<<インターネット心理療法>>追加編(2)

2006 年 10 月 20 日

 本当に、沢山と心の問題でメールが来ます。

色々な治療法、心理療法など受けて来たが治らないで悩んでいます・・・、などと『相談』が入って来ます。

 以下に例をいくつか挙げてみました。

「うつ病で数年、十数年も悩んでいます・・・」

「仕事にも行けないで困っています・・・」

「家で閉じこもった状態です・・・」

「家の中で、夜になると“大声を出して”どうして良いか分らない・・・」

中には「うつ病で就労できずに、会社を辞めてしまった・・・」といったものもあります。

また、「神経症や心身症などが治らない」など・・・。

 

 親からのメールでは以下の相談が多いです。

「子供のうつ病を治してやりたいが、随分と薬は服用している、それでも症状は良くならない・・・」

「自分の子供が登校拒否している・・・」

「非行で家に帰って来ない・・・」

「学校で暴力を振るう・・・」

「学校でいじめにあって困っている・・・」

「学校を退学したまま、引きこもっている・・・」

「子供が変な宗教に嵌まり込んで、学校も仕事も辞めてしまった・・・」

「拒食、過食と嘔吐、など患っているが、病院を何ヶ月も入院と退院を繰り返している・・・治らないのだろうか・・・、点滴やったり・・鼻経管栄養などもやっている・・・」

シンナーなどの薬物関係の悩みもあります・・・。

 中学生や高校生や大学生などからは

「学校が面白くない・・退学したい・・」

「自分で自分の進路を決めたいが、親が認めてくれない・・・」などです・・・。

 

 面白いと言ったらいけないのですが、子供が真剣に悩んでいるのに親が全然と相手にしてくれずに、子供は悩み続ける・・・。

子供の悩みに親が全くと相手をしない場合、治療者としても大変に困るのですが、駄目な親が時折にいらっしゃるので心理士としては非常に悲しい思いもする場合があります。

 

 子供の心理療法ですね・・・。

大人になっても“子供の心のままの人”が沢山いますが、心の成長には親の子供への心の理解が物凄く大切です。

しかし、この事実を知らない親が多いので心理療法士としては、本当に苦労する場合があります・・・。

中には、子供が悩む場合、親に内緒で『悩みの相談』をメールされる場合があります。

 子供の『悩みメール』を親は理解してあげて下さい。

<<インターネット心理療法>>追加編(1)

2006 年 10 月 17 日

 世の中、随分と変わりました。

病院や心理研修所に直接に出向いて行かなくても、{心の病}を治せるようになりました。

「インターネット心理療法」が出来ましたから・・・・・。

 

 今の日本では、本当に<人の心>を理解してあげる事が出来る場所は少ないですね。

それと“一般の皆さんの考え方を少しだけ変える必要もある”と確信しています。

勿論、医療者が心の病に対して、充分如何に対応するかどうかを知っていないと駄目なのですが・・・。

 多くの医療者は、症状と薬だけ・・・、心を理解してくれません・・・。

医療の世界では、病気は即“薬”の投与ですね。

心の病気についても“薬”なのです。

 

 当方は、誰をも非難したり、どんな環境をも非難したりする心は全くありません。

唯、唯、人の心の真実だけは述べてみたい、そして、人間は誰しもが自分の心と体については、満足して納得できる人になっていて欲しいと考えます。

 若年の間は、人の心について充分に知ってあげる事も、自分の心について知る事も出来ないでしょう。

それなりの年齢を重ねた人達も{心}については勉強していません。

勿論、心がどんなに健康でも年老いて行く事は仕方ありませんが・・・・。

人は誰しも人生を生きる上で、どんなに賢くても偉くても、少なからず{劣等感}や{心の葛藤}は持って生きる様ですね。

自分は「劣等感などは持っていない」と言いながら{優越感}を持っているのです。

{優越感}を持つ事は、{劣等感}を持っているのです。

自分が気づいていないだけです。

人は人生を悩んで生きます。

今悩んでいないと言っても、その人の未来では<艱難辛苦>が待ち受けているものです。

そう、確かに悩まない人もいるでしょうが、終末が訪れて<黄泉の世界>に旅立つ時が来れば、先ずは悩むでしょう。

 人は新生児や乳児から既に悩んでいるものでしょう。

唯、その頃の記憶を自分で辿ることは困難ですが・・・。

それでも小学生5~6年生になれば悩まない人にはなれますね。

はたまた高齢者になっても人生を悟ろうと思えば悟る事は出来るのです。

 

