<<人生>>「人間って面白い・・・」(6)

2008 年 11 月 22 日

{肩こり}や{腰痛}などについても、少し述べました。

 人は、本当に多彩な症状を訴えます。

 

 {喉がつかえる}など、喉の違和感など、また、よく咳が出る場合もあります。

勿論、喉や胸部の悪性疾患を見逃しては、いけません。

そのうえで、身体的、器質的疾患が無ければ、心の中に問題があります。

心と言っても、沢山と勉強しなければ、心の世界を知る事は不可能です。

 

 一番に大切な事は、自分の心をしっかりと知る事なのです。

 

本当に面白いのは、自分の心の中に沢山の{悩み}や{苦しみ}を抱えていても、そんな心の葛藤は全く持っていないよと言う人達が沢山と居ます。

 人間って、そんなものかも知れません。

だって、人間の眼は外側に向かって顔に付いていますから、自分からの外界の出来事や事象を見ます。

自分の外側については、かなりの判断をします。

だが、その判断が世間の一般常識から見れば間違っている場合が多いですね。

 

 人は、それぞれ<生い立ち>が誰もが違います。

親の因果を受けて育ち、やがて大人の世界で生きる事になります。

それだからこそ、誰もが皆が<考え方>も違います。

考え方が同じように見えても、しっかりと見詰めれば、限りなく考え方は違います。

世間の人達が、何げなく見ていると、同じように見えても、全然と違っているものです。

 何故か、今に考えている事は、深い心に裏打ちされているからですね。

人は、小さい時から、親の考え方や会話や行動までが、子供の育ち方に影響しています。

 それで、{喉のつかえ}と、どう関係しているのかと問われるでしょう。

そうですね、生い立ちの心は、大脳の深い所、海馬に蓄積されて行きます。決して、過去の記憶は消え去っているものではありません。

 

 心の世界を学習していない人達は、生い立ちですね、遠い過去の心は消え去って忘れてしまい、思い出さないと言われますよ。

ですが、努力すれば、過去の記憶は出て来るし、思い出すものです。

 そう、一般的には、2歳以下の記憶を回想するのは難しいようです。

3歳くらいになると、努力すれば思い出すのです。

と、言う事は、過去の記憶を忘れていない事になりますね。

忘れているように見えても、思い出すのであれば、現在の自分の行動と会話と心を支配している訳です。

 

 そんな、自分の過去を回想する事で、人は{心}が生まれ変わり、{行動}

 も{会話}も生まれ変わるのです。

 

 {喉のつかえ}、神経症や心身症は、簡単に治ります。

<<講演>>人間って、孤独?? (1)

2008 年 11 月 20 日

 世の中を見ていますと、孤独に生きている人達が沢山と見られます。

 

贅沢をして、他人が見れば<<嘘でしょう、そんな気持ちなんて無いでしょう>>なんて思っていても、現実には、名誉も地位もお金も有る人達が、孤独に生きています。

そう、人間の生き様、人間の心を見抜いている人達は、全ての人の心が見える筈なのですがね。

 

 人間が生きる場所には、必ず、煩悩が付き纏うもの、ですよね。

若い人には、高齢者の本当の気持ちは理解できないでしょう。

擬似体験的な気持ちは、理解できるでしょうが、あくまでも、疑似体験であり、現実の心底の心の理解は無理でしょう。

私は理解できますよと言ったところで、当人が<<そう言っても、それは嘘です>>よ。

あくまでも、擬似体験、ですね。

相当に、人の心の学問を勉強して、己の心を悟った人であれば、かなり近い理解は出来るでしょうがね。

人間の煩悩を、全て体で理解できるならば、かなり良い理解力は有るでしょう。

人の悩みについても、ですね。

 

 孤独、孤独、そんな気持ちは何処から、やって来るのでしょう。

孤独の原点を理解しないと、自分の孤独も他人の孤独も、そんな心の真実は見えませんからね。

ニコニコ笑顔で生きている人の裏側にも、孤独感は案外と有るから、面白いですよ。

人間って、心の勉強が一番に大切です。

体についても、理解は必要ですがね。

自分の体が、傷んでいても、自分の体は正常だと言う人もいるくらいです。

世の中には、本当に<<鈍感な人も居ます>>よ。

自分の心については、尚更に、心に<<気づかない>>場合が多いです。

 

