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2006 年 6 月 のアーカイブ

<<講演>>人の話「会話・行動・心」(6)

2006 年 6 月 27 日 火曜日

 人間此の世を生きていると、楽しく人生を送っている様に見えても案外と心の底では悩んだり苦しんだりの生活をしているものです。

極端に表現するならば、建前ではにこにこ笑顔で笑っていても、心の底では泣いている場合が沢山とあります。

自分の深い心が動いているのですが、無理やりに蓋をしながら化けて生きているものです。

悲しい心に、その上に蓋をしようと思って出来ない状態にもなって来ます。

そうすると人前に出る事が出来なくなってしまったり、出たとしても悲しい表情、疲れた表情などをして顔も体も草臥れてしまった状況を、他者に見破られてしまいます。

 

 人は生まれながらにして、「食欲」、「性欲」、「睡眠欲」、「名誉欲」、「金銭欲」などを抱えて生きるとされています。

勿論、その人の置かれた立場と状況によって、上記五つの中のいずれかが強い、と言った状況となるでしょう。

一度に沢山を求める人も居ますが・・・。

 “金銭欲” “名誉欲”は本能とも言えるし、後天性のものとも言えるし・・微妙な感じですね。

どんな途上国でも、人は“金銭欲”や“名誉欲”などについて抱えています。

「心」そのものは見えませんが、人だけでなくとも動物をしっかりと観察していますと、“金銭欲”は別にして、“名誉欲”に近いものは充分に人の眼に映るものです。

喜び、楽しみ、嬉しさ、幸福感、歓喜、至福感・・・などの人の心があります。

一方で、悩み、苦しみ、悲しみ、淋しさ、孤独感、嫉妬、怒り、恨み、憎しみ、怨念、虚しさ、虚ろ、苛立ち、爆発感情、暴力感情、自殺感情・・・など、どうしようもない気持ちや感情などが、入り乱れている場合も結構とあります。

 プラス思考で居られる時は良いのですが、一旦マイナス思考に陥ると、なかなか其処から抜け出る事は<不可能>ですね。

そう、人生の一生を一度もナイナス思考にならないで生きる事が出来れば最高でしょうが・・・。

人は皆同じ一度限りの人生で、命を燃やして一生を生きる事が素晴らしいとは思われます。

 

 人は様々な「心」を抱えて生きています。

基本的には“喜び”か“悲しみ”、いずれかの心に分かれるでしょう。

その間の中間的な考え方の人達もいるかも知れませんが・・・。

考え方の全ての基本になるのは、「生い立ちの歩いて来た過去の心」です。

だから、その「基本の心」を点検すれば全てが上手く行きます。

<<講演>>人の話「会話・行動・心」(5)

2006 年 6 月 26 日 月曜日

 異常会話、異常行動などは、「心」を土台にして発せられるものです。

異常会話も異常行動も、大脳性理学的に脳脊髄液、神経内分泌、免疫などと絡まって表現されてくるものの様です。

「心」がパニックとなると、善悪の判断も出来ない・・・、異常会話、異常行動などを引き起こす・・・、この様な事柄も全てが過去の深い意識ですね。

無意識と潜在意識と顕在意識(現在意識)のアンバランスの問題が関係しています。

当然、脳脊髄液のバランスも壊れているでしょう。

 

 「心」と「体」は密接に関連しています。

その中間である脳脊髄液や血液にも変化が起こって来る様ですね。

人の記憶は、大脳の“海馬”と言われる場所に蓄積されたまま、人の一生に残っていく様です。

現在を生きていると、皆さんの日常生活では“過去など関係ない”または“過去は意識せず”暮らしているものです。

怖いですね。

 

 自分の過去の心が現在の全てを動かしています。

先天性や素因などに関連している場合は仕方無いにしても、体までが自分の過去の心に支配されているものです。

“行動”というものは、{体が動く}というものでもあります。

人は、自分から外を眺めて生きる<外観的>な生き物でもあります。

全ての生き物は<外観的>な存在でもあるでしょう。

人は明確に「心」を持っていますし、その「心」が自分の全てを支配しています。

そう、人は自分の過去の記憶を何時も明確化して生きているものではありません。

ですが、その気づいていない無意識の中に動いている“トグロを巻いている「心」”が一番に大切です。

 

 今現在に考えている事柄は、過去の心に裏打ちされています。

人が現在と未来を考える事は、兎に角その人が過去から現在に至るまでの心で作り上げた心、その心で全てを判断しているのです。

 皆さんは、“自分の過去の心は関係ない”と思われていませんか?

