<<家族・親子>>親と子(続編)14

2010 年 3 月 3 日

 人間、殆どの人達は、誕生後に物心がついて来て、少しずつ成長していきます。

少しずつ成長してきますと、親の心の{安定感}が最大に重要です。

とは言っても、子供達にとって、完全なる母親や完全なる父親は世界中を探しても見つかりません。

親が、どんなに上手に子供達を育てたと考えても、受ける側の子供達には{{それなりの心の葛藤}}は蓄積されて来ます。

「「子育ては、本当に難しい」です。

 

 少し繰り返しになりますが、子供達も成長するにつれて「自我」が芽生えます。

小学5~6年生になると、結構と「自我」も成長しており、自分の「会話」や「行動」や「心」の善悪は判断ができるようになります。

子供達に沢山~大量の心の葛藤=親への憎しみ=母親や父親に対しての<<積もり積もった反感が無けれ>>ば、自分の周囲の人達にたいしても少しでも対応が出来るものです。

また、親への{反抗心}が少しくらいであれば、時折にでも、子供達から「心理療法」を受けてくれます。

勿論、子供達への「心理療法」の勧め方が非常に大切です。

それでも、自分の子供達に対して、親が{{如何に対処するか、不確定}}の時は、親から「「心理療法」」を体験するのがベストです。

 

 ここでは、子供の立場から、<<人生を如何に生きるか>>を伝えていますので、とにかく、人生で行き詰まった時には自分の{{心}}を切磋琢磨するために、自分の{{心}}を磨いて、俗世間に適応する能力が必要です。

子供達と言っても、大人子供が俗世間には沢山と居ます。

形だけは大人でも、中には<<子供そのものの「人達」>>が居ます。

子供達が、いや、大人達が、人生の「壁」に衝突した時が最高に人生を<<理解するチャンスが当てられた「機」であります>>ね。

この事を、多くの人達が案外と理解しません。

 

 自分が人生で最大の「敗北者」だと考えていると、その他の如何なる場所へ行こうとも、自分の「心」は何処にも、付いて行きません。

どんな場所でも、働けません。

人生を生きるには「共感」・「妥協」」・「受容」・「拒絶」などの{{心}}を自分で融通無碍に使い分けが出来る事が必要なのです。

ともすれば、「拒絶感」だけを抱えているのですが、自分で{{自分の惨めな心}}に気づいて欲しいものです。

人生で、どんな人間やどんな環境に出会っても「「拒絶感」」を持たなければ、社会適応できるし、立派な人間として生きる事が出来ます。

親と子の間の{{心}}が中心となります。

<<家族・親子>>親と子(続編)13

2010 年 3 月 1 日

 親も、子供達を捨てる場合があります。

しかも、誕生後、直ぐに、捨てるのですから、捨てられた子供達の「宿命」と、そして「運命」は如何なるのか本当に大変です。

施設で育てられたり、里親で育てられたり、などなど、連れて行かれる場所々々により、全く{{環境と周囲の人達の対応}}も異なって来るでしょう。

子供達を育てる人達は、子供達の「自我」が目覚める状況に応じて、子供達の{{心を見ながら、子供達の会話や行動}}を受け入れてやる事が重要でしょう。

ですが、人間って、子育ては大変でして、育てる側は自分達の理想像を追いかけて育てます。

子供達が、何ヶ月で親と離されたか、何歳で親と離されたか、離れるまでの親の人格などによって、施設や里親に出されるまでの{{眼には見えない心の葛藤}}が海馬に入りこんでいますので、誰も同様に同じ様な「「育て方」」では無理があるでしょう。

 

 子供達の言い分を聞いてあげる事が最大に重要です。

大変な子供達の言い分については、周囲の人達が聞き分けながら上手に対応する事ですね。

例えば、子供達の言い分が大層に間違っている場合では、子供達の海馬に蓄積された{{心の葛藤}}が積もり積もっているのですから、そこらの{{心}}を見逃さないように対応が必要でしょう。

それでも、事を可能な限りに大きくならないように、親や、とにかく育てる人達が時間をかけて十二分に子供達の{{心}}に耳を傾けて、ゆっくりと時間をかけて聞いてあげる、この方法が重要です。

子供達を叱る、子供達を叱って、命令してから、子供達の{{心}}が安らぐかと問われれば100%駄目でしょう。

規律と規則とを、どれほどに教えながら、育てるかでしょうが、常に子供達も何か有る度に{{心の葛藤}}を溜め込んでいきますので、{{心の葛藤}}をできるだけ早く取り除いてあげるべきでしょう。

