<<心の世界>>自尊心・他尊心

2014 年 1 月 28 日

  「自尊心」は、心理療法の中でも、よく使われる言葉です。
一般の人も含めて、心理療法に関わる人達までが・・・「自尊心」は、大切にしないといけません。
「自尊心」を、自分を大切にする心を持たなければいけないなどと、よく言われます。
そのように、「自尊心」を解釈している人達は、究極的に{人の病む心}が見えていない人とも言えます。

  自分の心と体を大切にする思いは、本当に重要です。
確かに人が人生を生きるには、自分を中心としたうえで{世の中を見る}ことが必要なのでしょうが・・・、しっかりと考えてみると、実際には違うことにもなります。
自分が中心と考え、自分を中心にして、{世界が回る}と思っては大変な誤解が生じます。

  「自尊心」よりも「他尊心」の方がはるかに大事なのです。
自分を大切にすることは・・・・、他人から、{自分を大切にしてもらいたいなどの心も生じてきます。
  「他尊心」、昔からの言葉がありますね。
  「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」と言います。
また、昔のお住職さんですが「捨てて、捨てて、捨てて」などと言った方(一遍さんでしたね)もおられましたね。

自分の抱えているものを、全て捨ててしまうという意味かと感じます。
体を捨てて死んでしまうのとは違います。
{拘り・執着}などを捨てましょう、気持ちが楽になるということです。

  常に、人間は自分の好みで、他人や環境に拘らないと{気がすまない}でしょう。
自分の持ち物を(執着ゆえに)捨てきれないのです。
{悩む心、執着する心、拘る心}などを、捨てきれません。悲しいです。
拘らなければ、{死ぬことも怖くない}と言います。
人間の一生では、{終末と滅}が必ず訪れてきます。
ですが、人間は悲しいことに{自分の死}を、なかなか受け入れることが出来ない生き物ですね。

  仏教観の中には、「無常観」を問い詰めることが大切だと教えていますが、こんな簡単なことを理解できません。自分が、此の世から必ず消えていく存在であると悟れると良いのですが、体得は出来ません。究極的には、自分の全ての持ち物を置き去って{黄泉の浄土}に行きます。
悩みは、何処から来るのかと考えてみれば、分かるはずなのですが、悩みの原点を見つめようとしませんね。

 自分の心、とくに{拘る心・執着する心}を、捨てきれません。
 とことん考えると、「自尊心」を大切にしすぎています。
 時には、他者への奉仕の心を持てる人であって欲しいものです。

  特に、「欲望の心」を自分で適度にコントロールできるかどうかが分かれ目でしょう。
自分の執着心を捨てて、捨てたところから自分が浮き上がってきますが、捨てた人でないと分かりませんね。

「他尊心」他者を尊敬、他者の助言を受け入れられる人になりたいものです。

  「インターネット心理療法」では、悩まない人となるために、この人生で{如何に自分の執着心を捨てて、自分の心を回復させるか}を勉強するのが目的でもあります。
執着する・拘るこころを捨てられたら、どんなに{心は束縛から解放されて自由になれる}のかが分かるでしょう。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り3

2014 年 1 月 23 日

  両親の因縁で、人はこの世に誕生して来ます。
人間の生き様とは、人により色々様々と違うものです。
この違いは、主として{生い立ち}の中で、育まれているものです。

  生れながらにして、子供が気づいた時には、片方の親、或いは、両親の顔も姿も見えない場合もあります。両親が生きていても、生き別れもあります。
運悪く、両親などが不遇に出会い、戦争やあるいは病気による死に別れもあります。
  どちらにしても、親の顔を知らないで大人になると、人は心の底に{空しさ}や{空洞感}を引きづるものなのです。
ですが、親が生きていれば、子供は、{幸せか}?と問われれば「NO」です。

