が「心理療法」を受ける事が最大に重要だと伝えておきますが、可能であれば、子供達の記憶の場所、頭の海馬での記憶を綺麗にしておくために、子供も「心理療法」が重要だと知らせておきます。 

<<家族・親子>>親と子(追加編)9

2009 年 10 月 23 日

 親の子育てって、真実に難しいです。

親が、自分が怠けて育って後悔したりしている場合も沢山と有ります。

こんな風な自分にはなるのではなかった、などと自分自身が「劣等感」を持って日常生活を送っている人達が、何と多い事かと思わされます。

自分が自分の人生で<失敗したから、子供達を育てる時に、その失敗の事柄を>自分の現状を、子供に託そうとする場合が非常に多いです。

また、自分の地位はこれだけ有るのだから、自分の子供達も同じ様に育てたい、などと考えて猛烈に教育を強制する場合もあります。

 

 どちらの場合でも、自分の子供達に逆に裏切られて、などと言うと表現が悪いでしょうが、現実に全くその{通り}なのです。

裏切られて、反発されて{引きこもり}になったり{出勤拒否}になったり、場合によっては、自分の子供さんに殺されるケ―スもあります。

幼い子供達には幼い子供達と遊ぶ機会も与えてあげないと、後々になって{{災い}}が起きるものです。

そのような状態が、子供達が大人になった時、表出されて来る場合が多いものです。

そんな時に、親が如何なる手段を考えても、簡単に子供達の心や考え方は、変わらないものです。

 

 親、親の問題が有るものです。

親が、そんな子供達の心の深層心理を読めるようになるのが、理想的なのですが、親は子供達の{{心の捩れ}の原因を知っていません。

親達が、子供の{心の捩れ}は何故に起こったのかを勉強しないと駄目です。

心理士を訪ねて、心理士から<<斯く斯く云々と言われて、受け売り言葉>>を子供達に話しても意味が無いものです。

しばしばと、当方に訪れて来た親達から、質問されます。

子供達に親から如何に話すか、その言葉をどうして教えてくれないのですか、本当に当方は辛い程、質問を受けます。

 

 人間って、買い言葉を他人に<<売っても>>、他人にはその言葉の意味が伝わりませんよ、絶対に{{言葉の内容}}は伝わりません。

親の言葉が子供達に伝わるのであれば、「非行」や「登校拒否」や「拒食や過食」や「いじめ」などは、人間社会で起こりっこありません。

何度説明しても、理解できない親達が居ますから、悲しくなります。

親の<<育て方>>が、悪いのだと教えても、親は自分が<<正しい、子供が悪い>>と考えており、当方の話の理解をしようとしないです。

何処までも、親は<<自分達の子育ての方法は>>間違っていないと、信じています。

親の「心理療法」の体験が先に大事ですね。    

<<家族・親子>>親と子(追加編)8

2009 年 10 月 20 日

 しっかりと、人間世界を眺めていますと、貧困の国ほど「事件」や「犯罪」は少ないのでは・・と感じます。

勿論、例外は有ります。

貧困のために、衣食住ができなくて、他者の物を略奪したり、略奪したりだけで終わらずに殺人にまで至る場合もあります。

そんな貧困の国で俗世間が混沌として、どうしょうもない程に乱れた国・社会もありますが、そんな国々は例外としておきます。

 

 貧困の国と言っても、開発途上国、或いは、未開地の国々では、人間の心はまだまだ<あまり汚れて>はいません。

(何度も伝えますが、どんな状況にありましても、例外の場合はあります。)。

しかし、未開地では、子供ながらに格別に求める物品は無いです。

素朴な{遊び}をして、毎日を過ごして生きているか、さもなければ、食べるにも精一杯でお腹も満足しない状態で、それでも一日を悲しいとも思わずに生きているでしょう。

親も親で、日々子供のお腹を満たすのに精一杯の生活でしょう。

普通であれば、他者から物品を盗んで殺生をして生きる、なんて考えませんよ。

近所同士で、懸命に生きているでしょう。

 

 国々の状況で確実に違うのは、軍国主義の国々では、幼い時から銃砲などを背負わされて、相手の他者を殺すように教育されている場合もあります。

そんな環境が、一生続く国であればこそ、そんな教育が成り立ちます。

子供達は、幼い時から教育すれば<どんな人間にでも>なるものです。

大人になれば、自由に何をして生きていっても良い国々では、子供達が大人になった時には、必ず、反発心が湧き上がって来て、歪な人間になってしまいます。

強力な教育&教え込みなどをして、大人に成長した時に、もう、自由だよと言ってあげても、手遅れになる場合が多いですし、無理ですね、

どのくらい、早く、自由にしてあげるか、が、問題となるでしょう。

 

 心の成長、人間の人格と言うものは、幼い時から植え込まれた{心}は、そんなに簡単に変わりません。

何度も繰り返しますが、幼い時に随分と勉強が出来ても、大きくなってみれば、二重人格の人間になっていたと言う場合が沢山とあります。

人間って、本当に怖いです。

学問と一般常識が、両方とも十分に育まれる事は、非常に少ないです。

当方は長年月間にわたり、「心理療法」を行ってきましたが、エリ―ト高校を一番で卒業してエリ―ト大学に現役で入学して大学院にまで行った人達で、人間的にはあまりにも、不思議な程に、可笑しい人達が居ます。

「心理療法」の体験が、重要です。

 

<<家族・親子>>親と子(追加編)7

2009 年 10 月 19 日

当方では、親が、子供達の問題会話・問題行動・問題の心を良い方へ変革させようとする場合では、必ず、子供さん達に「心理療法」を受けてもらい、又、親にも「心理療法」を受けて頂く場合が多いです。

