<<インターネット心理療法>>続編(2)

2008 年 8 月 7 日

 「インタ―ネット心理療法」については、(閲覧分)で記載していますが・・・。

もう少し、記載してみましょう。

 昔から、{{もの言わぬは、腹ふくるる!!!!}}なんて言葉が有ります。

本当に、人間の心って、そうなのです。

人前で、喋り過ぎるのも、問題ですが・・・・。

人前で、喋れなければ、もっと、もっと、人は自分の心が暗くなります。

それから、心が暗くなればなる程に、余計に、心は暗くなります。

 自分の心〈無意識と潜在意識と顕在意識が一緒になっている〉に、自分のもう一つの目先の心(=顕在意識)が<<引っ張られる>>からですね。

即ち、人には、色々な段階の心が有りますが、二つの心があると言っても良いですね。

{浅い心}と、もう一つは{深い心}だと、言っても良いでしょう。

 

 人は、自分の心を知っている積もりで人生を生きています。

喜び楽しみ、生活して生きておれば良いのですが・・・・。

案外と、悩み苦しみ生きているものです。

<<苦しく感じる>>、<<悲しく感じる>>、<<イライラと感じる>>、<<何となく、面白くない>、<<憂鬱に感じる>>、などなど、そんな気持ち&そんな感情など感じる様であれば、必ず、自分の心を点検して欲しいです。

そして、先刻、伝えたように、調べた自分の心を<<報告>>して欲しいです。

 けれども、自分の心の悲しい心(ある意味では、裏側の心ですよ)は、あまり他者に見せたくありません。

そんな見せたくない心を、自分の裏の心を開くのですね。

自分を、立派な人、凄い良くて真面目な人、誰もから褒められる人、などと考えていると、疲れます。

 

 人って、他者に自分の心を話した時に、自分の心を開く事になります。

でも、誰にでも、自分の心を話していると、<<他者に、真実に馬鹿だと思われる>>場合もあります。

眼前の人や環境に、どれほど上手に適応できるか、どうかが<人生の分かれ目>でしょう。

自分が、賢い偉い人間だと感じる時には、そのように他者に話をするだろうし、私は馬鹿な阿呆な人間だと思っている時には、そのように話を伝えるでしょう。

 自分の心を秘密にしておくのが、一番に疲れるでしょう。 

此の世に誕生して来た以上、誰にも<<不満や悲しさや怨念、など>>話をしても、世間の庶民には理解してもらえません。

世間を生きるための{{常識}}などを、養うのにも自分の心をオ―プンにしてみましょう。

 

 人間って、本当に不思議ですよ、自分の心を明るく照らしてみましょう。

そうする事が、一番に大切です。

「インタ―ネット心理療法」で、大丈夫です。

<<インターネット心理療法>>続編(1)

2008 年 8 月 5 日

 当方、「インタ―ネット心理療法」を開始して、かなりの歳月が過ぎて行きました。

人の{心}って、素晴らしいですよ。

今、考えている事から、遡って、自分の小さな頃から自分の環境や家族の状況を見つめて、自分の会話や行動や心を再点検してみるのです。

 その前に、現在、自分の思い出す事柄や思い出すまでもなく、自分の目先の感じる事でも、何でも構いません。

とりあえず、口に出すか、それが出来ない時のために、この「インタ―ネット心理療法」ができたものです。

そう、自分の思う事柄や感じる事柄、何でも良いので、自分の頭の中の事をパソコンに打ち込んで<<知らせる>>のです。

 

 知らせる、これが大事ですよ。

悩みながら苦しみながら、自分の心の中の<負担に感じている事柄>をパソコンに打ち込んで、メ―ルを送ってみるものです。

ストレスを感じながら、持ちながら生活している人達は、必ず、自分の心の中にマイナスの気持ちが沢山と積もっていますから、自分の心を口にしたり、文字にしたりするのを困ったなあと、そんな気持ちも時折はあるでしょう。

 誰しも、人間は<真面目に生きている積もり>ですから・・・。

そう、皆が真剣に真面目に生きているって、言いますから、当方は不思議に思います。

本当に真面目であれば、人生を<<気楽>>に楽しく生きている、喧嘩などしないで生きていると考えますが、現実は、そうでないですよ。

人って、どんなに沢山の学問をしていても、自分の心、意識の中にあるものを何処かで見つめなおしていかないと、唯、自分の中で抱えているだけでは、いけませんね。

 

