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2006 年 8 月 のアーカイブ

<<うつ病>>究極の世界(10)

2006 年 8 月 31 日 木曜日

 前回、「うつ病」は簡単に治ると述べました。

本当に簡単に治るのです。

しかし、心理療法を体験して自分が一体にどんな人間であるか・・・{真面目な人間}か{真面目でない人間}か、を十分に確認しておく事が必要なのです。

 

 当方、医師として、また心理士として、長期間に渡り<沢山の人>に出会ってきました。

本当に悲しく思うのは、「うつ病」の人を含めて、人間は“自分の心を知らずして他者の心を一生懸命に知りたいと思っている場合が多い”ことです。

自分の心を知って、初めて他者の心を読めるようになります。

 

 『重症うつ病』でも、何とか自分の思いを伝達できる人であれば心理療法が可能となります。

しかし、大変なのは『重症うつ病』で社会復帰できない人の場合ですね。

その周囲の人達の協力が<鍵を握る>事もあります。

時には、周囲の人達が{うつ病者}の原因になっている事もあります。

また、親が原因で子供(大人の場合もある)が、「うつ病」になっている事も沢山あります。

考え方によっては“人格”の問題だから、「うつ病」の原因は全てが親にあると言っても

言い過ぎではないでしょう。

その人の“人格”の問題だからですね。

「いや、生い立ちで親と一緒に住んでいた頃は、何も心の葛藤を抱えていなかった」と言う人もいるでしょう。

しかし、これが大きな間違いなのです。

家族から養われた後も、人は心の葛藤を無意識的に溜め込んで生きるものですから、家族から離れた後も少しは関係あります。

家族に養われている期間、離れた期間の両方とも、自分の心の旅をしておくものです。

 人は誰しも、“自分の生い立ち”をしっかりと過去の回想をしながら、心の世界を散歩すると、意外な過去の心の葛藤を発見するものです。

自分の過去の心の世界を散策した体験のない人達(たとえ御住職さんやお医者さんであっても)は、この心の世界について理解は出来ないものです。

しかし、体験すれば小学6年生からでも理解出来ます。

痴呆症が無ければ80歳の高齢者の人でも理解出来ます。

 

 {うつ病者}が回復して行かない場合は、側の人達の関係もあります。

周囲の人達も充分に注意が必要です。

会社に勤めていても同じですね。

会社の上司が、同僚が、または部下が、それぞれ“問題”や“切っ掛け”になっている場合もあります。

家族も同じです。

配偶者が“問題”や“切っ掛け”になっている場合もあります。

 子供の「うつ病」は親に“原因”があり、親の「うつ病」は子供に“切っ掛け”や“問題”がある・・・、こんな症例も沢山とあります。

<<うつ病>>究極の世界(9)

2006 年 8 月 28 日 月曜日

 「うつ病」は、簡単に治る病気なのです。

しかし、薬だけで「うつ病」を治そうと考えないで欲しいです。

それから、「うつ病」も『重症うつ病』になってしまうと、頭の回転・思考能力の<思考そのもの>が出来なくなってしまうので心理療法も出来難くなりますし、出来ない場合もあります。

 

 2年間も精神科病棟に入院したまま治らない『重症うつ病』であり、“仕事も全然しようとも思わない”方でしたが、当方に来られて立派に回復されて行かれた人も居られます。

多くのお医者さんは、「うつ病」になった<切っ掛け>を見て、それを「うつ病」の<原因>として考えるので、「うつ病」の治療は{薬}だと言われる様ですね。

お医者さんだけでなく、皆誰もがそう信じています。

仮に100人に、“同じ切っ掛け”を与えた場合、100人が100人とも皆が「うつ病」になる訳ではないのですから・・・。

「うつ病」になる人も居れば、ならない入も居る・・・、その{違い}ですね。

大事ですね。

何故、同じ原因でも「うつ病」にならないのか、また、なってしまうのか。

 

 何度も声を大にして、繰り返して申し上げたいのです。

その人の、普段の心の持ち方です。

正確には“人格”と言います。

18歳末満では“自己同一性”とも言いますが、まだまだそれは確立されていないとも考えられます。

“性格”と言った方が皆さんには理解し易いでしょうが、厳密には“性格”は、“人格”と意味が少し違います。

“人格”は、人の生い立ちから育つ過程で形成されて来るものです。

“性格”は、少し先天的な意味が含まれていると言って良いでしょう。

 

