<<人生>>「社会適応」(15)

2008 年 2 月 12 日

 大人の世界に近づいて来ると、思春期から~終末までにかけては、基本的には、食欲・性欲・睡眠欲・金銭欲・名誉欲、などなどと、考えていても良いですね。

 

 これらの欲望を、どれほどにコントロ―ル出来るか、上手に{昇華}できるかでしょう。

勿論、食欲については、人は誕生した時から、自然の本能として持っています。

睡眠欲も、同じでしょう。

この二つは、本能として当然ですが、食べられない、お乳が飲めないだけでも大変です。

一方で、人間社会が裕福になれば、それだけ人間の欲望も歪化してしまい、過食や拒食などの症状も心の葛藤から発症しますね。

そうすると、長期間にわたり入院したままでの生活となり、社会適応できません。

 

 睡眠についても、赤ちゃんや子供の時からでも、周囲の影響で眠れなかったりしますと必ず病気になるでしょう。

成長してからでは、不眠症やうつ病などで、{不眠}になると、睡眠欲なんて考え方を越えてしまい、<自殺願望>まで出て来ます。

勿論、社会適応できませんよ。

 

 性欲については、人はある程度の思春期が近づいて来ると、普通は誰でも日常生活において、全ての性欲を満たして生きるなんて出来ません。

これも、どういう状況で適応するか、本当に思春期から~一生を通してこの欲望に適応しなければ、なりませんね。

この欲望については、詳細に考えると、犯罪にもつながって来ますね。

 

 金銭欲、名誉欲、これらも同じでしょう。

満たされないが故に、犯罪につながって行く場合は沢山とありますよ。

金銭欲については、人は年老いても、年老いても、殆どの人たちは死ぬまで<お金を追い求めて>いますよ。

自分が死ぬまでの生活費は、充分に持っていても、それでも、なお更に、お金を追い求めるのが人間みたいです。

勿論、例外もありますが、沢山とお金が溜まって、社会に<寄付行為>などする人達も時折に、見受けられます。

 

 名誉欲ですね、これも<人間って案外と欲しい>みたいですよ。

人の心って、大変ですよ、ヤキモチ・嫉妬・不平・不満・孤独。寂しさ・恨み・などなどが入り乱れて来ます。

まあ、この「五欲」については、充分に上手に{昇華}しながらですね。

 

 子供達、生徒や学生さんについては、人間社会での事柄は知っておりません・・・・・・・。

学問、スポ―ツ、芸術、演劇、歌、宗教、様々な分野の習熟と学問、などなど、親の超自我のもとに植え込まれて育ち、やがては親の考え方から卒業して脱皮して、人間社会に適応しなければと、思われます。

 

 自分の心を知る「心理療法」が重要です。

<<人生>>「社会適応」(14)

2008 年 2 月 7 日

 上記、社会適応などと、書きましたが・・・・・、

この社会適応も、ですね、世界の国々まで入れて考えると、本当に大変ですよ。

 

 自分の置かれた立場、これはですね、自分が誕生した場所からが、始まりですよ。

どんなに、自分が努力しても、自分の住んでいる場所や状況や環境や人間関係などにしても、変わりようの無い環境の場合もあります。

例えば、国の独裁政治とか、国家に少し反抗とか、意見のような言葉を演説したり、ビラを撒いたりするだけで、政治犯として逮捕されます。

だから、どんなに社会に適応しようと考えて努力しても、無理な場合も有ります。

 

 ここまで考えますと、社会適応と言っても、少し話が大変となります。

人は、逆に、貧困な国の人達ほど、辛い状況や環境にも案外と耐える力を持っています。

そのまま、貧困の状況にも<不満や不平を持たないで>、悲しくても、忍耐強く、生きているようです。

大きな視野で眺めていると、その事が幸せだとは、言いません。

ですが、人間はどんな状況に置かれるか、常に、不透明・不確定・不確実ですね。

 宿命、運命、天命、の中などで生きているだけですよ。

この3つの{命}に翻弄されながら、人は一生懸命に生きているのです。

例え、何時、何処で、どんな時期に、どんな環境に、自分の{命}を投げ込まれても、誰に文句を言っても、どうにもなりませんよ。

精々、自分を此の世に誕生させた自分の親には、少しくらいの言い分はあるでしょう。

これも、場合によってですけれどね。

 

 確かに、ひどい親も居ますよね。

赤ちゃんを誕生させたが、置き去りにするような親も居る訳ですからね。

また、置き去りにはしなくても、育てる過程で子供達を上手に育てる事が可能か、どうかでもある。

 時には、子供への虐待なども、有るのは、全ての人達が知っているところである。

そんな子供達が、大人になった時に如何に自分の人生を、世の中で生きるのに適応できるのだろうか???