  親の子育てが、子供の一生の{運命}を決定する場合が多々あります。
これは、事実です。
子供は、親の姿を見ながら、心も体も成長していきます。
  親の子育てに、問題が有ると、子供の心・精神にも問題が発生します。
遺伝による場合は、例外としておきます。
親の態度が同じでも、時代の背景によって、子供が、親の行動や会話や心を受け止める精神状態は全くと異なります。
心理療法を体験した人でないと、理解できないかもしれません。

  人間の皆が貧乏な状況では、子供達もハングリー精神があるので、働く親の姿を見るだけで、案外と子どもは育つものです。  
子供は「親の背中を、見て育つ」ものです。
  ですが、日本の現在社会では、「豊かさは、人の心を迷わせる」という言葉があるように、大人も子供達も、一緒になって、見せかけの豊かさに惑わされて、裕福だと錯覚しているのです。
今の日本の第二次世界大戦の時代と終戦後の時代を比較すると、物質的には凄く豊かになっています。欧米は、更に、日本以上でもありましょう。

  人間の心は自由でなければいけないと、どこまでも、自分の思いが自由だと、自己主張して、受け入れられないと、すぐさま心の不満となって現れて怒ります。
  如何なる時代であれ、人間が此の世で人生を生きることについては、究極的には{自由はあり得ない}はずでありましょう。
法律や規制や柵などがあるのですから。

  いつの時代でも、人が人生での社会生活を過ごすには、食欲・性欲・睡眠欲・名誉欲・金銭欲など、持ち続けながら生きているものです。
どんなに細かく見つめても、このような欲望に人はとりつかれているものです。
 人は常に、自分の欲しいものを追い求めるか、自分に都合の良い環境を追い求めます。
そこには、必ず{執着する心}{拘るこころ}{差別する心}{分別する心}{偏る心}{とらわれる心}が湧いて来るのです。

  そう、「青い鳥」「心の灯り」を自分の外側に追い求める。
見つからないと言いながら、あちらこちらと、這いずり回って探し続けるのです。
確かに、自分の欲しいものを追いかけていますが、何時までも見つからないでしょう。
  真実に人が求めている物、すなわち「青い鳥」は自分の心の中にしか居ません。
  「心の灯りは」自分の心の中にしかありません。

「青い鳥」「心の灯り」とは、自分の心の力量を知ることであり、これが最重要なのです。
そんな自分の心を知ることが出来れば、きっと幸せになれる筈です。
自分の過去を振り返り、『本当の自己』を知りましょう。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り2

2014 年 1 月 21 日

  「インターネット心理療法」では、とにかく、人が人生を歩む過程で、悩まないで生きることに、重点を置いているところです。
  悩んでいる方達、いや、有頂天の気持ちになっている方達もそうでありますが、他者の意見をうけいれないのが、最大の弱点でもありましょう。
人間は、普通のつもりで生きている人達も、人の意見をなかなか受け入れないものですね。

  悩み苦しみ、各種神経症、うつ病、躁病、その他、若い人達の登校拒否、摂食障害(拒食・過食)、引きこもり、ニート、フリーター、非行、シンナー、ストーカー、年配者のアルコール依存、統合失調症の人格脆弱性、諸々の肉体的(器質的)病気にしても、ここに挙げたすべての事柄は、根元的に、心が肉体にとらわれる{心の問題}ですね。

  よく考えますと・・・・・、人は、自分の周囲や外側に、自分の心を癒すものなどを追い求めています。
  即ち「青い鳥」や「心の灯」を一生懸命に探し求めています。
人間、生まれてきた以上は、自分の体と心の外側に{何かを求めて生きる}のが、宿命かもしれません。

  上記しましたように・・・・・、自分にとって都合の良いものを得たいし、又、都合の良い環境を求めます。
そういう生き方が、人間の現実的な生き方であります。
そこには、拘り、執着し、自分の心が{あるものに捕らわれて}苦しみます。
  外観的な生き方ですね。しっかりと人間学を勉強しておかないと、悩むし、心の病気にも取りつかれることになります。
心が、苦しみ悩み「蟻地獄」・「暗いトンネル」・「大きな岩石の下敷き」状態から抜け出せないことになります。

