‘身代わり不可症候群’ カテゴリーのアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)4

2009 年 7 月 6 日 月曜日

 相手の立場になり考える、「身代わり・・」、「身代わり・」、これが最高に大切でしょう。

自分の事柄にだけ執着すれば、非常に人生を見る視野が狭くなるので、生きる事そのものが疲れます。

じっくりと、自分の{生い立ち}から~~生きて来た現在までの{心}を眺めてみると、自分の幼い時の【失敗】などが、沢山と見えて来るようになり、自分の考え方が足りなかった、もう少し上手にここまで生きる事ができたのではないかと、気づいてきます。

これが、大事なのです。

 

 人間世界を生きるのに、自分一人で此の世を生きているのではありません。

自分が居て、他者が居る。

他者が居て、自分がいる。

上記、どちらの考え方も正しいのですが、他者が居て・・・自分も生かされているのだと感じるのであれば、立派です。

皆が、こんな考え方は、なかなかしません。

そう、{{相手の立場}}になって、物事を考えないのです。

どんなに{{相手の立場}になって考えてあげて下さいと、当方から、お願いしても、全然と、この言葉が伝わらない人達も居ます。

 

 相手の立場になれない、「身代わり不可・・・」、「身代わり不可症候群」と言っても間違いないです。

この意味が理解できない人は、必ず、人生を歩む過程で、人生の壁に衝突するでしょう。

さもなければ、自分がしらない間に、他者から間違いなく歪な眼差しで<<自分を眺められて>>いるでしょう。

歪な眼差しだと、言っても、他者の眼差しが歪なのではありません。

真実には、逆に、自分の眼差しが<<歪・歪・歪>>なのです。

もっと、人間世界を知る事、更に、地上の世界を知る事ですよ。

 

 政治家や官僚の人達ほど、案外、自分の心を見ずに、自分の外側だけを眺めるようです。

彼らも、「身代わり不可症候群」の人達が、沢山とみられるようです。

立場上で、無意識的に人格は横柄となってしまいます。

相手の事柄、他者の困る事柄など考えずに、自分の得をする事柄だけを考えるようになっている人達もおられます。

人格の脆弱の人達も、こんな風な人生観を持っている人達が多いです。

自分の事だけが、中心であって、それ以外は、どうでも良いのです。

他者が、どんなに苦労しようと、自分さえ良ければ、それで良いと考えるから、人生を生きるのが難しくなります。

相手の立場に立つ、他者の立場に立つ、それができない「身代わり不可症候群」の人では、生きるのが難しいです。   

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)3

2009 年 7 月 3 日 金曜日

 人間が此の世に誕生した以上は、誰にも悪口を言われずに、自分の一生涯を終わる事はできないでしょう。

誰かから悪口を言われて死ぬのが、人間の「定め」かもしれません。

「見栄」と「虚栄心」が有ると、言う人が沢山と居ます。

このような人達は、本当は、立派な人ではありません。

こんな意識を抱えている人達は、未熟な人達です。

そんな考え方は、生きるのに邪魔になるから<<その思いは捨ててしまったら>>なんて助言するのですが、誰も皆が<<捨てられない>>と答えます。

 

 「見栄」や「虚栄心」を持つ事が、イコール・・「劣等感」となってしまいます。

「劣等感」は人間の人生を飛躍させるバネになるだろうと言う人も居ますが、このような人は、自分に劣等感が有る事に気づいていない方も居られます。

人生を気楽に生きるためには、「劣等感」なんて本来的に<<人生の飛躍>>にはつながりません。

「劣等感」を捨てるなどと、言っても、本当に捨てられません。

また、大事な事は、「劣等感」を捨てた人は、人生を気楽に生きる事が可能なのです。

言い変えれば、「天」と「地」がひっくり返ったような気持ちで生きられるものです。

 

 相手から、周囲から、自分&自分の事を良く見られたい、などと考えるから「劣等感」になってしまいます。

逆に、相手の立場になって考える事、これが、人生で最大に重要です。

相手の立場になる・・所謂・・「身代わり」ですね。

相手の立場にたって、自分を見る事ができれば、最高でしょう。

殆どの人達が、相手の立場に立たずに、自分の立場から自分勝手に相手を非難・批評している場合が多いです。

批評くらいなら、まだまだ、良い方ですが、非難しては恨んだり嫉妬したりして、逆に、自分が孤独にもなってしまいます。

 

