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2006 年 11 月 のアーカイブ

<<インターネット心理療法>>追加編(11)

2006 年 11 月 27 日 月曜日

 時代の流れは何と早いものでしょう。

20世紀末に近づいて、PC、インターネットなどがあっと言う間に世界に広がりました。

若き人から、老いに至る人達までが、PCを操作する時代となりました。

PCを扱えない人達は、何と時代遅れなのかと言う感じさえある昨今です。

断言している訳ではありません。

時代の流れの{早さ}を言っているだけです。

 

 人間の生きている居場所、世界中の全ての地域で、宗教なるものが存在していた様です。

迷える人達を治療するために、お祈りや、“民の行方”の平安を祈るために・・・。

民の社会には必ず儀式や儀礼、そして宗教などがあった様です。

地球上の世界では、発展した先進国にもそうでない途上国にも、必ず宗教が存在している様です。

どんなに科学や技術が進歩しても、宗教は存在し継続されて行く様です。

 

 宗教とは、集団、儀式&儀礼、宗教書、配偶者、宗祖などが必要なのであろう。

例外は多々あるが、宗教とは、人が生まれて死ぬまで、寄り添って生きて消えて行くものであろう。

{依存}だとよく言われている。

だが、宗教に信心のある人達は、自分の信じる宗教を{依存対象}などとは全く考えてはいないであろう。

宗教に信心の無い人達が、勝手に{依存対称}だと決め付けているのでもあろう。

 人間が生まれて来て、自分の一生を生きる上で、宗教を信じる人達もいれば、信じないで終末を迎えて死んで行く人達もいる。

また、人生の途中から、親の宗教を脱出して別の宗教へと入信して行く人達もいる。

信心があってもなくても、人は“自分の人生が幸せだ”と感じれば、それだけで良いのかも知れない。

本人個人が“幸せだ”と言えば、それだけで周囲の他人が<とやかく言う>必要は無いであろう。

しかし、当人が幸せだと言っても、周囲には他人や家族も住んでいる筈である。

 人間個人、人は誰しも独りでは人生を生きる事はできない。

一般の心理療法では、宗教を非難する事は無いだろうと当方では考えているが、当然の事でもあろう。

 心理療法では、人の信じている宗教を非難してはならない。

どんな良いと言われる心理療法でも、宗教を非難する立場には無い筈である。

 

如何なる心理療法も、洗脳とは関係が無いと考えている。

あくまで、個人が悩みから脱却できるように援護するだけである。

<<いじめ>>いじめと自殺(7)

2006 年 11 月 25 日 土曜日

 世間の多くの親達が、当方に尋ねて来られる。

自分の子供達について、親が<心配>して来られる。

だが、不思議な事がある。

殆どの親、母親も父親も、自分達は悩みは<何も無い>と、言われるのである。

まあ、世間の家族・親達は、殆どが意識的には<そんな状態>なのである。

真剣に子供達を治してあげるために、親はどういう風に・如何に変われば良いかと、質問される場合は本当に少ない。

「親が変われば、子は変わる」と伝えても、「子が変わらなければ、親は変われない」と、こんな風にあっさりと言われる親が居ます。

どんなに、当方が{親が変わらなければ・・・}と伝えても、親が当方の助言や意見を全く<受け入れよう>としない。

 そんな中で子供達に事件が起ると、怒り心頭で『誰々が悪い』と、狂ったように相手を<マクシタテル>のである。

 

 この{論壇}で先述しているが、学校の先生の中には、どうしようもない程に未熟で人格水準の低い先生方も居られる。

当方も、そんな先生に出会って悲しい思いをした<過去>がある。

しかし、そんな先生達ほど「人生とは、何か??」、「自分とは、どんな人間か??」、「自己とは、何様??」、などと<しっかり学習?>して欲しいと願う。

 どういう状態であれ、子供達に問題のある会話や行動などがあれば、子供達の親に問題がある事くらいは知って欲しいと思う。

今は、俗世間の心、{親と子}の問題を常識的な範囲で説明している。

 

 親達が、自分達の眼を自分から外界へ向けている間は、自分の心を悟れない。

自分の眼を、自分の内界に向けてみないと何も見えて来ない。

何度も述べているが、とにかく不思議な事は、子供達が悩みの<ドン底>に居ても、親は悩み苦しみを全く持たないと自己主張される場合があまりにも多すぎる。

もう少し、親と子供の因果関係、親と子の心の{絡み具合}を勉強して欲しいと思うが、世の親はなかなか勉強してくれない。

 

