‘身代わり不可症候群’ カテゴリーのアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(3) コラムより

2011 年 10 月 1 日 土曜日

 本当のところ、人生を生きるには{身代わり可能な人間}になって欲しいと思います。

人生を生きて行く上で、心の葛藤を感じてしまうのは、自分の事だけを中心に考えているからなのです。

 本来的に、人は自分の心を探索しようとしません。

この様なところから諸々の問題が生じて来ます。

自分の心を見詰めないと、駄目なのですね。

格別に人生を有意義に過ごそうと考えれば、必ず自分の潜在意識と無意識の中にある心を可能な限り知っておいて下さいませ。

 

 しかし、自分一人で「自分の心」を探し「自分の心」を正確に把握する事は困難です。

“自分は、しっかりと自己探求している”と自己主張する人を時折見ることもありますが、所詮<殆ど心の世界については学習していない人>である様に感じます。

 何度も述べていますが、人間は、自分の眼の前を眺めて、自分に都合の良いもの、自分の好きなものを追いかけます。

これが一般的な人の生き方ですし、当然でもありますね。

しかし、自分の思う通りに人生を生きようとすれば、時には自分以外の他者の気持ちを踏みにじり、自分の意志を通そうとします。

 

 欲望の塊、「これが人の心なのか?」とさえ、思わされる場合もあります。

自分を中心に世界が回って欲しいと考える、さもないと心が治まらないのです。

悔しさ、無念さも込み上げて来ます。

妬み、嫉妬、悲しさ、淋しさ、孤独感、不平、不満、怨念なども溜まり、マイナスの感情が膨らんで来ます。

 自分の欠乏欲は、時と場所を考えて減じる事が大切なのです。

<思うがままとならない>ことが人生です。

人間世界に自分一人が住むのではありません。

自分以外の他者の事も考えないと駄目ですね。

他人が悩んでいる事柄なども、自分の方から理解出来る人になることが出来れば良いですね。

 

 此の世は自分一人のものではありません、皆の世界も有るものです。

自分一人で腹を立てない事です。

時には、自分以外の他者の、心というか気持ちを大事に考えてみる事が大切です。

特別に大切な事は、他人の立場に立って自分を眺める事です。

 他人の眼に、自分の眼を置いた視野に立てる事が、大変に重要です。

自分の心の愚かさが見えます。

人間は、自分の事を中心に自分の事ばかり考え自分の思う通りにならないと、嘆き苦しみ、苦悩を蓄積して行きます。

世の中は自分の思う通りにならない、時には、自分以外の他者が優先となる場合は沢山とあります。これが普通なのです。

 

 『身代わり不可症候群』、自分が相手の立場に立って物事を考える力が無いことを言います。

絶対に、相手の立場に立って考える能力を{身に付ける}事が大切です。

これが出来ない人は、可愛そうな人だと思います。

 相手の立場に立てない人は、必ずや「ストレス」が溜まります。

自分自身の会話・行動・心、全てがギクシャクして、世間の人達と楽しく語り合い生きることが不可能となります。

簡単な心のトリックが解釈出来ないのです。

辛く悲しいですね。

他者の気持や心の痛みが理解できないと大変です。

「心理療法」を受ける事が大切です。              

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(2) コラムより

2011 年 9 月 29 日 木曜日

 相手の立場になって、自分の事・会話・行動などを考える能力を持っていない状況を「身代わり不可症候群」と、伝えました。

 そうですね、例え、相手の立場をしっかりと考えてあげなくても、自分に与えられた役割や仕事などを、誰が見ても間違いなく当人がストレスを感じないで生活できれば、何も問題は無いのでしょうが・・・・。

しかし、その様な生き方を継続していれば、必ず人生の壁に衝突するのが自然の成り行きなのではないでしょうか。

 

 自分も人間、相手も人間です。心の通っている人、お互いが人間社会で生活している訳ですから、少しは相手の人の心を分かってあげられる人でないと、自分の人生を生きるのに{心の迷い}も生じて来るのが当たり前です。

 心・性格・人格の問題ですが、人は自分の事について案外と気づかないものです。

ストレスを抱えて、神経症・心身症・うつ病、などで悩みながら苦しみながら日常生活を過ごしていても、自分の心・人格を変革しようとしないので大変です。

自分の心をしっかりと見つめて欲しいのです。

 

 一般的に「自分の事は自分で解決する」と、沢山の人達が言います。

人はよく「自分の事については知っているが、他人の事が分からない」と、言います。

 当方、20年来に渡り、心理療法に関わっています。

自分の事を知らないので、他人の事や他人の心・性格・人格を知る事が出来ないのです。

自分はしっかりとしている積もりでも、他者から見て立派な人、立派だとは思われなくても精々普通の人でないと、誰も相手をしてくれなくなるので、寂しい人生を送る事になります。

 

