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2007 年 3 月 のアーカイブ

<<講演>>人生への理解(20)

2007 年 3 月 28 日 水曜日

 {拘らない}、{執着しない}、{捕らわれない}、{差別しない}、{分別しない}、{偏らない}

自分の{心}が上記の6つから、何時でも自由自在に解放される能力を持っている人達は、どんな境遇に置かれたとしても、悩みや苦しみを持たないで自分の人生を歩けるでしょう。

 

 そんな上手な心を持った人、{悩まない人}になるための良策を今から伝えます。

 

 悩みは、自分の過去からやって来ます。

殆ど全ての人が、眼前の状況を眺めて、悲しいとか苦しいとかで悩みます。

眼の前の拘っている現状を変えようと、努力します。

此の世で人間が生き続ける限り、自分の思う通りに物事が運べるものではありません。

それでも当人は「こんな筈ではなかった・・・」などと悔やんでしまいます。

 

 人間が悩むのは、自分の浅い心で悩んでいます。

勿論の事、人の浅い心は深い心(潜在意識や無意識などの世界の心・・・)に裏打ちされています。

ですが、悩みから抜け出られない人達は、自分の浅い目先の心(顕在意識と言います)、小さな目先の心を、変えようとしますね。

その小さな目先の心を、深い心(こちらの方が遥かに、大きくて渦巻いています・・・)が動かしていますので・・・・・・・・・。

 

 心理療法について学ぶだけでは、駄目なのです。

勉強するだけでは、駄目なのです。

どんなに沢山の書物を読んで、自分と人生の{心の扉}を開こうと努力しても、駄目ですね。

自分で実際に「心理療法」、「インターネット心理療法」でも良いから、体験してみる事ですね。

書物を沢山と読んでも、所詮その行為は自分の目先と自分の頭で、自分の外側の世界を解釈するだけです。

自分の外側の状況や物事や人間関係を見て、自分の頭の中に知識として身に着けるだけです。

 

 人間世界、自分の心の世界、諸々の全てを体得するためには、自分の幼少時から自分の今ある現在(潜在意識と無意識)までを、先に掘り起こして<過去の自分を評価>する、その上で、自分の過去を新しく意味づけと{再解釈}、そして過去の意味づけの{受け取りなおし}が最大に重要です。

 

 素直に謙虚になって、自分の過去に眼差しを向ける事、そして、面接者に話す事、これだけで難解な{心の扉}が開けます。

 

 神経症やうつ病や心身症などが、治癒して行きます。

<<講演>>人生への理解(19)

2007 年 3 月 27 日 火曜日

 {生}あるところに、必ず{滅}があります。

生まれて来たら、歳月の流れと共に人は年老いて、病気をしながら最後は此の世から消えて行くものです。(幼少期~成年期、などにて病気で終末を迎える人達もいますが・・)

 {生}~から~{滅}まで、可能であれば悩まないで苦しまないで楽しい人生を送ることが出来たら最高でしょう。

 

 ここでは少しながら心の勉強が必要ですが、そんな{悩まない人}になって欲しいと希望しています。

 

 「人間って、人間世界で悩まない人が居るのでしょうか?そんな事は不可能でしょう」と、当方に質問をされた方が居られました。

人間世界、人間社会を生きるのに、悩まないで楽しく生きられる<考え方>には、案外と簡単に変われるものです。

しかし、心の学習をせずに自分で人生を考えて、自分流では、そんなに簡単に<人生を楽しく>生きられるものではないと思います。

 人間、とかく自分の考えが一番に正しいと思っているので、直ぐに他者を<非難したり>、<悪口を言ったり>、<陰口を言ったり>します。

他者について悪口を言いながら自分は正しくて真面目な人間だと思っているので、人間関係の摩擦は必然と起こります。

 

 一体に何で、そんなに人は自分の欲求を肥大化させて行くのでありましょう。

気が合わないと言いながら、心の底で{非難}、{拒絶}、{嫌い}、{不機嫌}、{悪口}、{罵り}、{恨み}、{憎み}、{罵倒}などなどと、意外と多くの人達が、本当の心を知らずして、そんな考え方をしてしまいます。

 

 家族の中でも、父親と母親の心がバラバラであると、子供達の心も<崩壊>して行きます。どんな家族であれ、どんな会社であれ、一人でも、二人でも、周囲の人達の心を見ずに理解せずに会話したり行動したりする人が居ると、全体の調和も壊れ易いものとなります。

 

 人間世界を生きる事は、誰かにお世話になり誰かに迷惑をかけて生きるものでしょう。

しかし、その事実を体得しておかないと立派な人間にはなれません。

{悩まない人}になるのは、自分本意の生活が出来る事、自分本意の生活をする事とは違います。

何事も自分本意だと、逆に他者から真実に{変な人}と思われる事が益々多くなります。

<<講演>>人生への理解(18)

2007 年 3 月 24 日 土曜日

 人間社会を生きると言う事は、家族の社会を生きている事にもなるでしょう。

家族は、家族の生活と言ってもよいのですが、会社の縮図が{家族の構成}と言っても構わないのではないでしょうか。

家族にしろ、勤務中の会社にしろ、全てが人間関係から成り立っています。

人間の生活というのは、どんな生活であっても人と人の交わりから構成されているのです。

 ここで何を説明したかったのかと言いますと、人が人生を生活するには<自分以外の他者と上手に交流できて>初めて、自分の人生を楽しく気持ち良く爽やかに豊かに生きるのが、可能となるものです。

 

{悩まない人}になるだけ、なのです。

 