 未熟な人が多いのは学校の先生に限ったものではない。

全ての人間、幼い人格者は居るものではある。

 

 今は、学校での<いじめ自殺>について話しているので、正直なところ学校の先生も問題はあると問題提起をしている。

家族である親にも、責任はあると問題提起しておきたい。

「根っ子は、親と子の心の絡み具合」であろう。

親と子の{心の絆}、{信頼関係}が大切である。

 

 子供の本音で、親が大好きだと言われる親でありたいものだ。

<<いじめ>>いじめと自殺(6)

2006 年 11 月 22 日 水曜日

 とにかく<いじめ自殺>の解決策は、親と子(いじめられる本人)が一緒に、自分の生い立ちの心を見つめる心理療法を受ける事です。

一方で、いじめる側の親と子(いじめる子供も)が、一緒に体験するべきです。

学校の先生方も心の療法を体験すれば、迷える子供達を救う事が出来るでしょう。

 

 何故か???ですね。

心の奥を知る療法をする事によって、人間の悩みや苦しみ、また、そんな心境から脱却するための心が理解できてくるからです。

非常に未熟な心や未熟な人格の人でなければ、直ぐに心の反転が可能となるのです。

過去が、現在の心を作りあげています。

ですが、家族間の形成などもあり、未成熟な人達では、どうしても周りの人間の考え方が変わらないと、折角に何とか生きていこうと考えても、周りの人達が<少なからず、本人を理解してあげる能力を持っていない>と、再構築できた心も元の木阿弥となって、壊れてしまいます。

 

 人間は一人で此の世を生きるのではありません。

家族や学校でも、常に周囲に人が居ます。

その周りの人達の自己主張が強いと、弱い人達は壊れてしまいます。

人間は悩み始めると、本当に心を反転するのが大変ですね・・本当は簡単ですが・・。

 迷える子供達が居れば、家族が、特に父親や母親が自分の心の奥を知る療法を受ける事を薦めます。

極端に言えば、迷える子供達が<心理療法>を受けなくても、その子供達の親が心の奥を見る療法を受けるだけでも子供達の心が良い方へ変化してきます。

 当方25年来、カウンセリングと心理療法などで迷える人達に対応してきましたが、カウンセリングでは心の反転は無理の様だし、あまりにも長時間を必要とします。

「自己を知る心理療法」の方が、心の底まで読み取れるので、人は自分の心が充分に見えて来ます。

人に教育をする立場の人達、ここでは、学校の先生方も是非とも・・・体験だけはして欲しいと考えます。

 

 全国的には、学校の教育現場で長期間の病気休暇をとっている人達も、本当に沢山と居られます。

そんなに長い病気休暇を・・、不治の病ではないでしょう・・・。

先生達も自分の<生い立ち>を眺めて、過去の心を<再解釈>し、過去を<受け取りなおし>する事で心安らかとなり、各種心身症や各種神経症、うつ病なども改善されて行きます。

 

 いじめられる子供達、いじめる子供達、父や母の家族、兄弟姉妹、学校の先生方、などの「心理療法体験」と援護があれば、全てが解決して行きます。

 <いじめ自殺>の解決にと、当方の解決策について述べています。

<<いじめ>>いじめと自殺(5)

2006 年 11 月 21 日 火曜日

 繰り返して言いますが、人は「自分の心は分かるが、他人の心が分からない」と、よく言うのです。

現実には、反対ですね。

自分の心が分からない・理解できていないので、自分以外の他者の心が悪いのです。

 

 本音と建前の心が理解できないと、大人ではないと言います。

学問的には『無意識』・『潜在意識』・『顕在意識』と言いますが、この三層の{心のカラクリ}を知っていないと、他人の心のお世話も出来ないでしょう。

この事は、当方、随分と長い間に渡り心理療法に関わって来ましたが、今でも矢張りその事は間違いないと考えています。

 悩み苦しみの根源は何処に有るか、の問題でしょう。

現在の悩み苦しみを変えようとしているのが、一般の人達の考え方ですね。

現在に抱えている問題を変えただけでは、人間の心の{再生}と{新生}は不可能です。

そうすると、人間の根源の心の問題は残ったままですから、その人の人相や表情や会話や行動などは、根本的には改善されません。

 

