‘身代わり不可症候群’ カテゴリーのアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群4・・・悩まないために

2011 年 9 月 13 日 火曜日

 此の世に誕生してから、多くの場合では、母親から育てられます。

勿論、母親も父親も居ない場合もあります。

子供が出来たら、直後から、去って行く両親も居るものです。

また、父親が居なかったり、母親が居なかったりと、色々な場合が有ります。

そんな子供達は、確かに、自分のル―ツが不明確なので、常に{{こころ}}は不安に晒されます。

 

 何で、親の代わりに自分を育ててくれた人に感謝をすれば良いのではないかと、思う人達もいます。

だが、人間の{{こころ}}はそんなに簡単なものではありません。

自分を此の世に誕生させた{{親}}の顔を知らないと、随分と悲しい思いをするものです。

そんな悲しい思いが、「「無意識」」の中に溜まりこんでしまい、離れない場合もあります。

自分で此の世に自分を誕生させた人間の顔を思い出そうと考えようとすればする程に、自分の{{こころ}}にストレスは溜まります。

 

 何度も繰り返しますが、人間は、此の世に誕生して、自分は{{天から生まれて来た、天から命を授かったものと思いたくても、なかなかと生態系に事実と異なった事を受け入れようと考えても、無理ですね・・・。

人間の「「命」」が、天から誕生する筈もありませんからね。

それでも、自分の「「誕生」」を受け入れて納得する人は、居ませんからね。

両親が、本当の母と父で、人間として誕生しても親のちょっとした「「会話」」や「「行動」」や「「こころ」」の有り方で、赤ちゃんのうちから{{両親}}に対して、「「不満」」や「「不平」」や「「悲しみ」」や「「恨み」」を溜め込んで育つ人達も居ます。

 

 この頃の「「マイナスのこころ」」が、自分が成長する過程で消えて行くのが最良なのですがね。

昨今では、親にも沢山の親の歪な{{こころ}}が有りまして、子供達は苦労もします。

親は、子供達に対して、完全なる親を演じれば最高なのですけれどね。

親には、親の自分の考え方がありまして、自分の好きなように生きる親が多いです。

子供達の立場に立って、子供の気持ちで、親の自分を見つめると、結構と簡単に自分の{{こころ}}を変更しないといけないと理解できる筈ですが???。

 

 子供は小さい間は、なかなか、親の立場にはなれません。

大きくなってから、自分の親の立場になって下さい、などと言っても、親の気持ちを理解できる子供達は少ないです。

「「心理療法」」の体験なしでは、どだい無理だと言っても間違いないでしょう。

「「身代わり不可症候群」」などの状況が続けば、本当に悲劇だけですからね。

自分の{{こころ}}を点検しながら生きる事が、凄く大切でしょう。

どうぞ、「「身代わり不可症候群」」の意味を理解して下さい。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群3・・・悩まないために

2011 年 9 月 12 日 月曜日

 沢山の人達、全ての人達と言っても良いでしょう。

「「劣等感」」が自分の頭に入っていて、誰もが、自分の頭から取り除こうとしますが、消えて行かないのです。

「「劣等感」」を除去する方法を教えてあげても、理解をしてくれずに、当方の話している「「心理療法」」を体験してくれません。

 

 「「劣等感」」は、何処から来るのでしょうか・・・。

当然に、誰もが、自己中心的に自分について考えているからですよね。

皆が自分は「「良い子」」、「「良い人間」」などと考えて生きるものです。

己を捨てて、此の世を生きるのが、最高に気楽なのですが、そんな簡単な事を人間は誰しもできないのです。

常に、自分を大事に考えない事、自分以外の他者を大事に考えてあげる事も考えてあげるのです。

 

 「「欠乏欲」」を減す事は、案外と難しいですよ。

人間の一番に強いものが「「欠乏欲」」ですからね。

自分の心身の「「劣等感」」は、「「自惚れ」」や「「自己顕示欲」」などが強いと自然に悲しい惨めな{{こころ}}も湧いてきます。

相手の気持ちを常に考えることができない事、「「身代わり不可症候群」」と言って、自分以外の相手の立場にはなれない人たちで、此の世は大変ですね。

時折、人生を気楽に生きている方も居られますが、でも、そんな人達は本当に少ないです。

 

 此の世には、「「不安障害=不安神経症」」・「「パニック障害」」・「「強迫神経症」」・「「うつ病」」・「「非行」」・「「暴力」」・「「衝動買い」」・「「シンナ―依存」・「「覚醒剤依存」」・「「犯罪」」、その他の心身症まで話をしますと、こんな人達の全ては「「身代わり不可症候群」」の人達です、ね。

