‘身代わり不可症候群’ カテゴリーのアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群9・・・悩まないために

2011 年 9 月 22 日 木曜日

 自分が誕生した時に、母親がいなくて、父親のみの場合もあります。

父親の顔を知らない場合も、人間として大きな{{こころ}}の問題を抱えてしまいます。

勿論、父親の顔を知らないだけでなくて、父親が如何なる人間であったかも知りたいものです。

前回に記載しましたが、人間も「「回帰本能」」を抱えているものとも思われます。

 

 母親の顔や行動や会話や{{こころ}}を知らない事が、子供達に強大なストレスを残す事を、普通の庶民の人達は知っていません。

同じ様に、父親についても、一緒の事実なのです。

兄弟姉妹についてさえも、その様な兄弟姉妹が居たのに、自分には分からないなどと思うのでさえ、ストレスになるものです。

興味深いのは、どんなに、祖父や祖母に可愛がってもらっても、実の母や父を知らない、或いは、本当の親から育ててもらわない場合では、ストレスを溜め込む事になるでしょう。

 

 残された子供達(大人の場合も同じですが・・・)から、自分を此の世に送った実の親の状況も考えてあげて下さいと伝えても、難しいものです。

それほどに、誰にでも、「「身代わり」」が出来るものでもありません。

ここでいう、「「身代わり」」とは、自分の知らない母親の{{気もち}}も理解してあげて下さいとか、知らない父親の事を理解してあげて下さいとかですが、言われても難しいですよね。

例えば、年齢を重ねて、随分と立派な人として生きているのですが、自分が幼い時に、母親が男性と{{駆け落ち}}して逃げて行った事に対して、納得できないままで大変なストレスを抱えて神経質になったまま悩んで生きていました。

 

 沢山の読書や修行など重ねて来たが、{{こころの葛藤}}は取り除く事が出来ませんでした。

「「内観」を体験しながら、自分の母親の気持ちを充分に理解してあげたのでした。

母親の{{駆け落ちのこころ}}を理解できたので、凄い体験ですよね。

即ち、母親への「「身代わり不可症候群」」から、「「身代わり」」へと気持ちが変わって行ったのでした。

この気持ちの変化が最大に、重要です。

この時から、神経症や心身症や強迫症状が治癒していったのです。

 

 此の世にて、事件や犯罪などを起す人達は、必ず、自分の生い立ちの過去の中に親への{{こころの葛藤}}を沢山と持っていますので、真実なる自分の{{こころ}}を確認して下さいませ。

「「劣等感」」も「「優越感」」も無くなってゆきますし、マイナスの{{こころ}}は消えて行きます。

此の世を生きるには、必ず、「「身代わり」」できる人間であって欲しいものです。

「「身代わり不可症候群」」の人にだけは、ならないで欲しいと考えている人間であります。

どうぞ、皆さんがこの「「身代わり」」の話を注意しておいて下さいませ。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群8・・・悩まないために

2011 年 9 月 21 日 水曜日

 自分の「「生い立ちから現在に到るまでの気持ち」」が、全ての自分の「「会話」」・「「行動」」・「「現在のこころ」」を操作しております。

生い立ちから、自分が「「身代わり」」で生きて来たかと言われれば、そんな方達は誰一人も居ないでしょう。

そこで、今回は、明確に説明をしますが、素直になって自分を確認する事が大事です。

「「生い立ち」」から、「「身代わり」」と言えば、解釈が難しいかも知れませんね。

でも、凄く大切ですから、少しながら考えて下さいませ。

 

 皆さんは、自分の目前と近未来だけを考えて生きているのが、現実でしょう。

人間は、そのような生き方をするから、悩んだりもするのです。

何時も、当方が言っているのですが、{{人間は、必ず、死ぬる}}、{{自分も、必ず、死ぬる}}のだと自覚するのが大事です。

余程の事、「「運」」が悪ければ、自分が此の世に誕生した時には、既に、母親が居なかったなどの場合もあるのです。

現実に、そうなっていますと、此の世に誕生した{{自分のル―ツ}}が、ある意味では、不透明でもあります。

 

 自分の母親の顔も知らないし、どんな人間だったのかも、全然と分かりません。

考えるのは、自分が此の世に出されてしまったのに、母親の「「顔」」も「「姿」」も見えないのです。

そんな事って、誰にも悲しいものです。

例えば、自分との「「別れ」」が、{{死に別れ}}なのか、{{生き別れ}}なのか、また、{{生き別れ}}であれば、何故に、そんな{{生き別れ}}が有るのかも知りたいものです。