 人間が此の世を生きるという事は、何時、何処で、自分に何事が起こるか不確定なのです。

それは、全く不確実、不透明とも言えます。

時折でも良いのですが、しっかりと頭に叩き込んでおくのです、人生は不透明だと・・・。

お医者さんも含めて、人生についてとことん考えておかないと、多くの場合<過ち>を犯すものです。

「うつ病」、重症にならないうちに心理療法を受けて自分が一体に何を考えて生きているのかを確認しておく事が必要です。

 

 人生、ぼんやりと生きていると途端にある<切っ掛け>で『重症うつ病』に陥ってしまう場合があります。

自分とは一体に<何者か>を知っておくべきです。

<<うつ病>>究極の世界(8)

2006 年 8 月 26 日 土曜日

 「うつ病」、究極的に考えても{心の病}としか思えません。

勿論、「うつ病」になったと同時に体も変化しています。

神経・内分泌・ホルモン、などのバランスも同時に変わると考えて良いでしょう。

それでも、心のバランスが壊れなければ「うつ病」にはならないです。

 

 心身症であれ、神経症であれ、それなりに過去の中に自分で気付いていない“心の葛藤”を引きずっています。

ある{切っ掛け}を機に、自分が防波堤を築いていた“自我の心”が一瞬に、或いは、

ゆっくりと崩壊してしまいます。

この時、脳脊髄肢と血液のバランスが一機に<良くない方向>に変化して行くのです。

だから、どういう病気であれ同じでしょうが、{悪循環}を辿ります。

脳脊髄肢と血液が悪ければ、体も心も疲れます。

悩みや苦しみが治らないので、心身の疲労が益々と悲しく辛くなります。

一度「うつ病」になってしまうとなかなか治らないのがこの理由ですね。

心と体液の{悪循環}ですから・・・。

 

 お医者さんでは、薬を投与して体液を変えようとします。

或いは、血液や脳脊髄液のバランスが壊れていたものを回復させようとするのです。

しかし、人の心、考え方などは、格別に人格に関わるものです。

人格は、誕生(胎内時も合まれるでしょうがここでは触れないでおきます)から現在までの生い立ちの中に、沢山の心の{カラクリ}が渦巻いています。

その心の{カラクリ}が薬で解ける筈はありません。

結局、人間を悩ますのは、自分の心であり、自分の持ち合わせた心の全部を受け止める能力が無いと駄目なのです。

その能力が、人の心の{器}と言うものでしょう。

 

 心がバラバラで纏まりが無ければ、心の平安、楽しさ、嬉しさ、爽やかさ、豊かさ、など何も無いのです。

人生を生きていても幸せなんて何もありません。

苦しいので“死んだ方が楽になる”と感じ始めます。

要するに、人は、自分で{幸せを感じる能力}を養う事が最大に重要です。

 薬の内服により少しは気分が楽になっても、自分の考え方や思考方向のバランスが無ければ、眼前の人間世界を生きるのに悩みます。

そうであれば脳脊髄液や血液の正常なバランスを回復できません。

だから人が生きる事は、悩まないで生きる事。

人生では色々な出来事に衝突するので、自分が上手に悩まないで日常生活を生きる事に切磋琢磨する事が必要なのです。

生まれたまま、未来の世界を生きるのではなくて、自分の過去の中に{答え}はあります。

 

 人の心は、過去と現在と未来を見る目=心の調和、が可能であれば大丈夫です。

この調和を創造するのが「インターネット心理療法」なのです。

<<うつ病>>究極の世界(7)

2006 年 8 月 23 日 水曜日

 面白いのは“うつ病者”また、自称“健康者”もそうですが、心の話をすると案外<嫌悪感>を示す場合も多いです。

どんなに心の話をしても興味を示さない人達が多いです。

当方が悲しいのではなく、そういう人達を見ていると本当に情けなくて、また、可哀想に思います。

この様な言い方をすると{けしからん!}と言われるかもしれません。

しかし{けしからん!}と言う人が居るとすれば、その人も可哀想な人だと思えてなりません。

 

