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2006 年 7 月 のアーカイブ

<<講演>>うつ病(2)心のカラクリ

2006 年 7 月 5 日 水曜日

 殆どの人達は、現在の状況、或いは、近未来を考えて生きています。

これが普通の人達の生き方ではあります。

誰もが「自分が幸せになりたい・・」などと何時も、そう思っている筈ですね。

何かを求め、追い求めています。

その{何か}が問題でしょう。

 

 普通社会で働いている皆さんは、多くの場合何がしかの“金銭”を求めています。

また、人によっては“地位”や“名誉”などの場合もあります。

或いは、置かれた状況によって異なりますが、若い人達の間では“異性の友達”や“恋人”が欲しい・・、当然ではあります。

 体だけが成長して、精神が成長していない人達も見られます。

人間、体も心も歳相応に成長する事ですね・・・。

そうでないと、男性同士、女性同士、異性関係の付き合いも出来ません。

人は誰かと一緒に居て、初めて心が癒されるものです。

勿論、自分の好きな趣味や道楽などを持っている人達もいるでしょうが、そんな好きな事柄についても、長期間にわたり自分一人で行っていると、矢張り寂しくなるものです。

自分が好きでやっている事柄でも、誰かに聞いて欲しいと思う様になるものです。

長期間人間の顔を見ずに時間を過ごすことは、誰にとっても寂しいものです。

一時的には”物”で癒されるでしょうが、人生を生きるのに、人は誰かと一緒に<会話や行動や心>の交流ができる事が大切なのです。

長期的に観察すると、人間は一人では駄目なのです。

では、引きこもり、登校拒否、出勤拒否・・・、「引退して山奥で一人住んでいる人も居るではないか」と、言われる方もおられるでしょう。

本当のところは、人との付き合いに草臥れているだけか、付き合いが出来ないから人を避け、社会適応していないのです。

彼等は、大変に悩んで悲しんでいます。

 

 自分が、“勝者”ではなく“敗者”である事を確実に体で認める事が大事です。

人は、自分が駄目な人間だと言わないし、そう思われたくないものです。

自分が“駄目な人間だ”と、心の底から話す事ができれば、そこからまた人は這い上がる事が出来るのですが・・・。

「告白」という言葉がありますよね・・・。

勇気を出して・・・本当の自分の心を表出する事ですね。

カミングアウトもありますが、純粋な<告白>とは少し違います。

“よく思われたい”、“褒められたい”、“賞賛を浴びたい”、などと考えると余計にストレスは溜まります。

 皆から「貴方は駄目人間ですね」と言われた時、「そうなのです、駄目人間なのです」と、相槌を打つ事が出来れば最高の人間となれるでしょう。

 

自分の本当の正直な心を表出できれば、悩まない人になれます。

「うつ病」にもならないですね。

「うつ病」からも解放されますね。

<<講演>>うつ病(1)会話と行動と心

2006 年 7 月 3 日 月曜日

 今回は、「うつ病」の話しをしましょう。

悩みと苦しみ、「うつ病」ですね。

心から来る病気は沢山とありますし、数をあげれば限(きり)がないですね。

神経症や心身症でも数えられない程です。

一番に分かり易い“心から来る病気”が「うつ病」であろうと思います。

そこでこの講演では、数回「うつ病」についてお話してみましょう。

 

 当方では、25年間も“心理療法”をやり続けてまいり、約6千人位の人達が“心理療法”を受けて行かれました。

当方で一番に多かったのが「うつ病」です。

人は悩みながら苦しみながら、日常生活で人生を生きています。

自分では沢山と心の葛藤を抱えていますが“自分の心”に気付きません。

教えてあげても「自分はストレスを持っていない」と主張する人達も居られます。

 

 悩みを持たない人達は「うつ病」には絶対になりません。

これだけは断言しておいても良いでしょう。

しかし、人間社会の此の世を生きる上では、余程人生について<しっかりと“勉強”というか“学習”>をしていない限り、悩みや心のストレスを持たない人達はいないでしょう。