  適当な状態で、人は自分の欲望を制限する能力・力量も必要ですね。
これ以上を求めれば、自分の心と体に無理を来すなど、適度に自分の欲望を知っておかねばなりませんし、
これ以上を求めれば・・・、自分の心が壊れてしまうなど、{自分の心の状態を知る事}なのです。

  「心の灯り」・「青い鳥」は自分の外側にあるのではありません。
それらは、自分の心と体の中にしかないのです。
人は、漠然と自分の欲望だけを肥大化させて、自分の外側にいろいろな物・環境などを求めます。
  しっかりと、自分を見つめないと分かりませんよ。
自分がどんなに欲しいと求めても、自分の実力と技量以上の物を求めても、自分の手には入らないものです。 
本当の自分の欲望を知ることです。

  ここで、少しながら、{仏教観}を借ります。
『四苦八苦』という言葉があります。結構と、会社の社長さん方も知っておられません。
是非とも確認して知っておいてくださいませ。
四苦とは、{誕生して生きる}、{老いる}、{病気}、{死ぬ}です。所謂、生老病死です。
残りの四苦は、愛する者との生き別れや死に別れ、求めても手に入らない、自分の側には嫌いな人が1人や2人はいる、あれが欲しいこれが欲しいなど煩悩ですね。
「愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五蘊盛苦」です。

  本当の自己を発見し、目覚めると「四苦八苦」をも受け入れる力が出来上がるかも知れませんよ。全部を受け入れるには、本当の人間学の学習・勉強が必要でしょう。
人生を生きるには、拒絶せず、全てを受け入れることも大切です。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り1

2014 年 1 月 20 日

  人は、誰しも、「青い鳥」・「心の灯り」を求めて生きています。
自分の「好きな事」「嫌いな物」「好きな人」「好きな事象」など、漠然としていても、常にそれを求めて生きているものです。
  優越感、見栄、虚栄心、おごり、自惚れ、称賛、金銭、名誉、などを求めて日常生活を送っているものです。
そうですね、時には、心の底から支えてくれる人を探し求めたり、好きな異性{男性・女性}を探し求めています。

  簡単に表現すれば、やはり、心の問題になります。
自分の心が、どんな形で自分の心の底にあるのかを、確認することが必要です。
  本当の自分、真実なる自分を理解できていれば、人間は悩まないものです
自分の実力や力量を知らないで、色々な事柄を求め過ぎるので、悩みや苦しみは起こってきます。

  世の中の人達は、しばしばと言いますね。「夢」・「理想」を持ってくださいと。
しかし、夢や理想を、あまり持たないで欲しいと考えます。
何故ならば「夢」は壊れるからです。
  でも、人間が生きる{目的意識}だけは、絶対に持ってくださいね。
苦しみ悩んでいる人達は、{{自分は一体何を考えているのか分からない}}というのです。・・・・・勿論その通りです。
何を考えているのか、そして、その考えている事柄が、自分にできる事柄か、どうかを確認しておかないと、悩み続けることになります。

  悩み苦しみ、神経症、心身症、うつ病、躁病、アルコール依存、その他、諸々の苦しみなど、全ては、自分にできない事柄を考えているのですね。
出来ない事柄は、出来ないのだと、自分の心を明確にして、心をしっかりと固めて、人生を歩けば何も悩みや苦しみは起こらない筈です。
  今、自分が一番に欲しいものは「何か」を、知っておいてほしいですね。
登校拒否、非行、いじめ、暴力、虐待、犯罪、などは、人の心の{欲求不満}が生じさせるものです。
人は自分の心を満足させる能力、幸せだと感じる能力を持つことが必要です。

