<<講演>>人生への理解(12)

2006 年 8 月 16 日

 前回は人の悩み、そして『悩まない人になる』だけだ、と皆さんに伝えました。

 

 さて、人間は生まれながらにして“眼前だけを眺めて生きている”これが普通の生き方となっている様です。

唯、唯、漠然と生きる。

自分がどんな考え方を持って生きているかを考えもしない場合が多いです。

ついには自分の死がやって来るまで考えないし、終末を眼前にしても自分の心を見ようとしない人も、時折ですが見かけます。

 

 一般の人達は、眼前に“自分にとって{良い事柄}は無いだろうか”と思いながら日常生活を送っています。

自分にとって“都合の良い事”、“都合の良い物”、“都合の良い者”だけを、自分の側に置きたいのです。

これが一般の人達の生活様式だと思われます。

それ故に、一般の人達よりも自分の人生をより良く有意義に生きるために、人生勉強が必要なのです。

皆さんは、自分一人で人生勉強をしていると思っておられます。

実際には人生勉強が足りていないのですが・・・気づいていないのですね・・・。

 

 フロイトやユングの名前を知っている方達もいらっしゃるでしょう。

しかし、彼等が説明している事柄では、なかなか心の糸は解けないと感じています。

当方では、本当に心底と自分の人生を納得して満足して生きるには、もっと別の方法が必要だと思っています。

 

 当方は心理士ですので、宗教について“良い”とか“悪い”などとコメントを入れる立場には有りません。

宗教については語らない事にしておきます。

 

 心の葛藤を持たないで、気楽に良い人生を過ごせる人になって欲しいだけです。

 

「心理療法」と言っても色々な方法があるでしょう。

心の問題は、直接に心を見詰めることです。

 

 人間には、「行動」と「会話」と「心」、この3つしかありません。

行動と会話を動かしているのは「心」ですよね。

だから人は、「心」次第で<幸>か<不幸>、どちらにも転ぶものです。

<<講演>>人生への理解(11)「心の葛藤」

2006 年 8 月 12 日

 さて、人間の社会生活での“心の葛藤”について述べてみよう。

 

 {五欲}については、前述している。

ここでは『仏教観』を借りて説明するのが早いであろう。

「四苦八苦」について説明しておきたいと思う。(四苦+四苦=八苦と言う。)

人間が生きるには、どのような悩みや苦しみがあるのかを知っておく必要もあろうから・・・。

 

 四苦(人間誰しも出会う)

1.人間世界で生きるには、誰しも悩み苦しみを伴うものだと教えている「生」。

2.人は此の世に生まれた以上は誰しも老化して行くものである「老」。

3.人は人間世界で生きる。人間世界でなくても、生きる以上は病気をする「病」。

4.人は此の世に誕生した以上は、やがて終末がやって来る「死」。

 

八苦(四苦に足して、別の四苦があると言うものである)

5.人間は煩悩が多く、悩んで生きる「五蘊盛苦」五蘊→色・受・想・行・識→色即是空。

6.人が生きていると自分の側には、一人や二人は気の合わない人がいる「怨憎会苦」。

7.人は生き別れや死に別れ、勿論、ペットや貴金属などとの別れもある「愛別離苦」。

8.あれが欲しいこれが欲しい、だけど求めても自分の手には入らない「求不得苦」。

 

 人間の悩みを、言い尽くしていますね。

 

 自分が悩む時、ストレスを感じる時があれば上記の事項を自分の心と照らし合わせて見て下さい。

 ここで強調したかった事柄は“人間は誰しも<心に葛藤>を持って生きている”のです。

どんな悩みや苦しみを抱えているか、一般の皆さんは日常から考えたりしないのでここに説明をしてみました。

必ず共感するものがあるでしょう。

 

 人生を生きるのは{苦}なのか{楽}なのか?

それは人間個人の心の持ち方、『人生観』になって来るでしょう。

 

 可能な限り早く{心の扉}を開き、人生を楽しく・・と思いますが、人生の{扉}を開くには、皆さん結構と苦労しています。

『悩まない人になる』だけです。

<<講演>>人生への理解(10)「心の葛藤」

2006 年 8 月 11 日

 中学生になると“心の葛藤”は、更に顕在化して来る。

人間の文化や文明は発達したと言いながら、携帯電話やパソコンなどは、益々と多種多様複雑となって来ている。

その事が、人間の成長には如何に影響するものであろうか・・・?

まだまだ若い年齢層の人達に、人生での全体の視野で眺めた時に、人の心の成熟度は???さて、どうなるのであろう。

 

 一方、親は親で子供を新学校へ入学させようとして、大変な教育熱心さを示す。

この親の方針についてであるが、極一部は確かに親の期待通り学習に精魂を込め、新学校へ入学する子供もいる。

 

 中学から~高校で、学習に打ち込む子供と、反対に、親に反発(これには2通りの反発様式があるが・・・。)ばかりする子供がいる。

格別に、言葉や行為・行動で親に反発する子供と、黙して語らずだが、心の底では親に対して怨念の感情を抱きながら良い子ぶって成長する子供もいる。

 

 親から叱られるのが嫌で、親の期待通りに見せ掛けで勉強する。

勉強だけをしていれば親は褒めてくれる。

稀であるが、親の喜ぶ顔だけ見ていれば満足する子供も実際に居るのである。

勉強が楽しいのではない。

学習について行けない、いや勉強しない子供もいる。

心の底には、既に“不平”、“不満”、“怒り”、“悲しみ”、“劣等意識”、“嘘”、“盗み”、“罪”、などの塊の心で充満している子供もいる。

 