自分以外の他者を信用する事、信用してはいけない他者を区別する事など、自分の生き様と自分の心の中に、しっかりとした{眼差し}を持って養っておかなければならない。

 

 そう、確かに、人は、眼前の人達を、誰も皆を心から信用するのではなくて、「受容」、「妥協」、「共感」、「拒絶」、などなどについても適度に自分で判断する能力を自分の心の中に育てておかねば、ならないと考える。

 要するに、自分の信念が大切であるが、その信念が、客観的に誰が見ても、この人の考え方は駄目だと言う場合では、あまりにも問題があるでしょう。

 

 己の心の「器」がどれほど、大きいかですね。

心理療法」が大事です。

<<人生>>「社会適応」(13)

2008 年 2 月 6 日

 俗世間では、沢山の事件が起きる。

一見、充分に社会適応しているように見える人達が、随分と心の底では{葛藤=ストレス}を抱えて生きていますね。

 

 マスコミを含めた一応の心理学者??学校の先生達??が、事件を起こした人を知ると、どうして彼が??彼女が??事件を起こしたのか考えられないと言うのである。

 その事については、心の底を見抜ける{心の専門家}であれば、分かる筈である。

だが、カウンセリングだけを仕事としている専門家には、案外と人の<心のカラクリ>は見えないであろう。

そんな風に考えて、いる。

何故なら、自分の心のカラクリを見抜いている心の{専門家}でないと、他人の心の{カラクリ}も見えない筈であろう事は、間違いない。

 

 人は、普通は、自分の会話や行動については、今の自分の心によって動いていると思っています。

しかし、人は誰も、現在の行動と会話については、全てが、その人の生い立ちから~現在に至るまでの心が動かしていますね。

 全ての人には、{会話}と{行動}と{心}の三つしかないと言っています。

{心}が一番に、大切です。

幼い子供達から~大人まで、全ての人にとって<社会適応>できるかできないかは、{心}の持ち方次第ですよね。

人間として生まれて来てから、即ち、誕生から~滅するまでの生活の中で、全ての人達に{心}が一番に大切ですよと、繰り返して伝えざるを得ません。

 

 人間社会を生きる限り、自分の好きな事柄ばかりしておいて、気楽に生きられるかと、言われれば、それは100%無理な事でしょう。

俗世間を生きていると、必ず、自分の好き嫌いな事や物や事象に何度も出会うでしょう。

どんな環境も事象も人に対しても、自分の方から適応できる能力&技量&力量を持つ必要がありますね。

 最近は、学校でも<いじめや自殺>、<非行>、<登校拒否>、<各種心身症>、<各種神経症>、<うつ病>、などなどの異常行動や異常会話や各種疾患などが見られます。

学校社会から出てしまうと、人は原則的に幾らかの仕事をして<金銭を稼ぐ>など、しなくてはなりません。

そこには、嫌とか嫌いとか、自分の意見ばかり自己主張できません。

 

 人が、人間世界を生きる限り、{{妥協}}、{{共感}}、{{受容}}をしなくては、いけません。そこには、時には、自分の考えを抑制する必要もあるでしょう。

確かに生きていると、{{拒絶}}も大事な場合がありますが、その区別を出来る人間になっておく必要がありますね。

 

 自分の心を知る「心理療法」が重要です。

<<人生>>「社会適応」(12)

2008 年 2 月 5 日

 学問ばかりが、適応ではありませんし、人間って、本当に面白ですよ。

学校が終わった後に、また、塾で勉強とか・・、勉強、勉強で大変な時期もあります。

勉強ができなくても、一芸に秀でていると、それが、社会ですね、

大人の社会に出て非常に優秀な人間となり、有名な人間となる事が多々あります。

 

 人間の大人の世界では、学問は、学問で大切なのは言うまでもありません。

余分に、ですね、研究室に残って究極の専門の学問に熱中して有名になる人も居ます。

或いは、研究室にて随分と研究しても、最後まで<成果が上がらなかった>など、そんな人も居ます。

 でも、その間、食事代に困らなかったら、{良し}とするべきでしょうし、それでも良いと確信しています・・・。

人によっては、後悔して立ち直れない場合もあるでしょう。

自分を悔やんで、ドロップアウトする人も居ますよね。

 