 格別に、人は、自分の心、そして、{{潜在意識や無意識}}には気づかない人達が多いです。

その潜在意識や無意識については、沢山の人達が理解出来ません。

だから、自分の心の底では<<孤独を抱えていて>>も気づかず、私は<<幸せ>と言う人も居ます。

そして、ある時点で格別な事柄に出会うと、嘆き苦しみ、人生の<<どん底に落ち>>込んで行きます。

どん底の心を味わって、初めて理解できるかもしれません。

どん底の心を味わったままで、人生を生きていても辛い人生だけでしょう。

悩みを解決して、初めて、逆に、{{自分の心の孤独}}にも気づく事があります。

全く、生まれて一度も孤独なんて無いよと、言う人が居たら、これも大変に可哀相な人だと思いますが、本当に、そう思います・・・。

<<人生>>「学校って、面白くない」 12

2008 年 11 月 18 日

 そうですよ、学校が好きな人が居たら、不思議な人が居るものだと思います。

自分の好きな事が出来ません。

何時も、周囲には他人の眼がありますしね、何となく用心をしておかないと、周囲の他人から悪口を言われるかもしれないし、自分の心の中身を見せられません。

窮屈で人間関係が、嫌いです。

 

 自宅に居て、母が好きかと言われれば、好きではないし、父が好きなのかと問われれば、父も嫌いだし、結局のこと、私は自宅に居れば自分の部屋で閉じこもったまま、誰とも話しをしないで良いし、自分以外の人の顔を見なくても何事も起きませんからね。

そんな関係で、私は母や父には不満や不平を持っていないと考えていましたが、どうも、最近は違うのではと思い始めました。

 だって、自宅に居ても、何時も何時も私の目前に母親が居ると<目障り>ですからね。

勉強しなさいとか、家の仕事の手伝いをしなさいとか、自分の時間が持てませんから、私は、親から離れて自分の時間だけを持っていれば、何も邪魔になるものは有りません。

話をしなくても良いですよ、自分の部屋に閉じこもっていれば、ですね。

親の顔を見ないで、自分だけの時間、それが最高の自分にとっての{安らぎの時間}ですからね。

 

 私は、学校では嫌いな事柄が多すぎて、なんて思っていましたが、しっかり考えてみると、どうも自分の心の{{カラクリ}}が見えて来ます。

自宅から外側に出てみてから、私は常に自分の周囲の人達の事ばかり考えていたのです。

あの人が悪い、この人が悪い、そんな周囲の人達を恨みながら毎日を過ごしていましたが、本当の敵は、私の心の内側に有りますよ。

 そうですね、私が、自分の親に対して良好な気持ちを抱えていない事柄が、心の中で爆発をしながら、自分の傍の人達に不平や不満を衝突させているのかも知れません。

だから、自分がどんなに醜い心を持っているかを、悟っておかないと駄目ですね。

 

 自分の親を中心にして、親や周囲の人に{不平}、{不満}、{やきもち}、{嫉妬}、{妬み}、その他に、{劣等感}、{自惚れ}、{恨み}、{怨念}、{呪い}などなど、抱えているのが一番に駄目な人間なのですかね。

学校が嫌いとか、あの人が嫌いとか、他人が嫌いとか、惨めな気持ちで学校生活をしていました。

結局は、自分の心の持ち方が、自分勝手にマイナスの方向に動いているだけですよね。

心の持ち方が、自分の生き方など、全てを決定するのですから、考え直さないといけませんね。

 

自分の悲しい心に出会ったら、自分の心を散策する事が重要みたいです。

<<人生>>「学校って、面白くない」 11

2008 年 11 月 15 日

 学校の先生って、頭の良い子しか興味が無いみたいだし、どうせ勉強しない子供達に対しては<<本気で相手をする気持ち>>が無いですよ。

勿論の事、クラブ活動では、どんな運動にせよ、どんな音楽や、描画や、どんな分野でも、一芸に秀でていると、結構と認めてくれるみたいですよね。

そうなると、子供達も嬉しいでしょうが、皆がそんな子供達になれる訳ではありませんから、沢山の子供達は<劣等感を隠しながら、嫌々でも学校に行っている事も多く・・・・劣等感は誰も持っているものではありますが・・・>辛い思いをしながら、学校生活を送っています。

 

