<<人間の犯罪>>犯罪について(1)

2009 年 12 月 3 日

 人間社会は文明化??? 科学と技術が発達すると言いながら、一体に、人間社会は随分と変化して来ています。

真実に、平和な方向へ向いて走っているのでしょうか。

いや、確実に、不確実で不透明な社会に近づいていますね。

「幸福な人間社会」は、全くと、訪れて来ないようです。

 

 小学入学前の幼稚園の児童でさえ、「事件」や「犯罪」を起す場合もあります。

盗み、自分意外の他者への暴行、或いは、落ちていた金銭などは拾っていくでしょう。

これも、「犯罪」になるかも知れません。

幼稚園児でも、結構と<<それなりの喧嘩>>をします。

喧嘩の度合いが過ぎると、「犯罪」にもつながっていきます。

幼稚園で{何かが起こる}って事なども、結構、沢山起こって来ているでしょう。

幼稚園での行事などにても、親が勝手に「犯罪」を起す場合がありますが、これも、自分の子供と、他のお母さんの子供との比較からでの「事件」や「犯罪」のようです。

小学校に入ると低学年にても、案外と、いじめ、登校拒否、盗み、なども増えてきます。

PTA関連の親達が勝手に、心秘かに喧嘩をしている場合もあります。

 

 「三つ子の魂、百まで」と言いますが、乳児、幼児、幼稚園の頃から、既に、心の病は{{形成されて}}来ているのです。

「親の因果が、子に報い」と言う言葉も、間違いありません。

母親や父親が、子供が赤ちゃんの時から、思い思いに自分勝手に好きな事柄を行なっているのではないでしょうか。

エゴ・・だけとは言わないでおきましょう。

人間社会の変遷もあるでしょう。

 

 昔から、人間は皆が真面目で素直であったかと、言われれば、勿論、そうではなかったと考えます。

昔から、色々と「事件」や「犯罪」を起している人達も居ます。

昔からも、赤ちゃんを置いたままで自分勝手な行動をする親達は居たのですから、悪いことをする人達がいたのも無理はないでしょう。

現在でも、同じような悲しい行動を自分勝手にする親達も居ます。

親も生きるため、子供達に食事を与えるために、仕事をしなくては仕方がない時代にもなって来ています。

そう、良い事とか、悪い事とかなど、当方で決め付ける事ではありませんが、それ程に世の中が変化して来ています。

「犯罪」も、増えて来るのは当然でありましょう。 

<<心の世界>>過去の自分を知る(9)

2009 年 12 月 1 日

 何度か繰り返しますが、少しながら地位や名誉の有る人達が、次のように話します。

「「過去を振り返らずに、現在と未来だけを向いて生きればいいのです。」」なんて、言う人達の心の<<愚かさ>>ですね。

そんな生き方が出来る間は、まだ良いのです。

でも、そんな生き方をしていると、必ず、未来において自分の人生の<<迷い道に踏み込んで>>しまうでしょう。

当方、それが絶対に悪いとは、言いません。

でも、同じ未来を眺める事柄に拘るのであれば、自分の「死」をとりつめて欲しいのです。

 

 普通、人間にとって、最大に怖いものは、自分の「死」です。

また、人生を生きる上で、自分の「死」を生身のうちに悟った人は、そんなに大きな人生の壁に衝突しないだろうと言えます。

そう、自分の「死」について、納得していれば、少々の心の葛藤には耐えられるものです。

「己の過去を知る」の最終稿としますが、人生を生きるには、「懺悔」と「無常観」の悟りが最大に重要でしょう。

少し、難しくなりましたが、恐縮です。

でも、この言葉だけでも良いですから、記憶に留めて下さいませ。

 

 「懺悔」・・・自分の過去を振り返らないと、絶対に「懺悔」は出来ません。

「無常観」・・・ここまで悟るには、随分と心身の修行をしないと悟れません。

「無常観」→「無我」→「涅槃」の順序で、人の心は流れて行きます。

仏典の中で、一番に大事な言葉であり、大事な<<悟りの境地>>への心の流れですね。

「無常観」を悟るのは、あまりにも難しいので、精々と「懺悔」だけでも体験されれば、人間は幸せになれますと、言われています。

当方は、宗教には全く信心は有りませんが、それでも、仏教観では、勉強してみると随分と勉強をさせられます。

「懺悔」とは、簡単に人は言いますが、体験しないと「懺悔」の境地に至る事は出来ません。

 