両若男女を問わず、医師も宗教家も心理士も、どんなにお金持ちの人も、科学者も、地位のある有名な人も・・・、一度でも良いから自分が生まれてからの過去の心の足跡を振り返り辿ってみる事です。

どんなに自分は“賢い”、“偉い”と思っていても自分の過去を振り返ってみない限り理解出来ません。

 

 或る人が当方に「人生を悩まずに生きるなんて不可能だ」言われました・・・。

簡単に出来るのです。

その人に対して一言「人生勉強が足りていないので、仕方ない・・・ですね・・・」。

<<講演>>人の話「会話・行動・心」(4)

2006 年 6 月 24 日 土曜日

 今回は、人の犯罪について少し話をしますが、全て「会話・行動・心」と関係します。

 マスコミ、検察庁、或いは、裁判所で、よくある話です・・・。

犯罪時に、この人は“善悪の判断能力を持っているか否か”と言う{争点}があります。

この事についてですが、日頃は善悪の判断を出来ていた人でも、心の葛藤が蓄積すればその時には善悪の判断が出来ない状態になるものです。

その人の“人格水準”とも言えますが、一般的には、誕生から現在に至るまでの過去の生い立ちの中に、全ての{答え}はあるものです。

 「堪忍袋の尾が切れる」或いは「結んだ紐が切れる」と、パニック状態となります。

パニックの状態では、誰も<善悪の判断は出来ず>に何をしでかすか分かりません。

登校拒否、引きこもり、出勤拒否、アルコール依存、不順異性交遊、万引き、詐欺、窃盗、殺人などにしても、善悪の判断が出来なくなるからするのです。

ある意味で彼等は、慢性のパニック状態が続いていると言っても良いです。

善悪、“これは善”、“これは悪”の判断が出来る人は、絶対<自分にとってマイナス>になる事柄はしませんし、「これ以上は駄目だ」と判断できます。

即ち、「前後の見境もつかない状況」そんな心理状態におかれるので“してはいけない”と平常人が思う事を彼等は犯してしまいます。

 

 この様な“心のパニック状態”になるのはどうしてでしょうか。

犯罪を行う者皆が、“罪の意識”、“自分の悪の意識”さえ持っていれば、余分な行動や余分な会話、犯罪なども出来ません。

“自分は悪い人間だ”と体で自覚出来れば一歩を踏み外せないでしょう。

「自分がこれをしたら、後が大変だ」と理解出来る人であれば、大きな罪悪な出来事をする事は出来ません。

 様々な逸脱行動、逸脱会話、犯罪にしても、自分の眼前の判断を上手に出来ないだけなのです。

出来ないのは、自我の形成の問題であり人格水準の問題でもあります。

自我形成の脆弱な人達は、眼前の人達や環境、状況に<自分の心が振り回されて>不安定ですね。

{過去の心}が{現在の心}を作るし、現在の心が{未来を見る心}を創造します。

未来に向かって生きて行く自信が無くなった時に、心は限りなく不安定となり、規則や条例、法律を超えて、してはならない事柄までやってしまいます。

 

 過去から現在にかけての無意識的な“恨みの感情”や“不平や不満の感情”が、自分の現在の気持ちや心を、下から押し上げて自分の心を苦しくしています。

罪を犯しても罪悪感がありませんので、犯罪時には<善悪の判断>を、誰も持っていないと言えます。

ですが、犯罪者の心を・人格の形成を正確に判断して、裁判がなされているのでしょうか?可笑しいですね。

<<講演>>人の話「会話・行動・心」(3)

2006 年 6 月 20 日 火曜日

 心の話をしていますが、視野を変えて見詰めてみます。

悩まない人になるためにですね・・・。

人は一体、どんな心を持っているか?

如何なる心を持って人生一生を終わるのか?