 

 育てる側の{{心}}しだいで、子供達は上手くも悪くも、育っていきます。

親ではなくて、他者が育てた場合では、子供達が成長してから、自分の真実なるル―ツが分からずに<<不安>>が何時も自分の今の心を押し上げてきます。

{{不安症状}}が何時も、心の奥深くから突き上げて来ますから、日常生活においても{{そんな心}}が周囲の他者にも、伝わって来る場合があります。

大人になってからの人格が異常な人達を矯正するのは、最高に難しいでしょう。

可能であれば、出来るだけ、子供達が幼い頃から上手に育てるのが良いですが、これも難しいですよ。

子供達を育てる側の人間と、そして、子供達が少し成長すれば、また、新たな{{心の葛藤}}を肥大化させていきますから、親と子、育てる側の人間〈何時、子供達が親と離れたか、どんな離れ方をしたか、などなど、要注意です。   

<<家族・親子>>親と子(続編)12

2010 年 2 月 25 日

 親が何時までも、子供の{{心}}を理解してくれずに、子供の頭の上から子供を見下ろしたり、「会話」にしても・・子供の{{心}に釘を刺すような言葉使いをしたり、「行動」と言えば、自分の事ばかりを中心的に考えて、子供の{{心}}を理解してくれない場合が、多々と、有ります。

こんな親の場合が、一番に、子供達にとっては大変なケ―スとなるでしょう。

子供達が、「会話」と「行動」と「心」を再構築するのに、親の心が子供の頭の上でのしかかっていると、子供達には大変なストレスとなって何時までも続き、人格の改造はできないままになってしまいます。

 

 親に<<頭があがらない子供達>>は、此の世を自立して生きるのが、不可能となります。

何故かというと、親に頭の上がらない子供達は、世の中を自立して自分の判断で、自力で、人間関係や環境の変化などを、考察して生きるのが不可能となるからです。

親に頭の上がらない子供達は、「アンビバレンス=愛を与えて欲しい、愛を与えてもらえないので憎いなどと、相反する{{心}}が常に心の底で動いていますので、心の葛藤を即座に<<抱え易い>>ですね。

そうであるからには、友達関係、仕事関係、上司、同僚、部下とも、上手には話しが出来ません。

 

 仕事をしていても、直ぐに疲れるのです。スタミナ、精神力も無いので心身が簡単に疲れてしまいます。

子供達も年齢的に成長しますと、それなりに、自分の精神力で、自分の実力と力量を育てないといけません。

親が何時までも、子供達の成長に力を貸してくれる訳もありません。

また、親が子供達を立派な人間に育てようとして、子供達へ{助言}や{説教}をすると大変で、逆に、子供達は<<親の助言などの言葉が耳障りとなり>>反発して、自立できなくなります。

個人の自立とは、最低限にでも、俗世間で自分が生きるために<<働いて、食を得る人間>>である事でしょう。

 

 親の育て方次第で、子供の人生の{{未来}}が操作されています。

「因縁」・「宿命」・「運命」・「天命」などなど、親と子の関係は<<単に遺伝子の問題だけでなくて{{心}}の伝播が>>あります。

{{心}}の伝播、この事が大変に恐ろしいものです。

俗世間の「事件」や「犯罪」などの全ては、彼等の{生い立ち}の{{心}}に出発点があります。

それは、自分の生い立ちの{{心}}を散策した人でないと理解できないでしょう。

「「心理療法」」の体験だけでしょう。

 

<<家族・親子>>親と子(続編)11

2010 年 2 月 23 日

 幼稚園の時から、「苛め」とか「嘘」とか「盗み」などと、人間は小さい頃から「罪深い」事柄をします。

こんな事柄を、小さい頃から隠しながらでも、行なって成長します。

また、皆の前で「苛め」などにさらされながら成長する、という場合もあります。

逆に、他者を苛めながら、成長する子供達も居ます。

幼いながらにも、悔しさ、悲しさ、苛め、などを、嫌でも体験させられながら成長するものです。

 自分にとって、そんなマイナスの体験が、自分の大脳の海馬に過去の記憶として<<沈潜して>>いきます。

 