  心の根源を考えますと・・・・・、心の形というか、心・性格・人格の形成、生い立ちの心に遡るのです。
「三つ子の魂、百までも」、「親の因果が、子に報い」などと言います。
人はこの世に誕生して成長する過程で、母・父・自分を育てた人達・自分の側を通り過ぎた人達・周囲の環境・貧乏・裕福・諸々の問題があります。
  最大に重要なのは、親の心が子供に伝播していますので、子供が悩み苦しむ状況にある場合は、親の方が、しっかりと自分の生き様を点検するべきですね。
子供の異常会話・異常行動・異常な心は、親の育て方が問題です。

  親が、家族の中で「青い鳥」・「心の灯り」を何処に探し求めたかを、懸命に確認して欲しいと思います。祖父母~両親~子供達~孫たち~、誰が、どの時点で、心の間違いがあったかを確認して、{悪い因縁}を断ち切るかだけです。
問題を抱えたら、親も子供も、「心理療法を受けること」が絶対に必要でしょう。

<<心の世界>>人生勉強で「こころの大人」を目指しましょう!

2014 年 1 月 15 日

  メール相談のページでも書いておりますが、当方へ来所できない人達には、ある「課題」をお渡し申し上げています。「課題」を受け取られた方は、必ず、「課題」について考えて思い出したことを当方までお送りいただきます。
  この課題について何度か繰り返していると、自然と{本当の自分を知ることになり}、自分のこころをコントロールできるようになります。

  自分のこころは正常だと自覚している人々も、この「課題」について考えることは、人生を生きる上で非常に大切です。
多くの方達は、「悩みは無いが、ストレスはある」と言われます。
  「課題」について考えることで、人は自分のストレスを(他人のストレスをも、自分の方で)コントロール出来るようになります。
燃え尽きた心、幼児帰りした心を調整することさえ可能となるでしょう。

人間の心には、浅い心と深い心、つまり「本音」と「建前」の心が動いております。

人間社会を生きて、過去から現在にまで「どのように自分の行動と会話を自分のこころで動かして」いたかを、しっかり掘り起こして「真実なる自分」を確立しましょう。

最初の内は、どうして自分の過去を眺めるのか「不思議だ」「必要があるのか」と思うかもしれませんが、人は一般に自分の思い出したくない「過去の心を忘れよう」とします。

  自分の過去を「嬉しかった・楽しかった」と感じる方は、その嬉しかった事柄を探しましょう。
苦しさや悲しさを感じる人々は、最初のうちは「過去の悲しさ・苦しさ」を掘り起こすのに、少しながら抵抗を感じるかもしれません。
  しかし、人間は大脳の一部分、「旧皮質の海馬」というところに過去の心が蓄積されているので「完全なる忘却をする」ことは実際は不可能なのです。

  精神科医や診療内科医の先生の中には、時折、「過去を振り返るとフラッシュバックするので、過去を振り返らない方が良い」と言われる方がいます。
しかしこれは、人が人間社会を生きていくのに、人の心が如何に動いているのか、簡単にいえば「人間の心のからくり」を勉強されていない事から出る発言だと思います。

  自分の過去を知り尽くしていると、自分が人間社会を生きていくのに、「仮面をかぶる」必要がなくなります。
  自分のこころの殻の中に閉じこもらないで、鳥が卵の殻を割って、外側の世界に出てくるように、人も自分のこころの中の世界に引きこもらないで、こころの外側の世界に出てきて、自由に生きることが出来るようになります。

  人はどうしても自分のこころを飾り、他人・周囲の人達から称賛されたい、褒められたいなどと考えこんでいるものです。
  真実なる自分を、心の中をさらけ出して生きる、これでよいのです。
先祖・父と母を縁にして、此の世に生まれてきた以上は、もはやどんなに嘆いても、怒りを持っても、自分で自分のこころを解決しない限り、何も変わらないのです。

  自分のこころを成長させることを怠り、自分のこころを「そのまま」にしておいて、周囲の他者の心や環境が変わることを待っていても仕方がありません。
  とにかく、こころを「大人にして」生きることです。
精神的成長が遅れたとしても、よほどのことに、先天的の疾患でない限り、努力すれば、「こころは、大人になれる」ものなのです。