知っておられれば良いのですが・・・・・。

 

 最初に、“自分の心”を充分に知っていないと自分以外の他者“他人の心”が見えません。

「心の学習」とは、心の底から“人生とは何?”と、真剣に考えて勉強しないと駄目なのです。

 俗に“本音”と“建前”と言う言葉が有りますね。

多分皆様は、この言葉は聞いたことがあると思います。

しかし、いくら言葉を知っていたとしても実際にその意味が理解出来ていないと役立ちません。

 

 謙虚になって、ふと立ち止まり自分の心を見詰めると、沢山の気づいていなかった心が見えて来ます。

自分の心を自己探求する方向性が大事です。

本当の自分、“自己とは?”、“自分の存在とは?”などの心をどの方向から眺めるかなのです。

「自分の心は充分に沢山知っている」と自己主張されても、自分流で勝手に理解出来ていることでは駄目なのです。

 人には、“性格”というか厳密には“人格”と言った方が良いのでしょう・・・、その人格は、会話や行動にしろ、全て「心」が土台になっています。

即ち、「心」が会話や行動を動かしているので、人間にとって一番に大切なものは「心」なのです。

「心」が丈夫で、“自分の心を自分でしっかり操縦”できれば人間社会を気楽に生きていけるのです。

自立した人間として此の世を生きるには「心の学習」が物凄く大切なのです。

単なる{心理学}を勉強しただけでは、人間世界を上手に生きる事は無理なのです。

 

 人が人間社会を生きるには、家族の中、学校の中、職場においても、常に誰かと何らかの関係がある筈ですね。

自分以外の人に対して、上手に付き合いが出来る事。

自分の投げ込まれた状況や環境に上手に対応と適応が出来る事、それで充分です。

そして本当に人生を気楽に生きるには、眼前の人達皆に対応できる自分が必要です。

何事が起こっても立腹しない事です。

そのためには、自分の心の{器}が大きくないといけません。

 大きな人間、誰とでも生身の付き合いが出来る人に・・、また付き合えなくて苦悩を感じるのであれば、そんな自分に納得する事が大切です。

「納得」するところから心の平安を得ることが出来るし、「納得」出来れば、そこから這い上がる努力が必要であると感じる筈です・・・・。

本当の自分、自己に「納得」し「認める事」です。

 

“恥ずかしい”、“劣っている”、“駄目人間”と認めれば、努力せざるを得ないです。

<<講演>>人の話「会話・行動・心」(2)

2006 年 6 月 17 日 土曜日

 この講演では、悩まない人になるためのお話をしますので、その気持ちで耳を傾けて下さいませ。

 

 人が人生を生きる上で、悩んだり苦しんだり、不安神経症、心身症、うつ病・・・などにしても、そうなってしまう理由があるものです。

また、異常会話、引きこもり、登校拒否、校内暴力、非行、薬物依存、アルコール依存、出勤拒否・・・などにしても、自分の気づいていない心があるものです。

その気づいていない心が、今現在の自分の心を引っ張る、或いは、自分の心を圧迫しているのです。

自然に自分の心が動かされると言っても良いでしょう。

 

 人生において一番大切な事は、人対人、人対環境の問題でしょう。

人間社会で生活する以上は、幼稚園・学校・先生達・隣近所の人達・職場の人達・・・・様々な人間同士の接触がありますし、これを避けて通ることは出来ません。

自分が、どの様な人に対しても相手の心に対応出来るかどうかであり、眼前の状況や環境に適応出来るかどうかと言う事です。

“あの人が嫌い”、“こういう環境は嫌い”・・・などと言い始めると、何もかもが嫌になってしまいます。

皆さんは、人生を生きて行く上で“自分の好みの{もの}や{人}を求める”ものですが、自分にとって都合の良いものばかりが手に入るものではありません。

人は誰しもそれなりの<欲望>を抱えて人生を送っているので、兎角その<欲望>が衝突する場合も多く有ります。

心を合わせる事が嫌いかどうかですね。

心と体の心身相関がありますので、マイナスの心が多いと自分の体のバランスも壊れます。

自分の心を、自分の心で壊している場合が沢山とあります。

人の心、皆が同じ考え方をしている訳ではありませんね。

皆、生い立ちも皆違いますし、性格・人格というか{心}が違っています。

皆がそれぞれの{心}を持っています。

 

 私は、このように感じています。

人は“心の勉強”が足りていません。

いや、日本の医療の世界で、お医者さんも含めて{人の心}についての学習が足りていません。

 

 日本の医療の世界では、医学生の時から“格別に{人の心理学}が大切である、そして、どうすれば人は<悩みの心>から解放されるのか・・・”、などの学習はありません。

人の悩み苦しみを<どうすれば治してあげられるか>を、医師、少なくとも精神科医や心療内科医は知っておくべきなのですが・・・当方では何時も思っています。