 人間の悩みや苦しみの{原点}は、自分以外の他者の心を気遣ってあげようとしないところから、心の葛藤として蓄積されて行くのです。

{気遣い}というのは、自分の本当の心の底から{相手の気持を考え配慮する}という事です。

 自分の心を押し隠して生きてゆけば、自分の心のストレスは溜まるばかりです。

そんな考え方ですと、皆と一緒になって仕事をしたり役割をこなしたりして生きる事が出来ません。

不安・悲しみ・苦しみ・悔しさ・やきもち・嫉妬・妬み、などのマイナスの感情が、自ら湧き上がり、辛い感情に強迫されて、身動き出来なくなる時も出てくるでしょう。

 

 自分の感情も理解できないまま、苦しんで悩んで居られる人達が、案外と多いものです。

ここで少し、心の勉強{人間学}を学習しながら、人の気持を理解できる自分となり、相手の会話や行動や心を理解してあげて、己が大きな心の{器}を持った人となり、「人生を楽しく生きて行くことのできる人」になる事に向けて、専念してみられると良いです。

 人や事象の評価は良いのですが、自分以外の他者や出来事などを非難しないで、社会生活を送ることが実践できる人となるべきでしょう。

相手の人の気持を理解できて{許し}を与えてあげられる自分になりましょう。

心の悩みはなくなり、ストレスも無くなるでしょう。

             

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(1) コラムより

2011 年 9 月 28 日 水曜日

 本文はコラムに掲載済みですが、再度、ここにまとめておきます。

 

 ここでは、特異なパタ―ンの性格・心・人格の人達について少し触れてみましょう。

一般の人達は人間である以上、悩みながら人生を生きるのが当然だと言われています。

当方では絶対にそんな考え方を持っていません。

人生について、しっかりと勉強して行けば、悩まないで気楽に人生を楽しんで生きる事が可能となります。

 

 人間、人生を生きることにおいて、誰しも、自分が得をしたいし、何事につけても勝ちたい、優越感に浸りながら生きたい、褒められたい、賞賛を浴びたい、周囲の人達の注目を浴びたい・・・などと考えます。

例え、無意識的にしろですね・・・。

 現実面にてそんな状況を得たとすれば、逆に、人の前に立つ時に恐怖感に襲われてしまう人達を沢山と見受けられますし、パニックとなる人達も居られます。

人間社会、人生を生きるには、最低限の考え方が必要だと思われます。

勿論、少しながら人間学を学習しながら気づいていくものでしょうが・・・。

 

 人間社会で生きるのですから、一人で人は生きる事は出来ません。

常に誰かと、面と向かって、話しをしながらの生活にもなる訳です。

そこで何を説明したかったかと言えば、自分以外の他人の気持ちを理解出来る人であるかどうかが、人生を悩まないで生きる分岐点となる事実を知って欲しいからです。

 時には、相手の立場になれる事、相手の立場に立って物事を考える事が出来る人になる事が必要なのです。

世の中を生きるには、自分の得をする事、自分だけが優位に立つ事、自分だけが何事においても勝つ事、異性に対しても自分だけが最大に愛される事、などは有りません。

相手の立場で考えたり、相手と自分について熟慮できる人は、悩まないはずです。

 

 自分だけが得をしたい・自分だけが優位の立場でありたい、などと固執すると、相手の立場にはなれません。

人間社会を生きるには、ギブ&テイクの世界ですから、100%自分の事、立場のみを考えると、相手の人とは仕事にしろ遊びにしろ、全ての事柄に対して交渉条件が成立しません。

 自分がこう話をすれば相手はどんなに感じるのか、自分がこんな行動をすると相手がどのように思うのか。

自分が相手の立場になって物事を考える{自分=人}とならなければなりません。

 

 「身代わり不可症候群」、ここでは自分が相手の立場に立てない人の意味で、この言葉を使用しています。

世の中には、本当に相手の人の心や立場や諸事情を考慮してあげる能力の無い人が案外と見受けられます。

 そのような人達は、生きるのに大変なストレスを背負うものです。

疲れますし、心身症、神経症、うつ病にさえにもなります。

引きこもり、ニ―ト、フリ―タ―、と称される人達になって行きます(一部では優秀なフリ―タ―の方々もおられますが・・・)。

自分の事ばかり考えて、相手の人の立場に立てない人、この様な状況を「身代わり不可症候群」と伝えておきます。         

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群11・・・悩まないために

2011 年 9 月 27 日 火曜日

〔〔追伸〕〕

 

 当方が、この言葉を続けて繰り返すのは、此の世を悩まないで生きる、此の世を生きていくのに苦しまないで生きる「「策」」を伝えたいからです。

時折に、私は、皆様方に講演を頼まれますが、多くの場合で、人生を楽しく心地よく生きる事、その「「術」」を、お話する場合が多いです。

 

