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2007 年 1 月 のアーカイブ

<<講演>>人生への理解(14)

2007 年 1 月 31 日 水曜日

 人が生きる事、基本的には、衣・食・住があって初めて<生きる事>が可能なのです。

極論的に考えると、衣・食・住、全てが、着たり、食べたり、住処の家も木製で有る以上は、使用前はどれもが<生き物>なのです。

 

家庭で飾ってはサンゴなども、海の中で生きていた生物体ですね。

 

 人間は決して誰一人として、自分だけで此の世を生きているのではありません。

全ての人は、地、水、火(太陽も)、風(空気も)、など、そして又、自分達の周囲の生き物によって生きる・生かされているものでしょう。

 

 真剣に考えると、<人間よ、驕るなかれ>と注意をしておくべきで、頭に叩き込んでおかねばならないですね。

自分だけの力で、人生を生きている訳ではありませんから・・・。

 

自然の掟の中で、人は、いや、動物や植物も全ての生き物は生かせられて生きていますね。

 

 人が、毎日生きている事は、生き物を殺生して生きている事になります。

「そんな事はない」と、言う人が居れば、そんな人の方が不勉強です。

自分の生き様に対する、自分のやっている自覚や感情に、大変鈍感な人だと思われます。

また、人生、人の生き様を全く見ようとしない人です。

思い上がりも強く、悲しい人です。

 

 人間は誰しも、此の世では一人で生きる事は出来ません。

ですが、皆さんは日常生活では、自分だけの力と努力で生きていると思っている人達のなんと多いことなのかと・・・、心理士の立場から見れば、辛くて情けない{話}です。

自分の此の世での存在観、自己像、自分とは一体にどんな人間か、の観察は必要です。

 

 人は誰しも一人では生きられない。

自分の周り、この地球上に生物が居ないとすれば、人は何を食べて生きるのでしょう。

動物や植物が実在しているので、人は食事を摂取できるのです。

お陰で、生きています。

 

 また、生命の無い物、人は裸では日常生活を送れません。

金・銀・ダイモンド・などの自分を飾る装飾品ですかね、そういう物などを身に着けて自分の心を楽しませて人生を生きています(前述)。

<<うつ病>>追加編(7)

2007 年 1 月 27 日 土曜日

 『うつ病』その他色々な心の病気、心身症や神経症などでも、しばしば{転地療法}をする場合が有ります。

転地療法とは、自分の住んでいる所から暫く離れて過ごす、要するに自分の環境を変える事です、ね。

確かにその<考え方>は理解できます。

ですが、多くの場合、元の環境・元の場所に戻って来ると、また同じ心になってしまい、それぞれの心の葛藤、心身症、神経症、うつ病なども再発して来ます。

うつ病者の場合では、転地するにしても病状の程度を考えておかないと、環境の変化で自殺する人もたまに居ます。

注意が必要です。

 

 確かに悩む場所から離れる事、その間は心で拘っている{事、物、人}から距離が出来るので良い面はありますが、元の場所へ戻るのに恐怖を感じる事もあります。

 面白いというか、興味深いこの様な話があります。

{心の扉}を開くのに、人間世界から飛び出して、即ち、俗世間から離れて自分の{心の迷い}の悟りを開く・・・。

{心の扉}を開くのに、俗世間の中で開こうとするのか、悩める俗世間を飛び出して・・・、と考えるだけです。

単なる転地療法では、<考える、人生を考える>なんて事はありません。

{心の扉}、{悟りを開く}ために俗世間を離れるのであれば、当然<人生とは、何?>などと自分の心をも問い詰める必要があります。

本来的には俗世間から離れずに{心の扉}、{悟りを開く}のが最高でしょう。

しかし、一般庶民には、俗世間の中に居たままで{悟りを開く}開くのは難しいでしょう。

心身症、神経症、うつ病、躁うつ病、などと言っても、<人生を生きる上での心の迷い>だけでしょう。

 

 {心の迷い}が病気の根源です、ね。

 先程から、転地療法なんて言っていますが、単なる転地療法では、あまり得るものは少ないでしょう。

{人生とは、何???}、{自分とは、何???}、{自己とは、何???}、{自己像とは、何???}、{自分の存在とは、何???}、などなど・・・と、熟慮が必要です。