 一番に大切なのは“人対人”と“人対環境”への適応でしょう。

しかし、人間は自分の心の中に欲望が多すぎると、適応能力は欠けて来ます。

適応能力の欠乏は、その人の<生い立ち>の心の問題です。

子供達にとって、母や父や兄弟姉妹や祖父母についての{心の関わり}が如何なるものであったか、体で理解しておくべきなのです。

親と子供の自我などと言いますが、全ての子供達は<よしにつけあしきにつけ>親の超自我を受け継いでいます。

親の考え方や行動・会話などが、幼い子供に<見えない影と光を投げかけて>います。

 子供達は自由に羽ばたこうとしていますが、親の超自我が子供達の会話や行動や心の全てを束縛していたり、或いは、子供達の『身』・『口』・『意』を動かしています。

 何処までも人間の心を追求して行きますと、人の心も算数(1+1=2、1-1=0、など)の様に見えて来ます。

学校では、確かに未熟な先生が増えて困っています。

言わないで良い言葉を投げかけたり、言ってはいけない言葉を放ったりする先生が、増えてきました。

ですが、子供達の親、誰しもが自分の心の深い層にある心を再確認するべきです。

親がカウンセリングを受けても悟ることは出来ないでしょう。

 

 親、または、学校の先生もそうですが、自分の心の奥を眺める心理療法を体験しないと、知る事が出来ない人間の心の層があります。

自己を知る心理療法は、世界で最高の心理療法と、当方は思っています。

自分の失敗に気づく事が出来ます。

 

 子供よりも、親が先に体験する事ですね。

<<インターネット心理療法>>追加編(10)

2006 年 11 月 20 日 月曜日

 自分の過去を忘却して生きようとする人達が案外と多いですね。

自分の幼い時からの、苦い苦しい悲しい辛い思いを忘れたいと言うのです。

過去の嫌な思いなどを考えなければ、悩まないで生きて行けると考えています。

自分の過去、勿論、自分一人の過去もありますが、母親や父親や兄弟姉妹、その他の人達と一緒に居た時の嫌いな思い出などが心の底で無意識的に渦巻いています。

 人の現在の心は、自分の深い心、即ち、潜在意識と無意識によって動かされて生きています。

 

 自分の過去を知らない人達は{自分の自己像}や{自分の存在観}などについての絵を描く事は難しいでしょう。

しかし、この二つの絵が描けなければ、本当の自分を、真実なる自分を生きる事は不可能でしょう。

 自分が此の世に生まれて来て、何のために生きているのか<判断できないのでは>ないでしょうか・・・。

 

 人間は、どんなに眼前の事柄を勉強しようとしても、心の葛藤を抱えていますと、記憶力が落ちてしまい能率は悪いですね。

自分の過去を知っておかないと、何を根拠に<今この場で自分が何をしなければならない>のか、動機も希薄ですから面白くもないでしょう。

ここでは、「本音」=「潜在意識と無意識」と言っておきます。

これで良いと思います。

沢山の人が、自分の本音を知って生きて欲しいと考えます。

ここでは、その事を“自分の生い立ちから~現在に至るまでの自分の過去”と、言っておきます。

 とにかく、“自分の過去の心”を知っておかないと、上手く自分の人生を生きる事は不可能となります。

{自分とは、一体どんな人間}なのか、{自分の存在}とは、{自己像}とは、{本当の自分とは、一体にどんな人間}なのか、{真面目な人間}なのか、{真面目でない人間}なのか、{悪人}なのか、{罪悪深重なる人間}なのか、などなどで自分の過去を見詰めて判定出来れば、最高の人生を送ることが出来るでしょう。

 

 過去の{心の濁り}全ては、人の大脳の奥深い{海馬}というところに、記憶され<トグロを巻いて>存在しています。

過去の記憶を拾い出して<告白する>事によって、その大脳の海馬の{心の濁り}は消去されて行きますので、人間の心の{再生}も心身の{新生}も得られるものです。

 人の心を回復させるには、誰が何と言おうと“自分の潜在意識と無意識の心”、即ち、大脳の海馬を綺麗にする事です。

人の心も体も、簡単に良い方へ変わります。

 

 病院に行かずとも「インターネット心理療法」、体験すれば大丈夫です。