 当方、<人間の存在って、何だろう>、<自分って、何だろう>、<悩まないで、人生を生きる>、<人生を、幸せに生きる>、<真実なる自己って、何だろう>、などと随分{人間の心}を勉強してみました。

最終的に、人は悩みを抱えている時、どんなに良い助言や注意や説教をしても『聞かされた人は立腹する』という事が結論でした。

多くの人達は「助言して欲しい」と言います。

しかし、これが役立たないのですね。

 

 「インターネット心理療法」は確実に役立つでしょう。

<<うつ病>>究極の世界(22)最終回?

2006 年 10 月 12 日

 最終回です。

少しばかり難しいと思います。

このブログは沢山の人達が読まれています。

それで、人生の究極の思考体系にも触れておきます。

この項を理解できる人は哲学や宗教学にも随分と理解できている人達でしょう。

この<項>が解らない人達は、少しでも良いので人生の学習をして下さいますようにお願いします。

悩まないで、楽しく人生を生きられるものですから・・・。

 

 前回『無常観』の話をしましたね。

生きとし生けるものは、或いは、命あるものも無いものも、全てのものは時間と共に形や姿は消えて行くという事です。

終末を迎えて消えて滅するのです。

何故にこの様な考え方が必要なのかです。

この意味を解れば、全ての“迷い”は消滅して行くのです。

日本でも昔から、{捨てて、捨てて}と云う言葉があります。

{捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ}と云う言葉もあります。

自分の心も体も、捨てた積もりになるのです。

捨てた積もり、まあ、体だけは少し残しておいて下さい。

これは、心の世界の物語ですから・・・。

 

 『無我』と言う言葉ですね。

無限の時間(科学的には<宇宙の歴史と宇宙の終末>も紐解かれていますが・・)、永久の時間の流れの中で、人間個人の生命は何と短いものでしょう。

また、宇宙~銀河系~太陽系~地球~日本~自分の今の居る位置、を自分で確認できるかどうかです。

人は、自分の眼を何処に置くかです、ね。

自分の思いを何処に走らせるかです、ね。

夜空の星に行って、地球を眺めてみます。

また、どの位の時間がかかり、自分の生命はどの位の時間を生きているのでしょう。

自分の存在が、限りなく小さい存在だと解ると『無我』です。

自分の周囲の人達や世界の人達、世界の平和さえも希望する様になるでしょう。

 他者から踏まれても、蹴られても、苛められても、納得の行く人生を送られる人となれるでしょう。

 

『無常観→無我→涅槃』人の心は、必ずやこの過程を通って{悟り}の世界に入れるものです。

生きながらの『無我』、『涅槃』も真に楽しいものです。

『無常観』、『無我』、『涅槃』など、時間と空間から考慮をして、体で悟る事が必要なのです。

少しながら、人生を、哲学や宗教学を学問として熟慮して下さいませ。

 

 うつ病者は、薬も大事ですが人生勉強が<より大事>です。

<<うつ病>>究極の世界(21)

2006 年 10 月 10 日

 ここまでは過去を見詰める事、自分の誕生から生い立ち~現在に至るまでの過去を見詰めて、自分の本当の心・自己を知る事が重要だと説明しました。

 