しかし、自分の眼と頭で、自分からの外界を眺めて外観様式で熟慮したのでは駄目です。

 第3の眼で、自分の外側から自分の方へ向いて、自分の会話と行動と心を見詰めること。

そうすれば、自ずと自分の実力と力量が必ず見えてきます。

 

{真実の己を、知ること!!!}これ以外に方法は有りません。

 

 但し、{己を知る!}と言っても、観念か、体得か、で全く心の境地は変わります。

{課題}を提出しますので「インターネット心理療法」を試して下さいませ。

<<うつ病>>追加編(6)

2007 年 1 月 25 日 木曜日

 人間は孤独に弱いですね。

寂しさや悲しさなどにも弱いです。

そのわりには「人が嫌い」とか「気が合わない」とか、自分でマイナスの感情を持って距離を置こうとします。

寂しいことなのですが、孤独で辛いことなのですが、自分で{悲しい、どうしようもない気持ち}を作りあげるのです。

 

 本質的には、人間誰しもが人生を強く生きるために、自分で積極的に{孤独な環境}を作り上げ、そして孤独の中に自分を置いてみる事です。

孤独な感情を味わってみないと、他人の孤独な悲しい気持ちが理解できないからです。

孤独で寂しく人生を過ごしている人達の気持ちを充分に理解してあげる・・・大切なのです。

 そうは言っても、自分の本性的な心で孤独感を感じる人達は、自分だけではなかなか現実の人間社会に自分を連れ戻す事が下手なものです。

人間は、自分の心を反転する能力を、自分の身に付けなければいけません。

また、孤独に襲われるのは自分が勝手に<相手を拒否する>からです。

それで、嫌いとか、気が合わないとか、怒りとか、恨むとか、そんな自分の心を反転する事でもあります。

 

 うつ病者は、殆どの場合(100人中100人と言っても良いですが・・・)自分の心は、真面目だと思っています。

勤勉だとも思っています。

本当に真面目で勤勉な人達が、悩んだりするでしょうか?

自分は真面目だと大きな顔をしている人達は、ある時に突然に大きく落ち込む場合もあるでしょう。

自分が真面目だと考えている人達、多くの自称健常人も<自分達は真面目だ>と思っていますけれど、何とか無意識的に自分の心の葛藤を処理しているだけの事です。

 

 心・性格・人格の問題ですが、心理療法に長く関わっていると、自分が<真面目であると思っている人達>ほど、俗世間への適応に苦しみを感じています。

自分は本当に<真面目でない>と考えている人ほど、人生を生きるのに悩まないですね。

 

 冗談でこんな話をしているのではありません。

唯、真実を述べているのです。

人間が此の世を生きるには、ギブ&テイクの世界です。

{エゴ}全部を捨てて生きるなんて無理です。

多くの人達、実業家も、学者も、政治家も、弁護士も、医師も、富豪者も、芸術家も、一般のサラリーマンも、諸々の人達、皆を含めて<悪人で生きて>います。

彼等の中の一部の人達は<自分の悪の心の本性>に気づいている人も居ますが、多くの人達は、自分達の心を顧みないので、そんな<自分の悪の心の本性>は見えていません。

 

 ここで、悪人意識が何故に大切なのか、と言えばですね、自分が善人と思う人達ほど無意識的に<テイク>を考えます。

悪人意識・駄目人間・愚かな人間・・・などなど、自分の心を真実に知っていると<ギブ>の心も湧いてきます。

勇気も出ます。

報恩の心、です。

<<うつ病>>追加編(5)

2007 年 1 月 22 日 月曜日

 現実的に、人の心は面白いものです。

悩んでいない人に、悩みの心を伝えても伝わらないのです。

悲しいものです。

人の心とは、そんなものです。

 

 そうは言っても、悩んでいる人に教えてあげて、悩みの心が理解できるか?と、問われれば<出来ない>としか答えようが有りません。

人間世界もそうなのですが、美しい世界が有って、汚れた世界も有る。

そういう混沌とした世界に、美しい世界の花も咲いてきます。

 人間の心も、同じみたいです。

美しい心、そして、汚れた心などが有り、綺麗な心の花も咲いて来るのかも知れません。

 だから、悩む人が居て悩まない人が居る。

悩む人に「悩まないで!」なんて言う必要はないのかも知れません、ね。

色々な人達がいて、悩む人達に<余分な事柄を言わない>で良いだろう、と考える人も居るでしょう。

本来的に、そんな人達は心理士ではありません。

また、人の心の世界を理解できていない人達です。

 