 時折、あまりにも自分勝手な人達を見かける場合があります。

人に迷惑をかけても、当人は全く自覚していない人も居ます。

迷惑をかけながら、自分は真面目な人間だと自負している人も居るので、周囲の人達は大変に困る場合もあります。

 時には自分の周囲に、本当に駄目人間が居る場合もあります。

そして、駄目人間が案外と<つまらない見栄と虚栄心>など持って“自分は賢くて偉い人間だ”と勘違いしているものです。

だから、そういう人達の周囲では困る人達も出てきます。

 

 人間嫌いの人達は、深山の奥か絶海孤島の小さな無人島にでも住めば良いのですが、案外と気持ちは<小さくて>そんな生活は出来ません。

要するに臆病なのですが、あまり自分が臆病な人間だと気づいていない人達が多いので意外と厄介な問題も生じます。

 

 誕生後は、それなりに自分の親との心の葛藤、軽度の葛藤は有った方が良いと思われます。

程度問題ですが・・・。

自分の親から育てられなかった人達も居ます。

この様な場合は格別に、育てた人に対して自分の生い立ちの<心の形>を充分に調べておく事が必要です。

仮に、自分の本当の両親に育てられたにしろ、過剰干渉だったのか、放任されっぱなしだったのか、確認して<自分の心は如何なるもの>だったかを知っておく必要があります。

 

 逆に、両親とも自分の{子育て}の仕方が本当に良かったかを確認しておくべきです。

子供達が大人になっても、親が子を考えてあげる態度は重要です。

<<講演>>人生への理解(17)

2007 年 3 月 23 日 金曜日

 沢山と話をしてきました。

人は、此の世で<自分が周囲から生かされて>生きているのでしょうか???

人は、此の世で<自分が自力で>生きているのでしょうか???

 

古来から、投げかけられている言葉ですね。

 

ともすれば、人間の思い上がりと言うのでしょうか・・・。

自分の努力で、自分の力で、周囲の人達を動かして<自分は生きている>と自負していらっしゃる方々も多いです。

多いというよりも、殆どの人達の人間社会での生き様ではないでしょうか。

 

 人様のお陰で、今、自分がここに生きている、生かされているなどと感じる能力のある人は、結構と大きな難題に直面しても、そう悩む事は無いのではないでしょうか。

 

 言葉で説明し、そして聞くのは簡単でしょうが、その言葉の中身・内容を体で体得することが案外と難しいですね。

人は、口では何でも理解できていると言います。

ですが、心底と理解できていないのが、悲しいかな、人間の考え方みたいですね。

 

 幼児から小学校~中学校~などと成長して行きますが、身体は大きくなっても、精神は成長していないままの場合がしばしばと見られます。

最近は、本当に若年者の犯罪も多くなり、高齢者も幼児も巻き込まれたりします。

勿論、高齢者同士の犯罪もありますが、マスコミの報道では若年者の方が遥かに犯罪は多いのではないでしょうか・・・。

 

 心の問題にしろ、体・行動の問題にしろ、会話を含めて<家族の問題>が根っ子にあるのは、必然的のものです。

此の世は「因縁の世界」、そして「親の因果が、子に報い」などと、昔から言われています。

当方では25年以上も心理療法に携わっておりますので、心の問題などについては、全て理解しています。

幼少の不安や神経症やうつ病の皆さん、高齢者の不安やうつ病なども、全ての人の心の関係する問題は、家族の心、生い立ちの心にまで遡って原因が有ります。

 

 どんな有名な人達も、自分の生い立ちの自分自身の{心のカラクリ}を知っておかないと、日常生活の断面で{心の葛藤}を担いで生きて行くものとなります。

<<講演>>人生への理解(16)

2007 年 3 月 17 日 土曜日

 『人生って何だろう?』と、日常生活では誰も考えません。

中には、死ぬまでそんな疑問さえ持たずに自分の一生を終わって行く人もいるでしょう。

皆が皆、一生懸命に生きている積もりでも、案外とボンヤリとしたまま生きて、ボンヤリとして一生の終末を迎え、滅し消えて行きます。

 

 人生については様々な見解があるでしょう。

自分の事だけ考えて、食にありつければそれで良いではいかと言う人もいるでしょう。

 

 先述していますが、人生、誰一人として誰とも接触せずに自分の一生を過ごすなんて不可能ですよ、ね。

人間、個人対個人の会話、商売のために個人対複数の人との会話なども必要です。

そこには無意識的にも、自分自身、表面上の心では気づいていなくても、{私}と{貴方}、{優越}と{劣等}、{勝ち}と{負け}、{善}と{悪}、{美}と{醜}などなどの諸々の意識を持っているものですね。

 

 四苦八苦(前述している)なども、人が生きる限り、克服できて生活できれば何も言う事はないのでしょうが・・・。

ともすれば、不平、不満、悲しみ、淋しさ、孤独、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、怒り、怨念、嘘、盗み、罪、諸々のマイナスの感情を持ち易いものです。

格別に、人が(胎内に居る時から・・)誕生した時から、自分の母親や父親や兄弟姉妹に対して、不平や不満など持たないで育つ人は誰も居ない筈です。

考え方は幾らでもあります・・・。

 

 子供の時から母親や父親、或いは、自分を育ててくれた人に対して、全く不満を持たずに育つ人はいません。

「全く不平や不満を抱えないで育ちました」と言う人は、全く親離れが出来ていない{甘えん坊}そのままで、精神的に大人には成長していません。

乳児や幼児の幼少時から、自分以外の相手に対して、適当な不満や甘えの感情が有って、初めて育って行くものでしょう。

 

 誰もが自分の過去を調べて行くと、心の{因}が見えて来るものです。

現在が幸福であれ不幸であれ、心の世界について詳しくなりますので、現在の悩みや苦しみも自分で解決できる人となれるのです。

何故なら、自分の本音と建前の心の{カラクリ}を充分に把握することが可能だからです。