 何時もこんな風に言います。

人には「会話」と「行動」と「心]、この3つしかありません。

「心」が人の中心になるのです。

「心」次第ですね。

「心」が人の「会話」と「行動」を常に操作しています。

人の悪口を言ったり非難したりする事、これも「会話」ですね。

盗み、窃盗、犯罪など、これらは全てが「行動」です。

昨今のマスコミでも、事件など沢山と報じていますが、根本の原因は「心」でしょう。

 

 「心」・・・人の誕生から~現在に至るまでの<生い立ち>の中に形成されて来るものと言って間違いないでしょう。

一般社会の人達は“心について聞きたくない”と、そんな表情さえ見せます。

その割りには案外と人の気持ちを気にします。

自分に対して人の気持ちがどう動いているか、自分を賞賛しているかなどが主体になっていますね。

“自分を非難している”と知ってしまうと、今度は相手を<恨み>ますね。

相手に対して、自分の心の底では{怒り}、{憎しみ}、{やきもち}、{嫉妬}などを沢山と持ちながら、表面上では“自分は真面目な人間だ”と自負していますので、心の底を喝破する能力のある人が見れば、大変<滑稽>にみえます。

そんな人達を見ると可哀想だと思いますが、その人に向かって「貴方は可哀想な人」とは言えるものでもありません。

時折でも良いから、自分の心を見詰める作業をしておいて欲しいと何時も感じております。

そうでないと他人の心を傷つけるのです。

他人の心を傷つけておいて気付かない人は、何処で生きていても他者から<疎ましく>思われるでしょう。

 

 当方より「自分の心を学習しない人は可哀想だ」と申し上げたのは、人生の途上で<転ぶ可能性>が高いので、もう少し勉強しておかれたら良いのに・・・と言う意味です。

決して他者を卑下しているつもりはなく<祈る>そんな気持ちです。

 

「うつ病」になると、必ずや数%の確率で{自殺}が起こるので、残された家族が辛い思いをする事になります。

<<うつ病>>究極の世界(6)

2006 年 8 月 21 日 月曜日

 面白い事というか、悲しい出来事だと感じます。

「うつ病」の人、「うつ病」の話をする人、「うつ病」は薬で治せると言う人です。

日本では、大学の先生、精神科医や心療内科医の先生も、「うつ病」を“薬”で治そうとするのです。

この習慣が、世間をまかり通ってると思います。

何故、お医者さんは薬の事だけで考えるのでしょう。

「うつ病」は、薬を飲めば治ると言うのです。

悲しく、また、哀れな事です。

 

 “うつ病者”には、薬だけを内服し、仕事をしていない人達がどんなに沢山と居ることでしょう。

それと、注意すべきはアルコール依存の人達は、案外と「うつ病」を併発しています。

一般的に“アルコール依存者”は、「うつ病」を合併している事の方が多いです。

人格的な未熟さも、多くの場合で露呈しています。

人格的に成長している人であれば、アルコールを飲む事が自分にとって、人生を生きる上で{得}か{損}くらいは気付く筈ですから・・・。

“アルコール依存者”は、その区別さえ失っていますので、心の「器」を大きくしてあげる必要が絶対に必要です。

“うつ病者”もそうなのです。

心の「器」が小さいのです。

 

 どんなに学問に秀でていても、芸術に優秀であっても、心のどん底に落ち込む場合が結構と沢山あります。

エリート大学に行って学問を勉強し研究を重ねても、人間学を勉強する訳ではありませんので、人対人、人対環境などの問題について、意外と不満や不平を持ってしまう事も多いものです。

 

 そういう訳で、何と言っても「うつ病」は、本来的には人格に関わる問題です。

だから『「うつ病」を薬だけで治そうとしては駄目だ』と、声を大きくして皆さんに伝えておきたいのです。

本当に「うつ病」を治すのに、お医者様は薬だけ投与して治そうとしています。

 

 薬だけで「うつ病」が治った場合があるとします。

しかし、また困難に衝突すすると「うつ病」になり易いです。

そうでなければ、心身症や他の病気になったりもします。

「うつ病」・・・悩まない人になる。

自分の眼前で何事が起こっても悩まない人になることです。

 

悩まなければ「うつ病」に罹る事は絶対にありません。