 誰も皆が、親も違うし、生い立ちも違い、現在まで生きて来た間に出会った人達も全部の人達が違います。

現在、眼前に居る人達と全部の考え方が同じだったら良いなんて、考えるとすれば、そちらの方が駄目なのです。

自分と「心」・「性格」・「人格」、などなど、合わなかったら、ゆっくりと相手の立場になって、自分を眺めてみる事なのですね、繰り返して伝えていますが・・・。

皆が、「心」・「人格」などは、違いますから、どうしても、相手の立場になって考える能力は重要です。

重要ですと、言うよりも、人間世界を気楽に生きるのであれば、「身代わり・・」は当然と理解すべきでしょう。

「・・ネット心理療法」の試みで、OKです。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)2

2009 年 7 月 1 日 水曜日

 人間個人が、この世に誕生した以上は、自分一人の個人だけでは人間世界を生きる事は出来ません。

絶対に、他者と一緒でないと人生を生きる事はできないのです。

誕生して来る事そのものが、「「奇跡」」ですが、その事さえも真剣に考える事が無いですね。

隣人が、自分の傍に居る事でさえ、「「奇跡」」でしょう。

現実には、たまたま、その隣人が傍にいただけです。

運が悪ければ、もっと変な意地悪い人間が傍に居たかも知れません。

 

 人は、それぞれ、自分の考え方を持っており、他者と同じ考え方を持った人は居ません。

同じ様な考え方の人は、居るでしょう。

それでも、<<様な・・様な・・です>>ね。

{{様な・・ですが、・・・何処かが誰の心}}も異なっています。

要するに、他者の心の立場に立ってから、物事を考える、考えてあげる能力を自分が持っていれば、自分の人生を生きていきやすいのですね。

人間って、大変です。

単に。相手の立場に立って、ずっと耳を傾けるだけでは疲れます。

そこで、大切な事は、時折でも良いですよ。

自分の気持ちを、聞いてもらえる相手が必要なのです。

そんな心を持った友達が、欲しいですね。

 

 自分の心・気持ちを理解してくれる人は、相手が自分の立場に立って理解してくれていますからね。

相手の気持ちも聞いてあげる事が、大切ですね。

相手の気持ちを、心良く聞いてあげれば、相手の立場に立って聞いてあげている事になるでしょう。

互いに、「身代わり」が出来ているのですね。

人間世界を生きるのに、自分だけの心・考え方が通用する事は絶対に無いでしょう。

目前の他者、見えるも見えないも、他者の心を「共感」できる人であって欲しいです。

「共感」、「妥協」、「受容」、「拒絶」、などなど、その場、その場で自分の考え方や気持ちを変える能力が重要です。

 

 相手の立場にたって、物事を考える能力が重要ですが、その上で、自分の心も磨いておく事で、必ず、目前の他者の心に<<同意する、共感する>>だけでなくて、時には、絶対に「拒絶」する能力をも持っておく必要があります。

必ず、相手に「共感」、「同意」、「賛成」などをしなければ、ならないのでは有りません。

自分の心を磨いておいて、相手に「共感」する時は、「共感」しなければいけません。

「拒絶」、「不同意」、「反対」をしなければ、駄目な時もありますが、自分の心を如何に切磋琢磨できているかです。         

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)1

2009 年 6 月 30 日 火曜日

 人は誰もが、自分の考え方は正しいと思いながら生きております。

目前のもの、人や状況や環境や現象、などなど、全てを自分の判断で考えて解釈しています。

自己中心的に、生きるのです。

一般の俗世間においても{{討論会}}なるものがあります。

皆で討論と言っても、社会生活の中で意識&認識の高い人達とか低い人達などが居ます。

こんな場合では、{{討論会}}にはならなくて、{{勉強会}}&{{研修会}}などになっていくでしょう。

 

 生活水準が高いとか低いとか言っても、全ての人間は<<自分の考えている事、思い方が正しいと思っています>>から、そばから注意や助言されても<<自分の考え方>>を変えませんね。