 自分の人生において、少しの難題に衝突すると、誰もが少しながら考え込むものです。

難題に衝突した時に、自分の生い立ちでの{{苦労}}を、自分の人生の「糧」にして生きるのか、自分の人生の「汚点」として拾い上げる事になるのか、その辺りが大変な問題になってきます。

人間、誰も皆が歳月を重ねる事によって、心の世界に賢くなるかといえば、全くと反対の場合もあります。

人間の人格には、余程の事ですが、その当人が自分の心を見つめながら生きる事にしないと、自分の人格は変わりません。

 見かけ上では、{{人の心が変わった}}ように見えても、本来的に、その人が自分の過去を回想してから・・自分の過去を「反省」していないと人格は矯正されていないでしょう。

 

 今の現在の自分の<<心を良い方へ変革させて>>生きたいと考えても、見かけだけであり、その人が無意識と潜在意識とを変革させていないと、現在の心は変わっておりません。

当方の説明しておきたい事柄は、子供達も成長すれば、それなりに、「「心理療法」」を受けてから、周囲の人達への配慮のある人間になっておく事でしょう。

「「心理療法」」をしっかりと体験していれば、人間世界を生きる上で非常に気楽になります。

対人関係や如何なる環境と自分が出会っても、パニック障害などは起さないで生きる事ができる筈です。

 

 しっかりと、自分の今ある「実力」と「力量」さえ明確に自分の心に刻み込んでいれば、何が自分に押し寄せて来ようと、納得して対応することです。

それ以外は仕方が無いでしょう。

自分にとって、「共感」するか「妥協」するか「受容」するか、さもなければ「拒絶」するかでしょう。

この諸々の選択を、自分で妥当に決定する意志能力の問題に絡んでくるでしょう。

何処までも、自分の人格を磨いておく事のためには、自分が「心理療法」の体験をしておくのが重要です。       

<<家族・親子>>親と子(続編)10

2010 年 2 月 20 日

 今回から、子供の立場から、人間生活を見ましょう。

子供達は、両親の「因縁」で此の世に誕生して来ます。

子供達が此の世に誕生したくて、生まれ出て来たのではありません。

たまたま、「因縁」で誕生して来て、普通であれば、親から一生懸命に育てられます。

親の子育てについて、前回で先述しましたから、省略します。

子供達にとり、自分達が胎内に居る時の様子は明確には分かりません。

また、新生児から~乳児までの期間は、普通ではなかなか過去の記憶として思い出せません。

 

 色々な親が居りまして、赤ちゃんで何も理解できず歩けない時から、親の都合で捨てられたり「虐待」を受けたり、そんな場合もあります。

赤ちゃんとして、何も理解できず動けない時に捨てられたりすると、最早、何もなす{術}は有りません。

それでも、親から上手に育てられずに、少しずつ成長していき、幼稚園~小学校~中学校~高等学校~大学〈専門学校、また、高等学校で終わる場合もあります〉~大学院??、などなど、・・・その後は、仕事をしながら食に有りついて生きるしかありません。

 

 幼稚園から、学校へ、少しずつ成長してゆく過程で、子供達はそれぞれに<<自我が芽生え>>て、好きだとか、嫌いだとか、自分の考え方で少しずつ思考体系が進んでいきます。

小学生から中学~高校生になると・・・もう、自分で眼前の事柄に対して「共感」・「妥協」・「受容」・「拒絶」、などなどの心が、無意識的にしろ、有意識的にしろ、強烈に発達して来ます。

親の育て方が中心となって、子供達は自分の心が<マイナスとして動くか、プラスとして動くか>>、どちらに動いていくかだけでしょう。

親の他に、色々と沢山の人達と出会い、自分の心を合わせなければいけません。

自分が辛くても、他者と心を合わせたり、嫌いでも他者の中にて静に自分の心身を置いておかねばならない場合もあるでしょう。

 

 学校では、上級生や同僚や下級生との出会いもあります。

その都度、その都度、自分の{{心}}を変化させながら使う事になります。

同じ考え方で、皆とお付き合いをするのは、無理ですね。

自分の好きでない人に対して、同じ場所で時間を過ごす場合などは、かなりの心の葛藤を抱える事になるでしょう。

人間が少し成長しただけで、自分の「好み」を使い分けて生きる事になります。

{{心}}の幼さの残っている人達は、眼前の人間に合わせて<<自分の心を変える事>>が出来ません。

人間社会の未知の世界で、人間は出会いの中で都合を考えながら「思考体系」を成長させて生きるのが、普通の生き方ですし、相手に合わせる事です。