 子供達は、先生が好き、学校の友達が好き、なんて事になると喜んで学校に行けます。

学校では、先生方が、多分に<<カウンセリングの要素を入れた状況で、子供達の話を聞いてあげる>>のが、最高に良いと考えます。

ですが、現実には、先生方が充分な時間を持って、子供達一人一人の話に耳を傾ける時間は無いでしょう。

一方で、先生方に時間が無いと言うのと、先生方が全く勉強していないのでは、{天と地}の差があるでしょう。

 

 「登校拒否」や「引きこもり」や「非行」などなどは、引き金は、学校での先生の言動とか行動などが、確かに<引き金、切っ掛け>ではありますが・・・・。

でも、家族内で、親と子供達の心の関係がしっかりと<<結ばれていれば>>、学校で少しながら嫌いな事柄が有っても、子供達は<<学校に行きます>>ね。

確かに、昨今では、学校の先生方が子供のような心のままで大人になって、自分は未だ子供なのに、本当の子供達を成長させてやる事は出来ません。

 

 現代社会では、沢山とあるケ―スですが、学校への出席率が悪くても、その分は、他所にて沢山のするべき事柄をしているのが、普通でしょう。

例えば、スポ―ツにしろ、芸術にしろ、学校以外で自分の時間を必要とする場合が、沢山とあります。

その事について、学校の先生が、子供達に向かって<<捨て台詞>>を投げかける場合があります。

これが、一番に駄目な先生ですよ。

 

 子供達の子育てには、子供対先生ではありません。

子供達~先生方~子供の親達、また、親に代わるキーパーソンなどが居ます。

子供達を育てるのに、親が協力してくれなかったら、もはや、学校の先生方も、なす{}が無いでしょう。

何処までも、<<子育ては>>は、親の責任ですね。

時折、変な親、学校の先生、学校の生徒が居ますので、学校が好きになるのも、大変です。

子供達の周囲の人達への注意が重要ですね。

<<人生>>「学校って、面白くない」 10

2008 年 11 月 13 日

 そう、子供達は世の中の事柄が、わかりません。

人生は、学問だけではないでしょう。

芸術もあるし、スポ―ツもあるし、文学もありますよ。

人間に、何が一番に大事かって、それは、言うまでも無いでしょう。

大人になった時に、人対人、人対環境、この二つへの適応が出来れば、最高に人生は楽しいものでしょう。

 

 人間の「価値観」については、名誉と地位とか金銭とか異性とか、睡眠とか高級料理とか、色々とありますが、子供達が成長して大人になった時に、<<<何が一番に大切>>>>なのでしょうか。

確かに、学問は大切です。

教養も、大切です。

だが、世の中には、色々と沢山の出来事が有って、人間は何か一つでも、一般の他者よりも優れた物が有れば、立派だと思いますよ。

また、何も、優れた物は持たなくても、それなりに<<如何なる事柄に対しても>>対応できれば、何も言う事は有りません。

自分で働いて<<金銭を稼いで、食を得れば>>それで良いと考えますよ。

時には、モラトリアムと言う言葉が有るように、最低のどん底の人生を味わう場合も有るでしょう。

でも、そんな時代を味わって、初めて新しい自分の世界も創造できるものだと信じていますね。

 

 普通、親は、勉強、勉強、と言います。

だが、勉強、勉強と言われて、本当に学問が優秀になった人は、少ないみたいです。

でもどんなスポ―ツにしても、同じかもしれません。

他者よりも、優秀なスポ―ツの出来る人間になれれば、良いのですが・・。

音楽でも、どんな芸術でも、これは同じです。

他者よりも、大人になった時に、より優秀になっておくのが、良いですね。

学問でもスポ―ツでも音楽でも芸術など、何でも良いのです。

人間って、個人がどんなに心も体も<<落ち目になっても>>嘆かない人になっていれば、最高の人生を過ごす事が可能となるでしょう。

 

 面白いのは、人間にも、色々なパタ―ンが有るということです。

早期成熟型とか、晩期大器型とか、ありましてね、勿論、その中間型も有りますが、あまり早く早熟であっても、直ぐに崩壊して行く場合があります。

鈍行列車のように、ゆっくりと歩いていても、ある日、突然に<<大器が開く>>場合もあります。

あまり、あくせくと人生を急がない方が、良いみたいですね。