 繰り返しますが、懺悔と、簡単に言っても、それなりの体験をしないと分かりません、。

此の世を生きるには、当方、本当に「懺悔」は重要と考えます。

「過去を振り返らずに、未来を向いて生きる」とは、「懺悔」ができない事になります。

「無常観」を悟るには、未来の未来まで眺める事ですが、肝心の自分の此の世からの消滅には眼を向けません。

自分の消滅を、体で悟る事が、「無常観」を悟る事です。

自分の過去を知る過程で、そんな「懺悔」や「無常観」を悟っているかと問われれば、直ぐに、悟っていないと分かるでしょう。

「懺悔」って、凄く大切、「・・ネット心理療法」で、可能です。

<<心の世界>>過去の自分を知る(8)

2009 年 11 月 30 日

 自分の心を知るって、何で<<そんな事を言う>>のかと思われるでしょう。

昔にても、西欧では「「汝自身を知れ」って、言葉が有りますよ。

有名な言葉です。誰も皆が知らぬ間に<言葉だけ>が流れています。

仏典では、「知足」などとも、言う表現も有ります。

少し違いますが、どちらも人間の「「欠乏欲」」について、触れているようです。

そう、自分の「「欠乏欲」」について知っておく事であり、適当にコントロ―ルできるべきでありましょう。

 

 多くの人達は、自分の目玉が外界に向かって付いていますので、自分の眼前に「「青い鳥」」を求めて生きています。

何か、良い事ないかなあ!!!、なんて常に漠然とでも考えています。

人間は、幼い頃から、こんな考え方をしながら成長して来ています。

当方が、いつも皆さんに言っていますが、人間は一般的には<<外観様式>>で生きています。

「少数の人間が、内側を見て人を救う」と言う言葉があるくらいです。

己の心を十分に知って、あまり沢山の「「欠乏欲」」を持たない生き方を教えるものと感じます。

 

 人間って、傍目から見ていると、誰も皆が楽しそうに悩みも無いような感じで生きているように、見えますね。

ところが、現実は、全くと違います。

立派に上手に生活しているように見える人達でも、結構のこと自分の心の内側には「劣等感」などを抱えて、自分では捨てきれないで、苦しんでいます。

そして、言います。

「劣等感」は、人生を{生きるバネになる}と自己主張するのです。

「劣等感」は、自分の煩悩が多いため湧き上がって来るものです。

煩悩→自分の心身に{害}を及ぼす考え・思い、などと伝えておきます。

 

 当方、煩悩を持ったらいけないとか、駄目だとか、そんな事を言う積りは有りません。

しかし、その煩悩を抱える<<限界を知る>>べきだろうと考えます。

これ以上、煩悩を大量に抱えると、自分の心身に<<害を生じる>>などの限界が理解できる筈でしょう。

これが、大切なのです。

煩悩って、何ですかと言われる人が居れば、ここで、折角ですから、「「煩悩」」の意味くらいは知って欲しいですね。

詳しく知るとなれば、また、随分と余分な学習が必要となるので、とりあえず、あまり多くの「「煩悩」」を抱えると、自分の心身が疲れ果てて心の病気、心身症や神経症やうつ病などにも、そして、「犯罪」にまでつながる事実を知るべきです。

<<心の世界>>過去の自分を知る(7)

2009 年 11 月 28 日

 前回の【閲覧文】で、①・②・③・④・⑤・⑥・⑦・⑧、の質問をしましたが、皆が、多くの人達がお母さんも、お父さんも好きだったとか、答えます。

では、どれほど好きだったか、自分の生い立ちの【過去】を調べてみましょう、と言いますと、逆に、思い出したくもないよと答えます。

そうなんです、よ。

人間って、口で言うわりには、案外と「感謝」とか「恩」を感じて生きている生き物ではありませんね。

口ほどに、実行できていません。

 

 「己の過去を振り返らずに、前だけを向いて生きて行け」、なんて言う人も時折に、見かけます。

多くの場合で、社会的に少しながら出世した人〈当方は、出世とか金銭とか名誉とか、そんな物で人間の{{価値}}なんか決めるものではありませんが・・>は、立派な人と信じています。