 何処かで、話したり、報告したり、皆さんに伝える事が大切です。

嬉しい事は、<<嬉しい事・物、何でも>>人に話す事でしょう。

そうする事で、自分が、より楽しくなるものです。

悲しい事柄は、やはり、<<悲しいです>>よと、その事実を具体的に話してみるのです。

 けれども、悲しい事、寂しい事、立腹している事、沢山のマイナスの感情を溜め込んでいる場合では、普通の状況では話せません。

自分の悩みなど、何処でも話していますと、周囲の皆から<<馬鹿>>にされます。

あの人は、{{マイナスの気持ち}}しか持っていないと、人間の一人として、低く評価されます。

当然ですね。

 

 心の葛藤、話してみたい事、「インタ―ネット心理療法」で可能です。

<<心の世界>>36の質問 (36)

2008 年 8 月 1 日

  これで、最後の質問にしますが、

 随分と人間の考え方と生き様が分かってきました。

私の現在の心と考え方や思考傾向やプラス思考やマイナス思考、

などなど、全部が自分の深い心に操られているのですね。

自分の心を再確認のため、<<生い立の過去の自分の心の再解釈を>>しておかないといけませんね。

{顕在意識}はコロコロと変化しますが、根源である{潜在意識}と{無意識}を確認が必要みたいですね。

また、過去の心を<<伝える>>={告白}なのですね。自分を表現して伝えるって事ですね。

そして、心の新しい考え方「再生」・「回向」・「新生」を得られる訳ですね。

 

{お答え}

 人間は、誰も自分が真面目に素直に生きていると、考えています。

こんな思い、考え方をしていると、<<怖いです>>ね。

何故なら、自分は真面目だと思う人(本当は、駄目で愚かな人なのですが・・)、当方から考えていると、見栄と虚栄心への執着心も強い人が多いです。

こんな考え方は、人間の幼い時期から母親や父親を通して、心が形成されるからです。

勿論、幼い時に、両親以外の人達や劣悪な環境なども、心の形成に影響します。

 心・性格・自己同一性・人格、などと言われます。

「三つ子の魂、百まで」、これは、昔では数え年で3歳、今では2歳、2歳までに第1期の「不信感」が形成されますからね。

誕生~2・3歳~6歳~9歳~12歳~~~までが、非常に大切です。

人が現在に悩み、未来に向かって悩む場合では、自分の過去を散策する事で、心・人格を矯正するには、これしか有りません。

 

 人生で一番に大事な{悟り}は、「無常観」を悟る事です。体で生身のまま「死」を悟る事ですから、信じられない程に<<凄く嬉しく>>なるでしょう。

眼前に、どんな人達やどんな環境が立ちはだかっても、必ず乗り越えられるでしょう。

 「無常観」を悟られれば、「無我」を悟れるし、「無我」を悟れば「涅槃」を悟れるでしょう。

「無常観」を悟れば、自分が<<仮の存在>>だと分かるし、<<今を生きる>>事が格別に大事だと理解できるでしょう。

悩んだり悲しんだりする{時間}が、もったいなくて、自分に与えられた{時間}が少ないのに気づきますよ。

 

 生きながら「涅槃」に入れば、煩悩は燃えないでしょう。

万一、煩悩が燃えて苦しんだり悩んだにしても、何処まで<<煩悩をメラメラと燃やせば、自分の負担になるのか>>という、その限界と境界に直ぐに気づきます。

此の世から、消えた時が「涅槃の世界に入る」のでは、ありません。

心も体も、消えてしまえば人生での<<生身>>は終わりです。

 生身のまま「涅槃」まで悟られれば、最高の人生となります。

<<心の世界>>36の質問 (35)

2008 年 7 月 30 日

  沢山の説明が、よく分かりました。

「四苦八苦」って言葉が、立派に有るのですが、知りませんでした。

深い深い意味が、有りました。

ついでに、「無我」とか、言いますよね。

説明を、お願いできますか・・・・???。

難しい言葉も、聞いてみたいです。

 