全ての問題は、{{心を根っ子}}にして、現在の歪の「会話・行動・心」が表現されていますから・・・。

その心の「「根っ子」」は、何か??ですね。

そう、「「根っ子」」は、親と子の過去の心の{{和解}}が出来ていないことが原因です。

 

 子供が育つ過程で、親と子の間での{{心の葛藤}}が全く無いのは、おかしいものです。

全く何も{心の葛藤がない}そんなケ―スは、絶対に有りませんね。

子供は、少しながら、親へ「葛藤」を抱えて育つ事が大事です。

但し、両者の間で、{{少しの葛藤}}ですよ。

こんなケ―スでは、「事件」や「犯罪」を、子供達が起す場合は少ないでしょう。

「心理療法」を行っていても、今の現在に、子供達の心が{{あまりにも歪の場合}}では、その歪を露呈しているものを治療しようと考えれば、歳月の過ぎた<<親と子の過去の「会話」・「行動」・「心」の和解>>が、最大に重要です。

この事は、絶対に間違いありません。

 

 普通の人達は、過ぎた過去は、そのまま水にながしたら良いなどと言います。

人間の心って、そんなに簡単に過去の心を水に流して、自分達の過去が平和になるものではないですからね。

日本の国だけでなくて、世界中を見渡してみても、人間達は誰もが自分達の過ぎた過去の出来事や事件や犯罪なども、決して<<水に流した人は>>居ません。

それほど、人間は過去の出来事が自分達の心の中に浸み込んで、どうにもできない状況で続いているものです。

人間は、「過去」→「現在」→「未来」について継続して生きる訳ですが、一番に大事な大切な事&物は、自分の過去であります。

自分の「過去」が「現在」を作り、「現在」が「未来」を作ります。

 

 人間が普段&日常生活で悩んでいるのは、現在と未来についてです。

しかも、「過去」を置き去りにして、前ばかり向いて生きる事に専念します。

そんな考え方では、決して{自分の人生を幸せ}だと感じる「能力」は無いでしょう。

自分の能力と力量を知らずして、幸福に生きるなんて絶対にできないでしょう。

親と子、幸福なのは、{{親と子供の会話}}が何もわだかまりも無く、互いにニコヤカに笑って話が出来る状況が、一番に幸せの筈です。

また、親と子が互いに喧嘩する、これは、心の中で喧嘩しているのも駄目です。

表面上は暴力もなく、自分達は、表上は喧嘩していないと主張しても、駄目なのです。

心の片隅の葛藤でも、消去できる事が重要です。    

<<家族・親子>>親と子(追加編)6

2009 年 10 月 15 日

 子供達が、幼稚園児~小学校児~中学校児~高校生児、或いは、大学の学生さん達でも、異常会話、異常行動、異常な心、などが有れば、全ては彼等の育つ家庭の問題が有ります。

人間って、悲しい事に、心の話を助言すると、誰もが<<何となく、煩いとか、聞きたくないとか、変な話しだとか>>自分には縁のない話だと考えるのです。

今、現在の自分の心は、全てが自分の過去の心を基礎にして話しているし、行動しているし、会話をしていると、そのような自分の心と体の{カラクリ}を理解して自覚できないのです。

 

 よく考えると、思春期までの考え方で「心」は固まってしまいます。

その後を、未来を如何に生きるかは、思春期までが{決まり}と言われても仕方がありませんね。

そんな風に考えても間違いありませんし、信じても良いでしょう。

何か俗世間で「大きな犯罪」が有ると、マスコミの人達が、しばしばと大衆にインタ―ビュしていますが、近隣や周囲の大衆の答えは{優しい人、おとなしい人、口数の少ない人、真面目な人}などとの返事が戻って来ます。

当方が察するに、「真面目で、おとなしい人」だとは全く考えません。

心の根っ子は、彼等は<<臆病で、気持ちが小さく、周囲の人達と友達にもなれない>>、そんな心の持ち主です。

 

 更に、細かく眺めると、一般常識にも欠けるし、彼等は自分の住む世界、此の世の中が大変に住み辛いものだと、感じています。

俗世間に{恨み}を抱えてしまい、隣人にも{不満}や{怨念}を抱えてしまいます。

だから、俗世間で驚くような「事件」を簡単に起します。

それも、計画的に{反抗、犯罪}を起したり、或いは、発作的に{事件や犯罪}を起したりします。

発作的に事件を起こす場合では、目前の未熟な思考体系から事件を起こすように、大衆は感じるかも知れませんが、矢張り、表面的な心、表面的な行動も、全てが、本人の心の潜在意識と無意識に<<裏打ちされている>>ものです。

 

 マスコミでは、<<親が、悪い>>とは、絶対に言えないでしょう。

彼等が、人間の「会話」・「行動」・「心」について、明確に勉強していませんから・・・。

しかし、「犯罪」の起こった直後に、当方にインタ―ビュされても、<<犯罪者の親が悪いとは>>間違いなく判断をしていても、「犯罪」の直後に<<親が、悪い・・、親の育て方が悪い>>と、非難できないでしょう。プロの心理士でも口を開いて断言するのは、T,P、O,からいって、公言するのは躊躇します。

親が、自分達の心、「親と子の心の絡み具合」について、勉強していない場合が多いですよ。

普通の心理学者でさえも、<<臨床心理>>を自分で体験していないと、学んだだけでは理解できないのが、「親と子の心の絡み具合」です。