人間社会と言うか、人生について<<殆どの人達は、理解できて>>いません。

自分の欲しいものが<<手に入らなければ>>、それは自分の生活パタ―ンですから、万一に、どうしても欲しいものなら、自分の考え方を変えて努力&精進をしなければ、今の自分の生活よりも良い生活には出来ません。

当方、繰り返しますが、金銭とか名誉とか誰も欲しいものではあるでしょうが、大事な事柄は人間の持っている「「価値観」」の問題です。

 

 「「「自己とは・・・・???」」」などの言葉が有ります。

自分とは、一体に何者か、自分とは一体にどんな人間か、そんな自分を知る言葉でしょう。

だが、貴方は・・こんな人間ですから、考え方を変えたら如何ですかと聞いたところで、立腹さえしても、感謝をして、自分の気持ち&考え方を変えましょう、などと答える人は居ないでしょう。

悩み苦しむ人達に、貴方の考え方が悪いから、悩むのです・・・なんて言っても・・どうしようも無いですね。

悩んでいない人達でさえ、例えば、うつ病の人達でさえ、悩む、悩まないにも関わらずですね、どんな人達も他者の助言を受け入れません。

 

 人間社会を生きるために、どんな人達も、相手の身・心・・立場になって考える、・・・相手の立場から自分を眺めてみる、これが最高に大事です。

自分と相手の立場を入れ替えて、物事を考える事が、人生を生きるのに大切なのですが、相手との立場を入れ替える・・・その事が、どんなに説明しても理解できない人達が意外と多いですね。

そんな人達は、自分の人生で<<一生のこと、悩む>>でしょうから、心の治療を受けておくべきです。

「インタ―ネット心理療法」でも、十分です。      

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追加編)6

2009 年 6 月 8 日 月曜日

 相手の立場になって、自分を考える、なんて言いますが、そんな自分になるのは、口で言う程に、簡単ではありません。

大脳の奥深い、海馬と呼ばれる場所は、記憶装置と言われています。

自分の誕生した時から、いや、自分が母親の胎内に居る時から、記憶は組み込まれていると思われます。

誕生してから、新生児~乳児~小児~~~~などと次第に成長しますが、全ての年齢で当人の<<目前の状況や人間関係の心の交わり>>を受けとり、その受け取り方の{{違い}}がそのまま大人になっても続いていきます。

 

 相手の気持ち、自分の置かれた状況や環境などに対して、「共感」、「受容」、「妥協」、「拒絶」、などなど、どんな考え方を沢山のこと持って育つかが、その人の「心」・「人格」の分岐点でしょう。

幼い時から、エゴイスト、ナルシスト、そんな気持ちの多い状態で成長すると、成人になっても眼前の状況を肯定的に<<受け取れません>>ですね。

どうぞ、此の世、人間社会を生活するのに、自分だけが<<得をしよう>>なんて考えないで下さいませ。

相手の立場になり、相手の気持ちをも気づかってあげて生きる事です。

自分だけが、<<得をして>>相手は関係ないよ、と言うのでは如何ともしがたいです。

 

 地球上で生きる事、人間社会で生きる事、俗世間で生きる事、或いは、生態系の自然の中で生きるにしても、全てにおいて、相手の人間や相手の動植物がいる事、相手の立場になる事、など・・・・こんなに説明しても、聞かされても、勿論、じゃあ、理解しました、なんて答える事ができる人達は少ないでしょう。

人は誰もが、幼い時期から、自分が<<得をしたい>>と考えて成長します。親からも、教育されます。

しかし、これも程度の問題があります。

少し、自分の心について、自分の過去を自己洞察すれば、自分が如何なる人間かを理解できるでしょう。

 

 相手の立場になって、相手の事を考えてあげる、相手の立場に対して<<自分が変化して考えてあげる>>、などが理解できるべきです。

本当に、真実に、相手の立場をも考えてあげる能力の無い人達は、人間世界を生きるのに困難となって、次第に周囲から{{疎外されて}}しまいます。

きっと、自分の楽しい人生はありませんし、全てを失ってしまいます。

自分が<<得をする>>事だけを、考えない。

相手の立場にたち、物事を判断できる人間になっておくべきです。

相手の立場に、なってくれない人も、時折、見ますが、心理士としては悲しいです。

「身代わり不可症候群」と言って、おきます。