自分の本当に知りたい事実を、理解できないままで生きるには、確実に辛いものです。

 

 この事実は、誕生した人間の個人にとっては、{{生き別れ}}については、母親の生き方が如何なる生き方なのか、母親の性格や人格も知りたいものです。

どうして、自分を置き残して去って行ったのかが、残された人間の{{こころ}}の問題となるのです。

皆さんは、多くの人達が自分の事しか考えていませんので、専門的な{{こころ}}の問題、人間全体の生き様の{{こころ}}については、理解できていません。

 

 「「身代わり不可症候群」」についての話ですが、現実に自分の相手が「「身代わり」」になってくれない場合には、何処まで自分が先に相手の「「身代わり」」になれるか、どうかが最大の大事な状況です。

悩み苦しむ場合では、誰とも「「身代わり不可症候群」」」になっているものです。

面白いものですよ。

困っている人、悩んでいる人達の立場になって、「「身代わり」」さえ出来れば、人生は気楽なものです。

「「身代わり不可症候群」」の人間にだけは、ならないで欲しいと考えます。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群7・・・悩まないために

2011 年 9 月 20 日 火曜日

 多くの人達は、自分を中心にして、俗世間を生きるものです。

自分が、一番に大切なのです。

「「自尊心」」と言う、言葉が有ります。

私が、あまり好きでない言葉です。

何故かですね、読んで字の如し、です。

自分を尊重する「「癖」」だけは、持たない方が良いでしょう。

 

 自分を尊重するよりも、他者を尊重する気持ちを持つ事ですよ。

出来るだけ他者を尊重するよう、努力する、出来ないものは、恐縮です、などと、{{こころ}}の底から考える事なのです。

他者へ「「真心」」で、何かをしてあげる事、自分の出来る範囲の事をしてあげるのですから、出来なかったら、御免なさいと誤れば良いでしょう。

また、自分を一番に大切にすると、必ず、無理が生じるものです。

人間世界を生きるのに、自分が最高に「得」をするなんてありません。

出る釘は、打たれるものです。

自分が、必ず、損をする場合も有ります。

 

 そう、自分の周囲や、未だ、知らない人達の事柄も考えるのです。

立場を変える事でしょう。

相手の立場に立って、考える能力と力量を持つ事なのです。

相手の立場から、自分の立場を観察できるようになりますと、立派な人になるでしょう。

此の世を生きるのに、悩み苦しむ人達は、自分の事を一番に考えて「「得」」をしたいから、悲しい思いをする事になります。

自分を中心に、他人が回ってくれる筈もありません。

自分を中心に、太陽が回ってくれる筈もありません。

 

 とにかく、自分が脇役で生きられる事が、最大に重要でしょう。

だが、現実に、自分が楽しく生きる、{{こころ}}の葛藤を持たないで生きる{{策}}を教えても、なかなか人間は{{助言}}を貰っても、頭の中を通り過ぎてしまいます。

自分の体に染み付いていないので、矢張り、自分の考えを中心にして生きる事を考えます。

他者を尊敬する事が、大事ですが、多くの場合で、他者の悪口を言っても当然だと思う人達が多いです。

 

 自分を考えてから、「「私は、駄目な阿呆な愚かな、そして、悪人だと認める事」」ですね。

悩まない人間、になれますよ。

自分が駄目人間だと、簡単に、自分を卑下するのではないのです。

自分は本当に真実に「「愚かな人間」」だと認めると、他者からどんな{{悪口}}を言われても、立腹する必要も無いし、悩まない筈です。

相手の気持ちを考える事、これが「「身代わり不可症候群」」でしょう。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群6・・・悩まないために

2011 年 9 月 16 日 金曜日

 今は、少し夫婦別姓の話をしましたが、夫婦別姓などと言うよりも、子供の名前の中にですね、父親と母親の名前を一緒に取り込んで名前をつければ、問題は少ないでしょう。

でも、最初の子供達は、簡単にそれで良いと考えますが、夫婦別姓で何代も家族が子供達へ受け継がれて来た場合には、名前の「付け方」も難しくなるのかとも、思われます。

でも、本来的に、「「結婚」」の際に、夫婦のどちらの名前にそろえるかを、両者で夫婦で決定しておけば、それで良いだろうと思います。

 

