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2006 年 7 月 のアーカイブ

<<講演>>人生への理解(5)「人対人」

2006 年 7 月 31 日 月曜日

 人間として此の世に誕生するには、一人では不可能である。

誕生した後、一人で生活する事は不可能である。

 

 しばしばと人間嫌いの人達に出会う事もある。

本来的には、彼等も人間が好きではあるが、他人と気持ちを合わせることが下手である。

本当に心底から人を嫌いと思うのであれば、誰の顔も見ないで済む深山の山奥の奥に一人で住めば良いのである・・・。

或いは、絶海孤島の誰一人として住んでいない大海原の島に住めば、それで満足するのではないかと思うが・・・。

 

 人が嫌いだと言う人格の歪な人達は、決して深山の山奥に一人では住めません。

あまりにも孤独感が強くなりすぎて、また、そんな生活は怖くて淋しくて出来ません。

 俗に、人間嫌いの人達は本質的には“人が好き”なのですが、自分以外の人達との付き合い方、態度や会話などを如何にこなすかを理解出来ていません。 

心の底では人が好きです・・・好きになりたいのですが・・無理ですね・・・。

劣等感があまりにも強く、対人関係でもコミュケーションが充分に出来ない事を彼等は知っています。

劣等感=自分と他人を比較して、自分の方が劣っているという気持ちですね。

ですから他人を避けて、自分の人生を暮らす様にもなります。

 

 家族の中、学校の中、職場や社会環境の中でも、他人の皆と同じ心理状態を持てないので、何事につけ楽しくもないし面白くもないです。

引きこもり、登校拒否、出勤拒否などは、歪な心が自分の内側に溜まっていったものでしょう。

歪な心が外側に溢れ出すと、非行や犯罪、殺生事件にまで進展して行くでしょう。

他者を巻き込んで、褒められもしない出来事などが起こります。

 時には人間嫌いの人達から、素晴らしい物・事・文化など起こる場合が稀にありますが、全体的には少ないでしょう。

 

 折角此の世に生まれて来た以上は、楽しい人生であって欲しいです。

<<講演>>人生への理解(4)「生態系」

2006 年 7 月 28 日 金曜日

 「生態系(学)」=英語では、エコロジーと言われているようです。

 

分かり易く説明すれば、{自然の営み}など。

或いは{自然}、{あるがまま}、人間が手を加えないあるがままの状態と言えるでしょう。

全世界、地球上の自然の営みとも言えるでしょう。

ここでは、人間を除いた全ての生き物、植物や動物、単細胞生物などを含めて、無生命体の中での{自然の営み}と言うものであるかも知れません。

 

 地球上のあらゆる場所で、人の目につく場所、人の目につかない場所などで、生存競争が繰り広げられています。

そして地球上の自然が保たれてきています。

生存競争が良いとか悪いとか、ここでは言えませんが“弱肉強食”の世界があって地球上の調和が保たれています。

弱いものは強いものに食べられて滅びるものでしょう。

植物も、動物も同じですね。

 

 さて、人間も本来的には、エコロジカルな生き物なのです。

残念なことか悲しいことか、誰が判断するべきか現在のところ判定のしようがありません。

 

 人は「万物の霊長」だと言われていた様ですが、どうやら大きな目玉と大きな視野で全世界を眺めて見ていると、本当に人間の{愚かさ}も嫌と言う程目に飛び込んで来ます。

地球そのものを破壊し、地球上の植物や動物の絶滅種が出てきています。

以前より、地球上の動植物は“弱肉強食”と生存競争のなかで自然の営みが継続されていたものであります。

所謂「生態系」は、人間が手を加えない事で保たれていた筈でありましょう。

「生態系」が、自然のまま保たれて来た事で地球上のバランスがとれています。

人間が直接手を出して動物を獲物にしたり、植物などを刈り取ったりする事で、動物や植物の保たれていた全体のバランスに破壊をもたらして来ています。

 

 人間が科学や技術など駆使して作った物、その作る過程で地球を破壊する物質が作られています。

大気汚染、水汚染、核汚染、森林の砂漠化、地球の温暖化、フロンガスや数えられない程の科学物質、オイルや天然ガス、地下深く埋蔵されているエネルギー資源・・・などなど。

ガイアの里と言われる地球は果たして生きているのでしょうか?

それを壊しているのが人間ではないのでしょうか?

人間、時には謙虚になり<自分を含めて、全世界>を見て欲しいものです。

 その様な目を養うには、自分の誕生からの“自己の心”を点検することなのです。

<<講演>>人生への理解(3)「無生命体」

2006 年 7 月 26 日 水曜日

 「無生命体」とは字の如く、生命の無いもの、即ち、生き物以外の全部が無生命体です。

唯、唯、人生をボンヤリと生きるよりも、知って生きる方が気楽で楽しい事柄も沢山とあります。

 

 人が此の世に生まれて、お世話やお陰を蒙っているものは沢山とあります。

食について、食べている時は生き物ではないでしょうが、食べる以前は、野菜や魚や肉など全ては生き物です。

動物や植物などは生き物ですが、人間が住んでいる建物や着込んでいる衣服などは“無生命体”です。

「時間」や「空間」なども生命体ではありませんが、ここでは話を除いておきます。

 