 “心の扉を開く”のに、一番に簡単に見えますが一番に難しい事があります。

簡単に言えば{己の心を捨てる事}なのです。

場合によっては{己の心だけでなく己の体まで捨てる事}なのです。

これが出来る人は「うつ病」にはなりません。

何故なのか?上記を少し詳しく説明します。

 うつ病者は、物事に拘るから「うつ病」になるのです。

同じ様な意味ですが、執着しなければ「うつ病」になりません。

自分という一人の人間は、やがて、或いは、すぐさまに死んでゆくもの、一定の時間が来れば、必ずや此の世から消滅して行くのです。

自分の消滅、“心身ともに此の世から消えて行く事”に対して納得できるかどうかです。

多くの人達、いや、全部の人達と言うべきか、「死」の話をすると嫌悪感を示します。

“生まれた者は必ず死ぬ”、避けられる道ではありません。

こんなに明確な人間の一生の過程ですが、なかなか人は納得しないのです。

悲しいですね、情けないです、駄目ですね・・・・。

人間世界の真実の出来事から、人は眼を逸らします。

避けられない人の命の消滅を、正面からその事実を眺めて欲しいのです。

時間の中で、時間に流されて人は一生を終わります。

時間とともに滅する=生きとし生きるもの、いや、生きていないものまで時間に流されて消えて行く=『無常観』ですね。

上記の事柄を体で悟る事が出来れば、立派で最高の人生を送れるでしょう。

何故なら、生きていて何も悩む事はありませんから・・・。

どんな出来事が起ころうとも、悲しい困難な出来事が生じようとも、自分の心身を投げ捨てて対応出来るのですから・・・・。

 自分の{死}を見詰めて問い詰める事は、逆に今の自分の人生を如何に生きるかが理解できます。

心は反転します。

悲しい、憂うつな心が反転、楽しくなるものです。

何時も、何か良い事はないかと自分の近未来(目先の事柄、近い将来など)ばかりを見ない事が重要なのです。

未来の自分を考えるのであれば、もう少し先の先を見詰めて“人生には終わりがあること”を確認し理解して下さい。

 観念でなくて自分の体で体得して受け入れる、頭でなくて体で理解={悟り}と言うことです。

{受容}して下さいませ。

人生の迷いや悩みや悲しみから、全てが解放されるでしょう。

 

 「うつ病」だけでなく、各種神経症や各種心身症も必ず治りますね。

当方、断言しておきます。

<<うつ病>>究極の世界(20)

2006 年 10 月 7 日

 心、心、心・・・、人間の心って何でしょう。

案外と突き詰めて考える事を人はしないものです。

だから時折に悲劇が起ります。

全く自分の心について知っていないのに、自分の事は自分が全部を知っている積もりで生きているのです。

自分の心については充分に知っているが、他人の心が見えないと、人は良く言います。

人は、自分の心については、がんじがらめに{心の防波堤}を築いて他人から見破られまいとして必死で・・・、そんな生き方をしています。

 

 まとめとして、少し重複するかも知れませんが御容赦のほどお願いします。

人は、この世に誕生した以上、どうしても一人で人生を生きる事は出来ません。

誰かと顔を突き合わせて、何らかの環境の中で生きるしかないのです。

人間個人としては、全ての人を好きになるなんて出来る訳ないです。

全ての与えられた環境を好きになるなんて出来る訳ないです。

好きになったり、嫌いになったり、愛されたり、恨んだり、楽しんだり、悲しんだり、何時も人の心は{表と裏}が動きながら、日常生活を送っています。

 

 あまりにもマイナスの心が多くなると、また、「うつ病」でも強度になれば、幻聴や幻覚の様な体験をするでしょう。

{死神が、袖を引く}という明言ですね。

うつ病者は、悩みが多くなって苦しむと、独りでに死の淵へ・死の谷へと、心と体も引っ張り込まれてしまいしまいます。

 本当は死にたい訳ではないのです。

しかし、辛いから、苦しいから、悲しいから、憂うつで、何で嘆いて生きるのかと、自問自答しながら、心の絡まった紐が解けずに、人の心(=意識)の変性状態が起ります。

自分の心の防波堤は崩壊し、「うつ病」でも心は支離滅裂となります。

 発作的な行動は起こるものです。

うつ病者だけでなく、強度の強迫神経症、強度のパニック症状、強度の躁病者、(ここでは統合失調症は、除外しておきます・・・、彼等も過去に強迫されていますが・・・病気の次元は別にしておきます・・・)などの行動も大変です!

死への衝動と言うよりも、矢張り、死の淵へ自意識を支配できずに引き込まれると言った方が正しいと考えますね。

 

 人は誰もが日常生活の中でも、可能な限り自分の心を知るように注意しておいた方が良いでしょう。

自分の心を知ろうとすれば、日常生活の喧騒から一時でも良いので飛び出して、自分を見詰めて下さいませ。

設定された場所で・・・・・。