<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)13

2011 年 10 月 6 日

 簡単に{{身代わり}}と言っていますが、案外と難しい場合もあります。

貧乏したままでお金持ちになった事のない人達は、お金持ちの苦しみや悲しみが意外と理解できません。

誕生後から・・・・引き続きのまま・・お金持ちで・・大人になった人達は・・貧乏人の心を理解できません。

時折ですが、悩んだ事がありませんと、言う人も居ますが、それは<<まずい>>ですね。絶対に悩んでいる時期も有った筈ですが、当人は悩んだ記憶を消しているだけです。

 

 一度も悩まないで、成長する人なんて居ませんよ。

当人が、自分の心を見るか眼差しを抱えていない、だけの事です。

誕生後から~~~大人になるまでに、一度も悩んだり苦しんだりした事が無いと言うならば、その人は、逆に、親からの心の分離が出来ていない人達です。

こんな人達も、大変に困ります。

親から分離できていない人達は、俗世間でも自分一人で物事を考えて生きる事が出来ませんし、逆に、何時も心が不安ばかりとなるでしょう。

 

 子供心に、少しでも、自分の親に不満や不平を持つところから、親と自分の関係が大きくなりますし、親以外の他者との関係も増大してきますね。

その上で、他者と対立しながら、自分の人生を生きるのが{{人間社会の中の人間の動き}}ですね。

対立関係の中で、自分と他者の心の関係、そして、自分と目前の環境、これが上手に出来れば、心の葛藤は生じないでしょう。

「受容」・「共感」・「妥協」・「拒絶」、などなどの心を自分が上手くコントロ―ル出来る事が、一番に重要です。

 

 ここで、何を言いたかったか、ですね。

誕生して、育つ過程で、全ての人間は、自分の親、自分を育てる人に対して、不満などの心の葛藤を持ちます。

親への不満を持ちながら、自分のストレスを解消しながら育ちます。

家族の形成、会社の中の自分の身の回りに対する心構え、これのみで、皆は人間社会で生活しています。

人間社会に生きていて、自分の希望をあまり巨大化しないで、生きる事でしょう。

むしろ、他人の心や人間関係を見つめながら、時には、自分の心を捨てて、他者に従うのも重要です。

 

 {{{捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ}}}なんて言葉が、昔から有ります。

{{{捨てて、捨てて、捨てて・・・}}}などの、言葉もあります。

あまり、自分の我執に取り付かれない方が、気楽になれます。

時には、他人の立場に立って自分の心を置き替える「身代わり不可症候群」であれば、何時まで経っても、悩んで生きるでしょう。       

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)12

2011 年 10 月 4 日

 子供達は、誕生後に育つ過程で、色々様々な{心の葛藤}を抱えて育ちます。

誰もが、皆が、「豊」と「貧」、その他に様々な{環境差別}{親の境遇差別}を感じながら、育ちます。

まだまだ、全体的には、子供達は<<親の愛情を求めて>>います。

西欧の先進国の中では、現在ありうることですが、子供達全部が同じ枡(環境)の中で育てられれば、眼前に両親が居なくても、大人になって、ふと過去を振り返っても、他者と比較しても同じ環境の中で育って来たと感じるものでしょう。

だから、自分だけが、悲しい寂しい環境で育ったとか、親から育ててもらわなかったとか、などの感じ方が違います。

 

 では、「事件」や「犯罪」などは、西欧では起こらないかと、問われれば、どんな同じ様な枡(環境)で子供達が育てられようとも、同じ仲間のように見えても、矢張り、その中でも区別とか差別は当然と有る訳です。

家族関係では「家族の貧富」・「家族の職業」・「兄弟姉妹の数」、子供達の間では「背丈の高い~低い」・「顔や容姿の差」・「頭の良い悪い」・「記憶力の差」・「運動能力の差」・「喧嘩の強弱」などなど、当然に比較が出て来ます。

人間全体が同じ、なんて絶対にありません。

 

 拘る、分別する、差別する、比較する、とらわれる、執着するなど、人間の悪い習慣です。

此の世に誕生した時から、諸々の葛藤を持って生きるようになっています。

普通は、男と女しか居ません。

勿論、先天性の疾患は、ここでは、別事項としておきます。

人間社会で立派に働いても、お金持ちになっても、有名になっても、地位を得ても、何かと人間は、自分自身について<<物足りなさ>>を感じながら生きるでしょう。

様々な問題も、起きてきます。

 

 どんなに裕福になっても、最後は、案外と、人間は異性を求めます。

お金持ちになったからと言って、自分の好みの女性が自分の手に入るものではありません。

また、女性に声をかけても、女性が「NO」と答えた時には、一体に如何なる状況が起きるのでしょうか・・その時の{{面子}}が潰れてパニックを起すのが、凄く怖いです。

仕事が上手に出来ても、{草食男}は居るし、{草食女}も居ます。

誰とでも話を出来ても、案外と、{草食男}も居るし、{草食女}も居るものです。

 

