<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追13)

  次に、お話するのは「「病」」ですね。
「「病」」については、普通の場合では、自分が({病気})になってから、疼痛とか、不治の病などとなってしまうと、特別にですが、癌性病変や特殊な不治の病になった時には、誰もが悩む筈ですよ。
私の人生では、こんな({予定}は入っていなかったなどと、苦しみますよ。

  簡単に治る病気もあるし、治るのには数か月間もかかる病気もあります。
そして、最後には、必ずや、訪れて来る辛い病気、疼痛や各種の苦しみを伴う病気にもなって来ます。
人間の一生が、自分には見えている積りですが、現実に、その状況がやって来ますと、人間個人は、自分の事となると、大変に悩むものですよ。
日頃からでも、己の人生については、理解している積りの人達が、現実に、自分の死を認めて下さいと伝えますと、あまり({自分の死})については、考えたくありませんと言います。

  今は、生老病死の話から、「「身代わり不可症候群」」の話をしていますが、誰も人間は、このような({悩み})を背負っていますし、そんな悩みを背負っている方達の({悩み})や({苦しみ})を抱えている人の({身代わり})ですよね。
そんな人達の{{身代わり}}ができると、悩まない人間になれますと、皆さんに伝えているのです。
ですが、悲しい事に、人間は({自己中心的})で、エゴイストやナルシストの方々が多いので、なかなかと、相手の人間の({身がわり})になれません。

  特別に「「死」」については、全く、相手の方と自分を入れ替えましょう、とは言えません。
この事は当然でしょう。
「「病」」が、直接に、自分の「「死」」につながる場合もありますが、多くの場合で、即座に簡単に、自分の「「死」」とつながる場合は少ないでしょう。
診療していましても、何時も目前に居る病気の人が死亡する訳でもありませんしね。
だから、「「病」」については、その方の気持ちになって、自分が万一でも、このような「「病」」などで、あるとすれば、どう感じるのだろうか、など、いとも真剣に自分を考えるのです。

  人間世界で、不安障害&神経症、うつ病、登校拒否、暴力、非行、シンナ―中毒、その他の薬中毒、事件、犯罪、などなど、全ての物事や状況は、人間個人の{{こころ}}の歪さから起こりますが、こんな{{こころ}}の歪さも、その人の生い立ちの中で育まれた{{こころ}}に原点があります。

そうであるからには、現在の自分の{{こころ}}を反転するには、己の生い立ちの育つ過程の中で、どのくらいに、自分勝手に生きて来たのか、或いは、自分の親に対して、母親、父親、兄弟姉妹についても、自分の{{こころ}}が如何なる動きをしていたかを点検しましょう。

 「「身代わり不可症候群」」を、理解すれば、人生は気楽です。

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