 一人住まいの人では、全てが24時間にわたり生命体以外のものにお世話とお陰を受けています。

電球やお風呂の水など、他者の恩恵を頂いていますが、ここまでは考えてみないと気づかないかも知れません。

建物の中に住む、一人で食事を作る、入浴も一人でする、掃除や洗濯や炊事も一人でしているので「誰の世話も受けていない」と言う人達が居るかも知れません。

しかし、ここに至るまでに知らない人達の恩恵を受けています。

睡眠にしても、お布団で寝るのであれば誰かが布団を作ってくれたものでしょう。

お風呂や冷暖房にしても、知らない人達が装置を取り付けてくれているのです。

 

 「自分は誰からも世話にはなっていない」と、自己主張した場合、それは“人間世界で自分が生きている事の{証}を全く知っていない”と言われても仕方がないでしょう。

 

 “自分とは?”、“自分の存在と人間の存在”、“自分とは此の世で一体に何者か?”などと時には明確に疑問を持って<自分の心>を確認しておくべきです。

此の世に誕生したからには、自分の人生を納得して楽しく生きるためにです。

 

誰もが人生一度は、自分の心を研ぎ澄まして見る必要があるようです。

<<講演>>人生への理解(2)「空間」

2006 年 7 月 25 日 火曜日

1.今現在に自分の居る場所

2.家族の空間

3.集団の空間

4.部屋などの空間

5.町、市、県、日本、アジア大陸・・・など

6.地球

7.太陽系

8.銀河系

9.宇宙・・・ここまで悟るには困難でしょうが・・・・・。

 

 

 人間が生きること、いや、人間のみならずどんな生き物でも、時間と空間があって始めて生存する事が可能となります。

人は人生を生きて行く上で、自分の家族か自分が属している集団にしか<視野>は届かないものですね・・・。

自分の住んでいる国や、世界、地球、太陽系、銀河系、宇宙・・・などまで、もっと大きな視野を持って、自分のイメージの世界に取り込む事が出来れば{最高の幸せ}を感じながら人生を生きる事が出来るでしょう。

何故ならば、そこまで自分の視野というかイメージが届くようになれば、小さな事柄に拘らなくなるからです。

 

「無我」と言う言葉があります。

皆さんは、言葉は知っていても、この意味を本当に理解できている人達は非常に少ないでしょう。

多くの、いや全ての人達は「無我」の反対で人生を送りたいと思っているみたいです。

“有我”と言いうのでしょうか、“大我”と言うのでしょうか・・・。

自我の肥大化、つまり自分の生き様を肥大化させて生きたいのです。

言い変えれば目立ちたがり屋ですね。

褒められたいとか、称賛されたいとか・・・、皆から拍手を浴びたいのです。

その割には、目立つ場所に立たされると、臆病になり何も出来ない人達が沢山と居ます。

実力と力量が無いから、その場、その場に応じた立ち振る舞いが出来ません。

だから悩みます。

 

時間と空間の中で、真実なる「無我」を悟れば、人生は気楽になるものです。

<<講演>>人生への理解(1)「時間」

2006 年 7 月 21 日 金曜日

 時間についてお話しましょう。

表現は色々ありますが、大きく4つに分けてみました。

①物理学的時間 ②人間が決めた時間 ③生物学的な時間 ④感情的な時間

説明では、ちょっとした表現で捉え方が変わりますが、今回はこの形で説明してみましょう。

人の悩みの解消にも役立つでしょう。

時間について理解する事は{哲学}、{人生学・人間学}でもありますから・・・。

 

①物理学的時間:地球の歴史、いや、宇宙の歴史から始まるのでしょう。

宇宙の歴史は100億年とも言われており、太陽系、地球などが出来上がったのが約46億年前、地球上に単細胞生物が現れたのが約35億年前だとも言われています。

色々な時代を通って類人猿や人間が地球上に現れたのが、500万年前とも200万年前とも言われています。

そして現在の人類があり、現在の社会・経済・政治などがあるのです。

 

②人間が決めた時間:自然科学的な視野の上にたてば、時間は物理学的な{時間}となるでしょう。

人が便利さの上に時間を組み立てたものが次の表現です。

1年=365日、1日=24時間、1時間=60分、1分=60秒、1秒・・・この様な時間の中で、人は生きているのです。

 

③生物学的な時間:時間は平等に与えられていると皆さんは言われますが違うのです。

対にそんな事はありません。

各種の植物や動物によっても全く時間の持分は違うものです。

更に、同じ動物でも病気や生存競争に敗れて短命で終わる場合もあります。

時間の持分は違うのです。

人間でも短命な人と長命な人が居ます。

母親の胎内で一生を終える場合や誕生後すぐに亡くなる場合、新生児や小児の時に・・・、学童・学生まで・・・、青年期まで・・・、成年期まで・・・、壮年期まで・・・、老年期・・・、などと人生の生涯の長さは時間的に異なります。

時間は決して平等に与えられるものではありません。

不治の病に取り付かれる場合もあるのです。

戦争や天変地異などによって命を失う事もあります。

昨今の人間社会はIT社会などと言われ、心・性格・人格の歪な人達の犯罪が増えている様でもあります。

犯罪にまき込まれて命を落とす場合も結構と増えました。

 

④感情的な時間:格別に感情豊富な生き物は“人間”だと言っても良いでしょう。

楽しい嬉しい時間は早く終わります。

辛い悲しい苦しみや悩みの時間は遅く流れます。

 

時間について明確に理解するだけでも、人生について理解する事にもなるでしょう。