 一般的には、矢張り、他人の立場に立てる人が、何事につけても人間社会で適応出来るし「身代わり不可症候群」では、人格が幼いので治療しておきましょう。

女性に興味を持たない「草食男」なんて、表現が有るが、現実的には、女性に対して沢山の興味を有り余る程の関心を持っています。

男性が女性をもてなす{術}を身につけず、女性は男性をハンドルとる{術}を知らない。

互いに距離を置くが、近づきたいのが本音!心の{裏}は違うのです。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)11

2011 年 10 月 3 日

身代わり不可症候群(続)1~10は、掲載済みです。

 

 {草食男}が居れば、{肉食男}がいるだろう。

{草食女}が居るなら、{肉食女}も居るでしょう。

心理学的立場に立てば、{草食・・}も{肉食・・}も、どちらも彼等の「生い立ちの心」・「成長過程での心」に裏打ちされています。

子供達は、両親の姿を見ながら育って行きます。

自分を此の世に誕生させた両親の<<仲が悪ければ>>、何故に自分は此の世に生まれて来たのか、少しながら考えます。

 

 両親の不仲を眺めながら育てば、どんなにお金持ちであっても、両親を心の中で恨みながら、或いは、不平や不満を抱えながら育ちます。

両親が子供達に対して虐待のような気持ちで育てると、子供達は両親に対して、恨みの感情を越えて、{{怨念}}にまでなってしまいます。

男性であれば、生い立ちの中で母親に対して{恨み}や{怨念}などを持って育てば、大人になってからも<<心の底から、女性を愛す>>事は不可能でしょう。

女性の子供であれば、父親に恨みを持って育つと、{肉食女}になる可能性も大きいです。

 

 両親の不仲も、そうですが、案外と子供に本当に辛いのは、両親の裸の交わりを見るのが大変で、大人になってから<<異性を心底と愛す>>事が不可能となるでしょう。

先進国と未開の国などでも、色々と子供達の親への{心の取り込み方}は違いますが!!!。

子供達は、自分の母親を一人の優しいお母さんと感じて育って生きたいみたいです。

母親が、子供達に、女の{}を見破られるのは、自分の子供達へ良い影響は残さないですね。

子供達に、{母親も女だよ、だから、男が好きなんだ}などと思わせるのは、大変に子供達には悪影響を及ぼします。

 

 母親が、父親以外の男性と寝るのを見ると、また、子供達には辛いもので、子供達が女性であれば、大人になった時には、大変な{所謂、肉食女}になる可能性が大きいです。

無意識的に、母親への「抵抗」が働きます。

そんなケ―スで、男の子なら、大人になって、真実に女性を愛する事が難しくなります。

女性を不潔な女性と考えるが、真面目な恋愛は出来ないでしょう。

現代社会で、「男女平等参画」と言いますが、子育てには<<裏目に出ている>>ものです。

子供達は、少なくとも、幼い時には、母親や父親の愛情を真剣に求めています。

 

 子供達に向かって、親の気持ちを考えろ、社会情勢を考えろ、なんて言うのも、無理です。

子供達は、幼い時から、年齢を重ねても、親の{{不倫}}や{{不仲}}などは見たくないもので、現実には、親の子供達への{{監視}}が厳しいほど、{草食男・女}になりそうです。

「親の不倫」については、親との身代わりを考えろ!!なんて無理、「身代わり不可症候群」で、大人になっても他者とも「身代わり不可症候群」になりそうです。

幼い頃、{不幸な生い立ち}でも、大人になれば、自分の過去を引きずらないで「他者の立場になる努力」が、大切です。  

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(3) コラムより

2011 年 10 月 1 日

 本当のところ、人生を生きるには{身代わり可能な人間}になって欲しいと思います。

人生を生きて行く上で、心の葛藤を感じてしまうのは、自分の事だけを中心に考えているからなのです。

 本来的に、人は自分の心を探索しようとしません。

この様なところから諸々の問題が生じて来ます。

自分の心を見詰めないと、駄目なのですね。

格別に人生を有意義に過ごそうと考えれば、必ず自分の潜在意識と無意識の中にある心を可能な限り知っておいて下さいませ。

 

 しかし、自分一人で「自分の心」を探し「自分の心」を正確に把握する事は困難です。

“自分は、しっかりと自己探求している”と自己主張する人を時折見ることもありますが、所詮<殆ど心の世界については学習していない人>である様に感じます。

 何度も述べていますが、人間は、自分の眼の前を眺めて、自分に都合の良いもの、自分の好きなものを追いかけます。

これが一般的な人の生き方ですし、当然でもありますね。

しかし、自分の思う通りに人生を生きようとすれば、時には自分以外の他者の気持ちを踏みにじり、自分の意志を通そうとします。

 