人生、人間社会での人の生き様については“生存競争だ”と、この様な表現をしたくないのですが、細かく見詰めるとその“生存競争ではない”と否定する事は出来ません。

人は、ある年齢まではどうしても“自分の親”或いは“親に代わる誰か”に育ててもらわないと成長出来ません。

勿論、肉体だけではなくて心も一緒にですね・・・。

年齢相応に成長するしかありません。

肉体のみが成長しても、心がともに成長しなければ得体の知れない生き物になるでしょう。

 社会の中で、ある程度自分以外の他者と共同生活が必要なのです。

お互い人対人のコミュケーションが出来て、初めて人生を自立して生きて行けます。

家族の中で、社会の中で、或いは、様々な集団の中で・・・、人はそれぞれ誰かと会話するなど“交流”が重要なのです。

しかし、自分の頭というか心の中に、相手と会話をする“交流の力量”を持っていないとギクシャクして来ます。

他人を目前にして、それなりの会話能力を持っていないと何も話せません。

一緒に遊ぶ事さえ出来ないでしょう。

遊ぶ事、楽しむ事、趣味などについては、皆がそれぞれ違うので、それなりの同じ趣味などを持っている人達と遊べば良いのですが、それであったとしても、上手と下手に分かれます。

皆が満足しながら、会話と行動と心の<つながり>が、出来るかどうかです。

 

心の葛藤を抱えなければ「うつ病」にならないし「うつ病」からも解放されます。

人生を楽しく生きる<知恵>を自分の身につけましょう。

<<講演>>人の話「会話・行動・心」(7)

2006 年 7 月 1 日 土曜日

 「生い立ちの心」が、全ての基本だと何度も話しています。

しかし、これだけの話では理解出来ないでしょう。

人間の心って、非常に面白いものです。

 

 人対人、人対環境、などの問題であり、生きている自分の眼前でのどんな出来事や他人に対しても、自分が対応できる能力さえ持っていれば充分なのです。

人が成長して大人になり、何らかの仕事や役割などこなし、幾らかの金銭、或いはそれに類するものを得ることが出来て、人は人生を全うできるのです。

天災・天変地異などによって、衣・食・住も出来ない環境に投げ込まれない限りは自分の人生を生きて行く筈なのです。

 

 沢山の人達の悩みや苦しみ、心身症、神経症、うつ病、心と人格の脆弱さ、アルコール依存、非行、犯罪、薬物依存(ここでは、大麻、覚せい剤、麻薬、など)、・・・これらの問題全ての原点は「心」が基盤になっています。

上記の事柄は“異常会話”、“異常行動”、“異常な心”などと言えます。

 人は、此の世に誕生してから心身共に成長して行きます。

自分が成長したくないと思っても、時間の流れとともに「心」は成長しないかも知れませんが、「体(肉体)」は大きくなって行きます。

大人になる事が嫌だとしても見掛けは<大人>になります。

見た目は大人でも人間社会で生きる以上は、社会で仕事や役割を最低限でも“こなせる人間”であり、自分で稼ぎ「衣・食・住」、自立した人にならなければ駄目です。

 

 面白いというか、本当に大変な事なのですが、人は此の世に誕生した時から、自分の親から「心の形」を刷り込まれて育って行きます。

昔から「三つ子の魂、百まで」、「親の因果が、子に報い」などの言葉が言い伝えられていますが、正に“その通り”なのです。

 親から植え付けられた、或いは、植え込まれた“心の形”を「超自我」とも表現されます。

「自我」は、自分の意志で作り上げたものではなくて、誕生以来の成長する過程において親から意見や注意・説教などされて、大脳深くに“親の考え方”或いは“親への反発心”などが刷り込まれて無意識的に自分の現在の心を強迫しています。

 良しにつけ悪くにつけですね・・・。

ですから、親から植え込まれた“心の形”即ち、「超自我」に気づき「超自我」を納得してあげた時に、初めて“親の心から解放”されて、人間個人が人生で自由に自分の心を操作できて生きる事が可能となるのです。

 

 少し難しい表現になりましたが、“悩み苦しむ”などと言う事柄は、「自分の意志で自分の人生を生きる事が出来ない」だけなのです。

 親の考え方、“親も悩める人間だったのだ”と、理解できた時に、人は大きな「心の自由」を得る事ができます。