 「「結婚」」にて、女性が、私の名前、私の「「姓」」にしないと結婚しないと言うのであれば、その時は、男性がそれで{{良い}}かどうかを考えれば良いでしょう。

互いに、何処かで{{納得}}して過ごすのが、結婚生活でしょう。

家庭の中で、互いが、自分の支配下に家族生活を運ぼうと思えば、必ずや、無理な面が出て来るでしょう。

現実に、北欧の国でも離婚が、80%を越える国も有るようです。

夫婦別姓でしょうが、離婚した後も、また、結婚生活をしている方達が多いみたいです。

それで、彼等が幸せだと言うのであれば、本当に{{幸福}}なのでしょう。

子供達は、そのような親を見て、育ちます。

 

 異性同士で、適当に、好いた、惚れたと、言いあって結ばれる事が良いのか悪いのか、これは、どのくらいに、「「事件」」や「「犯罪」」などが起こるか、起こらないのか、また、「「自殺率」」なども、明確に判定していかないと、明確な答えは出せません。

子供達の「「事件」」や「「犯罪」」なども、神経症、うつ病、心身症、なども含めて考える必要があるでしょう。

勿論、フリーター、ニート、なども含めて、世界のホームレスの人数なども、数える必要があるのでは、ないでしょうか。

 

 当方は、親への「「恩」」と「「感謝」」を感じる能力のある人達は、決して{{無様な生活}}はしないでしょうし、{{心}}の関係した病気にもなりにくいものだと、考えていますが、この事については、随分と長い間にわたり、「「心理療法」」に関わっていないと理解できないのかも知れません。

自分の親への「「恩」」と「「感謝」」を{{体*}}で感じる能力のある人達は、決して、自分の{{こころ}}を無駄にしないでしょう。

 

 親が、母も父も、自分の子供達に対して{{育てる能力}}を如何ほど持っているのかが、大切であり、親が子供と「「身代わり」」が必要で、「「身代わり不可症候群」」では駄目です。

子供は、親のロボットではありません。

だから、親が、子供達をどのくらい上手く育てることができるかどうかが、子供達の{{幸福}}に繋がるし、また、これが、親達の幸せにも繋がります。

どうぞ、親達が子供達を自分勝手に育てると、どんなに「「金銭」」や「「名誉」」を持っていても、駄目な子供、駄目な人間になるでしょう。  

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群5・・・悩まないために

2011 年 9 月 15 日 木曜日

 人間は、本当に「「自己中心的考え」」を持つ生物ですからね。

相手の気持ちを少しでも考慮できる人間であれば、あまり悩まないで人間世界を生きる事ができるのです。

俗世間で生きるためには、少しは自己中心的な考え方でないと、生きるのに苦労をします。

それは、間違いありません。

だが、あまりにも、そんな考え方が表に強く出て来ると、周囲の誰もが自分を相手にしてくれません。

 

 世の中を自分一人で生きる事なんか出来ませんので、時折にでも、他者の気持ちを考えてあげましょう。

そう、自分の子供達が居る場合であれば、親であれば、自分の子供達の{{こころ}}をしっかりと考慮しまして、子供達が一番に希望している事柄は「「何」」なのか、なども考えてあげるべきです。

ともすれば、親は親の考え方しか持たないのです((そこには、自分の親からの「「超自我」」が働いています))から、注意が重要です。

 

 親は自分の意志で「「子育て」」をしている積もりなのです。

ですが、現実には、子供が大きくなった時に「「苦労しない」」ようにと一生懸命に考えています。

そのような常識の{{こころ}}だと皆は思っていますが、なかなかと、親は自分の子供が成長したら「「賢い、偉い、有能な人」」になって欲しいと思っています。

何度も繰り返して話しますが、「「超自我」にだけは、親も注意が必要です。

 

 「「子育て」」においても、子供を誕生させただけで、一切と「「子育て放棄」」をしている親も見かけます。

一部の達は、自分の好き放題で自分勝手に生きるだけで、食事さえ食べさせれば、それで良いと考えているのです。

恐ろしいです、・・・子育てに全く関心を持たないで自分の好き放題に夫とも別れて次の男性と一緒に住んでいる人達も多いです。

男性が、子供を引きとって育てる場合の方が、少ないですね。

 

 こんな子供達が真面目に育つかと、問われれば、大変に難しいです。

日本の国の全体像が、まだまだ、離婚が当たり前の世界にはなっていませんから、ね。

当方、「「夫婦別姓」」を100%駄目だと言う積もりはありませんが、でも、そんなにしますと、暫くの間は、良く言いますが「「過渡期」」ですね、日本の国でも歪な子供達が増えるでしょう。

そう、自分の名前を母親の、或いは、父親の、どちらの「「姓」」にするのか、などと子供達は大変に悩みます、どちらの「「姓」」にするかで、ですね。