勿論、誰もが、人間は、お金が好き、沢山のお金を持っていても、まだまだ、お金を欲しがるものです。

よくよく考えてみると、面白いですよ。

人間の欲望には、限りが有りません。

お金があれば、更に、お金を求める・・・、或いは、お金が有れば、次には、名誉が欲しい、などと、考えます。

勿論、貧乏でも、名誉を追いかける人も居ます。

 

 お金があれば、名誉を追いかけるのですが、人によっては、異性を求める人達も沢山と居ます。

お金も名誉もなくて、異性だけを追い求める人達も沢山と見られます。

こんな人間の「業」の中で、何処まで自分の生き様を<<踏み外す>>のか、人間って動物は大変な生き物です。

何処まで、自分の役割をこなして、何処でブレ―キをかける能力が有るのかも、その人の生い立ちの心に関連しています。

俗世間で出世して生きてた積りでも、ふとした「事件」をおこして、自分の築き上げた地位とか名誉などが、一瞬にして消えて崩壊する場合もあります。

 

 こんな事柄も、自分をしっかりと見つめて生きていれば、あまり失敗するケ―スは、少ない筈です。

 「己の過去を振り返りながら、自分の過去での失敗と反省を見つめながら、自分の現在と未来に眼を向けて生きる」ことが、最高の生き方でしょう。

あまり、人間は自分の目玉が外を向いているので、外側ばかり見て生きるのが好きですが、必ず、失敗もするでしょう。

大きな失敗をしないために、「・・・ネット心理療法」が重要です。

<<心の世界>>過去の自分を知る(6)

2009 年 11 月 27 日

 自分の人生が、どんなに楽しくても嬉しくても、現実に自分の過去の心を知っていなかったら、多分に嬉しい幸せな気持ちも<<ある機に、突然に>>壊れてしまうでしょう。

人間の大脳の海馬には、記憶装置があります。先述しましたが、記憶の「積み木箱」が上手に綺麗に積み上げられて・・・自分の過去の記憶がしっかりとしている事です。

心の「積み木箱」が、しっかりと上手く積んであれば、人の心は眼前に<<少しくらいのマイナスの気持ちに衝突しても>>簡単に立ち直れます。

 

①お母さんが好きでしたか・・・・。

②お父さんが好きでしたか・・・・・。

③兄弟姉妹が好きでしたか・・・・・。

④祖父母が好きでしたか・・・・・・。

⑤幼稚園、小学校、中学校・・・・・育つ過程での、周囲の人達が好きでしたか・・・・。

⑥隣近所の人が好きでしたか・・・・・・。

⑦親戚の人達が好きでしたか・・・・・。

⑧自分の知らない人達も、沢山と通り過ぎて行きました・・・そんな人達をどんなに感じましたか。

⑨学校で、会社で、集団(各種のグル-フにて)でも、色々な人達を好きでしたか・・・・。

幼い時から、色々様々な環境がありましたでしょうね。

悲しい環境、貧乏の{どん底}、「喜」・「怒」・「哀」・「楽」などの環境が有った事でしょう。

誕生後~成長する過程で、人は誰しも色々様々の出来事に遭遇します。

そんな時に、大脳の海馬に積もって行くのですが、マイナスの「記憶箱」になっているのか、プラスの「記憶箱」となっているか、どうかが、分岐点となるでしょう。

面白いのは、自分の過去の記憶がプラスだと考えていても、ある「機」を切っ掛けにして、そんなプラスの記憶がマイナスに変わっていく場合も有ります。

充分なる注意が必要なのですが、気づきませんよ。

 

お母さんが好きだった。

 

では、何故に好きだったのか、具体的に過去の記憶を掘り起こしておかないと駄目です。

親の「恩」、他者の「恩」とか、親への「感謝」とか、他者への「感謝」なども重要になってきますが、こんな話を聞いただけでは理解できません。

自分の過去の心を、点検していく方法があるのです。

「このインンタ―ネット心理療法」を体験して初めて、「恩」とか「感謝」などを理解できる事になるでしょう。

人生を生きるには、この体験以外には、分からない筈です。