自分の事ばかり考えて、他者の言う言葉や行動を理解してあげる{{こころ}}を持っていません。

「「身代わり不可症候群」」の人達は、本当に大変です。

人間世界を生きるのに、確かに{{自分が一番に大切}}ですが、その大切にする程度にもよります。

 

 どうぞ、自分の周囲の人達も幸福になれるように、考えて生きる事も大切ですね。

そう、人間として此の世に誕生した以上は、好きも嫌いもありません。

嫌いでも、何とか生きるしかありません。

そして、此の世を生きるためには、誕生してから、自分以外の他者と一緒に生きる事になっています。

人間は、一人で孤独に生きる事も苦手ですね。

集団の中で、他者と気持ちを合わせて生きる事が大事です。 

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群2・・・悩まないために

2011 年 9 月 8 日 木曜日

 前回に、「「四苦八苦」」などと、言いましたが、これらについても{{からだ}}と{{こころ}}と関係しているのです。

当方が詳しく説明しても、多分に、皆様方は、何で???なんて言われるでしょう。

「「四苦八苦」」・・・小さく記載しますと、「生」、「老」、「病」、「死」などと言いまして、これが「「四苦」」です。

 

  「「生」」・・生きとし生けるものは、全てのものは、時間とともに滅して消えて行くのだと、考えても、そんな自分の現実を受け入れる事は不可能でしょう。

人間の「「命」」とは、そんなものですが、ね・・・。

どんなに、自分は此の世に{{未練}}を残して、まだまだ生きていたいと考えても駄目なものです。

だから、病気で死亡して逝く場合、最近では、家族や知人や見知らぬ人の「「臓器」」を戴いて生きていたいと考える方達も沢山と居ます。

{{臓器提供}}の話に、なってしまいますが・・・。

そこまで望んでも、どうにもならない、絶対に不可能の場合が沢山と有ります。

 

 「「生」」、人間のみならず生物の「生」は一度限りのものです。

同じような物が出て来ても、現実には、全てが違うものです。

子供や、或いは、他人が、誰かの身になって「「命」」を手助けしたいと考えても不可能です。

本当に真実に、「「身代わり不可症候群」」の状況です。

「「生」」でさえ、誰かと入れ替わるのは、不可能ですね。

唯、一度の人生であり、「「生」」だけでなくて、「「脳実質」」でさえ入れ替えは不可能です。

そう、一部の{{からだ}}でさえ、「「身代わり不可」」です。

 

 当然の人間の「「生」」についてです、ね。

何気なく、あまり関心を持たずに、人間は自分の人生を生きています。

悲しいとか苦しいとか、或いは、喜んだり哀しんだり、その時に応じて人間は{{からだ}}と{{こころ}}を使いながら生きています。

日常生活でも、全然と、自分の生き様についてさえも考えません。

自分は、真面目な人間か、不真面目な人間か、他者から喜んでもらえる人間であるかを、きづかないままで生きているのです。

 

 {{臓器提供}}はさておいて、人生の「「生」」は、今の時間だけですからね。

誰も皆が、此の世に誕生した以上では、人間は、ある意味では、あまり変わらない人生の道を歩いているとも言えます。

「「生」」・・・きっと、二度とない人生ですから、大切にして生きる事です。

「「生」」・・・「「生」」・・・誕生した以上では、皆が同じ時間しか持つ事ができませんから、確認しておいて下さいませ。  

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群1・・・悩まないために

2011 年 9 月 5 日 月曜日

 人間社会には、沢山の病気の人達が居られます。

人間に付き纏うものは、「「四苦八苦」」と言いまして、殆どの人達は{{こころ}}の勉強をしないままで、悩みながら苦しみながら生きているのが、現状でしょう。

 何故、悩むかです、ね。

だが、これは、後回しにしまして、最初は、人間には{{からだ}}と{{こころ}}の両方が有ります。

いずれにしても、人間は、如何に偉そうに賢そうに「「自惚れて」」も、やがては、必ず、自分の思う通りにはならない「「時間」」が訪れて来ます。

 

 先ずは、{{体}}について、人間の寿命ですね、日本と各世界の国々では「「平均寿命」」も違います。

これは、「「平均寿命」」が長いからと言って、あまり自国の「「誇り」」と思うものでもありません。

 何故でしょうか、ね。

そうです、国々の財政&経済状態とも「「平均寿命」」は少なからず関連してきますから。

人間の体は、何歳で使い物にならなくなってしまうのか、幼い時に決定できません。

面白いです。

一人の人間を、強固に医学管理をすれば、105歳や110歳まで生きる事が可能かどうかでしょう。

 