{お答え}

 「無我」って、人は、よくこの言葉を使いますが、本当の<<意味は理解できていませんから>>ね。

分かり易いのは、こんな説明もあります。

 

 自分は、あるいは、自分の心は、常に、周りから<<操られて>いると、思っても良いです。

家族の中で、集団の中で、会社の中で、常に、誰かの思いや意思によって、自分の{会話}や{行動}や{心}が自分の意思や心でなくて、周りのそれらから動かされていると、言うのです。

人間、一人では、此の世を生きる事は、出来ません。

誰かと一緒でないと、人生はありません。

生まれて来るのも、一人で自分の{意志}や{思い}や{希望}で生まれた訳ではありませんからね。

誕生は、両親の<<因縁>>で生まれて来たのですよ。

 

 もう一つは、自分自身を、自分の眼を遠くにおいて、例えば、イメ―ジですけどね、眼を月に置く、星に置く、もっと離して宇宙にまで持って行き、そこから、自分を眺めてみるのです。

きっと、小さな自分自身が見えてきます。

いや、自分が見えないかもしれません。

そんな、小さな自分になってしまいますから、自分が無いと言っても、良いでしょう。

本当に、遠くから見ると、自分が見えません。

だから、私は無いですよ、それで、「無我」になってしまいます。

 

 本当の意味は、自分の「生」を「滅」と悟った時ですね。

自分の体で、自分の「滅」を悟るのです。

これは、「無常観」と言いますが、「無常観」を悟ると、{{神秘体験}}を体験するでしょう。

拘るものから、案外と<<執着心>>が離れるものです。

拘らなければ、人の悩みはありませんからね。

どうしてって、そうですよ。

人間って、マイナスの感情で拘ると、どうしても悩みは増えるだけです。

 

 自分の心の動きを、しっかりと眺めて下さい。

<<心の世界>>36の質問 (34)

2008 年 7 月 29 日

  まだまだ、[五蘊盛苦]って言葉がありますね。

 どう読むのでしょう、そんな言葉の説明を、お願いします。

 色々な説明を読んでいると、分かり易いです。

 そんなに、感じますから、もっと続けて下さいませ。

 お願いします。

 

{お答え}

 「五蘊盛苦」<ごおんじょうく>って、よく、説明していますよ。

五蘊って、五つですね。

五→・・・「色」、「受」、「想」「行」、「識」・・この五つの言葉です。

 「色」・・・、こんな説明です・・・此の世に存在するもの、{命あるもの}も{命ないもの}も、全てを含んでいます。

生き物だけでは、ないのです。

石ころや、ダイヤモンドや、此の世の存在するもの、全てですから・・・・。

この「色」が有って、人間は生きているのです。

 「受」って、人間の五感と六感ですね。

眼耳鼻舌身など、五感であって、それから六感が意識と言います。

人間の五感が有って、六感が有って、初めて、人は、物&事&状況&現象などなどを、楽しいとか悲しいとか感じ取るものです。

六感と言えば、意識と言っても良いですね。

意識があって、人は、人間として生きています。

 「想」って、想念だと言います。

「想」があって、そこから 自分の好きなものには近づこうとするし、嫌いなものからは離れようとします。

何か、少しでも一瞬でも、感じるものです。

 「行」って、好きなもの&嫌いなものに、或いは、好きなものや嫌いなものから、<近づこう>とか<遠ざかろう>と、そんな動きかたを「行」と表現しています。

「行」の意味は、時折、違った説明もありますが・・・・。

 「識」って、認識するの、意味だと考えて良いでしょう。

深く考える、一生懸命に考える、それが「識」ですね。

眼前に、どんな良い物や、良い人が居ても、意識が働いていないと、誰も感じません。

 

 「色」は自分自身も入ります。

自分自身が、如何に自分の中身や眼前や遠くに有るものや現象などを含めての「色」を、<幸せに感ずる>か<嫌い>だと感じるかです!!!!。

これだけで、人の<<悩む根源>>を説明しているみたいですね。

何が有っても、悩まない人になれば、それだけで十分なのです。

 

 皆が悩まない{{人}}になりましょう。