 スポ―ツ界にも、小さい頃から特訓を受けて、普通の一般人よりも遥かに素晴らしい人生を、頑張っている人達も居ますね。

スポ―ツでは、特に、野球、サッカ―などが、金銭的には、大人になって直接の収入につながるようですし、現実、遥かに{{大金}}を稼いでいる人達も多いです。

他に、卓球とか、スキ―とか、スケ―ト、テニス、バレ―、バスケット、柔道、などなどのような社会でプロ化されたスポ―ツは、一般的に収入に繋がりやすいようです。

 野球や、その他の特殊なスポ―ツでは、社会でも大変な厳しい練習を必要とします。

どちらかと言えば、スポ―ツに打ち込む人達ほど、勉強の方は<辛い環境に立たされ>ますね。

まあ、そんなに勉強しなくても、長い目で人生を見ていると、人対人、人対環境への適応が出来れば、即ち、社会の一般常識があればいいわけですね。

 

 そんな一般常識も、幼い時に、母や父や兄弟姉妹などとの、心の交流がどれほど上手に出来ていたかで、決まってくるものです。

学校生活も、学校の社会ですよね。

 人の心って、見えないものですから、問題が顕著になるまでは、普通の人達は気づかないですよ。

見る人ですね、子供達の行動や会話をプロの人が見ていると、その子供達の心の底に流れる、別の心を見抜く事が可能でしょう。

どちらにしても、親も子育ては難しいが、親の下で育つ子供達も学校生活で成長して行きます。

一方で、家庭生活の中での子供達の生活を、子供達自身が見つめておかねばならないのですが・・・。

人間が此の世に誕生する事を、<苦の世界に生まれて来る>と言う表現もあります。

 

 育つ子供達が、苦を払いのける力量を持つために「心理療法」を体験しておくのが重要でしょう・・・・・・。

<<人生>>「社会適応」(11)

2008 年 2 月 2 日

 義務教育を終わってから、どう生きるかでしょう。

そのまま、人間社会に入って、働きながら幾らかの金銭を得て生活する事になります。

社会に出てからも、人の生き様は、数えられない程、沢山ありますよ。

まだまだ、義務教育の後も、学校に行く場合ですね、

高等学校や大学や大学院などもあります。

時には、専門学校に行く事もあります。

 

 今、社会適応について話していますが、ここでは、お金もちになるのが、{社会適応}だとは、当方は全く考えていません。

とにかく、社会で住むには、社会と言えば、学校も社会ですよ。

学校社会、人間社会で生きるのに、人間は一人では生きる事はできません。

学校生活、学校の社会生活では、やはり、自分に決められた役割がありますよね。

先ずは、ある程度の勉強、スポ―ツ、その他、音楽や習字や絵画や、習い事にも色々とあります。

学校によっては、普通の学校とか進学学校など比較すると、内容が少し違う事もあるでしょう。

 

 適応から、考えると、朝起きて学校に行く、昔ならば、今でも、そんな人は居ると思いますが、朝になると、学校に行く前に、新聞配達とかのバイトをする人達もいます。

また、特別なスポ―ツをやっている人達は、毎日、朝にトレ―ニングをしている人達もいます。

 学校では、忘れ物をせずに行く、学校で喧嘩やいじめや非行や学校内暴力などを、しない事は当然の事でしょう。

中には、忘れ物をして行くと授業に困難となりますし、先生の話もある程度は耳を傾ける必要があります。

他の生徒と雑談したり、大声を出したりするようなら、他人に迷惑をかけるので、学校生活に適応しているとは言えません。

学校での先生や生徒間での挨拶や、ル―ムの掃除などもあるでしょう。

給食があれば、食べ物で好き嫌いなどが、あってはいけません。

学校の部活での、他人や先生との<心の交流>なども、普通通りなのかですね。

 学校が終われば、最近は、誰もが学習塾に行っている場合が多いですね。

そんな塾ですね、誰の希望で塾に行っているのか、行きたくないけど、親が無理やりに行かせているとかでは、そう感じているのならば、ストレスになります。

 

 一見、真面目に見えても、勉強の成績が優秀でも、その人の心の中に{{歪}}を抱えていれば、いけません。

 子供ながらに、心の中では、見栄と虚栄心、優越感と劣等感がこびりついていて、唯、劣等感を隠すための学業成績優秀では、後々に困るでしょう。