 多くの人達は、自分の心を理解しないまま、心の中に漠然とした{青い鳥}を求めているのですね。

人間世界を漠然と生きると、自然に欲求不満なども溜まってきます。

唯、同じ人間として生まれて来て、楽しく人生を生きることが出来れば良いと思うのです。

 

 悩んで生きても、人生、疲れるだけです。

悩んで生きるだけならば良いのです。

しかし、ちょっと困るのは、自殺して死んでしまうと、人間世界での大切な人が消失して行くので悲しいだけです。

当方、人として生まれて来た以上、人の生命はかけがえの無い生命だと思います。

 

 人生は、二度とないものです。

繰り返し出来ないのが人生です。

同じ事柄をやっていると思っても、人の生命は時間も違うし、場所も環境も次第に常に変化しているものです。

人は普段、何時も同じ環境で生きていると錯覚しています。

後で、取り返しの出来ない人生に気づく事もありますが、後で気づくのでは<手遅れ>でしょう。

 気分が落ち込まずに、沈まずに、何時も楽しく人生を生きる事ができたら、どんな嬉しいでしょう。

 

 そのために「インターネット心理療法」が、有ります。

<<うつ病>>追加編(4)

2007 年 1 月 19 日 金曜日

 うつ病者も、人間世界で<事件を起こし>ます。

多くの場合、薬だけでは治りません。

薬を服用しながら、会社では仕事も出来ず、悩みながら、引きこもり状態で継続する場合が多いのですが・・・。

そして、勤務している会社では職場放棄の状況に陥り、退職になってしまう場合が案外と多いです。

 

 『うつ病』では、歪な心のエネルギーが体と心の内側に溜まりこんでしまう、と思っても良いです。

あまり長期間悩み込んでいると、その内側のエネルギーが爆発してしまいます。

見栄と虚栄心が潰れ、自分の内側の{心が崩壊}して心のエネルギーが外側に溢れ出す時に、ですね。

心の歪なエネルギーで自分を抹殺する人は沢山と居ますが、他者を巻き込む場合もあります。

異常会話だけでなく、異常行動にまで顕現されるものです。

 

 見栄と虚栄心などは、人は誰しも持っています、ね。

うつ病者は、自分の力量と実力にそぐわない{見栄}や{虚栄心}を持っており、言い変えれば、そんな心の{仮面}を脱ぎ捨てるのが上手ではありません。

 色々な表現がありますね。

{鉄の鎧}を脱ぎ捨てることが出来ない、などとも言います。

卵の{殻から抜け出られない}とも、或いは、自分の塞いだ{心の殻}から出られない、と言っても良いでしょう。

要するに、うつ病者になると、自分の心の成長は、もはや難しいと言えます。

 

 そして大変なのが、うつ病者は他者の上手な援護をもなかなか<受け入れない>という現実があります。

人は、心身ともに健康な時から“心の問題が大切だ”と、教育するべきでしょう。

自分の考え方は、素直で真面目で健康だと思う心が、非常に問題なのでありますが・・・。

どんなに考えても、人間の心は実に大変だと、何時も思わされます。

人が自殺するのは、うつ病者が一番に多いから、一応自称の健常人からすれば「何で?」なんて思うだけでしょう。

自称の健常人は、立派に人生を生きていなくても立派に生きています。

心身症や神経症で悩んでいても、結構と多くの人達は<悩みを抱えていない>と考えます。

ある程度自分は悩みを持っていても、意外と他者に<口を開かない>で苦しんでいます。

また、口を開いて、他者に<自分の心を打ち明けて>も他者が理解できない場合も多いです。

 

 人は、日頃から心について少しながら勉強する事ですね。

人には、{建前}と{本音}が有ります。

一体に自分の{建前}と{本音}の心は、どんな心だろうかと自己分析、客観的な自己分析の学習が大事です。