 欲望の塊、「これが人の心なのか?」とさえ、思わされる場合もあります。

自分を中心に世界が回って欲しいと考える、さもないと心が治まらないのです。

悔しさ、無念さも込み上げて来ます。

妬み、嫉妬、悲しさ、淋しさ、孤独感、不平、不満、怨念なども溜まり、マイナスの感情が膨らんで来ます。

 自分の欠乏欲は、時と場所を考えて減じる事が大切なのです。

<思うがままとならない>ことが人生です。

人間世界に自分一人が住むのではありません。

自分以外の他者の事も考えないと駄目ですね。

他人が悩んでいる事柄なども、自分の方から理解出来る人になることが出来れば良いですね。

 

 此の世は自分一人のものではありません、皆の世界も有るものです。

自分一人で腹を立てない事です。

時には、自分以外の他者の、心というか気持ちを大事に考えてみる事が大切です。

特別に大切な事は、他人の立場に立って自分を眺める事です。

 他人の眼に、自分の眼を置いた視野に立てる事が、大変に重要です。

自分の心の愚かさが見えます。

人間は、自分の事を中心に自分の事ばかり考え自分の思う通りにならないと、嘆き苦しみ、苦悩を蓄積して行きます。

世の中は自分の思う通りにならない、時には、自分以外の他者が優先となる場合は沢山とあります。これが普通なのです。

 

 『身代わり不可症候群』、自分が相手の立場に立って物事を考える力が無いことを言います。

絶対に、相手の立場に立って考える能力を{身に付ける}事が大切です。

これが出来ない人は、可愛そうな人だと思います。

 相手の立場に立てない人は、必ずや「ストレス」が溜まります。

自分自身の会話・行動・心、全てがギクシャクして、世間の人達と楽しく語り合い生きることが不可能となります。

簡単な心のトリックが解釈出来ないのです。

辛く悲しいですね。

他者の気持や心の痛みが理解できないと大変です。

「心理療法」を受ける事が大切です。              

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(2) コラムより

2011 年 9 月 29 日

 相手の立場になって、自分の事・会話・行動などを考える能力を持っていない状況を「身代わり不可症候群」と、伝えました。

 そうですね、例え、相手の立場をしっかりと考えてあげなくても、自分に与えられた役割や仕事などを、誰が見ても間違いなく当人がストレスを感じないで生活できれば、何も問題は無いのでしょうが・・・・。

しかし、その様な生き方を継続していれば、必ず人生の壁に衝突するのが自然の成り行きなのではないでしょうか。

 

 自分も人間、相手も人間です。心の通っている人、お互いが人間社会で生活している訳ですから、少しは相手の人の心を分かってあげられる人でないと、自分の人生を生きるのに{心の迷い}も生じて来るのが当たり前です。

 心・性格・人格の問題ですが、人は自分の事について案外と気づかないものです。

ストレスを抱えて、神経症・心身症・うつ病、などで悩みながら苦しみながら日常生活を過ごしていても、自分の心・人格を変革しようとしないので大変です。

自分の心をしっかりと見つめて欲しいのです。

 

 一般的に「自分の事は自分で解決する」と、沢山の人達が言います。

人はよく「自分の事については知っているが、他人の事が分からない」と、言います。

 当方、20年来に渡り、心理療法に関わっています。

自分の事を知らないので、他人の事や他人の心・性格・人格を知る事が出来ないのです。

自分はしっかりとしている積もりでも、他者から見て立派な人、立派だとは思われなくても精々普通の人でないと、誰も相手をしてくれなくなるので、寂しい人生を送る事になります。

 

 人間の悩みや苦しみの{原点}は、自分以外の他者の心を気遣ってあげようとしないところから、心の葛藤として蓄積されて行くのです。

{気遣い}というのは、自分の本当の心の底から{相手の気持を考え配慮する}という事です。

 自分の心を押し隠して生きてゆけば、自分の心のストレスは溜まるばかりです。

そんな考え方ですと、皆と一緒になって仕事をしたり役割をこなしたりして生きる事が出来ません。

不安・悲しみ・苦しみ・悔しさ・やきもち・嫉妬・妬み、などのマイナスの感情が、自ら湧き上がり、辛い感情に強迫されて、身動き出来なくなる時も出てくるでしょう。

 

 自分の感情も理解できないまま、苦しんで悩んで居られる人達が、案外と多いものです。

ここで少し、心の勉強{人間学}を学習しながら、人の気持を理解できる自分となり、相手の会話や行動や心を理解してあげて、己が大きな心の{器}を持った人となり、「人生を楽しく生きて行くことのできる人」になる事に向けて、専念してみられると良いです。

 人や事象の評価は良いのですが、自分以外の他者や出来事などを非難しないで、社会生活を送ることが実践できる人となるべきでしょう。

相手の人の気持を理解できて{許し}を与えてあげられる自分になりましょう。

心の悩みはなくなり、ストレスも無くなるでしょう。