<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追14)

  最後の「「四苦」」になりますが、「「死」」ですよ。
どんなに、当方が、「「身代わり」」、「「身代わり」」だと叫んでも、此の世に生きている人間に向かって、({身代わり})などと叫んでも、現実に、その事を体で悟るのは、難しいでしょう。
目前で死んでゆく人達、或いは、目前で({瀕死})の状況にある方々に、そのような人と「「身代わり」」になってなどと言えば、こんな場合の身代わりは、間違っているでしょう。

  それにしても、その人の「「身代わり」」ですか、自分の{{こころ}}で相手の状況になって考えてみるのが大事ですよね。
今から、死んで行く人に対して、その方の気持ちになってみてあげる事なのです。
目前の方々が死ぬる場合には、その方の({気持ち})ですよ、寂しいとか、悲しいとか、辛いとか、自分の人生が消えて行くとか、諸々の気持ちを理解してあげる事ですよ。
そのことで、自分も、({安堵感})を感じるでしょう。

  自分を中心的に考えると、自分の周りに({何事})が起こっても、何も感じませんよ。
自分の周囲に何時も、自分の({眼差し})が届いているのが、大事ですよ・・・・。
悩む人達は、殆どの場合で、いや、全ての場合で、自己中心的な状況になっていますから、他人の事柄などは、考えません。
それ故に、他人が見えないのですから、「「身代わり」」、などは、見えませんから、「「身代わり不可症候群」」などの、言葉も簡単には、届かないのは言うまでもありません。

  ここで、この欄では、「「死」」についてですから、人間は、自分の「「死」」を考えたくないのが普通でしょう。
自分の「「死」」にも、他人の「「死」」にも、({眼差し})を向けたく有りません。
何度も、繰り返しますが、100人のうち100人が、「身代わり」」できないものは、そんな場合では「「身代わり」」になって下さい、などとは言えません。
{{ケースバイケース}}ですからね。

  でも、現実にどのような場合であっても、真に相手と({体})を入れ替えるのは、真実には有りません、イメ―ジだけでもとお願いしても、難しいですよ。
死んでいく相手の{{こころ}}や相手の({立場})、相手の置かれた{{状況}}を、自分と置き換えてみる事なのです。
そうする事で、自分が悩んでいた{{惨め}}な自分、({愚か})な自分、{{か細い}}自分に気づいて、驚くと共に、自分の考え方の(「間違い」)に気づくでしょう。

  自分の({間違い})、自分の({誤り})、自分の{{愚かさ}}、自分の({小さいこころ})に気づく事、また、自分の({持ってもいない優越感})、自分の{{強いエゴイストのこころ}}、自分の{{強すぎたナルシストのこころ}}などに、気づけば、逆に、{{こころ}}の丈夫な人間になれますが、必ずや、自分の(「過去」)を見つめる事です。

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