 絶対に、人間の「「寿命」」を、外側から決定的な管理をできないのです。

自分の「「生命」」は、自分の「「生命」」であって、他人と入れ替わる事は出来ません。

それこそ、「「身代わり不可症候群」」であります。

相手の方が、大事な人で、今、死ぬ状況にあるので、自分が入れ替わってあげたいと考えても、100%不可能です。

 「「身代わり不可」」です、ね。

肉体的には、100%不可能です。

だが、肉体的にも、他者と気持ちだけは「「身代わり可能」」の場合もあります。

これが出来れば、自分の悩みや苦しみも、少なくなる筈です。

 

 時には、自分の尊敬する人とか、自分の子供とか、或いは、自分の親とかですね、「「死に別れ」」とか「「生き別れ」」などが有ります。

「「生き別れ」」でさえ、随分と悩んだり哀しんだりする「「機」」も有ります。

 人間は、一人では孤独ですから、いつも誰かと一緒にいたいのが本質的な「「欲望」」でしょうからね。

何事も恵まれた状況では、全てに対して、人間は自分の「「欲望」を満足させたいものです。

此の世では、肉体的には、絶対に不可能な「「身代わり不可」」でさえ、希望する場合もあります。

{{こころ}}の「「身代わり不可症候群」」について、すこしずつ記載しましょう。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)10

2009 年 7 月 27 日 月曜日

 昨今では、新しい言葉が巷に出て来ます。

「草食系男子」なんて言葉が流行??? そんな言葉がありますね。

色々と何とか仕事などは出来るが、{女性に興味を示さない男性}とか、言うそうです。

一見、その意味は正解に見えますが、真なる彼らの心は、もっと{根が深い}です。

そう、見かけだけの意味で「草食系」だと言うのであれば、まあまあの表現でしょう。

彼らの深層心理については、沢山と心の学習をしている人でないと、気づかないでしょう。

特別に、「心理療法」に長く関わっていないと、理解が困難ですね。

 

 彼等は、女性に興味を持っていないのではなく、大変と女性に興味を持っています。

沢山の興味を、持ち過ぎていますが、つまらない「見栄」と「虚栄心」が強すぎます。

それ故に、女性と話しをしたり、接触するのが怖いし、何よりも「拒否」が恐怖です。

沢山と女性には興味を持っていますが、「拒絶」されることでの自分の{人格崩壊}が恐ろしいのです。

 

 女性を如何に口説いて、如何に体まで触れる事ができるかと、365日、朝も昼も晩も夜中も何時も女性の事を考えていますし、悩み苦しみの毎日でしょう。

女性の心を、全く読めないのですから、<<心の交流も体の触れ合い>>も出来ません。

女性との話も出来ませんし、他者から見れば、彼等は女性に興味が無いと思うでしょう。

確実に、上辺だけの話は出来ても、本音で語る{異性の話}は、全然と出来ません。

恥をかくのが、怖いです。

 

 男性で、心底と<<女性が嫌いな人>>は居ませんし、これは、女性にも同じです。

好きで、好きで、どうしようもないのですが、残念ながら、如何に<<異性と話>>をして口説き落としていくかが、出来ません。

女性の心を、知っていません(女性については、男性の心を知っていません)。

何処まで、女性が欲望を抱えているか、何を望んでいるのか、理解でません。

また、普通では、一般の人達が理解できない程の「身代わり不可」の状態の人で、{{凄く気持ちの小さい人}}、こんな人達を{草食系男子}なる人物と表現しているようです。

 

 厳格に判定すれば、女性が欲しいが、如何に女性をもてなすべきかが理解できていませんから、とにかく、彼らは<<どんなに異性が欲しくても>>「会話」と「行動」で表現できないし、所詮、「心」の問題です。

 男性だけについて、言えるものでもなく、女性にも沢山と見られます、所謂、{草食系女子}と表現できる人達が多く見られます。

 

 当方、{草食系男子}などの表現と、女性に興味を示さない人達だと言っている解釈が<<間違っている>>と考えています。

いずれにしても、男性にしても、女性にしても、{草食系男子}、{草食系女子}、などの人達は「身代わり不可症候群」と言っても間違いないし、社会適応に困難な<<心の状況>>です。

仕事や適当に集団の中に居ても、彼らの心の中身は、幼稚すぎて何時も<<大量の心の緊張>>は続いています。