 人の心も一念三千と言うくらいである。

心の底に怨念を抱いても物静かな子供もいる。

物静かに出来ずに騒いで事件などを起こす子供もいる。

物静かな子供も、パニックで大きな事件を起こしてしまう。

 

 大学に入った途端に目的意識は消失してしまい、大学入学後に登校拒否をする者もいる。

エリート大学に入って勉強したとする。

彼等は、本当に幸せなのだろうか?・・・疑問が湧いて出て来る。

思春期に、それなりの人間生活を送って来なかったからである。

大学で勉強に励み、大学院でも研究に励み、一見誰が見ても文句の付け所の無い人間には見える。

そして世間で言うところの“出世”である。

彼等は幸せなのだろうか?

世間で見れば<出世コースのど真ん中>に居る人でも、心の底には<何とも表現しがたい心の葛藤>が流れている。

 

人生とは大変でもある。

演技も重要ではあるが・・・。

<<講演>>人生への理解(9)幼児期~小学時代

2006 年 8 月 8 日

 <人は何を考えて人生を生きるのか?>この事を理解できる人は素晴らしいと思われる。

この事について充分に体得していれば、自分なりに自分の心をコントロール出来るので、心の{どん底}にまで陥ってしまう事はないと言える。

ここでは、乳児は除外しておきたい。

 

 幼児期に、例えば母親と買い物に出たとする。

玩具を買う時に<駄々をこねたりもする>ではないか。

明らかに当人は理解していないが、それだけ駄々をこねると母親が<買ってくれる>と計算しながら演技でやっているのである。

幼稚園等に入ると、既に“登園拒否”などもある。

登園拒否が、幼稚園でのストレスか?と問われれば「違う」と、皆さんに伝えておきたい。

登園拒否になる園児は、その前に家庭で{母親、父親、兄弟姉妹}等について、欲求不満を大量に抱えている。

こちらの心の葛藤を、先決し治してあげる方が早い。

登園拒否になる<切っ掛け>は、幼稚園等で“何か”があったにしろ、原因ではない。

 「因果応報」とも言うが、家庭での心の葛藤を家族の皆が心揃えて解決すべきである。

勿論、登園拒否だけが心の葛藤なのではなく、家庭で彼等の顔・表情や行動様式を観察していれば気づく筈なのである。

{目は心の窓}、{顔は心の窓}、{行動様式も心の窓}である。

しいて言えば、その人の目は{家族の心の窓}にもなっている。

子供の顔を見ていると直ぐに分からなければいけないと思うが、一般庶民には理解しがたいであろう。

悲しい事ではあるが、それも人生か・・・、なのであろう。

 

 小学校の児童では、もっと色々様々な問題が起きる。

登校拒否は勿論、悪口、陰口、喧嘩、暴力、非行、万引き、パソコンゲーム、携帯電話、刃物を使った犯罪・自殺や他殺まで・・・、昨今では事件が起きる様になって来ている。

 

 小学高学年になって来ると、思春期前期となるのでもあろう。

男性は女性を、女性は男性を、異性として意識を持つ様にもなって来る。

やきもち、嫉妬、妬みの心なども持つのである。

 

 一方家族では、学問とスポーツ、その他の板ばさみで沈没する子供もいる。

<<講演>>人生への理解(8)「人対人」

2006 年 8 月 7 日

 人と人とのコミュニケーションが出来れば、人間はどんな職場へ投げ込まれても生きて行けるでしょう。

当方としても『読者の皆さん』が真剣に人生を生きる事が出来る様に、しっかりと<本音>で大事な事柄を伝えておきます。

この事について、人間一度は“自己探求”が大切です。

 

 先ずは、人間の欲望とは?考えてみる事ですね。

そして自分には一体に<何が欠けている>のかを知る事が大切でしょう。

{五欲}と言う言葉、食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などと言われています。

「自分には、そんなものは無い」と言う人がいるでしょう。

その様な人達は、まだまだ自分の心が見えていない人です。

何人も、上記{五欲}の全部とは言わないまでも、それぞれの立場やその時期によって内容は変化しますが、持っているものです。

見栄や虚栄心なども、全部が名誉欲に関わって来るものです。

唯、唯、その「欲」が小さいか大きいかだけの問題ですね。

 

 人は、自分以外の人に対して<気おくれせずに>誰とでも、気軽に話しをする事が出来れば最高なのですが、そのような人達は滅多に見られません。

人間は皆、何がしかの心の葛藤を抱えて人生を送っています。

 

 人が人生を送る基本は家族生活です。

生い立ちの家族生活の中で、母や父や兄弟姉妹等との心の絆をどれほど幼い時期から築いて来たのだろうか・・・、これが人間関係の信頼度の基本になっています。

親との{信頼関係}が、しっかりと完成されていなかったら、親以外の他人との{心の信頼関係}は、上手く適応できないのだと思っても間違いないですね。

 

 “人対人”について、今少し触れましたが、人間には異性、即ち、男性と女性が居ます。

思春期から老年期を通して、この辺りがまた大変な人生上での大きな関わり、分岐点ともなります。

男性と女性の心の葛藤だけで、犯罪が起こる場合もあります。