 当方は、医師ですが、勿論、臨床心理士でありまして、{{こころ}}の話をする場合の方が多いです。

悩まずに、自分の人生を生きる、暮らす、周囲の人達と仲良く過ごす、自分以外の他者に対して「「不満」」・「「恨み」」・「「劣等感」」などを持たずに生きるのが最高でしょう。

多くの人達が、「「過去を振り返らずに、前だけを向いて生きてゆけ」」なんて言いますが、当方から見ていると、それは大変な{{誤解}}だと言っておきます、本当に大変なもので、{{こころ}}を知らない人は、しばしばと周囲の他者を傷つけたりもしますので、御注意して下さいませ。

 

 相手の気持ち、相手の{{こころ}}を理解してあげる事、この事が出来れば、自分の人生を生きるのに悩まないで、楽しく生活が出来ると皆様方へ伝えているものです。

「「身代わり不可症候群」」の人達は、多分に全ての人達が「「身代わり不可」」でしょうが、どうぞ、「「身代わり可能」」の人間になって生きる事ができるように、お願い申し上げているものです。

 

 「「劣等感」」も「「優越感」」も、持たないで生きる事が一番に気楽です。

なんだか、私たち庶民は、誰も皆が「「優越感」」を持ちたいみたいですが、「「優越感」」を持ちたい人は、「「劣等感」」を自分の{{こころ}}の底に抱えているものです。

でも、「「劣等感」」も「「優越感」」も持たないのが、気楽ですよ、などと伝えても、現実に、この{{こころ*}}まで辿り着いた人達でないと理解できないので、難しい話になるのかも知れません〔本当は、易しい事ですが・・〕、恐縮です。

 

「「内観体験」」だけすれば、人生は楽しくなるものです。

{{こころ}}の真実の世界を、お知らせしておきます。

 

最後に、クドイですが、もう一度、「「身代わり不可症候群」」の言葉を、皆様に投げかけておきます。

 

  「「身代わり不可症候群」」 です。

     

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群10・・・悩まないために

2011 年 9 月 26 日 月曜日

 人間が悩む場合には、悩む対象が有るものです。

悩む対象が一つの場合と、悩む対象が複数の場合もあります。

悩む対象が物事の場合もあるし、悩む対象が人間の場合もあるのです。

大変に面白いのは、悩みの対象が、自分の{{こころ}}の「「器」」の問題でもあります。

どんなに、人間の{{こころ}}の「「器」」が大きい人でも、頭は一つですから、その自分の持っている頭を如何に使うのかが、悩むか悩まないかの、分岐点になるものです。

 

 悩む対象が、物の場合では、{{欲しい物が自分の手に入らない}}ことや、{{自分の大事にしていた物を失った}}時や、大切な物を落として失った時と盗まれる場合もあるでしょう。

物を盗まれて失った場合では、盗んだ人が判明しているかどうかも、問題になるでしょう。

多くの場合で、相手が不明確ですよね。

仮に、推定ができたにしても明確に{{この人が盗んだ}}などとは難しいものです。

物に対しても、どれだけ沢山と、自分が拘っているのか、拘っていないのかを明確に確認してみるのが、凄く大事です。

 

 物にも拘る事を、適当な折にでも、中止する力量が重要です。

物や物事に対しての{{こだわり}}は、自分の「「無意識」」や「「潜在意識」」や「「顕在意識」」の{{こころ}}のカラクリを、どのくらい知っているかが、大きな分岐点となります。

さて、自分の悩む対象が人間の場合です、ね。

相手の人間の気持ちを、どれ程に理解できるかどうかでしょう。

矢張り、何度も繰り返して記載しますが、悩みや苦しみの原点は、自分を此の世に誕生させた母親と父親との{{こころ}}の絡まりが原点になっています。

 

 皆さん方は、よく言いますよ、・・私は、親孝行して育ったとか、親に対しては「「感謝」」も「「恩」」もしていますなどと、自己主張されます。

でも、現実に、自分の過去を明確に振り返りながら、自分の「「会話」」・「「行動」」・「「こころ」」を点検しますと、自分の親に対して「「感謝」」と「「恩」」を持っている人達は居ない筈です。

私は、絶対に、親へは「「感謝」」と「「恩」」を持っているなんて自己主張しても、自分の過去の{{誕生から~~現在までの過去の生い立ち}}を調べると、間違っている事が理解できるでしょう。

 

 自分の{{考え方}}の間違いに気づく事、これが、最高に大事です。

「「身代わり不可症候群」」とは、相手の気持ちを考えるのが無理な場合、相手の立場に立てない人達の事を言いますが、このような人達は拘りや悩みの{{こころ}}から開放されませんと、皆様方へ伝えているものです。

どうぞ、皆様方が「「身代わり不可症候群」」の人間から、{{身代わり可能}}な人間になって下さいますように、当方は希望しております。

「「身代わり不可症候群」」、どうぞ念頭に入れておいて下さい。